07/03/18 20:52:10 viVLUGqa0.net
>>176
史料が今手元にないので、うろ覚えながら・・・
まず郭子興には三人の息子がいて、その内長男は若くして戦死している。
んで、残ったのが次男の郭天敍と三男の郭天爵。
郭子興の死後、郭子興の義弟張天祐は朱元璋に相談もせずに
大宋の宰相杜遵道に使いを送って、小明王から官爵を授かり、
(郭天敍が都元帥、そしてそれを補佐する形で張天祐が右副元帥、朱元璋が左副元帥)
これによって張天祐は旧郭子興軍閥の中で郭子興亡き後、郭天敍に次ぐ実力者となる。
抜け駆けされた形となった朱元璋は当然面白くない。
おまけに、郭天敍も張天祐にべったり。
そこで朱元璋は一計を案じた。
捕虜としていた元の将軍陳埜先を解き放ち集慶に向かわせ、
また、郭天敍には陳埜先が内応の約束をしたといい加減な報告を行い、
張天祐と郭天敍を集慶へと出兵させ、二人を戦場にて葬ろうとしたのだ。
結果、朱元璋の目論見どおり張・郭の二人は陳埜先ら元軍によって討ち取られた。
残りの弟である郭天爵も、謀反を図ったという罪をでっち上げられ、まもなく処刑された。