08/02/24 21:17:42 kJffZdRP0.net
馳突で検索したら、ただ単に敵陣を駆け抜けるという意味で、
武将が馳突しながら弓を射たとかハンマーの類を振り回したとかいうのはあったけど、
弓矢を使わないとか、逆に別の武器を使うとかいう限定はないみたいだね。
後漢書呂布伝の張燕戦の記録にも同じ言葉が使われてる。
これだけだと弓矢を使ったか使わなかったか、巧かったか下手だったかは分からないね。
ただ歩兵は連れて行かずに敵の首を斬ったと言ってるから、
弓矢を使ったとしても同時に刀剣の類を使ったのは確かだろう。
>>146
正史だと密集馳突という言葉は見つからなかった。
>>147
ここで問題になってる張燕戦だと呂布の騎兵は数十騎くらいなので、
数万とかいうオーダーを揃えるのは別の話だね。
151:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/24 22:04:41 7ASnSwD40.net
>>正史だと密集馳突という言葉は見つからなかった
密集陣形による突撃のことで、そのままの言葉はないよ。
「領十余騎、横槊深入、東西馳突、無敢当者、卒全部伍而旋」
訳し方によっても変るかも知らんが、自分は、数十騎での密集隊形により
敵陣を縦横に駆け回った、としているけど。
そして、その隊伍のまま誰一人欠けることなく帰ってきた、と。
つまり、ひとつの集団として敵に当る戦い方で、そういうのを多用した陣営があるってはなし。
騎射をしない騎馬突撃の用例のひとつなんだけどね。
152:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/24 22:56:31 kJffZdRP0.net
まあそういうことなら納得だ。
153:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/25 16:23:19 CtCdWv6S0.net
>>151
史書に書かれる事は特筆すべき事であって
むしろ、そういった特攻がレアケースだったから残ってるような気がするんだが
騎射が基本技術、必修技術として存在していたのはある程度覗えるのに、
それはあまり記されず突撃が記録に残っている事を考えるとやはり騎兵運用の基本は騎射であり
高価な馬を損なう突撃はあまりやりたがらなかったんじゃなかろうかね
154:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/25 19:07:25 bzM+Vt8U0.net
いや待てw
URLリンク(www.sinica.edu.tw)
ここで検索すると、正史の騎兵戦の記述の中で、
「馳突」という二字がたまたま使われていることが83回しかないというだけで、
突入したとか斬り殺したとかいう箇所は他に腐るほどある。もちろん弓を使った記述も多くある。
なのにいったいどういう脈絡で、「騎射が基本戦術で馳突が特殊」という前提が生えてくるんだ?
史書の戦闘の記述を網羅して統計を取ったとかいうならともかく。
そもそも、士大夫の必修技術が騎射というのは、日本の武士の剣術のようなもので、
軍を率いなかった人物でもこれを得意とした者は沢山いる。
役に立たなかったとは言わないが、戦術運用を前提とした教育だったとは即座に繋げられないよ。
155:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/25 19:39:39 QsQv+na30.net
>>154
あのさあ、その史書何年分なの?
3000年分だよ?伝説部分まで入れるともっとある
3000年で84回、年0.028回
長い戦乱のある中国でこれって相当少ないよ
156:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/25 20:15:39 bzM+Vt8U0.net
何が言いたいのかよく判らんけど。
つまり「馳・突」という熟語は、当時から一般的に使用され史書に記される類の軍事用語ではなくて、
時々使われていたけど主に後代に>>151のような戦術を表現するために採用された用語だということがわかる。
わかるのはそれだけ。
でも、馳突という用語を使わなくても、
>>153
>そういった特攻
というのは、他に多くある。
三国志でも曹仁、張遼に記述がそのような行動をしているが、馳突という用語は使われていない。
関羽も顔良を斬ったときにそのような戦術を取ったのだろう。
ではお返し。
騎射が基本戦術だとするならば、古代漢人の軍隊がそれを『戦場で』使用したという根拠を引いてください。
全く使わなかったとは俺も断言しないけど、
今のところ根拠が士大夫の個人教養である「六芸」しかないもので、興味ある。
157:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/25 20:28:09 QsQv+na30.net
胡服騎射の故事でいいかね?
中国の騎兵の始まりからして騎射からのスタートだという事で
158:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/25 20:39:52 bzM+Vt8U0.net
あれはまんま胡の戦術の採用じゃないか。
騎兵が突入(馳突)するときに戟や矛などではなく、
>敵陣に突入して敵軍内部から攪乱する場合、弓を使う(>>143)
という戦術のほうを基本として使っていたか?
というのが今の話題のはずだけど。
159:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/25 20:48:57 bzM+Vt8U0.net
あれ? 違ったっけ?<話題
まあいいや。
趙の戦術が一般的な漢人の騎兵戦術として普及したかはまた別の話じゃないか? 詳しくないけど。
漢代では、烏丸や董卓のような北方の騎兵を導入することで
そのような戦術を用いる者を補充していたと見えるけど。
まあ誰が使うにしても、漢書・後漢書辺りに「騎兵が雨のように矢を降らせた」
とかいう記述があっていいと思う。検討するのはそれを探してからじゃないかな。
160:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/25 20:50:17 QsQv+na30.net
>>158
だから漢民族の基本戦術は異民族から学習した騎射ってことだろ
何言ってるんだ?
161:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/25 20:51:14 QsQv+na30.net
>>159
善く騎射するもの云々って話は史記か漢書辺りで見た気がするが思い出せないな
162:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/25 21:00:35 bzM+Vt8U0.net
>>160
だから、その文化が継続して漢代の一般騎兵まで継承されていたかどうかが判らない、
頭ごなしに否定しているわけじゃないんだから使用された記述を出してくれ、
それから検討しよう。
と言ってるんだけど。
>>161
うん、個人の特技だと結構ある。項羽とか霍去病とか曹丕とか孫権とか麋竺とか。
基本素養なので、詳細な記録がある人物でそれが得意なら大抵記述されるようだ。
163:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/25 21:11:30 bzM+Vt8U0.net
自分で探したほうが早そうだ。
ざっと騎射で見ると、胡とか匈奴、それに対抗した部隊、羽林絡みの話が多いかなあ。
袁安伝の漁陽、鴈門、上谷って幽州とかかな。
公孫サン伝にも馳 騎 射 之とある。
騎兵は北方の方が強いだろうけど、そもそも中原出身の騎兵ってどのくらいの割合でいたんだろう。
騎兵の殆どがそもそも北方出身なら、当然史書の記述上、「騎射が基本戦術」というのは当たり前になるけど。
164:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/25 21:12:08 QsQv+na30.net
>>162
以降、軍服は胡服とも呼ばれてるわけで漢にも胡服騎射は継承されてるだろ
165:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/25 21:15:45 bzM+Vt8U0.net
>>164
それは、今までの漢服が馬に乗れないものだったから、
馬に乗れる軍服を胡服と呼んだってことじゃない?
166:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/25 21:20:09 QsQv+na30.net
>>165
って事は継承されてるってことじゃないか
167:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/25 21:23:41 bzM+Vt8U0.net
名が体を現すとは限らないんだが…
ここから判るのは、『胡の風習を取り入れて漢人も馬に乗るようになった』ってことだけだろう。
168:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 00:36:51 lr06r+E20.net
>>167
じゃあ名前と実際が食い違ってる証拠は?
少なくとスタート地点が騎射だったという事で判明してるわけだ
鐙のない状況で体重を掛ける必要のある戟なんかを使う戦術が発展するもんかね?
それこそ生まれた時から馬に乗ってる遊牧民じゃないとそんな真似は出来ないし
そんな真似が出来る連中の戦術は騎射だったってのはお前さんも言ってるよな?
三国時代の馬は農耕用の馬ですら下手な官僚の年収分くらいの値段がするわけだし
軍事訓練を施す必要のあった軍用馬なんてのを怪我させる危険性のある白兵戦が基本的な戦術になるかね?
169:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 00:44:58 5k6rjQiV0.net
中国軍の騎兵の標準装備は、馬上弓と刀もしくは長柄の武器。
馬上騎射ののち、接戦では刀などに切り替える。
というあたりが、基本的なものだけど、時代によって変遷している。
漢代では、長柄の武器を同時に装備し、敵陣突入後は、下馬して戦ったであろうと言われる。
南北朝代では、馬甲を装備した重装騎兵が登場する。
これは、敵陣への切り込み、突きぬけ、衝撃による蹂躙などを期待されてのこと。
機動力が若干劣るし重いから、長駆して騎射、そののちに高速回頭するという、蒙古騎兵のような
アクロバティックな戦術は取れないだろうから。
(あくまでも、止まらずに敵陣を駆け抜けるので、馳というのだと思う)
上で、自分が「密集馳突」という、なんか特殊そうな用語を使ったのは申し訳ないが
これは、戦術の一形態であって、漢兵が必ず用いた戦法や戦い方というわけではない。
馳突って使わずに、単に突撃なり突進なりにしておけばよかった。
ただ、戦法として、ある集団でひとまとまりとなり、一斉に駆けていくさまを馳突ともいい
今回は、そのつもりで例にあげた。
戦術としては、敵陣が乱れれば、突入、乗り入れ(こういうのを馳突という)するし、会戦の初動ならば
遠距離から接近して、回頭しつつ騎乗射撃して敵陣を乱す、というのもある(戎兵の得意戦術)。
これだって、同じ部隊がその両方を担ったとも限らない。
軍の編成では、「突騎」だの「雲騎」だの、騎兵じゃないかもしれんが「左射」だのと
役割が決められてそうな編成もあるんで、なんともわからん。
170:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 01:21:37 lr06r+E20.net
>>169
何で三国時代の話に南北朝の話題が出るんだ
どうでもいいところだろ、そこ
第一南北朝時代には鐙が登場した後なんだからかなり登場前後で戦術は変わるだろ
171:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 01:31:26 Fau1lzGP0.net
>>168
悪魔の証明はできない。
この場合、胡服(軍服)を着ていた漢人が胡の騎馬戦法を「使わなかった」という
証拠の提出を求められているが、そんなことは論理学的に不可能。
そもそも、漢兵は騎射をしなかった、したはずがない、とまでは言ってないんだけど。
(北方の胡や匈奴などと比べてかなり落ちただろうけど)
騎射ではない騎兵戦術における戦果の記録は幾つか出ている。
次は騎射による騎兵戦術の記録がほしい。
と言っているだけなんだけど、そんなに不当な提案なのかな、これ。
馬が高価なのはまったくその通りだと思うが、
それは対費用効果の問題にすぎず、
「効果だから接近戦には使えなかった」と言うにはやはり何か根拠が必要。
戟というのは、同じ高さにいる敵騎兵を突くか、低い位置にいる敵歩兵を
すれ違いざま掬い上げるように掻っ切る武器であって、
三国演義の漫画のように(あれは槍がある時代の風俗を基にしているが)
ぶん回すものじゃない。
というか、現に戟という武器が漢代に使われているのに、
なぜ「鐙がないので使えたはずがない」という結論になっちゃうんだ。
自分の立てた仮定にこだわって記録を歪めてしまってるよ。
>>169
>敵陣突入後は、下馬して戦ったであろうと言われる。
あ、なるほど。そんな感じの記述もあるね。竜騎兵みたいな感じか。
そういえば、陣への突入って結構あるけど、
この時代、追撃戦ではない正面戦闘でほんとの「野戦」って
比較的少なかったのかな?
172:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 02:42:00 lr06r+E20.net
>>171
騎射が基本だからこそ、突撃による戦果が特筆されて史書に残り
そうでない騎射は基本的に学ぶべきものとされつつ全然表舞台で「騎射によってどうのこうの」とは書かれない
史書書いた人間からすれば騎射こそが普通って感覚なんだからな
それから騎射は六芸じゃない
六芸の一つなのは射、これは馬に乗ってない状態でやるものな
射が六芸として成立した時点じゃまだ武霊王の胡服騎射による兵制改革は行われてないから
三国時代にも騎兵が騎射兵科だった事は以下にも見える
・公孫サンが白馬と騎射の兵数千を集めて白馬義従としてた事
騎射が特殊な兵科だったら数千も集められるか?
