08/02/26 02:42:00 lr06r+E20.net
>>171
騎射が基本だからこそ、突撃による戦果が特筆されて史書に残り
そうでない騎射は基本的に学ぶべきものとされつつ全然表舞台で「騎射によってどうのこうの」とは書かれない
史書書いた人間からすれば騎射こそが普通って感覚なんだからな
それから騎射は六芸じゃない
六芸の一つなのは射、これは馬に乗ってない状態でやるものな
射が六芸として成立した時点じゃまだ武霊王の胡服騎射による兵制改革は行われてないから
三国時代にも騎兵が騎射兵科だった事は以下にも見える
・公孫サンが白馬と騎射の兵数千を集めて白馬義従としてた事
騎射が特殊な兵科だったら数千も集められるか?
そして騎射を運用してるのに「矢が雨あられで凄い戦果でした」というような文言が公孫サンの戦歴には出てこない
実際白馬義従を中核とした軍隊で勝ってるにも関わらずな
これは騎兵が騎射兵科だったから、精鋭の騎兵を揃えたって言うだけでもう判るだろう?って筆者は省いてるだけだろ
・曹丕は典論に「6歳で射と乗馬を覚え、8歳にして騎射を覚えた」と書いている事
・左右で弓を射る事が可能というのがステイタスとなっていた事
騎射がデフォルトの戦法でもなければこんなこと尊ばれないし曹丕は典論で自慢もしないと思うよ
戟は馬上の兵器ってより長柄の武器ってだけの存在でしかないし歩兵も戟を使うし、騎兵も戟持ってる事はある
でもさっきから何度も言うように騎兵の基本は射撃、ポールアームはあくまでもサイドアーム