10/02/23 10:29:25 qbL7QbRw0.net
>>558
唐の切れ方は、前漢-新-後漢ほどの切れ方でもないし
その後の治政もそれほど断絶しているわけでなく、むしろ
継続されているといえる。
唐睿宗はその前後で廃位と復位があって、唐の皇室は
色濃いまま復活したし、玄宗の治世にあっては、則天武后の
遺産を受け継いで拡張している。
そのへん、ほとんど京師周辺だけのことで、全国規模でみると
実はgdgdしていない。
この頃のgdgdは、府兵制の行き詰まりからくる律令体制の揺るぎ。
人口過密の問題と制度の弱点の露呈といった、むずかしい問題が
あり、制度としての刷新が求められていたといえる。
唐徳宗のときに、それを立て直す両税法が施行され、ながく適用
されることになり、次代の中興を可能にした(楊炎の両税法)。
憲宗の中興は、唐という国が古代の周のように、封建諸国の中の宗主国
みたいな位置づけになっていたのを、武力で切り平らげたので(河朔以外)
中興の意味としては、もっともあてはまる。
ちなみに両税法は明代まで引き継がれた税制。
かなり長く続いて、国政には都合がよかったのだろうけど、年二回も
税金納めるなんて、考えたくもないな。