【日明戦争】文禄・慶長の役【万暦役】at CHINAHERO
【日明戦争】文禄・慶長の役【万暦役】 - 暇つぶし2ch308:名無しさん@お腹いっぱい。
13/12/10 15:33:09.31 7gBPaRiU0.net
>>307
>それから私の質問についてだが、
>君には答えられないということがよく分かったので
>もう返事をしてくれなくても結構だよ。
昨日は余裕ぶっこいておきながら、追い詰められたら
>あんたも神戸大のソースだせよ。
だもんな、ホント見苦しいやつだなお前は(笑)

309:名無しさん@お腹いっぱい。
13/12/10 15:36:16.62 8RbZodzA0.net
>>308
俺は他人だよ。

お前が>216で現れたときから、お前の書き込みに注目している。

というわけで神戸大のソースよろしく。

嘘を書いて261(262)や276で論破されて逃亡してる
お前の名誉回復するにはソースを出すことだ。

いつまでも逃げてないで勇気を示すんだ。

310:名無しさん@お腹いっぱい。
13/12/10 16:08:52.41 7gBPaRiU0.net
>>309
>お前が>216で現れたときから、お前の書き込みに注目している。
>というわけで神戸大のソースよろしく。
てめえが神戸大学に直接きけよ。
309「もしもし、神戸大学文学部日本史研究室ですか!」
神戸「そうですが、なにか」
309「なんであんなのをネットにあげたんですか!そのせいでぼくが
論破されそうなんです。」
神戸「そんなこと言われてもわれわれが研究して得た最新の史実をあげただけですから」
309「あなた日本人でしょ!日本人だったら日本人にとって都合の良い真実ってあるじゃないですか。」
神戸「我々は研究者ですから都合の良い真実といわれましても・・・」
309「ふざけんな、お前ら朝鮮人に買収されてるだろ、きっとそうに違いない。」
神戸「我々を買収して朝鮮人にどんなメリットがあるんです。」
309「俺を論破するメリットがあるじゃないか!!」
神戸「我々は忙しいんです。それじゃ切りますよ!」
309「あー、まだ話は終わってない・・・」
まあ、とにかく神戸大には迷惑かけるなよ(笑)

311:名無しさん@お腹いっぱい。
13/12/10 16:57:02.51 tvnBKPOM0.net
>>309
こいつがID:7gBPaRiU0>>216で荒らしに現れてからの書き込みをみたが
ドンドン外堀を埋められていって追い詰められて
今に至っているようだなw

始めはサイキョウガーとほざいてたが、実際に中国朝鮮は負け続けてるし、
戦略目標がーとわめいてたときは、>>261で提示されてるし

3路の大敗では、損害は受けてないと嘘をついところを指摘されてるし、
必殺の秘蔵の神戸大は胡散臭い代物だったし と。

最終的に行き着いたところは、架空戦記に例えられてたが
起こりもしなかった1599年のことを利用して、
根拠もなくいいっぱなし可能なことにしがみついて、
住人につき纏っている図式w

荒らそうと思って登場した>>216頃の姿をみると哀れだなww

312:名無しさん@お腹いっぱい。
13/12/10 19:09:24.24 3wmaKjIu0.net
>>306
>慶長の役での戦略目標は勘合貿易の再開だって言ってんだろ(怒)
>朝鮮王が明皇帝に泣きつかせるように圧力として、倭城に立て籠もってるんだろ!!
>倭城に立て籠もっているだけなら、たいした兵力はいらないから、石田・福島・増田
>を中心に彼らより格下の大名で6万~7万の兵を交代要員として渡海する予定だったんだろ。

勘合貿易の再開のみを慶長の役の戦略目標とする説はさすがに聞いたことがないね。君のオリジナルかな。
これについて北島万次氏、中野等氏をはじめとする専門家らは「半島南部四道の領有化」が目的だと述べており、
これが近年の主流となっているはずだが。それに「倭城に立て籠も」るためだけに
「石田・福島・増田を中心に彼らより格下の大名で6万~7万の兵を交代要員として渡海」させるというのも
君個人の推測に過ぎないよね。実際には秀吉は慶長三月十三日の立花宛秀吉書状で
「来年は御人数指し渡され、朝鮮都までも動きの儀、仰せ付けららるべく候」とし、慶長四年の攻勢では都(漢城)
まで攻め落すよう指示しているのだ。「石田・福島・増田を中心に彼らより格下の大名で6万~7万の兵」では
到底このような大それた攻勢計画は立てられないだろう。
また、慶長三年五月二十二日付の鍋島直茂宛朱印状で「来年大人数遣わされ働の儀」と述べていることからも、
君が言うような小規模の軍勢による消極的な計画でなかったことは明白だ。

>つべこべ言わず、家康が秀家の指揮下に入ることを証明する文書をだせよ!!

