【みんなで】中国愚将百選【決めよう】at CHINAHERO
【みんなで】中国愚将百選【決めよう】 - 暇つぶし2ch2:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/09 00:51:25 5Dsg3xlRO.net
項羽

国家経営や戦略では全くといっていいほど良い点がなく、
まだ再起の可能性もあり支持者もいたのに自滅を選ぶ

3:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/09 01:43:28 v0DxTpZDO.net
魏豹を是非!



4:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/09 09:15:31 vmGpwu3U0.net
武将とは言えないかも知れないが、朱祁鎮

5:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/09 11:57:09 Zlw+bqGd0.net
曹豹に一票!

6:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/09 12:27:44 0fAs8WoL0.net
つまり、勝利を痛みわけにし、痛みわけを敗北にし、敗北を総崩れにする男か……
そこまで酷い奴、て本当にいるのか?

7:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/09 13:44:16 P4aTO7sf0.net
生兵法さん

8:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/09 16:29:52 Jqh2LJF90.net
趙括
長平な戦いの敗将

9:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/09 17:53:08 67ZQ/iow0.net
ここ1500年間の中華豚全て。

10:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/09 20:00:01 ze0s9IqP0.net
とりあえず
・大軍を擁しながら為す術もなく大敗、挽回もできていない
・戦略的に著しい欠陥がある
・異常に敗北が多い
このあたりが条件だろうか

11:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/09 20:15:52 ze0s9IqP0.net
三国志でいうと
馬ショク(山頂布陣)
キョウ維(無謀な出兵を繰り返し、黄皓と並んで蜀滅亡の元凶)
袁タン(政治、戦略、戦争全てにおいてダメダメ、袁家滅亡の遠因)
張勲(大将軍に任命され、10万の軍を率いながら大敗)
呂布(酒色に溺れて人徳もないバカ)
夏候ボウ(帝族でありながら蜀に大敗、後に解雇)
蔡帽(孫堅相手に意気込むも大敗、後には荊州を混乱に引き込んだうえ降伏)
董卓(黄巾相手に大敗し政界を牛耳ってからは洛陽を焼いて人望失う)
何進(将軍になったのが間違いの肉屋)
袁紹(官僚時代にも戦略眼のなさを露呈、連合軍をまとめられず、後には世紀の大敗)
とりあえずあげてみた。

12:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/09 22:41:01 Z9l2ZeQa0.net
おお、麻秋のためにあるようなスレだ!

麻秋(太原出身、?~350年、後趙の将軍)
対前燕戦:大軍(30,000)擁して慕容恪(7,000)らに惨敗、降格処分
対前涼戦:大軍(80,000)擁して、白面書生の謝艾(30,000)に翻弄される
     大軍(120,000+20,000)を擁して、またもや劣勢の謝艾(20,000)に撃破される
苻洪を毒殺して、勢力を乗っ取ろうとして失敗、配下の兵達に殺される

戦略決めてたのは主君の石虎ではあるが、余りにも駄目すぎるぜ!>>麻秋

13:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/10 09:47:53 KkC8AczgO.net
その負けっぷりは萌えるな
そんな奴に3回も兵を与える石虎もアレだな

14:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/10 10:46:53 +Jh6L+C80.net
とりあえず ~戦国時代であげていこうか

15:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/10 10:50:22 In06JqE90.net
宋襄が最高に馬鹿じゃないの?
いらん聖人気取りで勝てる戦を捨ててボロ負けした
宋襄の仁なんていう諺になるぐらいだから
もっとも君主だから将ではないかも

16:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/10 11:02:00 mf4tQQpg0.net
テンプレ
【名前】
【時代】
【理由】

17:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/10 12:04:56 UH1qFMkP0.net
【名前】 殷浩
【時代】 南北朝
【理由】 政変ラッシュで乱れていた北に進軍して勝ち進むものの、配下の名将姚襄が裏切るとさっぱり勝てなくなって、すぐに失脚しました。何をしに出てきたのでしょ?


18:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/10 12:28:24 2q8ivaO30.net
【名前】王衍
【時代】西晋
【理由】名家のボンボンが、容貌の良さと弁舌の巧みさ、一見すると素晴らしい機転の利き方だけで
    政府首脳に取り立てられた結果、西晋の軍事主力を壊滅させる大敗を演じてしまった
    あろうことか、敵方である異民族奴隷将軍石勒に媚び諂い命乞いまでする始末
    「天下を滅ぼせしは、君にあらずして誰ぞや!」と叱責された上、壁につぶされて殺害される
    合衆国国防長官が、一介のアフガンゲリラあたりに処刑されるぐらいショッキングな事件

血統の良さや、口先三寸、人気といったものだけで人物を要職につけてはいけないという良い見本

19:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/10 16:03:26 SbBVSCJQ0.net
たとえ名将でも、最後に無様な敗戦をして、
みっともない死に方をしたら、それで歴史上の評価は定まっちゃうな。

20:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/11 00:39:44 LuhIAfxV0.net
麻秋の宿敵の謝艾が名将100選候補に入ってるね。
これは相手が凄かったのか、それとも…

21:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/11 13:19:05 pPK2fjDY0.net
【名前】呉王・夫差
【時代】史記
【理由】伍子胥と孫子を得ながら、アホ宰相を重用して国を滅ぼした。
しかし後の故事に残るのだから、案外凄いのかもしれない

【名前】馬謖
【時代】三国志
【理由】街亭で命令違反し、蜀の最後の命綱を断った。
しかし後の故事に残るのだから、案外凄いのかもしれない

22:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/11 19:39:07 NB6YgISF0.net
【名前】 袁紹
【時代】 後漢
【理由】 名門出身であるため旗揚げ当時から大勢力になり、
配下に曹操にも負けない多数の能臣をそろえながら、
見事なまでの決断力の無さと傲慢で徹底的に機を逃し続け官渡でサヨナラ。
スタート地点が有利だっただけで三国屈指のバカ君主だと思ってる。

23:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/11 22:08:09 ktsPnyIh0.net
>配下に曹操にも負けない多数の能臣をそろえながら、
んなことはないのでは

24:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/11 22:29:28 ywrnTUuGO.net
曹操の配下にも負けない将がいたの間違いじゃ?
まぁ袁紹ヘボってのは同意だが、下を探せばかなり凄いのいそう。

25:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/11 22:37:49 jdM69yp20.net
なんていうか、いつの間に君主を語るスレになったんだよ

26:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/11 22:38:28 ktsPnyIh0.net
荀彧か郭嘉あたりに奸臣ばかりとか酷評されてた気が
袁紹自身に問題があるのは確かだが、家柄に惹かれてきた人物が多かっただろうから、
人材面で曹操の負の部分を負わされた、という見方も出来るかもしれない

27:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/13 22:38:26 4OSmrqW30.net
【名前】鄧禹
【時代】後漢
【理由】光武帝の功臣二十八将の筆頭だが、関中の攻略を任された時、主君の命令を無視して戦略的に無意味な行動をとる。
結果、30万という大軍を壊滅させてしまう。もし光武帝が天下を取れず滅亡していた場合、こいつの責任になっていたはず。

28:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/14 15:43:25 l0aaeB/B0.net
百人も出すのって大変だな。

29:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/14 21:37:13 VFOvXAvv0.net



30:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/14 21:39:11 BVFFJ2i30.net
出ると負け軍師

31:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/14 22:00:26 jIr9o3L20.net
ホウケンは愚将に入るんでしょうか?

32:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
06/12/14 22:16:59 dzWY32ne0.net
愚将が一国の将軍にまで登りつめられないかと。

33:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/15 00:38:45 KQqBUci80.net
将軍ではなく宦官だが
【名前】王振
【時代】明。
【理由】皇帝英宗の教師だった宦官。皇帝から「王先生」と呼ばれ絶大な権力をふるった。
廷臣の反対を押し切って皇帝親征を強行、五十万の兵と皇帝と廷臣を引き連れオイラート討伐に向うが、
敵に会わずに帰還。帰路、自分の故郷に皇帝を迎えるつもりだったが、故郷の田畑が荒れるのを心配しコースを変更。
そのため明軍は危険地帯を休憩なしで通過する事になり、オイラートの奇襲をうける。
さらに王振は、輜重隊を待つという理由で土木という砦に軍を留めた。土木には水が無く、オイラートに包囲された明軍は
玉砕、王振は殺され英宗は捕虜となった。これが史上有名な「土木の変」である。
この戦いで明軍は恭順候呉克忠、弟の呉克勤、成国公朱勇、永順伯薛授、兵部尚書鄺埜、戸部尚書王佐、英国公張輔ら重要人物が多数戦死した。

34:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/15 17:30:58 4zUpJAyjO.net
>>23
人材面ではほぼ互角でしょう。負けた陣営にいたから評価がひくいだけで。
官渡はどっちに転んでもおかしくない戦いだったし、
逆の結果になっていれば曹操側にロクな人材がいなかったからという評価になったはず。
それに本人もそれほど無能とは思えないな。

35:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/15 17:41:35 gocmwCzWO.net
人生最大の好機をアホな理由で見逃し→一大決戦き大敗し転落→失意の中アボン→袁家滅亡は

これまでの全てを無に帰す、いやマイナス

まぁ袁紹より愚将は探せば沢山いそーだけどな

36:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/15 20:05:35 ElXf7rNg0.net
【名前】童貫
【時代】北宋
【理由】金に圧迫される遼を見て大群を擁し失地回復を図るも失敗
     金に泣きつき、密かに賄賂を送って攻めて貰い、金軍によって略奪された後の空城に
     入城、「建国以来の大功」と主張する。宋と金が戦端を開くとあっさり逃亡
     北宋の六賊の一人。宦官


37:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/15 20:09:02 ElXf7rNg0.net
>>20
相手が凄かったと思うよ
慕容恪はあの時代でも一、二を争う名将だし、
ただ段遼にも負けてる>麻秋・・・

38:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/15 22:38:25 6vbUcOgp0.net
符堅だって1回の大敗で滅んだけどそれまでは名将だった
袁紹だって河北を制したんだし愚将とは思えない。



39:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/15 23:19:31 idDP65Hq0.net
ちょっと長いけど、テンプレに沿って>>8を書き直してみた。

【名前】趙括
【時代】春秋戦国
【理由】
秦は紀元前262年、遠征軍を趙に差し向け、上党を占領した。
上党の人々は長平に逃げ込み、王?軍はこれを追い趙にそのまま
攻め入る。
これに対し趙は廉頗を総大将とし持久戦に持ち込み、そのまま2年
の歳月が過ぎた。
秦の宰相・范雎は趙の国内にスパイを送り、「秦は趙括が趙軍の指
揮を取るのを恐れている。廉頗であれば組しやすい」というデマを流した。
これを信用した孝成王は、、趙括に総大将に交代させる。
趙括は趙の名将趙奢の子だが、彼は机上の兵法家に過ぎなかった。
それを父親である趙奢も見抜いていた。
着任した趙括は大軍を頼んで、秦の本陣に向かって突撃した。
白起は趙軍を誘い出し、伏兵をもって趙軍を分断、趙括を戦死させる。
残る趙兵四十万はそれにより降伏した。
白起は兵糧が足らず捕虜が反乱を起こすことを恐れ、生き埋めにした。
この戦いでの趙の戦死者・処刑者は四十五万に登るという。

40:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/15 23:36:00 dFqev0/00.net
父、趙奢は王から貰った褒美を家臣に与え、存分にねぎらった
子、趙括は王から貰った前金?で自分の欲を満たした
母はこれを嘆き、国王に「うちの子は必ず失敗しますが、その際の責任は取りません」と王に願い出た

こんな感じのエピソードもあった気が
しかしこの母もなんか投げやりだなぁ…「自分の子は無能だから将軍になどなるわけがない」と思ってたんだろうか

41:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/15 23:43:58 idDP65Hq0.net
母は、旦那=趙奢から息子を国の存亡を握るような職につくことの
無いように遺言されていたのかと。
息子の失敗で一族に累が及ばないようにということでしょうね。


42:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/16 00:30:37 +xrZH3t7O.net
でも愚母だよな、息子を御する為に何か必死にしたのかい?って感じ。
この母にしてこの息子あり

43:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/16 00:47:44 JKDF8Iag0.net
藺相如が孝成王を諫めても駄目だったのだから、仕方なく
息子を切り捨てて、せめて一族には被害が出ないようにした
のが愚かだと?

44:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/16 11:47:08 Ssuou7gw0.net
そこは一族総出で馬鹿息子を止めるくらいの気概が欲しい
国より自分たちが大事ですってのをあからさまにやられると萎える

45:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/16 12:07:16 jOr26FOM0.net
趙括・馬ショクは確定でいいと思う

46:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/16 13:14:55 VnMVLD6m0.net
本人の資質の問題もあるが、
使う側が人を誤ったという事でしょうかね。

47:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/16 15:46:11 OXdeiF4b0.net
名将百選だと絞るのが大変だけど、
愚将百選だと、まず百人の名前出すのが大変だなあw

48:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/16 17:07:12 K8KwUC3n0.net
でもさ、大敗した奴って結構いるんじゃない?

49:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/16 17:29:48 EOtOo77T0.net
>>44
本人が自信もやる気も満々だし、一族の中には趙括支持派もいるだろうから難しいでそ。
人事権握ってるトップが無能だしね。

50:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/16 19:03:59 JKDF8Iag0.net
【名前】騎却
【時代】春秋戦国
【理由】 燕は、楽毅は総大将とした五国連合軍を率いて斉軍を
打ち破った。
その後、楽毅は燕軍を率いて斉の首都臨?を占領する。
続いて、楽毅は斉の70余の都市を次々と落とし、残るは即墨と
?の二つとなった。
しかし、斉の存亡を賭けて抵抗したため数年間も落とせなかった。
そんな最中に燕で昭王が死に、太子の恵王が即位した。斉の田
単は離間策を用いた。
恵王は楽毅を解任し、騎却を代わりの将軍として送った。
騎却が総大将となると田単は反攻に転じ、騎却を破り奪われた
都市を全て取り返した。

51:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
06/12/16 20:54:27 ANOflRf20.net
騎劫のこと?

52:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/16 21:15:29 JKDF8Iag0.net
>>51
うん
字探すのめんどくさかったから手抜きした

53:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
06/12/16 21:31:36 ANOflRf20.net
オレは「おっくう」を変換して劫の字を出した。

54:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/17 23:20:22 3CBQI8030.net
【名前】杜松
【時代】明
【理由】サルフの戦いで抜け駆けするが、ヌルハチの作戦によって部隊は全滅、
自身も戦死する。この敗北が引き金になり明軍は敗走した。
杜松はなにかあると裸になり、体についている無数の傷を自慢したがる男で、
自らの武勇のみで戦争に勝てると考えていた一騎駆けの武将に過ぎず、
指揮官として失格といえる人物だった。

55:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/20 02:24:16 n4ROtm+c0.net
アヘン戦争で、英軍の砲撃が正確なのは魔法のせいで
それを防ぐには女性の尿だとかなんとか占い師にアドバイスされて
着任早々尿桶を集めさせた人がいるらしいじゃないかw

56:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/20 11:34:59 PnKMZmIa0.net
>>54
明の武官登用試験はかなりいい加減だったらしいからなあ

57:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/21 23:26:44 WpAqaIO50.net
>>楊芳だね。
この人の若いころのエピソードも一発の矢で敵の小船を転覆させたとか、
一撃で十数人殺したとか胡散臭い話ばっかりだよ。

58:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/22 09:01:24 UvZhjBhx0.net
1本の矢で2匹のトラを殺したとかいうヤシ

59:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/23 00:18:20 6zWpIXfh0.net
【名前】王邑
【時代】新
【理由】王莽の従兄弟で大司空の地位にあった人物。
更始帝を討つため、大司徒・王尋と共に四十二万の大軍を率いるて出陣。
二人は同格だが実戦経験のある王邑が事実上の司令官である。
宛を目指し進軍の途中、八千ほどの敵が立てこもる昆陽を囲む。
「昆陽は小城だが、防御が堅いので無視するか、包囲を緩めて敗残兵として
本隊と合流させ士気を下げるのが良い」という参謀の意見も、城からの降服の申し出も
無視して完全包囲する。
昆陽を脱出した劉秀(光武帝)が兵を集め救援に来ると、
みずから迎撃に出て敗れ、味方の士気を大いに下げる。
結局三千の劉秀軍に本陣に攻め込まれ、昆陽の兵も呼応し王尋は戦死、王邑は洛陽へ逃げ込み、
将兵は四散した。
四散した兵は故郷へ逃げ帰り敗戦の模様を伝えたため新の威信は地に落ち、
王莽は側近にまで背かれる有様となったが、そのため頼れるのは王邑のみという状況になり、
大敗の責任を取ることも無く大司馬となり、さらに王莽の後継者の地位まで約束された。
そのためか王邑は最後まで王莽に忠節を尽くし、最後は王莽を守って戦死している。
王邑はかつて翟義の反乱の鎮圧に従軍し、将軍としての能力があると思われていたが、
戦略・戦術共に稚拙で部下の将兵の心理にも無頓着なことから、それはただの勘違いで
実は将としての能力は低かった。

60:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/23 01:18:15 KTQAUn6A0.net
王邑は勿論のことだが、王尋も愚将と言えるんじゃなかろうか

61:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/23 09:41:03 ufBkxvL90.net
【名前】呂布
【時代】後漢
189年、霊帝死亡後の混乱の中で丁原とともに首都洛陽に入るが、中央の権力獲得を図る董卓の誘いに乗って主君丁原を殺害し、董卓に仕えた。
呂布は腕力が常人よりもはるかに強く、弓術・馬術にも秀でていたために飛将と呼ばれた。
呂布は董卓の侍女と密通し、その露顕を恐れていた。
192年、呂布はその手で董卓を殺害した。しかし董卓の軍事力の基礎であった郭汜、李?ら涼州の軍勢が復讐の名の下に首都長安(董卓によって洛陽から遷都)に侵入、呂布はしばらく応戦するものの支えきれず、数百騎とともに武関から逃亡した。
その後呂布は袁術を頼ろうとするが、拒否された。さらに張燕ら黒山賊と戦う河北の袁紹に助太刀した。呂布の軍は強く、精強を誇った黒山賊を撃破した。しかし呂布はその後袁紹に兵力の補充を要求し、彼の引き連れる兵も略奪などを行った。
これが袁紹の忌むところとなり、呂布もそれを察して彼の下を離れた。


62:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/23 13:02:51 vY8czgJ60.net
麻秋は愚将というか、ちょっと頭の足りない猛将じゃないか?
載記ではなく太平広記には、麻秋が「麻胡」と呼ばれて涼州の人々に
恐れられていたと書かれてあるし。
麻秋が本当に愚将なら、そこまで恐れられはしないでしょう。

一方面の司令官を任される器量はあるが、相手がよりにもよって国を
代表する名将ばかりだったのが不運というか…。

63:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/23 20:44:13 KTQAUn6A0.net
呂布は愚将という割には、戦に強すぎる気がしないでもない。

64:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/23 21:59:28 zXsFI65F0.net
戦争で勝ってもそれ以外の部分で害出まくってる
間違っても配下にはしたくないし

65:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/24 00:05:29 6zWpIXfh0.net
趙奢の子孫が馬姓を名乗ったのは、長平の敗戦が原因なのかな?

66:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/24 00:42:51 3e1JCyr30.net
まさか趙括に子孫が馬ショ(ry

67:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/24 01:02:42 4EocBG+E0.net
趙奢は閼与の戦いの後に馬服君に封ぜられる。
将軍馬援の馬氏は趙奢の末裔であり、その称号である
馬服君の馬をとって氏としたと言われる。

まあ、長平の敗戦が契機であってもおかしくないけど。

68:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/24 08:18:45 KLY2h81k0.net
>>66
馬ショクでなく馬超の先祖になる。

69:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/24 12:07:16 XuFF7nHI0.net
まあ、劉備のように
勝手に馬氏の子孫を名乗ってるだけかもしれんがな

70:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/24 12:23:08 e4KZ9erN0.net
待て
何進と袁紹は過小評価されすぎだろ

何進本人の実力は無能だったかもしれんが宦官の言いなりにならんだけマシ
そして黄巾の乱での大将軍としての人物起用も的確だったし人を見る目は悪くない
董卓を持ち出したのは大失敗だったが、元が肉屋だった割にはよくやっただろ

袁紹は三国終わって晋の時代になっても冀州じゃ袁紹時代の統治を惜しまれてたっていうし
まあ生まれてくる時代が悪かったな、もう100年ぐらい前だったら名官僚だったと思う

71:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/24 13:55:31 DPwdBYfF0.net
三国志の時代はそこまで無能って奴はいないんじゃないか?

72:国
06/12/24 17:42:24 c1W6YyXn0.net
【名前】劉礼・徐厲
【時代】前漢
【理由】匈奴の攻撃の際、周亜夫と共に将軍となったが、
    ろくろく警備もせず、皇帝がねぎらいに来ると
    すぐに出迎えて中へ入れるというヘタレっぷり。
    彼いわく「あんなものはガキの遊び。こっちが
    攻撃して捕虜にしてやりたい!」と。

73:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/25 00:51:16 Msa4QbkDO.net
彼って周亜夫?

74:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/25 03:53:55 8UXpqDS2O.net
劉備の愚息の劉禅は入りませんかね?
武将じゃないからダメかもですけど。
ダメっぷりは、なかなかのものだと思うんですが。


75:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/25 04:53:03 6LKcl4Xp0.net
アイツは平凡なだけだろ

76:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/25 09:07:46 F0P4MDxRO.net
劉ぜんは有能 傾いた会社を綺麗にたたんだじゃないか。あんなボロ会社を長年維持したしなかなかだと思う

77:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/25 17:43:29 QBiTdf6z0.net
超マイナーだが、朱元璋の同僚だった
郭子興配下の任(名は不詳)って武将はどうだ?

郭子興がジョ州に本拠を置いて、元軍の攻撃を受けた際、
元軍を迎え撃つために迎撃するも、
矢を射られた事に驚いて十歩も進まないうちに逃亡したってへたれだ。

更に情けないことに、
こいつは朱元璋の事を力を尽くして戦おうとしない
卑怯者と常々謗っていたそうだから、
本当に救いようがない。

任が逃亡した後、朱元璋が変わって出撃し、
元軍を退けたため、
郭子興は今まで任の讒言を信じ、
朱元璋を冷遇していた事を恥じたという。

でも、これは明実録からの引用だから、
任って武将は朱元璋を持ち上げるために作り出された
架空の(もしくは貧乏くじを引かされた)人物である可能性もある。

78:77
06/12/25 17:45:08 QBiTdf6z0.net
すまん、テンプレ貼り忘れてた。

【名前】任某
【時代】元末
【理由】>>77

79:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/25 20:51:45 fnE0CQba0.net
>>73
文帝

80:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/27 23:03:42 OgrjFagK0.net
実際どういった人物が将軍として定義されるの?
文官・宦官肌の高級官僚でも兵を動かしたことがあれば将軍?

81:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/28 00:11:25 5A/9M/460.net
名将っぽく見せかけて実は軍人としては?の賈似道などはいかがでしょうか?
撤退中のモンゴル軍を破ったと報告して栄達したり、自分の身分を守るために
援軍を送らないとか色々ありますが。

82:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
06/12/28 00:12:25 mlOO4O9J0.net
それは政治家であって軍人じゃないと思うんだけど。

83:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/28 00:25:52 5A/9M/460.net
でもモンケの侵攻時は前線の責任者として出てるでしょ?

84:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
06/12/28 00:36:20 mlOO4O9J0.net
責任者というには貴族的なポジションかと。

85:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/28 04:33:43 Jz8i0czs0.net
アヘン戦争でイギリスの軍艦に
おまるで突撃した武将

86:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/28 07:31:51 JLEugHZl0.net
乱期になると、武人に地方政治権力も与えて、前線に追いやることがおおいので、政治家肌のひとでも武将となりえる場合がある。
実際に役職としての将軍(あるいは招討使とか都統とか)を将ととるか、実戦時武器を振るって陣頭指揮した人を将とするか。
広義おいて、前者とすべきだと思う。
だから、楊国忠も、将としてはおもくそ「愚将」とする。

87:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/28 07:38:09 IYUcJr5q0.net
従軍して采配を取っていれば対象としていい。

88:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/28 11:07:21 v2c2/xy60.net
水滸伝とかの人物もあり?

89:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/28 16:27:19 8o/600XDO.net
泣いて斬られた奴

90:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/28 21:17:55 rShEEBXT0.net
>>88
水滸伝も実在の人物なら良いでしょ。

91:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/28 23:56:37 WuCaULJS0.net
【名前】李元吉
【時代】唐
【理由】唐の高祖の四男、つまり太宗李世民の弟。乱暴で有名な人物。
武勇は優れていたようだが、将として活躍した記録は無い。
唐初の記録は太宗によって改竄されているが、よく調べると兄である建成は
地味ながら世民に劣らぬ武功があることがわかる。しかし元吉の功績はわからない。
これは彼が将として無能だった証拠だと考えられる。
彼は挙兵の地である大原を任されていたが、敵に攻められて逃走し、その責任を補佐役に擦り付けた。
また自分の罪を父親に知らせた人物を殺そうとして少数の兵で大軍に向かわせたり、
召使を使って模擬戦をやって死傷者を出し、それを諌めた乳母を殺している。
李世民に敗れた劉黒闥にとどめをさす役割をあたえられたが、弱体化している劉軍に苦戦した。

92:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/29 22:54:27 eyhqux1B0.net
【名前】李広利
【時代】前漢
【理由】武帝に寵愛された李夫人の兄だったため将軍として登用された。
大宛遠征で司令官を務めたが敗れ退却、このとき敦煌まで戻れた兵は1~2割だったという。
再度の遠征で大宛を下したが、匈奴との戦いでも敗れ単于に降服するも殺された。

93:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/31 15:23:12 VVCSPpBe0.net
あーダメだ
専門の時代以外も知っておかんときつい

94:名無しさん@お腹いっぱい。
06/12/31 19:29:43 w38d1I+O0.net
【名前】范文虎
【時代】南宋
【理由】元との戦いにおいて出兵拒否や消極的な姿勢が目立つ。度重なる出兵命令によって水陸両軍を率いてしぶしぶ出撃したが明けえなく破れた。
襄陽の呂文煥はこれに絶望して元に降伏。南宋崩壊の原因を作った。
その後元に降伏し、弘安の役の時江南軍副将として博多に侵攻するも鎌倉幕府に破れる。

95:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 21:19:15 NXvtkkc00.net
楚の将軍の嚢瓦と子常って、どっちが貪欲で人望がない方なんだっけ?

96:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/01/03 21:21:31 ccOWJxPT0.net
オレは嚢瓦だと思う。

97:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 21:36:27 NXvtkkc00.net
>>96
そうなのか?
本によって片方の名前だけしか出てない物もあるから、
ひょっとして同一人物なのか?って、思ってたけど。
どっちも貪欲って書いてあるし。

98:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/01/03 21:39:02 ccOWJxPT0.net
嚢瓦って字は子嚢じゃなかったっけ。読みが一緒だから同一?

99:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/03 21:41:25 hzmG0o490.net
>>95
同一人物やん。

100:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/01/03 21:46:17 ccOWJxPT0.net
左氏伝読み直したら両方書いてあった・・・orz
出直してくる。

101:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/05 23:27:17 ne0XULCqO.net
【名前】奇矯屋onぷらっと◆O.K.H.I.T.
【時代】2Ch
【理由】あちこち出没しては野次を飛ばすコテ。智は有れど礼無し。
同一人物なのに思い込みでツッコミ入れた為にみごと玉砕orz

出直さなくていいからもっと謙虚になれ。
左伝じゃなく老子を嫁!!

102:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/01/05 23:35:08 Kx3+SCol0.net
>>101
思想に興味ないもん。

103:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/06 06:20:47 Q1MwBttw0.net
【名前】郭図
【時代】後漢
【理由】讒言で袁家の優秀な武将を多数殺し、張コウ、高覧を曹陣営に下らせる。
袁タンをそそのかして、袁家を内部分裂を追い込んで滅亡させる。
出ると負け軍師。

104:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/06 18:43:32 rcnYJgph0.net
赤壁のモデルになった戦いの負けた側の指揮官ってどうなの?普通?

105:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/06 21:41:02 yHBOBRjd0.net
>>104
名将と謳われていた。

106:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/07 01:06:28 p2Zj9vB00.net
>>104
陳友諒? 名将スレでは候補どまりだな。
まぁ、愚将とまではいえないだろ。

107:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/07 10:44:32 B5/enrzB0.net
【名前】李景隆
【時代】明
【理由】勇将李文忠の息子で、靖難の役で建文帝側の司令官となる。
しかし、父と違って将才も軍事知識もない人物で、60万の兵を率いながら
5万の燕王朱棣(永楽帝)に敗れる。彼の兵は新型の火器を装備していたが、戦闘中使用せず
放り出して敗走したため、永楽帝側にすべて奪われてしまった。
大敗によって司令官を解任されるも、建文帝の信任は厚く処罰されなかった。
にもかかわらず建文帝を裏切り、南京の城門を開き永楽帝に降伏した。
同僚の将軍の徐輝祖(徐達の子で永楽帝の義弟)が屈服せず獄に繋がれた事と比較され、評判が悪かった。
晩年はしばしば弾劾され、屋敷に幽閉されていた。死後、爵位を剥奪され、財産も没収された。

108:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/07 17:34:17 nju2aFCh0.net
孫晧

109:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/08 01:57:09 GuE2qcPN0.net
将?

110:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/08 12:39:59 3BgL8BGT0.net
【名前】李係
【時代】唐
【理由】名将と云われた李晟の曾孫。
黄巣の乱のおリ、五万の兵を率いて潭州(長沙)を守っていたが、
彼が真っ先に逃亡したため城は一日で落ちた。
この時代他にも「賊がいるから、われらは富貴になれる」といって黄巣を追撃しなかった劉巨容や、
戦功を独り占めするため他の軍を引かせ、解散しかけた黄巣軍を復活させた高駢など、
強いが愚かな将軍がいた。

111:野次屋 ON ウザット
07/01/08 22:59:56 /mQ1WrzGO.net
>「賊がいるから、われらは富貴になれる」といって黄巣を追撃しなかった劉巨容
しかし前半の「今ここで賊軍を撃破してしまうと、武勲が巨大なため、今度は我らが朝廷から狙われる。」
という言葉を見ると劉巨容は正しい判断を下したと思うけど。


112:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/09 06:45:08 nDeTjcn00.net
まあ愚将とはちょっと違うのかな。組織全体が駄目になってるわけで。

113:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/12 22:09:41 HKyF2Zi40.net
【名前】蕭宏(臨川王)
【時代】南北朝
【理由】梁の武帝の異母弟。
怯惰貪欲な人物だが北伐の司令官に任命される。
洛陽近郊まで兵を進めたが、落雷に驚いて遁走したため、
北伐軍は北魏軍によって壊滅された。
この敗戦で梁は再度の北伐は不可能となり、また勢いづいた北魏に侵攻され、
「鍾離の戦い」が起こった。
しかし臨川王が罰せられることは無く、その後も賄賂や横領で財産と悪評を増やしていった。
晩年は武帝殺逆を謀ったが武帝はこれを赦した。
子の臨賀王蕭正徳は候景と結んで帝位を狙ったが、候景が丞相に任ずるという条件で梁と和議を結んだため、
用済みとなり縊り殺された。



114:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/22 20:04:19 4iYX7Aso0.net
落雷に驚いたってのが劉備を思い出すなw

115:名無しさん@お腹いっぱい。
07/01/25 13:47:39 A6//Ceye0.net
夏候あつし

116:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/01 13:28:19 3A/THEPZ0.net

>>18
>口先三寸、人気といったものだけで人物を要職につけてはいけない
民主主義・・

117:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/01 16:27:38 QxxmlU/P0.net
だから今の日本はガタガタさ!

118:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/12 21:03:44 wLIunOXR0.net
【名前】蒋介石
【時代】中華民国
【理由】
策士策に溺れて国を失う。

119:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/24 22:39:57 AnTNcKKc0.net
明末の楊鎬はどうよ。

慶長の役で失敗やらかした後、サルフの戦いでも負けているだろう。

120:名無しさん@お腹いっぱい。
07/03/10 15:50:01 YRiHeE1N0.net
明朝はサルフの敗戦の責任を負わせて楊鎬を処刑したけど、
もう手遅れだったな。

121:名無しさん@お腹いっぱい。
07/03/29 22:39:39 5RShgnZK0.net
【名前】陳余
【時代】楚漢
【理由】正攻法にこだわるあまり李左車の奇策を退け、正面から韓信と戦った。
結果、『背水の陣』によって敗北し、かつての友にも見捨てられ斬られた。

122:名無しさん@お腹いっぱい。
07/04/09 09:26:56 pOag7Fkq0.net
>>110
清の時代にも、太平天国軍を前に単身逃げた将軍がいなかったっけ?

123:名無しさん@お腹いっぱい。
07/04/09 23:10:58 7tx5njgQ0.net
清は長沙を守り抜いたけどな。
いま陳舜臣「太平天国」読んでるけど、
逃亡するとき役者を使って奮戦したという芝居をさせた湖北総督博勤恭武(ポチンコンウ)、
敵が迫ってきたとき、仮病を使って脱出し、危機が去ると何食わぬ顔で戻ってきた湖広総督程矞采、
神仏の加護があると信じて戦って敗れ、南京に逃げ戻ってからは職務を放棄して味方の足を引っ張り、
偶然にも敵が侵入した城壁のそばにいたため真っ先に殺された欽差大臣江南総督陸建瀛なんかがひどいな。
身分からして愚将というより愚相というべきかもしれんが。

124:名無しさん@お腹いっぱい。
07/05/10 23:24:53 KPrdjtKd0.net
【名前】崇綸(満州族)
【時代】清
【理由】太平天国との戦いのとき湖北巡撫として武昌にいた。
城外に出て戦うことを主張したが、湖広総督呉文鎔は彼の脱走を疑い、
白刃をもって脅し篭城を強行した。
これを恨んだ崇綸は敵が退却すると呉文鎔を「敵を逃した」と弾劾し、
北京からの出撃命令を受けた呉文鎔は7千の兵をもって4万の太平天国軍と戦って敗れた。
崇綸は呉文鎔が入水自殺したとの報告を受けていたにもかかわらず、北京へ行方不明と報告した。
また、死んだ呉文鎔の名を騙り、曽国藩に救援要請を行った(呉文鎔は曽国藩が進士になった時の試験官で、
この場合曽国藩は呉文鎔を師と仰がねばならぬ関係)。
武昌陥落後、崇綸は陝西省に逃がれたが、曽国藩は彼を卑劣と怒り弾劾した。
崇綸は逮捕されることになったが、その前に病で死んだ。
彼は不運だったかもしれないが、私怨を晴らすため国家の利益を損なうことを省みなかったのは愚かと云われても仕方が無いだろう。

125:名無しさん@お腹いっぱい。
07/05/12 13:02:38 Oys38Xtn0.net
>>123
博勤恭武(ポチンコンウ)

名前からしてふざけてる

126:名無しさん@お腹いっぱい。
07/05/12 20:56:23 yRHJ8rz20.net
語感で判断するなよw

127:名無しさん@お腹いっぱい。
07/05/12 21:21:08 K94RWRDz0.net
陳茂(ちんぼう或はちんも)って武将もいる
愚将ではないけど

128:名無しさん@お腹いっぱい。
07/05/23 22:58:35 GhLq0EE90.net
【名前】呂産
【時代】前漢
【理由】呂后の甥で彼女の死後、梁王にして相国兼南軍(常備軍の半数)の将軍という地位にあって権力を握った。
斉王が反呂氏の兵を挙げると、クーデターにより呂氏の皇帝を立てようとして南軍を率いて宮殿に攻め入る。
しかし北軍を率いる上将軍・趙王呂禄が陳平の策によって帰国し、北軍は周勃の指揮下にあることに気が付かなかった。
しかも南軍のほとんどの部隊に連絡が行き届いておらず、彼の率いた兵は少なくわずかの護衛と共にいる所を、
偵察にきた朱虚候劉章によって襲われ、便所に隠れている所を斬られた。

129:名無しさん@お腹いっぱい。
07/05/24 21:42:49 1hLeDDGu0.net
清では、阿片戦争の時に、敗北した満州人の武将たちを罰しなかったので、
批判が集まり、その反省から、
太平天国の乱の時には、満州人の武将でも敗北すれば容赦なく罰したみたいだね。

130:名無しさん@お腹いっぱい。
07/05/27 16:08:41 bU4O0CGf0.net
【名前】蒋介石
【時代】支那民國
【理由】史上一の無能で腐化で個人獨裁な、共慘黨の敗將・蒋介石

131:名無しさん@お腹いっぱい。
07/06/03 06:42:32 6IliRqz30.net
中国共産党員乙

132:名無しさん@お腹いっぱい。
07/06/03 16:41:35 u73/ihsZ0.net
いやあれは共産党員じゃなくても酷いと思うだろ。米ソ独の支援を受け、あれだけ有利な条件の上海戦で負けた上、八路に追い出されたんだから。
しかし1曰く近代以降は無しだそうだ。

133:名無しさん@お腹いっぱい。
07/06/04 15:57:55 Y79sjolO0.net
【名前】 蕭摩訶
【時代】 南北朝(陳)・隋
【理由】 個人の武勇は関・張並と恐れられるも…。
上官がいた時には北朝相手に善戦。しかし、呉明徹死後陳の軍事第一人者となってからの数度の北伐は功無し。
徒に国を疲弊させて陳滅亡の一因を作り、隋の南下にも抵抗できずに賀若弼に捕らえられ陳滅亡。
陳滅亡後に隋の漢王・楊諒に仕えるも、楊諒謀反時にも楊素に敗れて処刑される。

自分の仕えた国(主君)を2度滅亡させるのは愚将候補になるとして推挙。

134:名無しさん@お腹いっぱい。
07/06/23 00:44:46 cCVKdtPX0.net
基本的に愚将ってのは、戦えば敗戦となって、
功績として残らないから、
史書に名が記されることも少ないんだよねえ。

135:名無しさん@お腹いっぱい。
07/06/23 15:42:39 PUT7A9MY0.net
北宋初期のハンビとかはどうなんだろう?
物語とか逸話だとあまりいい話は聞かないが

136:名無しさん@お腹いっぱい。
07/06/23 16:56:43 VuSvq2qd0.net
>>135
潘美は人柄はダメダメだが、武将としては優秀だった。
たぶん、曹彬との対比で良く言われていないのだろう。

137:名無しさん@お腹いっぱい。
07/06/23 19:17:14 2Z9PY6lu0.net
>>136
潘美が楊令公に対して悪役視されるのは、陳家谷口で楊軍を見捨てて逃げたことがすべてでしょう。
遼軍の追撃を後退しながら叩き、陳家谷口という隘路(?)で挟撃する予定だったのを
潘美が遼軍の勢いすさまじく、楊家軍はすでに潰走している、と恐れさっさと逃げ出した。
実際には楊軍は必死に敵軍を誘引してきており、さぁ反撃だ、というところなのに、誰もいないという…
孤立状態で力戦したがついに擒えられ、絶食の後3日でお亡くなりに。
宋史よりも遼史のほうが詳しく書いてあったと記憶。

味方に見捨てられて死ななくていい場面で死んだ人は基本的に英雄視される。
五代中期の後晋期、契丹の来襲を要衝で防いでいた呉巒という人も、部下の裏切りで負け戦になり死んだ。
部下の掌握がなっていないと思うかもしれないが、実は赴任して早々の難事だったこともあるし、
その部下は前任の城主と折り合いが悪く、契丹に寝返る算段を立てていたからだった。
日本では知られないが、中国では五代期の英雄の一人となっている。
(裏切られた、ただそれだけの理由という気がするのは内緒だ)

ああ、その部下の名前は邵珂(しょうか)。愚将に入るか?