そして騎射を運用してるのに「矢が雨あられで凄い戦果でした」というような文言が公孫サンの戦歴には出てこない
実際白馬義従を中核とした軍隊で勝ってるにも関わらずな
これは騎兵が騎射兵科だったから、精鋭の騎兵を揃えたって言うだけでもう判るだろう?って筆者は省いてるだけだろ
・曹丕は典論に「6歳で射と乗馬を覚え、8歳にして騎射を覚えた」と書いている事
・左右で弓を射る事が可能というのがステイタスとなっていた事
騎射がデフォルトの戦法でもなければこんなこと尊ばれないし曹丕は典論で自慢もしないと思うよ
戟は馬上の兵器ってより長柄の武器ってだけの存在でしかないし歩兵も戟を使うし、騎兵も戟持ってる事はある
でもさっきから何度も言うように騎兵の基本は射撃、ポールアームはあくまでもサイドアーム
173:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 04:20:55 kNI4LUdm0.net
ここは勉強になるインターネッツですね
174:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 07:38:55 Fau1lzGP0.net
>>172
>騎射が基本だからこそ、突撃による戦果が特筆されて史書に残り
だから、まったく根拠がないじゃない。
その突撃が伝の立てられるほどの有名人によって行われ、
稀に見る武勇の証だから特筆されたんだよ。
と同じようにいえてしまうよ。
公孫サンは北方の騎馬民族に繋がりがあった。
だから騎射の出来る部隊を集めたことが「特筆される」。あなたの論法を借りるとね。
「騎射」で検索すると幽ヘイ涼州辺りの記述ばかり出るのもそういうこと。
175:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 09:33:41 lr06r+E20.net
>>174
騎兵を数千集めるのが、しかも白馬で、どれだけ異様な事か
幽州という土地柄、騎兵を集める事自体は難しくないが「数千の騎兵」というのは物凄い桁外れの数だぞ
騎兵一人を支えるのには人の装備、馬の装備、そして人馬の飯を供給しなければいけない
公孫サンが「騎兵数千による部隊を作った」って書けばそれだけでもうものすごい権勢の象徴になる
「数千の騎兵」だから特筆されるんであって騎兵が「騎射」だったからではない
秦と漢代の兵馬俑を比べると戦車の代わりに騎兵の俑が置かれているわけだがその騎兵達が持ってるのは弓
漢の正式な騎兵は騎射兵科だったのが基本なのはここでもわかる
まあ、戟持ってる連中もいるがな
漢軍は韓信が趙を平定した折、将軍の李左車を自陣に取り込み趙の軍制に関する情報も手に入れていただろうから
恐らく秦では正式な兵科とされなかった騎兵のノウハウも手に入れてたんだろう
騎兵が騎射ってのは基本だから特筆されにくい
史書のページが有限である以上、書く人間の生きた時代の常識はある程度差っ引いてかかれるのだからな
考古学的な前提を一切無視して記録記録って言われてもな
また矢の弾幕で相手にプレッシャーを与える役割上、目立った手柄を上げにくい
だから史書に「誰々を矢で討ち取った」とか描かれにくいわけだな
そんで騎兵を操るのが得意な呂布と戦ってる最中に流矢(流れ矢じゃなくて矢弾幕)によって
夏侯惇が目を射抜かれてる事が矢による打撃の存在をかろうじて教えてくれるが
呂布関係者が弓をどうしたこうしたなんて話は呂布本人の調停話くらいにしか出てこない
無根拠で言ってるわけじゃない
176:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 12:00:39 5k6rjQiV0.net
>>170
いや、「史書」に書かれていることは、特筆すべきことで、突撃はレアケース
というから、史書から伺える、騎馬突撃をひいてみたのだが…
ここではすでに、三国時代云々は飛んでいるでしょ、スレタイはそれとしても。
騎射しない騎兵に意味がない、というそもそもの命題が三国時代限定の暴言なら、それでサイナラしますがね。
>>騎兵の基本は射撃、ポールアームはあくまでもサイドアーム
そうです。しかし場合によってはそうでないときもあるっていうこと。
「意味がない」というのは、そのサイドアーム、つまり騎兵の近接戦を否定していることでしょ。
で、近接戦の例はといえば、引けばあるわけで、それが単なる戦術の一形態であって
特殊なものではないってこと。
177:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 12:31:09 kXPxDQEx0.net
>>176
>騎射しない騎兵に意味がない、というそもそもの命題が三国時代限定の暴言なら、それでサイナラしますがね。
誰がそんな暴言を言ってるのか教えて欲しいな。
178:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 12:35:02 hFw3D5IaO.net
ソシアルナイト<ホースメン
というわけだな
179:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 13:17:02 lr06r+E20.net
>>176
俺の主張は「三国時代の騎兵の基本は騎射」
「騎射しない騎兵は意味がない」とかどこの脳内設定だよ?
勝手に敵作ってシャドーしてんじゃねぇよ
騎兵の基本は騎射で突撃の方が稀な運用だろ、常識的に考えろ
180:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 14:43:48 5k6rjQiV0.net
>>130
のことと、思ったけど、もしかして騎射ののちに突撃という、戦いかたがあるのは承知している?
だとしたら、カン違い。
(>>169ですでにその基本戦術は示しているから)
どうも、そちらが騎射しかしないことになっているような言い回しだったもので、
突撃の運用例もある、と言及したまでだ。それは読めばわかるでしょ。
しかし、突撃後も弓するという>>143のは…?
>>常識的に考えろ
まぁ、そういうことだろうが、ひとつ。
そういう常識の裏を突くのが戦術。
だから、上にも書いたが、一口に騎兵といっても、吶喊することを主体とする部隊と
騎乗射撃ののち展開(ヒットアンドアウェイ)する部隊など、さまざまな編成がなされる。
騎射が基本事項なのは、それがおそらく騎馬技能をもっとも必要とするからだろうと思うが
だれもが習得済みかといえば、そうとも思えない。
騎射を主体とした部隊はむろん、習得済みだろうけど。
181:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 15:47:06 VYzHWW840.net
なんで俺の騎射呂布上手いよ論で荒れているんだw
「三国時代の騎兵の基本は騎射」の主張なんだけど不正解なんだよな。
俺が書いた冉閔もそうだが、いわゆる武器を持って騎乗して鎧で馬を保護
して切り込む、突撃する騎乗白兵と騎乗射撃メイン2つにあるんだよ。
冉閔はたぶん前者のほう。そのタイプは弓はほとんど使わない。
宋とやりあった金はこの運用に長けてたしヨーロッパでもこの騎兵部隊は
威力を発揮した。
ただ向こうでは弩には弱かったらしい。強力な騎馬突撃も弩の一斉射撃で
動きを止めることができた。包囲される前に崩すとか突撃も使いこなせる
人間が運用しないとダメなんだろうな。
漢代以降になって異民族て存在がクローズアップされて研究されて取り入れ
られたと考えられるな。逆に漢代以前には存在しないし。
完全に三国時代に存在した戦法だな。
俺は冉閔が両手に武器で切り込む猛者だったこと、突撃の使い手である事
からあぁ書いたわけだ。
あと士気はすごくあると思う。冉閔や項羽はとにかく連戦が利くし精強
なんだよな。ただ実は兵隊は隊長のカリスマで動いてるだけで中身
は疲れきってるから1度崩れるとボロボロになる。
182:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 16:27:32 lr06r+E20.net
>>180
>>130みたいな奴がいたのか…しんじらんねぇ
脳内シャドー発言は全面的に俺が悪かったよ>>130見落としてたんで
>>181
冉閔は鐙普及以後の人
鐙普及以前の三国時代にそういう重装騎兵が居た可能性はあってもそれがメインになる可能性はあんまないぞ
鐙の無い時期で、鞍は存在はしてるが未発達
馬上で武器持って殴れるなんて曲芸が弓撃つよりもどれだけ難しいかは簡単に想像が付くだろ
漢辺りの鞍なんてちょっと布かなめした皮をケツの下に敷いただけのような代物だぞ
裸馬よりマシだけどケツが砕けそうな乗り心地
183:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 16:42:52 5k6rjQiV0.net
荒れてる自覚はないけどな。鼻息荒い人ならいるようだけど。
自分は、史書なり武器資料なりを引用して、想像しての発言だから
できりだけ断定は避けている。
漢代の戦い方も一部示したけど、騎兵が弓を装備しているのは、一般的認知による姿ではあったらしい。
しかし戦い方によっては、騎射をしないのもあり、するのもある、というだけだと思うのですよ。
>>冉閔
打撃系の武器を装備して、敵陣を駆け抜ける驍将は多いね。
鐙ってのが、騎乗修練度の足りないものでも、乗座が安定するということで、その補助部品みたいな
もんだけど、前漢以前の騎兵でも、突入後は刀の一振りで、敵兵を殺傷していたと見られている。
その当時の騎乗技術は、奔っている馬の上に正座できるほどの人もいたとか…
184:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 16:49:33 5k6rjQiV0.net
おっと、リロードしていなかった。
>>182
別人でしたか、それもカン違いしてました。
鐙に関しては上の通りの見解。
騎乗での武器の使用は、あくまでも駆け抜けるときのもので、ずっと言っているように
馬の足をとめて武器を振り回すことはしないと思うが。
185:130
08/02/26 19:18:59 HV4MRX210.net
あれあれ、俺の発言でエキサイトしちゃってたんだ。
まあ、どっちも落ちついたようで良かった。
しかし他人の発言を暴言って言うのはいただけないな。
ちなみに俺の発言は>>128に対するもので(>>180と同じ人かな?)、
常時弓を使わない騎馬隊があった(しかも漢民族による部隊は呂布を含めて全て)
という意見に対して、そんな編成に意味があるのかと問うてるだけで、
騎兵が弓以外の武器を用いるケース自体は否定してないよ。
186:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 19:24:42 HV4MRX210.net
あ、それと鐙については過大評価しすぎかなと感じてる。
鐙がなくても普通に馬乗れる。反動のない弓ならさらに必要性は低くなる。
さっきの「呂布を含めて全て」は「呂布以外の全て」だね。間違えたよ。
187:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 21:15:52 HV4MRX210.net
あと俺は鞍上での武器の扱いについてlr06r+E20氏と同様の認識を持ってて
「馬上で武器持って殴れるなんて曲芸が弓撃つよりもどれだけ難しいか」はまったく同感なんだが、
「漢辺りの鞍...裸馬よりマシだけどケツが砕けそうな乗り心地」ってのは的外れだと思う。
俺は2週間だけ乗馬クラブで体験乗馬したことがあるが、
全体重はほとんど馬の背を挟んで抑える内股にかかり、鐙や鞍にはかからない。
股を開いて正座してるような感覚に近いから、5k6rjQiV0氏の言うように
「奔っている馬の上に正座できるほどの人もいた」というのは割と理解しやすい話だ。
ただし走行中は常に腰を浮かせてるので、正座そのものではない。
鐙は内股の疲労を多少は分散してくれたり、微妙なバランスを取りやすくしてくれてると思う。
鞍は内股で挟みやすい形状を提供し、馬の汗を防いで摩擦を高めて内股をすべりにくくするためだろう。
たった2週間しか乗ってないので、熟練者にとってはそうだろうと推測するに過ぎんが。
188:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 21:22:21 lr06r+E20.net
>>186
武器や弓を使う時には手綱から両手離す事をお忘れなく
>>187
その乗り方が出来るのは鐙で体支えてるからなんだけど…
鐙無しで乗馬してみろ、全然違うから
189:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 21:38:20 HV4MRX210.net
>>188
どっちも間違ってるよ。
手綱は馬を制御するためのもので、自分の体重を支えるもんじゃない。
(鞍の前面に持つところがあって、もし体重支えるとしたらこっちを使う)
それにもちろん鐙も体重を支えるにはあんまり関係ない。(ちょっとは預けたりするけど)
乗馬クラブのコーチは鞍の上に両足で立って馬を走らせるパフォーマンスを見せてくれた。
それを初日から俺にやれって言うんだ。で、並足歩行までなら実際できちゃうわけだ。
lr06r+E20氏は頭ん中で考えるだけじゃなくて実際に乗ってみた方がいい。
そしたら一発で理解できる。体が理解する。楽っしいっよー!
西洋馬術だから漢魏の乗り方とは多少違うかもしれんが、基本的に同じはず。
190:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 21:43:27 lr06r+E20.net
>>189
漢代の鞍がどんな代物かもう少し調べてから言ってくれ
ぶっちゃけ皮とか置いてるだけなのと大差ない
191:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 21:46:32 HV4MRX210.net
だから、鞍の形状はあんまり関係ないっつの。
鞍の進化によって、より快適に乗りやすくなることはあっても、
鞍が原始的だから乗れないとか乗りにくいとかいうことにはならない。
鞍無しの裸馬に普通の人でも乗れちゃうんだから。
192:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 22:48:58 HV4MRX210.net
乗馬の初心者にありがちな失敗は、鞍に腰かけちゃうことで、
馬の背は常時ポップアップしてるから、尻置いてると跳ね上げられ、
尻が自然落下したとき第二波のポップアップと正面衝突してしまう。
そのときかなり激しい衝撃を感じるし、場合によっては落馬するかもしれない。
「尾てい骨強打!」とか「タマ強打!」とかは初心者ならではの笑い話だけど、
中級者以上なら万が一にもありえない失態だ。
正しい乗馬スタイルは、鞍に尻を置かないで常に浮かしてる。
太ももを外側に45°くらいづつ開き、左右だとトータル90°くらい開いてる。
俺は2週間しかやってないからそんな感覚だが、熟練者だともっと角度が違うかも。
馬体にあてるのは太ももから膝小僧の内側だけで、
(乗馬用スーツはこの部分に摩擦の高い素材を縫い付けている。ケツには付いてない)
体重の90%以上はここで支えてる。鐙には大目にみて5%もかかってない。
上体が左右にぶれないように、太ももで馬体を左右から挟み込み、
上体が沈み込まないように重力に逆らって上方向にも力を使う。
内側に挟むのと上へ体を持ち上げるのとで、力のバランスは50:50くらいかな。
これも熟練者だと感覚が違うと思うが、俺の場合はそういう意識だった。
馬の背が上下反復するのにはリズムがあるから、それを体で覚えて、
足腰で反動を吸収する。それで上体は同じ高さをキープする。
これは単に馬を走らせる場合のことで、馬が一定のリズムを崩さないから、
騎乗者も馬の背の動きを予測して、反動を吸収できてるわけね。
しかし実際に戦場に出した場合は、予期できない動きを馬がするはずで、
たとえば予期しない減速、予期しないターンがあった場合、
(いきなり馬が驚いて二本足で立ち上がったり前のめりになったりすることもある)
騎乗者は体で覚えたのとは別の動きで人馬のブレを減殺しなくちゃいけない。
そういうときに鐙があるとないとじゃかなり違うだろうなという感覚はあるね。
それにしても、こうやって想像するだけで、
馬上で打撃系の武器を使うなんて、相当にあり得なさを実感するな。
自転車を時速20キロで走らせて木の棒で電信柱なんか叩いたりしたら、
よほどの衝撃があって棒を手落としてしまうだろうな。
馬上でそんな武器使ったら、下手すると腕がぶっつりもげちゃうよ。
史書見ても馬上でハンマー振り回したとかいう人いるけど、
あれは機動力を殺されたとき緊急回避として使うか、
残りは心理的威嚇くらいの意味しかないんじゃないかな。
とてもじゃないがあれで敵兵を殺傷するなんて現実的に困難すぎる。
193:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 23:04:14 lr06r+E20.net
>>191
鞍が原始的だから馬上での行動が制限される
制限されるからポールアームなんぞを取り扱うのは曲芸だろ?