それは既に>>296で述べているではないか。

313:名無しさん@お腹いっぱい。
13/12/10 19:56:02.09 8RbZodzA0.net
>>311
それで>>214のような対戦表を作るのも面白そうだなw 連戦連敗記録w

314:名無しさん@お腹いっぱい。
13/12/10 19:57:00.49 3wmaKjIu0.net
おっと、

×慶長三月十三日の立花宛秀吉書状で
○慶長三年三月十三日の立花宛秀吉書状で

書き間違いがあったので訂正しておく。

追記:同書状では「其の上二年、三年に一度づつ、御人数指し渡され、焼き動きにりやうとう
境目までも、仰せ付けられるべしと思し食し」とも書いているから、いずれは明国境まで進撃する予定だったようだね。

315:名無しさん@お腹いっぱい。
13/12/10 23:08:58.68 gFW5ucBx0.net
>>314
314さんの「其の上二年、三年に一度づつ、御人数指し渡され、焼き動きにりやうとう
境目までも、仰せ付けられるべしと思し食し」と

2月21日付朱印状(立花文書他)と合わせると「大明国迄可被仰付事」
目的が明らかですね。

私が276で2月21日の朱印状の一文が記載されているURLを、
紹介していたのに、また戦略目標が不明だの、とわけのわからないことを
書き始めたのをずっと監視してましたが、これで次はどうでてくるでしょうか。
URLリンク(sites.google.com)

316:名無しさん@お腹いっぱい。
13/12/11 09:43:17.77 HKO0h++70.net
>>312
>「来年は御人数指し渡され、朝鮮都までも動きの儀、仰せ付けららるべく候」とし、
>慶長四年の攻勢では都(漢城)まで攻め落すよう指示しているのだ。
「仰せ付けららるべく候」って、命令してください!ぐらいの意味でしょ。
これって秀吉から宗茂への命令書じゃなくて、宗茂から秀吉への嘆願書じゃないの(笑)
>また、慶長三年五月二十二日付の鍋島直茂宛朱印状で「来年大人数遣わされ働の儀」と
>述べていることからも、
立花文書とは違いこちらには朝鮮都までの動きが記されてないけど、それはなぜ?
「大人数遣わされ働の儀」についても鍋島や立花程度の大名にとっては6~7万でも大人数だよね(笑)

317:名無しさん@お腹いっぱい。
13/12/11 14:01:00.57 o9Pz0DOZ0.net
>>316
それって、結局はそういう見方をしても、
現地軍は漢城まで、到達できるくらいの実力や気勢があった
ということになるんじゃ・・・・

318:名無しさん@お腹いっぱい。
13/12/11 19:46:56.99 fr/KHIhG0.net
>>316
>「仰せ付けららるべく候」って、命令してください!ぐらいの意味でしょ。
>これって秀吉から宗茂への命令書じゃなくて、宗茂から秀吉への嘆願書じゃないの(笑)

呆れてものも言えない。こうした支離滅裂な言動を見ると、もはや君は「反論のための反論」をしているに過ぎないようだね。
その書状については「日本戦史・朝鮮役」に全文が載っており、下記URLで閲覧可能なので声に出して読んでみよう。
すべて読み上げる頃には、同書状が秀吉から宗茂ら諸将に送られた指示書であることを完全に理解できるだろう。
URLリンク(kindai.ndl.go.jp)

>立花文書とは違いこちらには朝鮮都までの動きが記されてないけど、それはなぜ?
>「大人数遣わされ働の儀」についても鍋島や立花程度の大名にとっては6~7万でも大人数だよね(笑)

「度々仰せ遣わされ候ごとく、来年大人数遣わされ働の儀、仰せ付けらるベく候間、其の中いずれの城々も丈夫に在番肝用に候」
「来年」(慶長四年)に計画中で「大人数」を要し、しかも度々指示してきたとなれば、それは慶長三年三月十三日付朱印状や
慶長三年五月二十六日付書状等で言及されてきた慶長四年の攻勢計画(大部隊で北上し漢城攻略)のこととしか考えられないではないか。
なにも「鍋島や立花程度の大名にとっては~」などと曲芸的な解釈をする必要は無いのだ。
他の文献と照らし合わせた上で素直に読めばいいではないか。