138:名無しさん@お腹いっぱい。
07/06/25 23:20:20 3iV3bFd/0.net
【名前】楊国忠
【時代】唐
【理由】将軍ではない彼を選んだ理由は、
白居易の詩「新豊の臂を折し翁」にも詠われた雲南での敗戦の責任者だから。
この戦いは唐の属国であった南詔国の王閣羅鳳が、唐の都督張虔陀に辱められた事に怒り、
殺害したのが原因。
閣羅鳳は謝罪したが、玄宗は楊国忠に武功を与えるため出兵、楊国忠は長安に留まり、
派閥の子分である節度使鮮干仲通が八万の兵を率いて濾水に戦い、六万を失う大敗を喫した。
楊国忠はこの敗戦を隠し、有りもしない戦功を報告したが、政敵李林甫は彼を雲南に派遣するよう要請した。
楊国忠は戦死を恐れて玄宗に涙ながらに懇願、楊貴妃もとりなしたのですぐに呼び戻され宰相に任命された。
しかし戦争自体は継続中で、強引な徴兵によって軍隊を雲南に送り込んだがことごとく敗れた。
戦没者は病死も含めて二十万ともいわれる。これは同時期に起こったタラスの敗戦の比ではない。
前述の白居易の詩は、十中八九死ぬといわれた戦争に徴兵された若者が、自らの腕を折って徴兵を逃れ、
年老いた現在まで、腕は動かず、雨が降ると痛みで眠れなかったが少しも後悔してはおらず、
命があったことを喜んでいる姿を詠ったものである。

139:名無しさん@お腹いっぱい。
07/07/04 21:30:58 vPYH9DSE0.net
【名前】丁公
【時代】秦漢
【理由】『季布の一諾』で知られた季布の異父弟、兄と共に項羽の元で将軍となった。
雎水の戦いで劉邦は破れ、彭城の西で丁公に追いつかれ、丁公は剣を振るって劉邦に迫った。
だが、劉邦の「二人の賢人同士で、どうして苦しめあうことがあろう」
という言葉を聞き、劉邦を殺すより恩を売っておいた方が良いと考え、兵を引いたので劉邦は命拾いした。
項羽が滅びると丁公は劉邦に謁見したが、劉邦は「丁公は項羽の臣下として不忠だった」
として軍中を引き回した後、斬首して主君を裏切るものに対する見せしめとした。
皮肉なことに異父兄季布はお尋ね者となったが後に許され、漢に仕えて出世している。
丁公は劉邦を躊躇せず殺すか、さもなくばそのときに項羽に背いて劉邦の臣下となるべきであったと思う。

140:名無しさん@お腹いっぱい。
07/07/22 00:15:29 XoNQhTpj0.net
【名前】李景達
【時代】五代十国
【理由】南唐の2代皇帝李璟の弟。
後周との戦いに二万の兵を率いて出陣したが、
二千程度の趙匡胤に大敗した。

141:名無しさん@お腹いっぱい。
07/08/11 16:12:08 d3ob8NEc0.net
このスレの象徴ともいうべき愚将・趙括が漫画に登場
ヤングジャンプ連載中「キングダム」
登場してすぐ殺されました・・・

142:名無しさん@お腹いっぱい。
07/08/12 02:34:57 Tgm7FhD50.net
【名前】孫儒
【時代】唐末
【理由】黄巣の乱以後の大混乱期を代表する巨盗。
特定の根拠地をもたず、城市を次々襲撃しては掠奪放火し立ち去って行くイナゴ野郎。
東都(洛陽)、揚州、蘇州、常州をはじめ被害に遭った街は数知れず。
揚州(当時中国最大の経済都市)では、街を燃やした後、
壮丁婦女をすべて連行し、病人や老人を殺して食料にした。
戦はめっぽう強く、朱全忠と楊行密を同時に敵に回しても一歩もひけをとらないタフネスぶり。
最後は楊行密の兵糧攻めで撃破され、斬られる。
ちなみに五代十国楚の建国者馬殷は孫儒の部下。

143:名無しさん@お腹いっぱい。
07/08/12 23:14:04 HAw6cEQe0.net
>>142
愚将というにはちと厳しい気がする。
孫儒の軍は、呉に呉越にと吸収され威力を発揮しているから、負けたとはいえ
将としての力量はそこそこではないかと。

144:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/24 00:24:57 5vm8cWPd0.net
【名前】廉丹・王匡
【時代】新
【理由】廉丹は廉頗の後裔で、新の更始将軍(漢の大将軍に相当する)として太師王匡と共に赤眉軍討伐に出陣。
彼らの率いた十余万の兵は兵糧不足のため、行く先々で略奪を行い「赤眉に逢うとも、
太師に逢う無かれ」と云われた。特に廉丹が率いた兵は殺戮を欲しいままにしたので、最も恐れられた。
こんな軍が沿道の住民の協力を得られるはずも無く、はたして無塩城の索盧が叛き、
それを討ってから赤眉の董憲と対峙した。兵は疲れ廉丹は休息を主張したが、王匡は聞かず戦い、大敗を喫した。
王匡は逃れたが、後に緑林軍の将で同姓同名の王匡に敗れて斬られた、廉丹は逃げた王匡を罵り、
踏みとどまって奮戦し、戦死した。
王匡は将としては無能で、廉丹も勇猛で人望はあったが、司令官より先陣をきって戦うタイプの将であった。

145:名無しさん@お腹いっぱい。
07/10/17 03:24:51 nkDIDwJC0.net
>>130
は漢字表記とかから見て台湾人?
確かに台湾じゃあの人は悪名あるな。

ところで夏候ボウが出てないんだけど、小物過ぎるから?

146:名無しさん@お腹いっぱい。
07/10/17 03:33:32 nkDIDwJC0.net
>>11で既出だった・・・
そして夏侯ボウだった。

147:名無しさん@お腹いっぱい。
07/10/17 07:31:32 QQje4r400.net
>>142
そこまでの勢力を築けた時点で、愚将の域は脱している気がするな。

148:名無しさん@お腹いっぱい。
07/12/17 13:09:24 XaZ9ES1f0.net


149:名無しさん@お腹いっぱい。
08/05/21 23:05:33 kaoM88J40.net
名前・張歩
時代・新末
理由・新末の群雄の一人、琅邪郡に割拠した。
光武帝の討伐軍に対し、敵を侮って盟友蘇茂の援軍を待たずに単独攻撃を仕掛けるも惨敗、敗走に次ぐ敗走で領土の殆どを失う。
あまりにも不様な負けっぷりで蘇茂から「あれほど援軍を待てって言っただろ!!」と詰られ面目を失った。
張歩は蘇茂を斬ってその首を差出すことで命は助かったが、
その後。叛乱を起こそうと考えて海上に出るものの漢軍の追撃を受けて殺された。


150:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/06 22:08:25 7nQC6Srj0.net
蒋介石は、あれだけの戦力を保持して負けるのは信じられない。

151:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/07 06:23:31 CjF3PfQg0.net
蒋介石って人材発掘能力ゼロだからね
国民党の将軍の中で無私で兵と苦労を共にし勇敢かつ有能な人って
張治中、張自忠、陳誠の3人だけだ

152:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/14 09:05:25 g+kpZeo50.net
【名前】張飛
【時代】蜀
【理由】個人的な武勇はあっても指揮官としての能力はゼロ。
指揮官として能力を発揮した逸話もあるが、三国志演義のフィクション。
部下の兵を大切にしなかったのが将として致命的で、最期は部下に裏切られる。

153:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/22 00:10:38 Vxa/MUUxO.net
>>70
何進はわかりやすく過小評価だね。

実績のみで語れば、袁隗とともに党コの禁で追放されてた連中を中央に戻したりと言う功もあり、
明確な失点と言えるのは無防備に暗殺されたこと位。
平凡で、乱世に政府の枢要を占めながら特記すべきこと、功ともに少ないため、
低い出自の印象と外戚の悪印象のまま語られやすい人かもわからん。

袁紹は声望はあれど地盤はなく、河北制圧にあたっては、
当時幽州~青州に大勢力を誇った公孫氏の勢力を敵にまわして最終的には滅ぼしている。
これもまた愚将とまでは言えまい。

>>152
つっこむべきか?

154:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/29 11:36:23 ewexoFUr0.net
宇宙大将軍はどうでしょう

155:名無しさん@お腹いっぱい。
08/08/30 13:18:34 lmMD3+1z0.net
チンケ石に勝ってるのに?

156:名無しさん@お腹いっぱい。
08/10/27 08:05:45 y/YHdkkpO.net
名前 関羽

理由、官渡の戦いで敵軍につく。
その上、赤壁の戦いで敵軍の大将をわざと逃すし蜀としては踏んだり蹴ったり。
繁盛の戦いで殺されたのち、劉備を狂わせ無益な戦争を行わせ莫大な損失を生ませる。


157:名無しさん@お腹いっぱい。
08/10/27 11:55:15 ltSsfBv+0.net
商売繁盛の神様が繁盛の戦いで殺されてはいかんな

158:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/01 18:03:30 DbuFyA5SO.net
劉備軍を繁盛させないために殺したんじゃね?

159:とびどぐもたないでください
08/11/02 22:49:44 T+QzlWPeO.net
100人は大変だねぇ。
結果論でケチつけてもしょうがないし。
こいつは鉄板バカ、ってのを思いつくまま挙げると。
【時代】春秋・戦国
【人物】趙括
【理由】さんざん既出。「お勉強ができる」≠「社会の役に立つ」の見本みたいなヤツ。
しかし、重臣さらには両親までもが反対しているのに、秦の反間にのせられて、コイツを登用した趙王がさらにガチンコバカだな。
でも文天祥も一歩間違えばこの類いなんだろうな。

【時代】秦漢
【人物】周文
【理由】陳勝がたてた「張楚」の将軍。占い師あがり。「自分には軍才がある」と主張し、数十万人の軍を指揮して秦都咸陽を目指すも、秦の名将章邯にあっさり撃破され、その後「張楚」は崩壊。
その根拠のない自信はどこから?と小一時間(ry

【時代】魏晋南北朝
【人物】夏侯楙
【理由】THEキングオブ・ザコ武将。
「エピソード」が重視される魏晋南北朝にあって、これほど情けないエピソードしか残ってない人物も珍しい。よっぽどひどい人物だったんだろう。
ヨメや弟たちに讒言されるなんて…。
オレは、肥のゲームではせめてもの餞に「商才」を補正してあげてるよ。

もうおねむ。あとひとりだけ。

【時代】明
【人物】李景隆
【理由】>>107で既出

160:名無しさん@お腹いっぱい。
08/11/03 00:37:37 cYKOqqbL0.net
杜松

161:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/24 16:33:29 94eJh0gA0.net
【名前】耿炳文
【時代】明
【理由】靖難の変で30万の大軍を率いて戦うも寡兵の燕軍に大敗


162:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/25 00:07:03 1uJ/95WAO.net
あれ?孔明まだ出てないの?

163:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/25 00:31:07 9iWVN4Ke0.net
孔明は凡将であって愚将ではない。

164:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/25 00:52:56 nUDQx1If0.net
孔明って水滸伝のか?

165:名無しさん@お腹いっぱい。
08/12/27 10:00:24 HXPlSF2y0.net
【名前】李陵
【時代】西漢
【理由】騎馬民族相手に五千の歩兵で突撃敢行、捕虜となる

166:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/31 04:42:52 5WaKx0u90.net
【名前】触子
【時代】斉
【理由】楽毅に対し、ロクに戦いもせずに逃げる
楽毅が斉を攻めた際に達子とともに迎え撃った将軍。
布陣後に斉の湣王から、「負けたらお前の一族皆殺しな。先祖の墓もあばくからな」との伝令をうけ、
それに絶望して達子をのこして自軍だけ退却する。
立てた作戦も悪くなく、相手はあの楽毅だし湣王の伝令もひどいものであるから、
同情の余地はあるが、もうすこしなんとかならなかったのだろうか。
責任をほっぽりだして自分だけ逃げたということで愚将に推す。
あるいはものすごく不運なだけの人かもしれない。

このスレ難しいな。
呂布とか張飛はちがう氣がするし。
王衍みたいなクソどうしようもない香具師ってあまりいないよな。
たくさんいたらいたで困るけど。

167:166
09/01/31 05:53:40 5WaKx0u90.net
【時代】斉 はおかしいな。
【時代】戦国時代 に訂正します。

168:名無しさん@お腹いっぱい。
09/02/05 20:51:02 r+VhKtbc0.net
>>166
触子は君主に恵まれなかっただけな気がする。
伝令を受けるまでは普通に戦おうとしてるし。
楽毅がらみなら騎劫のほうがひどくない?

169:166
09/02/10 07:04:49 t8CBPKIJ0.net
>>168
そうかもしれん。書いててかわいそうになってきたわ。
でも達子ががんばってるのに触子ときたらとも言えるし・・・。
騎劫が残念な子なのは同意だがもうでてるしな。
百選入りさせるかどうかはスレの諸兄にまかせます。
数合わせに入れられそうだがw

170:名無しさん@お腹いっぱい。
09/03/31 22:10:19 lEupPbCu0.net
あげ

171:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/15 15:03:57 jybEu5nm0.net
関羽の最後をみると愚将にしか思えん

172:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/15 15:20:37 fyauoY0H0.net
論文にしてまとめてみれば

173:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/17 08:24:08 /9YJSCQn0.net
趙括、馬ショク

174:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/25 23:38:05 ekuOVWXn0.net
夏侯楙

175:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/26 10:58:56 PYja4zfv0.net
このスレって、フィクションのエピソードも、評価に含まれるの?

176:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/26 18:25:53 aa/gSaI1O.net
本来は含むべきでは無いとは思うんだが、>>1の意志がどこまでか判らんからなあ。

177:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/26 21:08:55 W2+NsjTW0.net
>>159
>【時代】秦漢
>【人物】周文
>【理由】陳勝がたてた「張楚」の将軍。占い師あがり。「自分には軍才がある」と主張し、数十万人の軍を指揮して秦都咸陽を目指すも、秦の名将章邯にあっさり撃破され、その後「張楚」は崩壊。
>その根拠のない自信はどこから?と小一時間(ry
そちらの書いたとおりの名将に戯水で敗れたが、軍を立て直し
曹陽で2ヶ月以上粘り、さらに敗残兵をまとめてメン池で十数日もたせた
決してアッサリ撃破などされていない
当時の状況を見通してそれまで不落だった函谷関を初めて落としたことも
もっと評価されるべき…函谷関が空だったわけでもないんだし

問題は援軍などで味方と連携させるとか出来なかった(ぶっちゃけ陳勝じゃね)

178:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/27 18:08:21 +Zt2IzCEO.net
むしろ周文は隠れた名将だよな
ショウカンが現れる前は秦軍に全勝してたわけだし
もし運が良ければ項羽や劉邦の前に秦を滅ぼしてたかもしれないな

179:名無しさん@お腹いっぱい。
09/04/27 23:40:45 q1/KuQ+b0.net
明の丘福
靖難の変で活躍したけど
最後が・・・

180:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/14 22:56:59 fMxV1Ocj0.net
アヘン戦争で占いで女性の便器を集めた武将がいたんだが
そいつは愚将といっていいかわかんね


181:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/17 07:18:35 L93DsRco0.net
前11世紀:
前10~前8世紀:
前7世紀:
前6世紀:
前5世紀:
前4世紀:
前3世紀:
前2世紀:
前1世紀:
1世紀:
2世紀:
3世紀:
4世紀:
5世紀:
6世紀:
7世紀:
8世紀:
9世紀:
10世紀:
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19世紀:

182:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/20 15:38:09 U5urkfTd0.net
前11世紀:
前10~前8世紀:
前7世紀:
前6世紀:
前5世紀:
前4世紀:
前3世紀:騎劫、趙括
前2世紀:
前1世紀:
1世紀:
2世紀:
3世紀:馬謖
4世紀:
5世紀:
6世紀:
7世紀:
8世紀:
9世紀:
10世紀:
11世紀:
12世紀:
13世紀:
14世紀:
15世紀:
16世紀:
17世紀:
18世紀:
19世紀:


183:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/20 22:11:42 4RUdt4wN0.net
宇文述は愚将かな?
高句麗では大敗してるけど、
結構活躍もしてるんだよな

184:名無しさん@お腹いっぱい。
09/05/26 19:12:02 F24JPXF00.net
李信
楚の力を侮って20万の軍を壊滅させた。

185:名無しさん@お腹いっぱい。
09/06/12 05:42:03 VzM/Og3K0.net
前11世紀:
前10~前8世紀:
前7世紀:
前6世紀:
前5世紀:
前4世紀:
前3世紀:触子、騎劫、趙括、李信
前2世紀:
前1世紀:
1世紀:廉丹、王匡
2世紀:劉虞
3世紀:馬謖
4世紀:麻秋、殷浩
5世紀:
6世紀:
7世紀:宇文述
8世紀:
9世紀:
10世紀:李景達
11世紀:
12世紀:
13世紀:
14世紀:
15世紀:丘福
16世紀:
17世紀:
18世紀:
19世紀:


186:名無しさん@お腹いっぱい。
09/07/10 05:50:07 nABJnilw0.net
前11世紀:
前10~前8世紀:
前7世紀:
前6世紀:
前5世紀:
前4世紀:
前3世紀:触子、騎劫、趙括、李信
前2世紀:
前1世紀:
1世紀:廉丹、王匡
2世紀:劉虞
3世紀:馬謖
4世紀:麻秋、殷浩
5世紀:
6世紀:
7世紀:宇文述
8世紀:
9世紀:
10世紀:李景達
11世紀:
12世紀:
13世紀:
14世紀:
15世紀:丘福、朱祁鎮
16世紀:
17世紀:
18世紀:
19世紀:


187:名無しさん@お腹いっぱい。
09/07/10 05:58:55 nABJnilw0.net
残り86人

188:名無しさん@お腹いっぱい。
09/07/18 06:09:03 8NlQiKu+0.net
趙括の山頂布陣

189:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/06 10:13:02 k5buRxLqO.net
鄭安平先生が入ってないぞ

190:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/07 18:11:17 AIHdxmCKO.net
>>185-186
流石に李信は外した方が良い
奴が入るなら関羽も入りかねん
軍功と失敗のダメージを比較すると関羽の方が酷いし
(まあ当時の国力だと悲惨なほど李信有利だけどな)

191:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/08 16:11:47 ES0daUCx0.net
関羽も入りかねんというか先ず入るだろ
別に関羽を馬鹿にする訳ではなく
この手の議論では避けては通れない

192:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/09 02:08:10 v/FfdCh90.net
功績も大きいけど失敗も大きいのは愚将というのか?

193:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/09 03:52:28 L9GCZu3u0.net
李景隆も確定で良いじゃない?

>>180
亀レスでスマンが
その武将名前は忘れたけど若いころは各地で軍功上げて名将っていわれてた人物らしい

194:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/09 08:56:48 2VO/e3Iy0.net
ランクインするほどの愚将ではないにしろ劉備本人もやらかしまくってるよな。徐州で君主自ら敵前逃亡したり、感情に任せて夷陵で大敗し国傾けたりしてるし。

195:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/09 09:40:05 bgl6z1Zw0.net
>>192
虚名があって、実績なきものは、間違いなく愚将というべきだろうね。


南唐の劉彦貞。
自らを韓信、彭越のごとき用兵巧者になぞらえ、南唐では指折りの名将
(この場合の名将ってのは、名望ある将家、有名なというほどの意味)
後周国の侵入に対し、迎撃の指揮を執るが、正陽の戦いにおいて
瞬殺されてしまう。
当初、後周は淮河を越えた要衝、寿春を囲んでいたが、劉彦貞の接近で
囲みを解いて後退した。それを怯懦とみた劉彦貞は猪突。
寿春の守将、劉仁贍は深追いは危険としたが、無視し進む。
急行した後周将、李重進に急襲され、
「一鼓而敗之」
劉彦貞二万の軍勢は、壊滅。
短時間のワンサイドゲームでした。

196:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/09 10:33:28 cCxOge8u0.net
まあもっと駄目なのがいたら落とせばいいし

197:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/09 10:35:02 cCxOge8u0.net
スレの趣旨としては成功よりは失敗を重点的に見るということになるんじゃないのかな。

198:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/09 10:41:10 cCxOge8u0.net
前11世紀:
前10~前8世紀:
前7世紀:
前6世紀:
前5世紀:
前4世紀:
前3世紀:鄭安平、触子、騎劫、趙括、李信
前2世紀:
前1世紀:
1世紀:廉丹、王匡
2世紀:劉虞
3世紀:馬謖
4世紀:麻秋、殷浩
5世紀:
6世紀:
7世紀:宇文述
8世紀:
9世紀:
10世紀:劉彦貞、李景達
11世紀:
12世紀:
13世紀:
14世紀:
15世紀:李景隆、丘福、朱祁鎮
16世紀:
17世紀:
18世紀:
19世紀:

199:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/09 10:42:14 cCxOge8u0.net
前11世紀:
前10~前8世紀:
前7世紀:
前6世紀:
前5世紀:
前4世紀:
前3世紀:鄭安平、触子、騎劫、趙括、李信
前2世紀:
前1世紀:
1世紀:廉丹、王匡
2世紀:劉虞
3世紀:関羽、劉備、馬謖
4世紀:麻秋、殷浩
5世紀:
6世紀:
7世紀:宇文述
8世紀:
9世紀:
10世紀:劉彦貞、李景達
11世紀:
12世紀:
13世紀:
14世紀:
15世紀:李景隆、丘福、朱祁鎮
16世紀:
17世紀:
18世紀:
19世紀:

200:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/09 10:49:42 cCxOge8u0.net
前11世紀:
前10~前8世紀:
前7世紀:
前6世紀:
前5世紀:
前4世紀:
前3世紀:鄭安平、触子、騎劫、趙括、李信
前2世紀:
前1世紀:李陵
1世紀:廉丹、王匡
2世紀:劉虞、張飛
3世紀:関羽、劉備、馬謖
4世紀:麻秋、殷浩
5世紀:
6世紀:
7世紀:宇文述
8世紀:
9世紀:
10世紀:劉彦貞、李景達
11世紀:
12世紀:
13世紀:
14世紀:
15世紀:耿炳文、李景隆、丘福、朱祁鎮
16世紀:
17世紀:
18世紀:
19世紀:

201:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/10 00:03:51 FF7AZYgd0.net
>>194
劉備は感情に任せてとの見方も出来るが、2方面の北上に荊州が必要だったという見方も出来ないか?
何にしてもまず南だったと思うが。

202:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/10 15:13:37 oTJxkL6S0.net
劉備らが入るなら姜維、曹休あたりも入るんじゃない

203:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/10 15:19:57 oTJxkL6S0.net
あと夏侯淵とかも

204:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/10 16:23:05 wzocyL3G0.net
負けた将はみな愚かか…

205:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/10 19:33:06 4QoxM86m0.net
前11世紀:
前10~前8世紀:
前7世紀:
前6世紀:
前5世紀:
前4世紀:
前3世紀:鄭安平、触子、騎劫、趙括、李信
前2世紀:
前1世紀:李陵
1世紀:廉丹、王匡
2世紀:劉虞、張飛
3世紀:夏侯淵、関羽、劉備、馬謖、曹休、姜維
4世紀:麻秋、殷浩
5世紀:
6世紀:
7世紀:宇文述
8世紀:
9世紀:
10世紀:劉彦貞、李景達
11世紀:
12世紀:
13世紀:
14世紀:
15世紀:耿炳文、李景隆、丘福、朱祁鎮
16世紀:
17世紀:
18世紀:
19世紀:

206:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/10 19:34:19 4QoxM86m0.net
>>204
程度によるんじゃないのかな

207:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/10 19:41:14 wzocyL3G0.net
>>206
夏侯淵、関羽、劉備、馬謖、曹休、姜維
のきなみ、愚将にされてるんですが。

208:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/10 20:00:39 ahiJOrOJ0.net
その辺が入るなら孫権や諸葛恪も入るんじゃないか

209:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/10 21:07:40 Nc6iDKEA0.net
夏侯淵は最後に負けただけで、それまでは常勝将軍。
劉備と姜維は勝ったり負けたり。愚将というほどひどい戦績でもない。
諸葛恪も最後にしくじっただけで、それまではまず名将と言って良い戦績。
敗北したことのある将軍を全て愚将というのは無理が無いか?

あと、1世紀の愚将から廉丹を外すべき。
彼は王匡の無謀な判断に巻き込まれて負けただけで、
戦に関しては常識的な見識を見せているし、配下の人望も厚い。
代わりに王邑を入れるべき。
目の前の敵に執着して本来の戦略目的を無視した作戦を立て、
敵が降伏してきても、一刻を争う情勢なのに受け入れずにいたずらに戦いを長引かせる。
100万の大軍を率いながら、敵が攻めてくると、
自ら1万の兵を率いて迎え撃ち他の部隊を動かさず、
数の優位を自ら放棄して惨敗するという驚きの用兵。
まさに1世紀最高の愚将。

210:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/10 21:39:57 4QoxM86m0.net
前11世紀:
前10~前8世紀:
前7世紀:
前6世紀:
前5世紀:
前4世紀:
前3世紀:鄭安平、触子、騎劫、趙括、李信
前2世紀:
前1世紀:李陵
1世紀:王邑、王匡
2世紀:劉虞、張飛
3世紀:関羽、馬謖、曹休
4世紀:麻秋、殷浩
5世紀:
6世紀:
7世紀:宇文述
8世紀:
9世紀:
10世紀:劉彦貞、李景達
11世紀:
12世紀:
13世紀:
14世紀:
15世紀:耿炳文、李景隆、丘福、朱祁鎮
16世紀:
17世紀:
18世紀:
19世紀:

211:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/10 21:41:05 4QoxM86m0.net
>>207-209
こんなもんだろうか?

212:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/10 21:51:13 eeEjqOs40.net
つーか張飛にしても換羽にしてもどこが愚将なんだ?
ハルヒは最期はともかくほとんどの戦で勝ってる蜀随一の将だし
換羽にしても荊州失陥は彼自身の政治的問題以上に、
当時のあの地域への各勢力の思惑上、ある種成り行きで失陥したと言うほかない部分も大きい

213:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/10 21:54:07 wzocyL3G0.net
三国志関連では、もっとこう「これぞ愚将!」
ってのいないの? 袁術とかだめ?