「乗れない」って言ってるんじゃなくて「行動がかなり制限されてる」って言ってるわけで
現代の乗馬程度の話してるんじゃないの
鞍に掛からない?アホか
おめぇの内股が締め上げてるそれが鞍だ!
武器を持つ、甲冑は着たり着なかったりしてさらに背中には数日分の食料を背負ったり馬に背負わせたりする
しかも馬具は未発達
この状態での戦闘を前提で話してるわけなのに何でそうやって無意味に現代の乗馬の話題を持ち出すんだか全くわけわからん
194:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 23:18:54 HV4MRX210.net
適切な言葉を選んでくれてたら言いたいことは分かるよ。そんなどぎつい言い方しなくても。
太ももで挟んでるのが鞍ってのは、俺にとっては分かりきった話だけど、
lr06r+E20氏は最初「ケツが砕けそうな乗り心地」って言ってたんだぜ?
そりゃ尻を下ろすことを想定してるなら、鞍の発達に期待するのは分かる。
しかし馬を乗るとき尻は鞍に下ろさない。両方の太ももで挟むだけだ。
で、太ももで挟むだけなら鞍無しでもいいんだが、今度は安定感と疲労の問題が出てくる。
いい鞍は、太ももとの接着面がいい感じにカーブしてて、上体を安定しやすくさせ、
長い時間乗ってても疲れにくいんだな。
だいいち鞍がないと馬の汗ですべっちゃうんだから、鞍が無意味というわけじゃない。
だれも鞍の価値なんか否定してないだろ。
俺は「西洋馬術だから漢魏の乗り方とは多少違うかもしれん」とか
「2週間しか乗ってないから熟練者の感覚とは違うかもしれん」とか断ったうえで、
馬は鞍に尻を置いて乗るもんだと誤解してるようだから、
おそらく古今東西違いはないだろうと思われる一般的な馬の乗り方について説明してるだけだよ。
甲冑を着けたり武器を持ったりしても、鞍に尻は付けないのは間違いない。
195:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 23:39:05 lr06r+E20.net
実際問題、速度出てると尻が痛くなるだろ
196:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 23:48:24 HV4MRX210.net
尻は痛くないよ。鞍にノータッチだから。
姿勢としては両膝で立ってる感じ。
まあ慣れてくると、馬の背が上がってきたとき一瞬だけ尻付けたりはできる。
俺はそれで内ももの疲労をほんのちょっとだけ抑えてた。
乗馬歴2週間の俺ができるんだから、中級者なら楽勝だろう。
ただちゃんとした乗馬の教育を受けた人なら、そういうことしちゃいかんと言うかも。
197:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 23:56:45 lr06r+E20.net
内転筋群を使うんだから尻は痛くならない方がおかしいぞ
198:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/26 23:59:27 HV4MRX210.net
それは鞍に尻をぶつけるとかいう次元の話ではないよね。
199:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/27 00:15:57 TC5OkaQW0.net
鞍が未熟だからケツが砕けそうな乗り心地だろ
痛くなって
200:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/27 00:27:03 bDNqvgHP0.net
鞍が未発達だから両股で挟むのに過度な疲労がたまり、
筋肉痛になってケツが砕けそうな乗り心地とかいうのなら、そう思ってくれていい。
けど、俺は付き合わない。
俺はlr06r+E20氏がケツを鞍にぶつけて痛くなると誤解してるみたいだから説明しただけだから。
201:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/27 00:34:12 bDNqvgHP0.net
まあ、とにかく俺が言いたいのはそういうことじゃなくって、
>>128=>>181氏が、漢民族は馬に乗っても弓矢を撃たないと言ってるので、
(でも呂布は例外だからすげえ論)
騎兵が弓矢を撃たないなら、そんな編成は無意味だろと言ってるんだよね。
なぜかみんなスルーしてくれちゃうんだけど、むしろこっちの見解を聞きたいな。
202:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/27 00:34:33 TC5OkaQW0.net
>>200
お前内転筋郡とその周辺の筋肉に激痛が走るまで筋肉使ってないの?
乗馬に限らずスケートとかでも結構使う筋肉なんだが
限界まで使うとケツ痛くて砕けるんじゃないかと思う痛さになるんだけど
203:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/27 00:35:51 TC5OkaQW0.net
>>201
騎射が基本だからそんなバカげた前提が有り得ないって事でFA
204:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/27 00:42:37 bDNqvgHP0.net
>>202
2週間かそこらの体験乗馬で内転筋が痛くなるほど乗れる訳ないじゃん。
どのみち筋肉疲労がどうのって話には付き合わないと宣言したとおり。
尻を鞍にぶつけるとかいう誤解が解ければ、俺はそれでいいんで。
205:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/04 09:57:51 2BY+FIyT0.net
だんだん話がズレてきてるぞ
206:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/16 10:56:07 TVqpey440.net
>>201
騎兵が弓矢を撃たないなら無意味なんてのはありえない暴論だと思うけど?
機動力を生かして近接戦闘にならないように戦うなら、当然飛び道具必須だから弓矢を使うし、
衝撃力を生かして敵陣に突撃し、分断したり混乱させたりするように戦うなら、
近接戦闘になるから当然弓矢ではなくそれようの武器を携帯する。どっちも騎馬戦闘の基本。
両方出来るにこしたことはないだろうが、どちらかに特化していても普通に運用できるのだから、
弓矢を撃たないなら無意味なんてことにはならない。
207:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/16 21:06:02 0AhkJ/xxO.net
馬に乗った事も、戦った事も無い奴等がひたすら罵り合うスレはここですか?
208:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/17 00:44:49 xxX5ApyA0.net
馬に乗ったことは兎も角、(馬に乗って)戦った事のある奴は世界中さがしても
なかなかいないだろう
209:201
08/04/08 07:52:54 A1FWoyU60.net
>>128氏の主張を見てから言って。
210:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/04 16:11:47 88nPcGN40.net
中国学科教員 問題言動集
N.S教授・・・・・授業中に、
「人間は働かなくても生きていける」
「(自分のことを棚に上げて)中国語学科の学生は常識が無さ過ぎる」
「(上に同じく)教育学科の学生はロリコンだらけ」
「三国志が好きな奴は中国学科に来るな」
「一般教養など必要ない」
「セクハラというものはその行為を行う本人に悪気が無ければセクハラには当たらない」
「大学教授は世間を知らなくて当たり前だ」
etc迷言・珍言多数
W.Y教授・・・・同じく授業中に、
「第123代天皇は精神異常者」
「N.K(D大名誉教授)、F.N(T大教授)、S.T(元G大教授・故人)、H.I(元N大教授)、
I.S(芥川賞作家・都知事)、K.Y(妄想漫画家)は人間のクズ」
「金持ちに対する税制優遇を廃止して、税金をできるだけ多く搾り取るべきだ」
Y.Y准教授・・・・退学願を提出した学生に対して、
「私の言う通りに行動すれば、君の要求が通るように私が裏で話をつけておいてあげよう」
という内容の取引を持ち掛けた。
以上のように、中国学科はキ○ガイ教員の巣窟です。
これから大○文化への入学をお考えの皆さんは、
中国学科にだけは絶対に出願をしないようにして下さい。
211:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/08 22:24:23 Zwducl2BO.net
三國志の時代は馬に乗って弓を射るのは最大級の自慢になると聞いたな
それだけってか騎射ってそこまで多かったのだろうか?
