07/10/04 23:50:41 bFR7duUp0.net
>>95
確かに、袁紹は劉協に対する忠誠心はなかった。
だから反董卓連合にいながら真面目に戦わず、劉虞の擁立を画策し、
曹操と共に朝廷の派遣した刺史や牧を追い出して勝手に官爵を自称した。
さらに袁紹は「献帝を否定し」「新皇帝の擁立に失敗している」にも関わらず、
偽の勅命をばら撒いて自分のシンパに官爵を与えていた。
袁術が帝位僭称する前から相当な不義不忠を行なっている。それが袁紹。
対して袁術は、
手下(孫堅・張バクら)に命じたとはいえ董卓と積極的に交戦し、
献帝の奪還を考えていた(=献帝の正当性を認めていた)。
何進は死に、董卓の遷都に伴って劉弁も死んだが、
袁術は漢王朝に愛想を尽かさず、朝臣らとも連携をとっている。
また、袁術は基本的に官爵を勝手に名乗った事はない(帝位を僭称するまで)。
袁術が帝位を僭称するまで(或いは曹操が劉協を奉戴するまで)、
袁術は袁紹・曹操などよりよっぽど漢朝に忠実だったと思うんだが。