21/03/31 23:33:48.17 n0iU6Hs+.net
>>363の続きの文章?
というか、小説モドキの駄文の続きですwwwwwwwww
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「おおみや」「こうのす」「さいたま」と1943年12月8日の追記 (2)
さいたま
その文書は中盤から、現実世界での『さいたま』の発見と、その内容についての詳細に終始する。『さいたま』とは現在は話す人がいない、絶滅言語であり、さいたま族の言語「むさし語」で、日本語で言えば『仮想現実』であり、英語で言えば「バーチャル」程度に相当する。これは『私』が先祖代々住んでいた、アジアかもしれない、日本かどうかわからない、埼玉県ではありえないく、どこの大宮かさえわからない、現在は地図から消された場所「江得琉(えうる)」という地にある、
竪穴式で砂壁の家の物置の片隅から発見したと主張する『おおみや第一百科事典 第13巻』なるさいたま族語の書物に押されていた印鑑らしきもので押されていた文字である。この書物を巡ってインターネットの某大手掲示板などの片隅から中心当たりでは、大、小、真面目か否かは別としても、色々様々な論戦が交わされ、「私」やさいたま族を含むネットの住民が様々な可能性を提起している。彼らの間で一致した結論は「おおみや」の数々のおかしな奇々怪々にして、シュールすぎる、
ある意味新発見の文学であり芸術の数々の記述は、決して1人の人物がやったことではなく、ただのバカや、ある分野が超天才のバカや、外国人、天才、芸術家、マジシャン、性的少数者、変人、奇人、怪人、宇宙人、未来人、異世界人、魔法使いなどが集まる、何らかのおかしく不思議で、奇妙なグループが存在しており、馬鹿げた妄想とあり得るかもしれないifを交えた百科全書的空想世界を作り出そうとしている、ということである。第13巻は前後巻との関連の可能性が指摘されているが、この時点では見つかっているのは第13巻のみである。
おおみや
その文書は終盤、おおみやの文化や宇宙観について、第13巻の記述から得られた情報が解説されている。この解説によるとおおみやは完全な唯心論や空想主義及び理想主義を合わせたような世界で、名詞は全てが形容の連鎖によって捉えられる。それは(おおみやの)現実世界にも及んでおり、認識することだけでなく、信じることが存在を超越するまでになっている、とされる。おおみやにはこうのすに関する記述は一つも登場しない。
ここまでの文書は1940年の署名となっており、『私』が発見したと主張する風変わりな架空世界に付いての報告の体裁をとっている。実在の人物や団体が登場することでまことしやかに語ってはいるが、こういった仮想世界の挿入自体は(冒頭の百科事典が既にそうであるように)創作一般で普通に行われることである。しかしこの後に続く「1943年12月8日の追記」とされる文書の最後の方で事態は一変する。
1943年の追記
「1943年12月8日の追記」の記述によると、ここまでのさいたまの記述は『おおみや幻想文学選集』からの再録で一部訂正を行った物とされている。ここからは語り口が変わり、おおみやはもはや架空の存在ではなく、ある種の実体を伴って現実に干渉を始めている。まず1941年に先祖代々住んでいた家の片隅の物置から新たな古文書が発見され、
15世紀初頭から続くおおみや創造の歴史が明らかになったという。時を同じくしておおみやの品物や物質、遺跡が現実世界で発見されるようになる。こうしておおみやは徐々に現実を浸食し始め、『私』の記述では既に偽りか否か確かめる術のない情報で世界は作り替えられているという。そしていずれ世界は「おおみや」と置き換わるという記述を残して文書は終わる。