三國志時代は現代にある馬の背中に乗せる道具がなかったと言われてるしな
本当に騎射ってすんなりできるの?
212:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/08 22:45:07 G1XjYgXW0.net
馬上用の短弓も必要だしなぁ。
董卓は馬に乗って左右両方に弓を撃てたってことが特筆されているし、
馬上で思うように弓を撃つってのは難しかっただろうね
213:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/08 23:08:35 5lhTY7R80.net
>>211
すんなりできないから最大級の自慢になると思うんだ
214:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/08 23:09:24 6P08yzCa0.net
後漢末から三国時代の騎兵は弓矢を常備していたというな
鞍も普及はしていたが、鐙の確かな普及は四世紀になってからというし
そのおかげで全体的に騎兵の構成比率がさほど高くなく、騎兵は訓練を施された
兵士や異民族が主にならざるえをえないというし
215:劉邦
08/05/14 10:18:24 u64Tg7540.net
呂布って、レキ食其や宮本 武蔵に似てるね。
216:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/26 19:59:44 DaFrKAm/0.net
いろいろ本読んだけど、
やはり、呂布の強さや性格を考える上で、朝青龍、白鵬の強さや性格は参考になるとのこと。
傲慢で野心家で物欲にとみ、我慢というものをしらない。縦横無尽に草原を駆け抜ける
それはまるでジンギスカーンのよう。
人類史上最大の帝国を築き上げた血が当然呂布、朝青龍、白鵬にも入っていよう。
そりゃ強いわ。
217:名無しさん@お腹いっぱい。
08/06/08 07:13:33 oeHdqz1c0.net
血筋で強くなったり弱くなったりするわけないだろ。
そもそも何で呂布がチンギスや朝青龍と同族みたいなことになってんだよ。
と普通にレスしてみる。
218:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/01 17:34:28 a23GO7joO.net
ドルジ関係ないよ
219:名無しさん@お腹いっぱい。
08/07/30 03:29:19 dB0ciCro0.net
生音
220:なまえを挿れて。
08/07/30 18:45:25 pqgjOR+c0.net
チョーヨンピル
221:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/14 09:14:20 O9Z6Kk61O.net
横山三国志しか知らないけど各メディアの呂布=最強で無敵ってのに違和感がある
武芸最強かも知れないけど張飛よりちょっと強い程度で
各国の名将を圧倒出来る程強く無いんじゃないの?
222:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/14 09:24:59 V6NTyvh50.net
三国志というある物語の中としては、「最強」のキャラ立てに
しやすい存在で、それが昂じているのが今の状況。
どんなものでも、実像とその後の虚像との乖離があるもの。
実像は実像として把握し、虚像を楽しむのがいいと思う。
例えば、三国無双の呂布などは、ああでないと面白くない、とか。
223:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/14 13:52:48 KFxlJ94f0.net
最強とか言い出したのって誰だ?
224:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/14 14:11:43 NzGkMWY70.net
演義か何か知らないけど
劉備+関羽+張飛の3人まとめて相手したとか
描写があるからじゃないの
225:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/15 05:23:18 ad45tys20.net
呂布は演義ができる前から物語の主人公になったりしてるようだから、
その名残で主人公ボーナスが残ってるんだな。
226:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/19 07:36:17 u71XXYWE0.net
今更な書き込みだが、鐙を使用せずトロット、ギャロップが出来るようになるのは
初心者から中級者になるための練習方法である程度馬に乗れれば
両手でスコップ振り回しながら鐙ナシで馬乗れるよ…
まぁ、実際にやったら馬によってはびっくりして振り落とされそうになると思うが。
227:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/22 02:51:49 NZbac0C/0.net
>>211
後漢の時代の騎射は今で言うと
F15Jにハコ乗りしながらバズーカを撃つくらいの価値があったんだよ
228:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/22 21:34:14 nsWN1Et50.net
それだとスゲー曲芸だが意味は無い、って事になるな。
229:名無しさん@お腹いっぱい。
08/09/16 04:49:29 WlzjgqSUO.net
>>227
普通に「戦闘機乗りの資格」くらいでよかろうに、
なぜわざわざ物理的に不可能な戦闘機のハコ乗りなる形容を選んだのかがさっぱりだ。
戦闘機乗りの資格自体、騎射の出来る人物の割合より少なそうだが。
てか軍事ネタならレンジャー資格と空挺資格あわせ持ってる人くらいでいいんじゃなかろうか。
230:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/16 23:12:12 RyktEBfn0.net
>>221
今のメディアの呂布=最強・無敵ってのは面白さ追求で誇大表現だけど、
張飛よりちょっと強いとか、その程度ではないと思います…よ?
伊達に前漢・李広の飛将の異名取ってませんしね。
まぁその李広さんが…あんま知名度高くないんですが(--;)
しかし「飛将軍」の異名は当時、武勇に優れた武将にだけ付けられる異名でしたし。
他に三国時代で飛将の名を持った人いませんし。
そーゆー点で、やっぱ現代で「最強」って言われるだけの武将だったと思いますよ。
231:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/19 20:23:20 zy38rtK70.net
>>230
正史張飛が正史呂布に劣るとは思えないが・・・。
ってか、当時の大陸では知名度も武勇認知度も関羽、張飛>呂布なんじゃないか?
漢より後に勇者を称するには、必ず関羽・張飛を引き合いに出す。
晋の劉遐は賊を討つたびに堅陣を陥し、鋭鋒をくじいたので、関羽・張飛にたとえられた。
苻堅が閻負・梁殊を張玄靚のもとに使者として派遣したとき、本国の誇る将帥として王飛・鄧羌を挙げて、「関・張の流、万人の敵」と称した。
禿髪ジョク檀が人材の推薦を宋敞に求めたとき、宋敞は「梁崧・趙昌は、武が飛・羽に匹敵する」といった。
李庠は膂力にすぐれていたので、趙廞がかれを評して「李玄序はいっときの関・張である」といった。
南朝宋の薛彤・高進之はともに勇気と力をそなえていたので、ときの人は関羽・張飛にたとえた。
魯爽がそむいたとき、沈慶之は薛安都にこれを攻めさせ、薛安都は魯爽を見つけるやいなや馬を躍らせて呼ばわり、あっという間に刺し殺したので、ときの人は「関羽が顔良を斬ったのもこれほどではあるまい」といった。
南朝斉の垣歴生は拳勇突出していたので、ときの人は関羽・張飛にたとえた。
北魏の楊大眼について、世間の人々は関・張もかれを超えることはないと評していた。
崔延伯が莫折念生を討って勝利すると、蕭宝寅は「崔公はいにしえの関・張である」といった。
南朝陳の呉明徹が北斉を討ったとき、尉破胡ら十万の兵にはばまれた。呉明徹は「もしあの胡人を倒せば、敵軍の士気を奪えるだろう。君は関・張の勇名をもっている。顔良を斬ってこい!」そこで蕭摩訶が出陣すると、尉破胡を打ち殺した。
と後の世まで武勇を語り継がれているが、呂布は全く聞かないなぁ・・・。
232:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/20 03:56:53 XPYzWFU4O.net
それは関張が臣下として生きたことが大きいんじゃ?
233:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/20 09:08:03 dw8naFDL0.net
>>231
それは「当時」じゃないよ。
234:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/20 12:28:52 bRqo0mb70.net
呂布の方は評判の悪さもあったから
強さを例えるのに「おまえ呂布な」とか言われたら
「こいつはいつか裏切るんじゃねーの?」
とか思われてると誤解されそうな気が
235:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/20 18:35:39 1AUImlU40.net
>>234
もし、そうなら
敵兵を生き埋めにし、義帝を殺した項羽がたびたび引き合いに出されているのはおかしい。
例、隋末の楊玄感の叛乱時の奮戦ぶりについて「論者方之項羽(人は項羽に匹敵すると言った)」(隋書楊玄感伝)
吐谷渾の2代目、吐延は羌族から「号曰項羽」と、その偉丈夫ぶりを称された。(晋書吐谷渾伝)
旧唐書の李密(隋末の群雄)の評、「或以項羽擬之、文武器度即有余、壮勇断果則不及
(項羽になぞらえる者もいるが、文武の才は項羽以上だけど、威厳やカリスマや決断力などは劣るだろう)」などなど。
236:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/20 19:12:54 aoCL1IOe0.net
項羽は仮にも覇者だったし、そもそも敵兵をどう遇しようが勝者の自由だろ。まあ残忍として引き合いに出されるけどな
呂布の場合は主と仰いだ連中を保身のためにポンポン裏切ってるし、結局一群雄のまま死んじゃったからね
237:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/20 19:13:25 CEUgHbBW0.net
>>235
呂布と項羽じゃ最期がえらく違うから、後世の人の評価が違うんじゃないかなぁ…。
個人的な意見だけど、別に項羽から悪いイメージ浮かばないし。
238:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/24 02:44:42 DRVi1C3CO.net
そもそも項羽が裏切ったのは自分のとこの傀儡で、勢力を築いたのは自身の功績。
呂布が裏切ったのは勢力母体で、それを築いた功績は彼にはない。
ここら辺倫理的にも、また体制側からの認識もまるで違う気が。
239:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/24 10:00:55 LJW+Wg5V0.net
>>238
呂布はヘイ州系の勢力を束ねて董卓勢力に寄与してただろ
何言ってるんだ?
240:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/24 10:30:14 AHjkv/0e0.net
呂布はただの一勢力
項羽は曲がりなりにも一王じゃない
241:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/27 04:03:06 nW3lEuZt0.net
項羽でいうなら項梁を裏切ったようなもんだろ。それはやっちゃいけねえよ。
242:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/27 05:13:51 atQFxV4a0.net
>239
疑問なんですけど呂布はどうやって主君を殺してその下にいる軍勢を掌握したんでしょう?
普通は言う事なんて聞かないのでは
243:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/27 07:18:21 6WhjlnhR0.net
主君が同等以上に人望がなかったってこともありうる。
244:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/27 23:11:28 PyF4W4dXO.net
>>242
掌握してた?
丁原の時はそのまま董卓が吸収した形だし、董卓の時はポロポロ寝返られていたようだが。
245:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/28 21:42:52 gQgMQlvA0.net
>>242
董卓の掌握してる軍は大きく三つ
・後漢の正規軍
・呂布に従う并州人
・董卓子飼いの涼州人
董卓暗殺時点で長安にいた董卓軍の内訳は前二者が大半を占めている
子飼いの部下は中原の反乱討伐に向かっており并州人、朝臣を除くと実は長安、軍事的には完全な空白地帯
そこで王允ら朝臣が正規軍を抑え、呂布を抱き込んでのクーデターを企図して成功させた
ちゃんと派閥に分けて動きを見ると簡単に理解できるようになってるよ
246:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/02 21:26:41 Yga8Sn0f0.net
呂布は、主君を二人も裏切り、殺した奴
日本で言えば、光秀、蝮の道三
奴に例えられたくないのは後世の人間にとっては至極当然
247:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/02 21:47:36 9czw3wFi0.net
ああ、だから呂布を取り上げた京劇もあれば
宝塚で光秀が主役になるのね
248:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/02 21:51:02 yD7R12c60.net
>>246
その不義理なところを例えられたのは、唐末の李罕之だな。
例えたのは李克用だが…
なんだかなぁw
249:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/03 21:13:40 nnDdbkwG0.net
丁原はどういう状況で殺したんだろ
250:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/05 10:45:24 qIb9/8vZ0.net
徐栄はどの軍をつかってたんだろうなぁ
251:董卓
08/12/15 20:54:11 81+ck4Uk0.net
とっても偉大なチーンギースハーン。
252:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/23 04:38:25 c4l8UGwd0.net
最強の武にこそ付き従うのだ
253:名無しさん@お腹いっぱい。
09/06/12 09:42:30 2w0obVdIO.net
三国志ファンで呂布が嫌いという人はあまりいないよね。
裏切り者ではあるけど、俺は何故か呂布が憎めないんだよな。
欲望に忠実で思慮が足りないところも人間臭くて好きだよ。
俺は三国志で呂布、馬超、孫策、曹丕、甘寧という癖のある人物が好きだな。
254:名無しさん@お腹いっぱい。
09/06/16 22:23:18 uVQanNXZ0.net
正史演義の呂布は好きだが最初に無双で呂布を知った時は嫌いだった
255:名無しさん@お腹いっぱい。
09/06/17 00:19:37 cKpWl2Om0.net
最初は呂布が一番強くて好きだった
しかし中国史を色々と読んだら項羽のほうが無双っぷりが凄まじく思い(もはやチート)項羽のほうが好きになった
漢楚無双でもでたら項羽の方が好きになる奴は多いと思う
256:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/26 07:57:46 ZBbmoY4N0.net
むしろゲームのせいで嫌いになる奴が増えそうだ
257:名無しさん@お腹いっぱい。
10/02/08 13:52:21 YOzUzcaD0.net
HPゲージ赤くなってる時に背後から迫り来る触覚はトラウマだよな
自キャラとして使うときに簡単に俺TUEEEEEEEEEできるってのも、マニア
には嫌われがちだしゲームキャラになったら項羽も好き嫌い分かれそうだ。
正史演技の呂布や項羽は人間臭くて好きだが、個人的に付き合うとしたら
惚れ込むか蛇蝎のように嫌うことになるかのどちらかになりそうな気がする。
なんにしろクセの強い人物だよな。
258:名無しさん@お腹いっぱい。
10/02/09 16:53:02 qc3O+tN/Q.net
高貴な美青年で20代で世界史に不滅の名を遺した項羽と
呂布みたいな荒れくれの筋肉馬鹿を一緒にしないでよ
259:名無しさん@お腹いっぱい。
10/02/12 15:02:09 wiswB/30O.net
>>258
項羽を美化しすぎ。
260:名無しさん@お腹いっぱい。
