24/07/08 18:26:35.04 5eDlOsaA0.net
>>805
明という名前でも明るくない人はいるし、清という名前でも清くない人はいるから
、そうあって欲しいと願って名付けても願いどおりにならないのと同じだろう。
それに清も明と同様に海禁政策をとっていて内向的とも言えるし、文字の獄が度々
蒸し返されて多くの人が処刑されているし、凌遅刑に処された者は歴代で最も多いし、
乾隆帝の長い治世の末期には清の国家予算15年分に当たる不正蓄財をしたヘシェンの
ごとき奸臣が跋扈するなど清という国号の割にイメージ倒れの面が多い。
807:名無しさん@お腹いっぱい。
24/10/20 23:56:46.00 KU9rTrw60.net
この画像が朱元璋ソックリだと思うんですがどうでしょうか?
imgur.com/a/23em61q
808:名無しさん@お腹いっぱい。
24/11/29 13:03:06.51 VtycMUNH0.net
朱元璋自身は諸侯王の対応をどう考えてたんだろ
結果的に皇太孫は燕王にやられた訳だし
お世辞にもお行儀がいい人物が多いとは言えないしなぁ
809:名無しさん@お腹いっぱい。
24/11/30 06:57:26.63 JyCOJatL0.net
>>808
少年時代に両親と死別し5人の兄や姉とも全て生きて再会できなかった朱元璋には皇帝になってからは唯一すがれるものは肉親の絆だけで、幼馴染みの徐達や湯和や甥の朱文正や李文忠も排除していった結果は蒙古ら外敵に対処するには国境を接する地域の諸侯王に皇子達を配して兵権を与えるしか無かったのだろう。
ただ朱元璋の誤算は孫の建文帝が叔父の諸侯王を脅威に感じて性急に排除しようとしたため追い詰められた燕王・朱棣が反旗を翻し、建文帝の失策と燕王の巧みな用兵が彼我の戦力差を覆して反乱が成功してしまったことで結局は権力が絡むと肉親の情などは当てにならないという鉄則を朱元璋が理解しない、いや認めたくないというエゴが招いた悲劇と思う。