07/03/04 20:47:01 qKnmk28C0.net
最終的に失脚したのなら多いし、足の引っ張りあいが日常化している状態だったから、それ自体を、そうマイナスにとる必要はない。
どっちかっていうと、足を引っ張る方の都合が悪いから、「みんなヤツの言うとおりしていると損すぞ」とけしかける。
だから、王安石などは本来、大政治家なわけですよ。
だけど、彼の改革は急進的すぎたし、皇帝(神宗)も利権にしがみつく亡者どもを一掃したいため王安石を用いたものの
彼の改革の根本が豪族をして「痛みを伴う」改革だったので、豪族出身者-当時の士大夫はほとんどがコレ-の猛反対を喰らい、なおかつ皇妃にまで恨みつらみを言われ辟易してしまった。
それでしかたなく王安石を宰相位から転出させざるを得なかったわけです。
いつの世も、一旦固定化した権力層が自ら既得権益を放棄して、損をしてまで民衆のためになるような政策を唱えるわけがない。
王安石の政治理念は建国当初にこそ必要だったのじゃないかと思います。
で、対抗馬の司馬光は現状追認路線をひた走り、王安石がやった改革のうちそれなりに成果を出しているものまで旧に復したので、混乱を招いている。
老人の保守主義もここまでくると病的。
ちなみに、王安石は人を見る目がないことも有名だった。天才にありがちなことではあるけどね…
彼の後継者で最悪を極めているのは、なんと言っても蔡京だろう。