07/07/07 19:57:28 DEesd7wL0.net
>>64の続きでも妄想してみるか
220年 曹丕、甄氏を奪回する為、洛陽・許昌に最低限の守備兵を置いてギョウへ進撃。
一方の蜀軍は、先年からの遠征で兵站が限界を迎えており、
また尚書令の法正・後将軍の黄忠の病死もあり、追撃を断念。
221年 曹丕、ギョウにて曹植を包囲するも、曹影が曹植側に付いた為、許昌へ撤退。
以後、魏は曹植の北魏(黄河以北)と曹丕の南魏(黄河以南)に分裂する。
諸葛亮、法正の遺した益州閥を自派に吸収、荊州軍閥の関羽と並ぶ一大派閥を形成。