319:231
13/12/11 23:59:29.60 LY2N/JyP0.net
>>316
私は基本的に、史実とは関わりのないIF的なものにはノータッチですが、
貴方の反論の仕方そのものが、相変わらず、あまりにも稚拙なのが見てられないのと、
資料面では>>318さんが提示して決着してるんで、私は別の視点から書かせてもらいます。

まずは8行目について。
それは解釈の違いによるものですから、反証としては脆弱です。
鍋島や立花は両役に参加しており、

文禄15万8700人(または20万とも 後詰含めると30万とも)
慶長14万1490人
の陣立てを経験しています。

両役に参加している彼らにとって大軍とはどいうものなのかは、
本人たちに聞くしか真意はわかりません。まぁ無理な話ですが。

ちょっと、頭を働かせたらこれくらい、すぐに思い浮かびませんか?

次は7行目について。
これも前例を無視した内容なので反証として無意味です。

なぜなら文禄の役において、秀吉は作戦の要点と先鋒を決めた後は
基本的に戦術・進撃ルートは渡海した部隊に任せており、半島から報告書がやってくるたびに、
秀吉は情勢を判断し、状況に応じて思いつくことがあれば指示を出しています。

少しだけ例をあげますか、文禄元年5月16日に加藤清正の漢城占領の報を受けると、
秀吉は5番隊-9番隊に、京畿道、忠清道、慶尚道の各地に
駐留するようにも指示を出しています。

同年6月3日には戦闘序列の変更も行っています。、
福島正則が5番隊から4番隊に移る、長曽部が5番隊から6番に移るなど。

秀吉が朝鮮水軍を、陸で迎え撃てと指示して釜山浦で有効だったことなどは有名でしょう。


後半戦である【事実としての慶長の役】においても、大まかな指示をだしあとは、
渡海した将兵に任せており文禄と同じです。(毛利元秀記巻3)

320:名無しさん@お腹いっぱい。
13/12/12 09:32:54.88 pfKwT4uL0.net
慶長二年二月二十一日付けの立花宛て秀吉朱印状と慶長三年三月十三日
の立花宛秀吉朱印状を比較しても前者が天下人から一介の大名への命令
書の体裁を(最後の一文をのぞき)取られているのに対し後者は天下人
から一介の大名への命令書というより一介の大名から天下人への上申書
の形になっている。
「其の上二年、三年に一度づつ、御人数指し渡され、焼き動きにりやう
とう境目までも、仰せ付けられるべしと思し食し」この一文の「仰せ付
けられるべし」とはご命令願います的な意味だし、「然れば、今度仕置
きの城々の儀、見計らい申し付け候由、言上候間、上様御覧なされざる
ところに候条、おのおの次第と思し召され候処、敵弱く候へば、何方ま
でも、其の分と存じ、城をとりひろげ候。」この一文の「上様御覧なさ
れざるところに候条、」などは相手のことを上様と呼んでるんだけど・・・

321:名無しさん@お腹いっぱい。
13/12/12 18:15:15.85 kf5Q/6JP0.net
>>320
君は朱印状の最後の「三月十三日 朱印 羽柴久留米侍従とのへ 羽柴柳川侍従とのへ 
高橋主膳正とのへ 筑紫上野介とのへ」が見えないのか。立花宗茂の上申書の宛先が立花宗茂になっているなど、
そんな馬鹿げたことがあるはずがないではないか。それから以下のURLを見たまえ。

URLリンク(kindai.ndl.go.jp)
「日本戦史朝鮮役 文書目次」でも同朱印状の「発信者」は「秀吉」、「受信者」は「小早川秀包等」になっているではないか。
それと書状の言い回しについては、もう一々説明するのも馬鹿馬鹿しくなってくるのだが、
上の朱印状に限らず秀吉から発信された書状には「思し召され」「御覧に及ばれ」「御奉行遣され」などの尊敬表現が頻出する。
君の理屈で言うとこれらの書状は発信者と受信者がすべて逆転してしまうことになるのだが、もちろんそんなことはありえない。
単に、祐筆に書かせたからこうなったというだけだろう。

322:名無しさん@お腹いっぱい。
13/12/12 18:17:10.14 kf5Q/6JP0.net
おっと、上のURLだと目次のページに飛ばないようだね。
上のメニューから9ページを開いてみてくれ。