10/02/12 15:20:17 nVBErCNs0.net
覇王の異名を持ち世界史に不滅の名を遺した高貴なる美青年
261:名無しさん@お腹いっぱい。
10/02/17 23:59:22 sFuTjLYE0.net
京劇に出てくる呂布のイメージは結構ハンサムだと思うが
細身で背が高くて色白でがっしりしてる
今で言うとスポーツマン体型だよな
262:名無しさん@お腹いっぱい。
10/02/20 17:31:21 yvurb+2HO.net
>>258
項羽を絶賛するのは同意だが、呂布を体育会系筋肉馬鹿呼ばわりはやめれ。
そんな単純な男じゃないから。
>>261
呂布は真っ黒に日焼けしてガッチリして男らしいイメージしかない。
美少年タイプ、カワイイ系は子竜や呉の美周郎、孔明。
263:名無しさん@お腹いっぱい。
10/02/20 22:40:58 MLqK8pWo0.net
なんでその三人が美少年タイプだよwww
264:名無しさん@お腹いっぱい。
10/02/28 21:35:59 pbFEjU8D0.net
子竜は二重顎のマッチョだし、孔明も周ユも普通に髭面のオッサンだよ
265:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/05 16:24:51 OzIZA2bm0.net
呂布が筋肉馬鹿って事には別に否定しないが、項羽も筋肉馬鹿と言う点では変わらんと思うが
政治的な行動を見てるとね
項羽もキレて兵や捕虜を感情的に虐殺しようとしたり、窘められるとすぐ機嫌を直したり、単純な所がある
婦人の仁という所も似ているような気がするな。彼ら二人とも直情的だが悪人では無いような気がする
ただ呂布が終始自分の身の振り方にあくせくしている等身大的な人物であるのに対して、項羽は「天が我を滅ぼす」と言ってみたり、如何にも大望と気宇がある
項羽がチートじみてたのは楚漢戦争だったからだろう
後漢末期は楚漢より遥かに面倒臭い状況で、政治力が必須。物資も無いし
266:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/06 16:19:35 5XwHht9y0.net
冉閔~~中華第一武將
267:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/18 10:06:06 wRZAeAo40.net
趙雲なんて良いオッサンになってから活躍し始めたのになんでイケメンで定着してるのか
268:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/19 08:47:01 pHtlYF2U0.net
それを言ったら陸遜とかイケ面ですらないのに
269:名無しさん@お腹いっぱい。
10/03/30 21:05:24 D2XyQnLT0.net
昔コミック三国志マガジンに
呂布が主人公の作品があったような
270:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/01 01:28:54 kOuFTaQP0.net
>269
『呂布が起つ!』ね
単行本になってないんだよな~
『雲漢遥かに』という趙雲が主役の漫画では
趙雲が呂布の軍に身を投じているので
それなりに活躍してるよ
271:名無しさん@お腹いっぱい。
10/04/01 03:16:25 CmvzFppv0.net
正史系の漫画だと「爆風三国志」とか。
呂布がひたすらいかつく描かれてる。
272:名無しさん@お腹いっぱい。
10/05/25 04:54:25 xvxjFKg10.net
いま出てるオースーパージャンプ(スーパージャンプの増刊?)
呂布が主人公のギャグ漫画載ってたw
273:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/12 00:21:14 IaZKPudm0.net
文革の頃に粗方無くなっちょる
274:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/12 00:23:40 IaZKPudm0.net
誤爆
275:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/16 09:30:37 V+UV0taR0.net
ガチイケメンでいったら公孫さんをもっと取り上げてやるべき
276:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/12 20:17:06.71 wNiOKfkf0.net
今だとどうしても
秋山好古と比べてしまうよな
277:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/12 22:08:49.70 ulwEX4fU0.net
世界史板の人が作った「世界史レベルでの呂布評価」が
ずっと前に三戦板で載ってたが、10点満点中「戦術」だけが5で
あとはほぼオール1と評価されてたなw
董卓のがずっとマシだった
278:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/13 07:08:17.82 O9eURIK2O.net
世界レベルならまあ仕方ないかもな
279:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/13 14:19:21.08 WckhXlU70.net
世界史板のレスに権威なんかあるんか
280:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/14 17:45:52.70 EroC3Fiu0.net
権威とか問う意味じゃないと思うが、少なくともここや三戦よりは
281:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/14 18:15:20.70 lHkMPOH7O.net
世界史レベルだったら三国志の英雄たちもだいぶ低くなるのは仕方ない
中華レベルでも呂布は項羽とかに比べたら格下になってしまうし
282:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/18 23:20:11.35 y5XqIWsx0.net
項羽どころか、下手したら陶謙あたりより・・・
283:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/28 19:35:25.80 UqK9zIRe0.net
長い眼で見たら「中原をチョロチョロ這いずり回っただけの戦闘屋」に過ぎないからな。
英雄どころか群雄としても微妙な評価
284:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/30 14:41:16.85 z0xVGJ/t0.net
河内兵や丹楊兵をまとめあげた政治力はほめても良いと思うんだがな~…。
285:名無しさん@お腹いっぱい。
12/11/18 15:21:27.28 Ot+NpxLK0.net
ていうか、袁紹(呂布)に敗れた後張燕の軍勢が離散していったって書かれてるんだが、
これもしかしたらやばいんじゃね?もしあの時点で張燕がまだ百万の軍を持ってたら、
呂布が数十騎で百万を離散させたって事になるぞ
286:名無しさん@お腹いっぱい。
12/11/18 23:32:27.19 83VN2E/t0.net
袁術(紀霊)と劉備の戦いの仲裁の時に、
超人的な弓術を見せてるから、
少なくても弓が凄いのは確定。
演義でも再現されている。
287:名無しさん@お腹いっぱい。
12/11/19 08:52:50.59 A4Gw7KR80.net
あぁ、>>285のは張燕伝に離散したって書かれてたって話しな
288:名無しさん@お腹いっぱい。
12/12/01 08:30:03.08 647EFxxO0.net
URLリンク(seiji.yahoo.co.jp)
289:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/18 10:27:36.09 ggxrw9gO0.net
呂布が曹操の配下になってれば、どうなったんだろうな興味あるな
290:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/18 14:14:37.88 q22dV0FM0.net
個人武勇でいうなら強かったんだろう。
291:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/18 20:49:25.95 gZD0NeoZ0.net
>>286
作り話をしんじてんの?
292:名無しさん@お腹いっぱい。
14/03/18 21:07:20.40 O/FuPu480.net
正史も作り話だろ。