10/12/12 19:01:12 Npz9d6010.net
>>227
> ・自分を暗殺しに来た刺客を、何も知らずに手厚くもてなして、
> 劉備の人柄に打たれた刺客が事情をすべて打ち明けて帰って行った。
刺客が送られること自体が美談として用いがたい。
誰からも慕われた劉備に対して、配下になるのを不快に感じた劉平の存在自体がね。
> ・劉表の前で陳登の悪口を言った許汜に説教して、黙らせた。
これは恫喝まがいの行いで美談として用いがたい。
演義での善の劉備らしくない行いじゃね?
> ・霍峻が死んだ時、墓の側で何日も宿泊して悲しんだ。
彼の葬儀に参列して墓の側で宿泊したというが、何日もとの記述ってあった?
また、これから漢中に向けて一代決戦を控えた時期だけに、この手の瑣末な話しをはさむ余地がない。
演義では対して活躍していない端役の武将だしな。
ってか、この頃になれば、すでに善人劉備は出来上がっているから美談を挟む必要も少ない。
> ・不遇だった鄧芝と外出した時に出会って才能を見抜き、スピード出世せて譜代の重臣と同格の地位に取り立てた。
あるとき郫を訪問した劉備と語らった際に高く評価され、以降抜擢された事の記述はあるが不遇であったとの記述ってある?
また、これは別段、美談でもなんでもないよな? 単に見る目があるってだけで