323:名無しさん@お腹いっぱい。
13/12/12 19:02:53.49 pfKwT4uL0.net
>>321
>君は朱印状の最後の「三月十三日 朱印 羽柴久留米侍従とのへ 羽柴柳川侍従とのへ 
>高橋主膳正とのへ 筑紫上野介とのへ」が見えないのか。立花宗茂の上申書の宛先が立
>花宗茂になっているなど、
>そんな馬鹿げたことがあるはずがないではないか。それから以下のURLを見たまえ。
さー、なにかの手違いで発信者と受信者がすべて逆転してしまったんじゃね!
>上の朱印状に限らず秀吉から発信された書状には「思し召され」「御覧に及ばれ」「御奉
>行遣され」などの尊敬表現が頻出する。
へー、この文書のように発信者と受信者が逆転したようなレベルで尊敬表現がちりばめられたの
文書があるんだ?
もちろん、秀吉から配下の大名に対する「言上候間」や「上様御覧なされざるところに候条」などの
表現もつかわれてるんだろ?(笑)

324:名無しさん@お腹いっぱい。
13/12/12 19:21:28.68 +BbKNPTO0.net
>>321
まったくだ。
なんでこの人は、無理やりな解釈するんだろうな。

俺にも理解できない。

216の始めのほうからのやりとりを見ても、
何度も結論結果が書かれてるのに、同じ事を
何度も書いているし、相手の文章も読んでないようだ。

323さんには悪いんだが、煽り抜きってことを了解してほしいんだけど、
文章を認識できない神経障害持ちじゃないか?この人。

325:名無しさん@お腹いっぱい。
13/12/12 20:44:38.76 kf5Q/6JP0.net
>>323
>へー、この文書のように発信者と受信者が逆転したようなレベルで尊敬表現がちりばめられたの
>文書があるんだ?

「然らば、両国土民百姓に至らば、悉く首を刎ぬべきと思し召し候」
(天正十三年四月二十二日付、太田城籠城衆宛朱印状)

「国郡境目の相輪、互に存分の儀聞し召し届けられ、追って仰せ出さるべく候」「急度御成敗なさるべく候」
(天正十三年十月二日付島津義久宛朱印状)

「上野のうち、真田持来り候知行三分の二、沼田の城に相付け、北条へ下さるべく候。三分の一は真田に仰せ付けらるべく候」
(天正十七年十一月二十四日付宣戦布告状、北条文書)

「去る夏既に御渡海有るべきの処、おのおの申し留めるに就き、御延引なされ、御後悔千万に候」
(天正二十年十一月十日付小早川秀包宛朱印状)

「尾張国中、在々すいびせしめ、田畠荒れ候躰、御覧に及ばれ、上様御生国にて候条、別して不便に思し食し、郡々へ御奉行遣され候」
「三ケ年の間、諸給人手前おも、上様御代官なされ、百姓めいわく仕らざる様に仰せ付けられ、給人くんやくおも半役に仰せ付けられ、
給人も百姓に成りたち候様に、仰せ付けらるべく候」
(文禄二年十一月二十八日付尾張国宛「条々」)

この通り、いくらでもあるよ。上様という表現もしっかり使われているね。

URLリンク(wwr2.ucom.ne.jp)

こちらのURLも参照してもらいたいのだが、秀吉の書状に見られる尊敬表現は祐筆によるもの、
もしくは秀吉自身がそうした祐筆の文体を真似たものだというのが一般的な常識だ。
また上記URLにも書いてあるが、当時の関白や公方の間で自尊表現を行う習慣があったという指摘もある。

「「関白」(Quambacu)と「公方」(Cubo)は、書状や渡航免許状において、自分自身に敬意を払った言ひ方をする。これがその文体だからである。
例へば、Voxe idasaruru(仰せ出ださるる)、Voboximesu(思召す)、quicoximesu(聞召す)、Yorocobini Voboximesu(喜びに思召す)など」
(イエズス会通事・ロドリゲス日本原典、1604年)

その上で、まだ君は
>さー、なにかの手違いで発信者と受信者がすべて逆転してしまったんじゃね!
などというような主張を続けるつもりなのだろうか。
言っておくが、こんな子供染みた屁理屈など社会では全く通用しないよ。

326:名無しさん@お腹いっぱい。
14/07/26 07:23:57.43 hdy8M+Jv0.net
保守

327:名無しさん@お腹いっぱい。
14/09/06 12:35:09.55 sIfHmAjY0.net
あげ

328:名無しさん@お腹いっぱい。
15/01/02 16:32:52.72 alB3BNaV0.net
test


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