07/12/29 21:17:32 os4K4m090.net
正史だと張勲や橋ズイたちを置いて小勢で逃亡したとかあって
部下を置いて逃げた臆病者というイメージがあるけど
本当に臆病者なら大軍勢に取り囲まれながら小勢を随所にしんがりに置きながら逃げると思う
(小勢で逃亡って、官渡の戦いで軍が壊滅した袁紹とか、部下が皆裏切りそうな牛輔とかで
軍勢は健在だし橋ズイたちは最後まで戦うほど忠義は高いし当てはまらない)
それにこんな形で後詰めもなしに置き去りにしたら橋ズイたちが降伏する可能性が高い
これって街亭のときの逆パターンでやられたんじゃないかな
街亭のときって袁術が掎角の計やろうとして城外出たら
予想外に強く攻撃された袁術の陣形が崩れて
後退して陣形を整えようとするたびに攻撃受け続けて遠くまで後退しすぎて失敗
普通なら敵の城が落ちないうちに進撃すれば補給路が断たれるから
ある程度でやめて城攻めに戻りそうなんだけど
袁術をどうしてもここで殺しておきたかったんだろうな
置いてかれた形の劉詳は降伏。南陽人により殺害
だからこのときは袁術が城外に出れば
前と同じく曹操が袁術を殺したがって攻撃するだろうと考えて
しかも襲いやすいように小勢で出て行った
それで袁術は曹操を自領内におびき入れて
橋ズイたちに退路絶たせて挟み撃ちにしようとしたんだと思う
そしたら意に反して曹操は袁術を追撃しないで
街亭のときとは逆に兵法の常道どおり城攻めに取り掛かった
袁術は戦略家として曹操に劣ると思うけど
臆病者という評価はひどいと思う