10世紀
李景達のかわりに、陳覚としておいて欲しい。
総大将は李景達だったけど、軍の進退に関しては
軍政長官である陳覚の指揮によるものだったから
六合で、趙匡胤の罠にはまってボロ負けしたのは、陳覚ということで。

あと、愚将というか、気に入らんヤツとして
10世紀、後梁の段凝を。
この人は、王彦章を讒訴して足を引っ張ったとんでもないやつで
朝廷の中にも、それを危ぶむひとはいたが、佞臣と結託していたため
段凝は、後唐と互角に戦っていた王彦章にとってかわり、総大将となれた
しかし、あっさり後唐に投降w

214:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/10 22:09:32 4QoxM86m0.net
前11世紀:
前10~前8世紀:
前7世紀:
前6世紀:
前5世紀:
前4世紀:
前3世紀:鄭安平、触子、騎劫、趙括、李信
前2世紀:
前1世紀:李陵
1世紀:王邑、王匡
2世紀:劉虞、袁術
3世紀:馬謖、曹休
4世紀:麻秋、殷浩
5世紀:
6世紀:
7世紀:宇文述
8世紀:
9世紀:
10世紀:段凝、劉彦貞、陳覚
11世紀:
12世紀:
13世紀:
14世紀:
15世紀:耿炳文、李景隆、丘福、朱祁鎮
16世紀:
17世紀:
18世紀:
19世紀:

215:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/10 22:53:11 MAW4ObPR0.net
三国志で情勢が動くクラスの戦いの敗将は大抵十分な軍事的功績をあげてる
界橋の公孫?も、官渡の袁紹も、赤壁の曹操も、定軍山の夏侯淵も、 夷陵の劉備も、段谷の姜維もそう
(ただ、関羽は(長年No.2として護りについていた事も大きいが)この辺と比べると軍事的貢献がやや地味だが)

まあ何が言いたいのかというと、一定の活躍はしている李信は入れないで欲しいという事なんだが


216:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/11 01:16:52 pvSyMViT0.net
>>215に同意。
李信は対燕戦、対斉戦で活躍している。愚将ではないと思う。
宇文述は尉遅迥の乱、陳平定、吐谷渾戦、楊玄感の乱で功績のある歴戦の名将。
朝鮮での敗北だけで愚将とされるのは納得がいかない。
丘福は靖難の変で大きな功績があった。最後の失敗だけで愚将とするのはいかがなものか。
耿炳文は朱元璋の挙兵初期から従った歴戦の武将。
張士誠との戦いや雲南遠征、北伐で活躍した。
靖難の変で敗戦を重ねたのは兵の質の低さによるところが大きい。
軍の弱点を克服する作戦を立てたところで解任されたのは不運だった。
彼も愚将とするべきではないと思う。
曹休は最後に手ひどくやられただけで、それまでの実績は十分。

思うに実績の十分ある武将を最後に負けたとか、
有名な戦いで負けただけで愚将扱いするレスが多いが、
それはなんか違うと思う。
愚将というのは李景隆みたいに軍事的才能皆無で戦功らしい戦功が無く、
戦えば負けてばかりでどうしようもない将軍だと思う。

217:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/11 11:04:50 +USj8vF70.net
前11世紀:
前10~前8世紀:
前7世紀:
前6世紀:
前5世紀:
前4世紀:
前3世紀:鄭安平、触子、騎劫、趙括
前2世紀:
前1世紀:李陵
1世紀:王邑、王匡
2世紀:劉虞、袁術
3世紀:馬謖
4世紀:麻秋、殷浩
5世紀:
6世紀:
7世紀:
8世紀:
9世紀:
10世紀:段凝、劉彦貞、陳覚
11世紀:
12世紀:
13世紀:
14世紀:
15世紀:李景隆、朱祁鎮
16世紀:
17世紀:
18世紀:
19世紀:

218:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/11 13:28:56 GQUY2W0V0.net
馬謖は街停の失敗以外では孔明の参謀、腹心として貢献してるし
李陵は失敗はでかいがその統率力は異民族ですら承伏したもの
どっちも失敗をやらかした武将というだけで
おろかな将とは少し違うんじゃないか?



219:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/11 13:34:08 +USj8vF70.net
参謀での実績は将軍の仕事ではないから
カウントするべきではないのでは。まあ李陵は削っとこう

220:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/11 13:35:03 +USj8vF70.net
前11世紀:
前10~前8世紀:
前7世紀:
前6世紀:
前5世紀:
前4世紀:
前3世紀:鄭安平、触子、騎劫、趙括
前2世紀:
前1世紀:
1世紀:王邑、王匡
2世紀:劉虞、袁術
3世紀:馬謖
4世紀:麻秋、殷浩
5世紀:
6世紀:
7世紀:
8世紀:
9世紀:
10世紀:段凝、劉彦貞、陳覚
11世紀:
12世紀:
13世紀:
14世紀:
15世紀:李景隆、朱祁鎮
16世紀:
17世紀:
18世紀:
19世紀:

221:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/11 18:03:36 eij7rAdp0.net
馬謖は入れていいと思う
参謀としては有能でも将としては明らかに愚かだった
つーかこいつが入らないなら愚将候補かなり削られるぞ

222:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/11 18:39:12 RoVugfU20.net
たしかに、李陵を愚将とするのは、酷というか突き放しすぎというか。

で、10世紀にまた追加。
後蜀の趙季札。
文武の才に豊かとの自己申告により、一目置かれる。
後周世宗が、隴右を狙って侵攻したとき、後蜀後主に対してこう言った。
「前線の指揮官らに将才はなく、とても大敵を防ぐことはできないでしょう」
後主いわく
「では誰を将とすればよいのか?」
「臣があたりましょう(キリッ)」
そうして趙季札は、後周軍を邀撃する前線司令官たちを監督する
監軍使の地位を手に入れ、前線に赴きました。
しかし、秦州(天水)へ向かった趙季札は、やがて成都に帰ってきました。
なぜか。
すでに後周軍が大散関を抜け、黄牛八寨を順次獲り、秦州への街道の
近いところに迫っていたからでした。
上奏して監軍使の任を解くことを請いつつ、輸送物資と妓妾(おいw)を帰らせ
自分も単騎で宮城に駆け戻ったとさ。

趙季札の急な帰還は、前線が大敗したのでは、との誤報となり朝野は震撼
後主が召して方策を問うが、なにも答えられなかったので斬刑となった。

でも、前線にこいつがいかなくて良かったかもしれない。
結果的には負けてしまういくさだけど、後蜀の李廷珪はそれで自由な才略をふるい
後周軍とかなりきわどい好勝負を披露したから。

223:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/11 20:36:48 5xbSeZ0w0.net
前7世紀に晋の先穀を。
ヒツの戦いの引き金を引いた元凶で、先軫以来の名家を滅亡に追い込んだ罪はとても重い。

224:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/11 21:10:49 OXTdde7EO.net
李信は王賁の腰ぎんちゃく的な感じがしないでもない

225:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/12 07:00:40 YNkzU0LE0.net
だれも李景隆の援護してないのに笑った

226:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/12 18:59:24 4Wq+vW+g0.net
前11世紀:
前10~前8世紀:
前7世紀:先穀
前6世紀:
前5世紀:
前4世紀:
前3世紀:鄭安平、触子、騎劫、趙括
前2世紀:
前1世紀:
1世紀:王邑、王匡
2世紀:劉虞、袁術
3世紀:馬謖
4世紀:麻秋、殷浩
5世紀:
6世紀:
7世紀:
8世紀:
9世紀:
10世紀:段凝、劉彦貞、陳覚、趙季札
11世紀:
12世紀:
13世紀:
14世紀:
15世紀:李景隆、朱祁鎮
16世紀:
17世紀:
18世紀:
19世紀:

227:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/14 22:55:51 ZF44rAzz0.net
2世紀枠に李かく、郭汜あたりはどう?

228:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/15 01:04:05 G0NWP4Cz0.net
小物過ぎないか?
確かに愚将だけど長安取り戻しただけマシって感じ

229:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/15 04:22:25 stDweWGA0.net
>>227
李カク、郭汜は朱儁を撃破したり、徐栄を破って長安を奪回したり、
馬騰を破ったりするなど、軍事的力量は十分。
愚物ではあるけど、愚“将”とは言えないと思う。

230:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/15 05:35:38 k6XtMif60.net
李景隆は評価するところないもん

231:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/18 02:22:15 2dFjIhDR0.net
龐涓はどうよ?
相手が悪すぎるけど、触子入るなら

232:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/18 07:05:05 h42jcFZW0.net
>>231
孫ピンを陥れて刑余の者にするなんて、愚将のする事だからいいんじゃね?

233:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/18 13:23:03 BKMdrtKi0.net
廃人に陥れるまではいいけど
殺さなかったのは詰めが甘すぎる
しかもそれで負けるし

234:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/18 15:23:15 d64VTwkI0.net
>>232-233
それは軍事的能力とは関係ない気がするが。

235:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/18 20:30:43 IUVL2BOc0.net
襄公は入れておくべきだろ。
「宋襄の仁」の由来ってこのスレのためにあるようなものだし。

236:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/26 00:36:24 Rqj/lqrA0.net
北宋の童貫
燕京を落とせず靖康の変のきっかけに

237:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/02 20:24:41 r+XjM4LZ0.net
【時代】4世紀・晋
【人物】杜曾
【理由】匈奴侵攻の混乱時に叛乱、襄城を包囲するが駆けつけた援軍に敗れる
    それだけならまあ普通の小物だったけど
    包囲を抜け出した十三歳の少女(ちなみに荀彧の玄孫)が呼んだ援軍のために敗れる
    と書くとかなりカッコ悪いんじゃないかと

238:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/02 20:57:38 r+XjM4LZ0.net
【時代】1世紀・新
【人物】甄阜
【理由】劉縯ら反新軍を破って追撃
    十万の軍を率いて川と川の間に宿営、後方の橋を壊し背水の陣を敷く
    しかし劉縯らの反撃を受け逃げ場を失い戦死する

239:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/02 21:25:56 AtyAQmow0.net
>>237
杜曾は数々の戦場で武勲を立てた勇猛な武将だし、負け方もごく普通。
十三歳の少女に包囲網を突破されたのはお粗末だが、
歴代の愚将に比べればかわいいもの。
まあ、ただの小物だな

>>238
一度は劉エンを破ったのは評価してもいいんじゃないか?

240:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/02 22:23:53 nfFuwIC60.net
>>237
たしかに、その一事だけを抜き取ると、すごい間抜けにみえる。
子供にしてやられたいい大人が! って感じ。
荀灌は人気の出る下地は大いにあるのだけどなぁ

241:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/03 16:52:00 3OJcajZs0.net
>>238
背水の陣を敷いて自滅したのは十分愚将の域に達していると思うけど

242:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/03 19:53:47 AbfExIw70.net
>>241
百選に入るほどの愚将という程ではない。一発屋。
太平天国の乱初期の清将や李景隆、殷浩並みの無様な負けを繰り返さないと、
百選入りは難しいと思う。

243:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/03 21:32:28 8CTUSCV50.net
無類の強さを誇りながら戦略的な失敗を繰り返し、あっちこっちかけまわってる内に本拠まで失ってあっという間に滅んだ項羽はスケールのでかい愚将だと思う

244:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/03 21:52:32 X8PX8X6+0.net
それなら、その項羽にボロ負けした……魏豹だっけかな?
の方が、愚将というにふさわしいように思うが

245:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/08 16:03:14 tKqWCVX50.net
魏豹か…同意だな。
項羽は愚将だが英雄かと。

246:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/08 20:59:52 1hOTkhOT0.net
章邯も項羽にはボロ負けしてる
魏豹が彭城の戦いで司令官だったのは横光版の話では?

247:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/08 21:20:58 gPynRVaN0.net
>>246
そうなの?
よく知らんから、愚将の代表みたいなヤツかと思ってた。
ただ、章邯の負け方は愚将とは呼べんと思う。
五代の朱温が黄巣から唐への寝返りをすすめられたときの
「秦を捨て楚に降った章邯の故事」
と言われて決心したというけど、そこで愚将を引き合いに出すとも思えませんしね。
(いろいろ突っ込みどころはあるにせよw)
韓信に滅ぼされたものの、秦および楚側の名将との認識はあったと思うです。

248:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/08 21:28:30 1hOTkhOT0.net
いや別に章邯が愚将だ言いたいわけでは全く無いんだけどね
評判はもちろん名将と呼ぶにふさわしい実績を残してるし
項羽にボロ負けだけしたってだけで愚将ってのは微妙かなと思っただけで
史実だとあの戦いでは劉邦が司令官だったようだけど劉邦も愚将とまでは言えないと思うし

249:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/11 11:26:06 r0udMMNt0.net
項羽が化け物すぎるでFA
王尋、王邑もアホ扱いされてるが
当時ではそこそこの采配なんじゃないのか
これも光武帝が化け物すぎると思う

250:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/11 13:03:26 JmlqPoHrO.net
このスレの結論は

愚将なんて一人もいない。
みんな違って、みんないい。

でFAになりそうだな

251:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/11 13:46:20 MjPxGdIY0.net
>>250
そうじゃないでしょ。
有名どころとかを愚将扱いして、おれカコイイしているからそうなるのであって
事実、反論もされず愚将のままランキングしているのもあるじゃないか。
ただし、将として愚かでも、別の面でもそうとはいえないのが人間。

252:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/11 15:00:43 r0udMMNt0.net
250まで極端でなくてもそれと似たような結論にはなるだろうな。
まあそれは前提としても100人でっち上げるのがこのスレの主旨。
別にメジャーを叩いて俺カコイイがしたい人間なんかいないだろ。

・敗戦で領土を大きく失う
・敗戦で戦死、降伏多数
・大軍で寡兵に負ける

この条件を満たしてたら、ほぼ入選資格はある。

253:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/11 15:33:02 Wwyri9yv0.net
項羽が56万対3万で劉邦に勝ったとき、劉邦軍の中心は大将軍の韓信だったよね
ということは万全なら韓信より項羽のほうが強いんだろうな
項羽は戦略的思考は子供並だけど、戦術的思考は天才的だから、韓信の計略も通用しなさそう

254:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/11 18:44:14 r4//pmZW0.net
清代の文章で、大軍は意思統一ができないとか士気が上がらんとかの理由で
往々にして寡兵に負ける、大軍が寡兵を破るのはむしろ例外、というのがあった

255:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/11 19:07:50 MjPxGdIY0.net
>>大軍が寡兵を破るのはむしろ例外

どうだろうね。
それはむしろ特記するようなことじゃないから記録に残らないような。
勝ったとだけとか、敗るだけで終わってるとか……
だいたい、ある戦闘で双方の兵力が明記されていることすら少ないしさ。


256:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/11 19:34:48 88h0MQZo0.net
寡兵で大軍を敗るのってほとんど防衛側が遠征軍を破るってパターンだろ
防衛側の大軍に遠征側がボロ勝ちした例って白起VS趙括ぐらいじゃね?
城攻めには守り側の10倍兵力が必要と言われてるし地の利を持つのがそれだけ有利ってだけで
野戦では明らかに大軍の方が強いと思う

257:250
09/09/11 19:41:45 JmlqPoHrO.net
いや、ちょっとしたネタのつもりだったんだ…
なんというか…すまん

258:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/11 23:34:35 MjPxGdIY0.net
多少賑わったし、いいと思う。

>>252
たしかに、単一名レスは少ないね。どっかと勘違いしたみたい。すまんすまん

259:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/12 11:53:59 dMynwoS30.net
>>256
そんなのいくらでもあるよw

260:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/12 12:04:04 cyljtQIR0.net
じゃあ寡兵の遠征側が防衛側の大軍に大勝した例挙げてくれ

261:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/12 12:13:35 bpnCgPg40.net
>>260
いいねぇ、そういう話題。
五代十国からの例だけど、南唐と呉越の戦いでそれに近いものがある。
遠征というほど、根拠地から離れているわけでも、まったくの敵地でも
ない戦いだけど、常州の役がある。
常州はもと南唐領で、兵員の不備を衝かれて、呉越に落とされてしまった。
そこで常州を取り返すべく、金陵(南京)から遠征軍が進発するけど
そこで集められた兵というのが、老弱兵ばかり。
(当時、南唐は北から後周に攻められていて、精鋭はすべて淮南にでていた)
その1万にも満たないような老弱兵を率いた柴克宏は、常州で呉越と交戦するまで
朝廷におもくそ足をひっぱられていた(弱兵を与えられたのも、いやがらせではないか)
柴克宏は、堂々と布陣する呉越軍に対して、詭計をもって臨み、敵軍の中枢を
一気に撃破。常州を取り返したという。

262:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/12 15:46:57 fE5m0VQBO.net
戦争に負けたっていいじゃない、だって人間だもの

みつお

263:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/12 17:44:59 fHhVkZ2X0.net
戦争に負けたあとは人間じゃない、だって奴隷だもの

264:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/13 01:48:11 2wE132a70.net
おもろいがな。

265:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/16 10:00:42 Iu6o95Ns0.net
>>253
睢水の合戦のことか?
そのとき韓信は軍の総指揮をとってなかったはず。


266:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/23 08:44:03 zUnqVWsv0.net
age

267:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/23 12:27:10 qGywzMB/0.net
高金素梅が靖国神社で暴挙 8月11日

URLリンク(www.youtube.com)

URLリンク(www.youtube.com)

268:名無しさん@お腹いっぱい。
09/09/23 13:48:55 45YtgJX70.net
>>260
529年南北朝時代
北魏の北海王が梁に亡命、梁の武帝は陳慶之に北海王を北魏に送るよう命じる
陳慶之は七千の兵を率いて北伐、47戦して全勝し32城を陥落させ洛陽を占拠
その後、北海王は陳慶之の援軍要請を却下、北魏の爾朱栄の反撃を受ける
北海王は捕縛、陳慶之は11戦して退くが洪水に遭い軍は全滅、陳慶之自身は僧に変装して帰還した

269:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/09 17:33:26 HyTcbwtq0.net
【名前】 子玉
【時代】 春秋
【理由】 城濮の戦いより
楚の成王が引き上げたのに、勝手に戦端を開いて大敗北を喫する。
戦いの理由に晋の文公が嫌いだった的な私情を挟んでいる節もある。
この敗戦で晋が覇者となり、楚の影響力は急激に衰える。

270:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/16 14:37:10 YtXHTgth0.net
【名前】 白起
【時代】 戦国
【理由】 殺しすぎ
戦では無敗の常勝将軍だが、捕虜は皆殺し。
戦上手は突出した能力かもしれないが、戦いに勝つ事だけをもって名将とするのはおかしい。
むしろ彼は愚将として名を残すべきだろう。
自身も死に面して、やっと自分の愚かさに気付いていたし。

271:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/16 20:46:40 /YY+3mB9O.net
突出した能力を持つかもしれないが、の時点で選外だろ。

272:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/16 20:57:32 Ony5wACY0.net
捕虜の虐殺自体秦の方針じゃないの?
白起の裁量だけで捕虜を殺したという根拠は無いような

273:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/16 21:37:04 2yHQ15EC0.net
秦は取った首の数で出世が決まるシステムだったから、
基本的に捕虜にするぐらいなら殺してしまっていた。

274:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/17 11:03:02 1HoR/uMR0.net
捕虜は全員奴隷にするシステムの当時で、殺す事が国の方針なわけないだろ。
例えで言ってるのかもしれないが、首を取るんじゃなくて埋めてるんだし。
埋めたら実際何人殺したかの証明なんて出来ない→出世に繋がらない。

>>271
突出した能力は使い方によって良くも悪くもなる。

275:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/18 11:17:35 qcxl/z+g0.net
だったら項羽も愚将に入るのかな?
それだったら面白くなるんだがw

276:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/18 11:27:26 IBRoS2QD0.net
>>275
叔父から受け継いだ勢力を10年もしないで一切合財失った
この結果を見ると愚将と呼ばれても仕方ない部分もある

277:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/18 13:41:10 QlS3e9ZO0.net
項羽は愚将というより、暗君だと思う。

278:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/18 18:43:32 JzEM4uXn0.net
でも、一時とはいえ叔父を凌ぐ大勢力を誇ったけど、そういうのは考慮されないのかい
愚将のニュアンスとはだいぶ違うと思うが。

279:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/18 19:11:41 mRNvaGz10.net
そういう基準で挙げていったら、あっという間に百人埋まって趙括なんか
入らなくなるだろうなw

280:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/18 19:56:35 QlS3e9ZO0.net
戦争には強いけど間違ったことをしたとか、最期を全うできなかったとか、
有能だったが最終的に負けたとか、そういう人間は愚将とは言わないな。
愚将とはバカジャネーノってレベルで戦争にとことん弱い人間。

281:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/19 10:24:32 BB5gzwx3O.net
【名前】 >>270
【時代】 平成
【理由】 馬鹿すぎ(笑)

282:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/19 11:26:37 2Te66wq50.net
>>280
場所は違うが常敗将軍オクタビアヌスとか逸材すぎるよ

283:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/20 10:01:28 9MQGPBSmO.net
>>274
ここは能力の使い方の良し悪しを考察するスレじゃないだろう。
たくさん人殺したからどうこうとかいう議論は別のスレでやってくんないかな。

284:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/21 20:11:20 h9DcyWocO.net
愚者スレじゃなくて愚将スレだもんなここ。

285:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/21 22:03:55 QSt1Zmvq0.net
プラス面で弁護してたら100人埋まらないだろ
マイナス面だけ見てやろうぜ

286:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/21 22:20:31 srEk1Vca0.net
プラス面マイナス面がどんなものかによるな
将として優れてるのがプラス面なのは論外

287:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/22 08:01:22 0u27DioZ0.net
前11世紀:
前10~前8世紀:
前7世紀:
前6世紀:
前5世紀:
前4世紀:
前3世紀:鄭安平、触子、騎劫、趙括、李信
前2世紀:
前1世紀:李陵
1世紀:廉丹、王匡
2世紀:劉虞、張飛
3世紀:夏侯淵、関羽、劉備、馬謖、曹休、姜維
4世紀:麻秋、殷浩
5世紀:
6世紀:
7世紀:宇文述
8世紀:
9世紀:
10世紀:劉彦貞、李景達
11世紀:
12世紀:
13世紀:
14世紀:
15世紀:耿炳文、李景隆、丘福、朱祁鎮
16世紀:
17世紀:
18世紀:
19世紀:

ここらへんからやりなおすか

288:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/22 08:02:42 0u27DioZ0.net
厳しく選考すれば10人もいないし適当に100人決めて流そう

289:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/22 09:02:46 pEIkPOXu0.net
その程度の基準でいいなら速攻で100人埋まりそうだな
袁術とか袁紹とか馬超も入るだろ

290:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/22 10:00:07 pfxbWUfhO.net
>>285
最近名前出てる白起とか項羽とかは、別に「プラス面で弁護」されてるわけじゃなく、
単に挙げられたマイナス面が「将としてのマイナス面」ではないから除かれてるだけかと。

将として愚かな奴、たくさんいるじゃん。

291:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/22 11:58:57 LB3bjrcQ0.net
>>287 愚将にしては基準が緩過ぎる 

292:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/22 13:26:00 0u27DioZ0.net
英布とか楊諒とか
自分から勝ち目を捨てるタイプはどうだろう

293:名無しさん@お腹いっぱい。
09/10/23 04:04:15 8JlhQf6P0.net
敵を侮り自分を過信するヤツ
自ら勝機を捨てるヤツ
戦端を開いて全軍を敗戦に導くヤツ
軽挙から敗戦に陥れてしまうヤツ
人望の無さで部下に見捨てられるヤツ
無能に大軍を預ける君主も…

理由は様々だけど基本的に戦場で無様な敗北を喫した将でいいのでは
戦に勝敗は付き物だけど「そりゃねーだろ」ってツッコミたくなるほどの将で

294:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/02 00:30:51 DiMxZ6r80.net
age

295:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/02 18:38:17 MBVkztsIO.net
>>291
緩いというより重箱の隅をつつく様な厳しさなんじゃ?

296:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/02 21:21:41 cVSqfZrCO.net
李信に関してだが。
言われてるような大敗をあの始皇帝の下でかまして処刑されとらんてのは何でだ?
余程それまでの功績がでかかったのか、それとも大敗自体でっち上げ?
作戦の範囲内の退却だけど楚や嫌秦派が必要以上に喧伝したとか?

297:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/03 04:21:57 ZVqcDy8m0.net
その当時の始皇帝には自分の過ちを認める度量があったんじゃね
戦の前に李信と王翦に必要な兵員を聴いて李信の方を採用して失敗した後
改めて王翦に頭を下げて出馬を請うて、王翦の要望した兵数を付けたし

目的のために手段を選ばない性格でもあるけど

298:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/24 21:38:16 Fvu2HjEn0.net
>>282
「世界最弱の名君」の名前だすなよw
まあ、あいつは戦略レベルより上はしっかりしてるけど

299:名無しさん@お腹いっぱい。
09/12/09 11:40:32 MMUj0aaF0.net
関羽は当確
こいつ以上に間抜けでみじめな死に方を輩を知らん

300:名無しさん@お腹いっぱい。
09/12/09 11:43:15 MMUj0aaF0.net
まさにバカジャネーノって感じの常敗将軍

301:名無しさん@お腹いっぱい。
09/12/29 23:24:35 vpglSPO10.net
【名前】子常(嚢瓦)
【時代】春秋時代
【理由】柏挙の戦いでの暴挙
楚の人。王族で令尹(宰相)。 柏挙の戦いで楚軍を率いた。
楚将の沈尹戍は、軍を二手にわけ主力が呉軍をうけとめ、
別働隊が背後にまわって退路を絶ち、動揺する呉軍を挟撃してはどうかと献策した。
子常はその策をとって沈尹戍に別働隊を率いさせるが、
沈尹戍の功績が高くなるのをねたみ、彼の迂回攻撃を待たずして呉軍に攻撃開始。
数にまかせての攻撃も長くは続かず楚軍は壊滅。

実はこの戦い二年前にも、巣城の戦いで伍子胥に負けている。
楚に従属していた蔡や唐など小国も、子常の苛政によって離反し、敵国をふやしている。
戦略戦術の両方において悪名汚名を残し、沈尹戍のような良将も戦死させている。
相手が悪いではすまされないレベルである。
愚将とよんでふさわしい人物だと思う。
>>95で名前がでてるけど選に入ってないので書いてみました。

302:名無しさん@お腹いっぱい。
09/12/31 20:56:30 CqGVYkUu0.net
gdgd

303:名無しさん@お腹いっぱい。
09/12/31 23:07:01 p4anZU0N0.net
そもそも中国史上で名将認定を受けてるような人物を
ポンポン選んでもいいものかと。

304:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/03 02:26:58 rEKLx9vY0.net
かん羽より、もっと愚将の鏡みたいの三国時代にはわんさかいるだろ。


305:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/03 12:28:04 SUQDk72O0.net
敗北のベストオブベストの愚将と言えば于禁
命乞いとかカッコ悪すぎだろ・・・

関羽、張飛は名将
大陸から史実面でもそのように認定済み
まずは名将認定されてる武将を組み込まないような
勘違いから直さんとな

306:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/03 18:59:40 rNw65UtX0.net
【チェックポイントA】
・勢力の滅亡
・領土、拠点、陣地の失陥
・戦力の全滅、壊滅、殲滅
・自身の戦死、捕虜、更迭

【チェックポイントB】
・優柔不断で決断出来ない
・士気を軽視して自壊する
・索敵を軽視して奇襲される
・兵站を軽視して補給が途絶える
・統制を軽視して戦列が乱れる
・人間関係を軽視して孤立する
・諜報を軽視して敵の情報工作に引っ掛かる
・部下の諫言を軽視して失敗する
・彼我の実力を見誤る
・作戦目標の優先順位を見誤る
・ハイリスクハイリターンな作戦に失敗する

307:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/03 19:20:34 SUQDk72O0.net
もうその基準だと1000人くらい当てはまりそうだなw

308:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/03 19:37:25 rNw65UtX0.net
>>307
人生の大半が有能な人間でも
ある時期にはどうしようもない無能以下の有害な人間になってしまう場合はあるだろう。
その失態、被害がチェックポイントに該当してしまう場合、
ランクインも仕方ないのではないかな。

ベスト100にもワースト100にも入るような癖のある人間というと呉漢を思い浮かぶ

309:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/03 19:42:59 SUQDk72O0.net
項羽も名将か、愚将かって言われると
面白いラインになるな

310:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/03 20:01:15 rNw65UtX0.net
項羽の場合は指揮官としてはあまり叩けない気がする。
政治面で暴君すぎたのが破滅の原因だが、それを人間関係の孤立と呼ぶべきかは分からない。
兵站がどうこうと言っても漢は蕭何の存在がチートすぎるだけだし。

311:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/03 20:14:06 rNw65UtX0.net
逆に劉邦の睢水の戦い、白登山の戦いなんかはテンプレ通りの悲惨な負け方
マイナスだけ見れば余裕でランクインだろう。

312:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/03 23:21:24 rNw65UtX0.net
春秋戦国時代

宋:襄公(泓水の戦いで子魚の諫言を無視。宋襄之仁を発揮して成王に大敗。負傷)
呉:
 闔閭(越に攻め込んで范蠡の計略で返り討ち。霊姑孚に狙撃され負傷して破傷風で病死)
 夫差(伯嚭の讒言と勾践の面従腹背に振り回され亡国。姑蘇山で自害)
越:
 勾践(范蠡の諫言を無視して呉に攻め込んで返り討ち。会稽之恥)
 無彊(楚に攻め込んで返り討ち。楚の威王の遠征を受けて亡国。戦死)

韓:-
趙:趙括(長平の戦いで白起に偽装退却、伏兵、戦力分断のコンボで包囲される。戦死)
魏:
 龐涓(馬陵の戦いで孫臏に偽装退却、伏兵のコンボで大敗。戦死)
 公子卬(西河の戦いで商鞅に騙まし討ち。捕虜)
楚:
 子玉(城濮の戦いで蔿賈の批判で成王の撤退を無視して勝手に残留。文公の偽装退却、反転包囲のコンボで敗走。刑死)
 子反(鄢陵の戦いで穀陽に酒を献上され泥酔。共王の不興と失望を買い撤退。刑死)
 子常(巣の戦いで柏挙の戦いで大夫黒、史皇の提案で沈尹戌の作戦を反故にする。大敗して史皇の批判を無視して敵前逃亡。鄭に亡命)
燕:騎劫(即墨の戦いで田単に騙まし討ち。戦死)
斉:湣王(済西の戦いで連合軍に負ける。楽毅に七十城を奪われる。達子に褒美を払わず負ける。莒に逃げ込むが楽毅に淖歯を懐柔される。謀殺)
秦:
 鄭安平(趙に攻め込んで返り討ち。捕虜)
 王離(鉅鹿の戦いで寡兵の項羽に背水の陣を敷かれて大敗。捕虜)

313:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/04 07:12:34 2z+QeF870.net
前7世紀:宋襄公、子玉
前6世紀:子反、子常
前5世紀:闔閭、勾践、夫差
前4世紀:無彊、龐涓、公子卬
前3世紀:鄭安平、触子、湣王、騎劫、趙括、李信、王離
前2世紀:
前1世紀:李陵
1世紀:廉丹、王匡
2世紀:劉虞、張飛
3世紀:夏侯淵、関羽、劉備、馬謖、曹休、姜維
4世紀:麻秋、殷浩
5世紀:
6世紀:
7世紀:宇文述
8世紀:
9世紀:
10世紀:劉彦貞、李景達
11世紀:
12世紀:
13世紀:
14世紀:
15世紀:耿炳文、李景隆、丘福、朱祁鎮
16世紀:
17世紀:
18世紀:
19世紀:

314:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/04 07:13:37 2z+QeF870.net
審議中

項羽

315:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/04 07:14:29 2z+QeF870.net
あと劉邦

316:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/04 11:20:30 WI7FY81C0.net
前7世紀:宋襄公、子玉
前6世紀:子反、子常
前5世紀:闔閭、勾践、夫差
前4世紀:無彊、龐涓、公子卬
前3世紀:鄭安平、触子、湣王、騎劫、趙括、李信、王離
前2世紀:
前1世紀:李陵
1世紀:廉丹、王匡
2世紀:劉虞、袁紹、袁術
3世紀:夏侯淵、于禁、馬謖、曹休
4世紀:麻秋、殷浩
5世紀:
6世紀:
7世紀:宇文述
8世紀:
9世紀:
10世紀:劉彦貞、李景達
11世紀:
12世紀:
13世紀:
14世紀:
15世紀:耿炳文、李景隆、丘福、朱祁鎮
16世紀:
17世紀:
18世紀:
19世紀:


317:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/04 13:02:54 omLSj0aD0.net
劉邦は将としては、暗愚の鏡じゃね。

318:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/04 13:56:33 GbTzHm040.net
鏡?
反面教師ってこと?

319:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/04 23:05:36 HwsBgqaf0.net
秦征服したのも劉邦だよ
そのときは韓信とかいなかったけど

320:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/04 23:56:39 2z+QeF870.net
アホ同士が戦うと相手の力量と機会を計れずにシーソーゲームになる
神同士が戦うとお互い慎重になって神経戦になり暴走した味方が足手まといになった方が負ける

ようなイメージ

321:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/05 00:02:52 2z+QeF870.net
スレタイには関係ないけど
戦術は微妙とかよく言われてる張良も関中入りでは十分活躍してるね

322:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/05 00:16:28 PhOygJWP0.net
春秋時代(前770~前403)
戦国時代(前403~前221)
秦代(前221~前206)
漢代(前206~220)
三国時代(220~280)
晋代(265~420)
五胡十六国時代(304~439)
南北朝時代(439~589)
隋代(581~618)
唐代(618~907)
五代十国時代(907~960)
宋代(960~1279)
元代(1271~1368)
明代(1368~1644)
清代(1644~1912)

323:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/05 00:22:26 PhOygJWP0.net
前8世紀:春秋時代
前7世紀:春秋時代
前6世紀:春秋時代
前5世紀:春秋時代
前4世紀:戦国時代
前3世紀:戦国時代、秦代、漢代
前2世紀:漢代
前1世紀:漢代
1世紀:漢代
2世紀:漢代
3世紀:漢代、三国時代、晋代
4世紀:晋代、五胡十六国時代
5世紀:晋代、五胡十六国時代、南北朝
6世紀:南北朝、隋代
7世紀:隋代、唐代
8世紀:唐代
9世紀:唐代
10世紀:唐代、五代十国時代、宋代
11世紀:宋代
12世紀:宋代
13世紀:宋代、元代
14世紀:元代、明代
15世紀:明代
16世紀:明代
17世紀:明代、清代
18世紀:清代
19世紀:清代
20世紀:清代

324:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/05 00:24:42 PhOygJWP0.net
前3世紀、3世紀、5世紀、10世紀が多そう
あとは易姓革命の時期

325:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/05 18:17:33 2UC30gIX0.net
騙し討ち系は勝った側が卑怯すぎるから少し勘弁してやってほしい気もする
騙されるほうが悪いし、戦争に卑怯もへったくれもないし、勝てば官軍とは言え
春秋呉の闔閭、戦国魏の公子卬 、三国魏の曹休とか


326:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/05 18:29:15 2UC30gIX0.net
楚漢戦時の陳余、後漢末の公孫瓚、新の甄阜は百選入りさせてもいいような気が
少なくとも候補には挙げてほしい

327:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/05 18:49:17 RDGriSX+0.net
前7世紀:宋襄公、子玉
前6世紀:子反、子常
前5世紀:闔閭、勾践、夫差
前4世紀:無彊、龐涓、公子卬
前3世紀:鄭安平、触子、湣王、騎劫、趙括、李信、王離 、陳余
前2世紀:
前1世紀:李陵
1世紀:廉丹、王匡 、甄阜
2世紀:劉虞、公孫瓚、袁紹、袁術
3世紀:夏侯淵、于禁、馬謖、曹休
4世紀:麻秋、殷浩
5世紀:
6世紀:
7世紀:宇文述
8世紀:
9世紀:
10世紀:劉彦貞、李景達
11世紀:
12世紀:
13世紀:
14世紀:
15世紀:耿炳文、李景隆、丘福、朱祁鎮
16世紀:
17世紀:
18世紀:
19世紀:



328:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/06 01:05:05 rhrvDOSg0.net
>>325
騙まし討ちして負ける劉邦とかパネェ

329:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/06 01:33:43 hiHpqUWP0.net
>>328
負けたはずなのに結局押し切ってる劉邦マジパネェ

330:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/06 02:48:15 l2m4Xq6L0.net
>>327
于禁は愚将じゃなくないか?
たまたま洪水で身動きが取れなかっただけって、司馬懿が曹操に言ってなかったけ。
于禁よりまづ夏侯ボウ入れようぜ?な?

331:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/06 18:47:28 36eEuc2L0.net
勝敗は平家の常とも言うし
それ自体はしょうがないかもしれんが
于禁の場合はその後だろ。
ホウ徳が節義を守り、潔く首を討たれたのに対して
于禁はビビッて命乞い。
将としては愚かすぎるほどの選択だと思う。


332:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/06 20:37:35 61/Hw7B00.net
平家が泣くよw
于禁はいいけど、なんで夏侯淵が入ってるんだろう?

333:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/06 21:11:51 hiHpqUWP0.net
>>332
曹操お墨付きだからじゃない?白地将軍とか

334:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/07 00:21:34 uhCONZad0.net
味方の総大将から猪武者呼ばわりされるくらいだしな

335:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/08 21:00:49 fLJs+hN70.net
>>331
急な洪水にあって軍が水没して身動きとれなくなって降伏しただけで愚将扱いなら、
もっとましな、逃げられる状況や戦える状況で降伏した将軍はみんな愚将だな。
あと、于禁は正史においては命乞いしたという記録は無い。
まあ、仮に命乞いしてたとしても、于禁の戦歴と武功を考えれば、
于禁は紛れもない名将だが。命乞いしただけで愚将とか意味不明。

>>327
夏侯淵が愚将じゃないだろ。最後に失敗しただけでそれまでは常勝将軍。
最後が良くないからと言って、それまでの実績全否定で愚将扱いはひどい。
以上と同じ理由によって、李信、公孫サン、袁紹、曹休、宇文述、耿炳文、丘福のリストからの削除を求める。
皆当時にあっては有能と称され戦に強かった人間ばかりじゃないか。


336:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/09 10:03:09 GGxwd1RD0.net
経験不足なのに最前線に抜擢されて結局大失敗やらかした馬謖
悪いのは抜擢した孔明なのに馬謖だけが愚将扱い

337:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/09 11:30:37 kjr2S/6z0.net
>>335
実績は評価されない事には意味がないからなあ。
評価されていない実績の羅列が
膨大なだけではマイナス点は埋められないよ。
于禁といえば晩節を汚した愚か者。
夏侯淵といえば猪武者。
これが彼らの史実における最終的な終着点。

○○は戦績が優れていた!
なんてのは個人の贔屓目線による偏った見方に過ぎないと思う。
名将というなら、実際に世の中で名将扱いを受けてる証拠もないとな。
より多くの人間にその実績を認めらてるからこそ名将であっても
マイナス点を持っている人物はそれらを多く語られないわけで。

338:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/09 12:36:59 qB1eVN0q0.net
>>336
命令に従って負けたのなら仕方ないが
命令に背いて負けてその上脱走してるから。
孔明は敗戦の責任取って降格してる、愚将とは言いがたいと思う

そもそもそんな僻みっぽい事言ってないで
孔明を愚将だと思うんなら根拠と一緒にそう主張すればいいだけのこと

>>337
実績で評価するのは当たり前だろう
大衆に贔屓が存在しないとでも?
バンドワゴン効果やサイレントマジョリティなんて言葉もあるし
大衆評が絶対なんて事はないよ

339:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/09 18:59:22 2v6xvZZE0.net
なんというか、リストの愚将理由も併記してほしいね。
なんで愚将とされているかがわかりにくい。

340:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/09 22:40:52 kjr2S/6z0.net
>>338
実績評でも結局は
猪武者の代名詞(夏侯淵)
命乞い武将(于禁)

に収まってるじゃないの。
それぞれ自身の勢力のトップからそのような物言いを
受けてるんだから
事前の実績より致命的な欠陥として評価されちゃったんでしょ。

341:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/09 22:54:27 TfeQyRcb0.net
>>340
それは自分のために長年尽くして立てた実績を無視して、
そのような冷たい評価を下すトップの人格に問題があると思うがね。
それに夏侯淵も于禁も史書では名将として評価されてるよ。

342:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/10 00:27:32 yk1VcFTt0.net
白地将軍と呼ばれたほどの猪武者が史書では名将評価を受けている???
どこにそんな記述が・・・

343:名無しさん@お腹いっぱい。
10/01/10 00:39:43 8+LGI4Bg0.net
>>342
「宋建は反逆をなして三十年余りになるが、夏侯淵は一度の行軍で滅ぼしてしまった。
関右を虎のごとく歩いて向かうところ遮る者なし。仲尼(孔子)も言った。『吾と爾でも(顔回には)敵わない』、と。」
「典軍校尉夏侯淵、三日で五百、六日で一千」
「太祖は羌族・胡族を引見するたびに夏侯淵の名を出して畏怖させた。」
魏書の列伝の評でも夏侯惇・曹仁・曹洪・曹休・夏侯尚・曹真と並んで、
貴重な時に左右にあって勲功を立て、功労があったと評されている。
無能扱いはされていない。


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