18/03/09 17:32:26.54 WSsmbxix.net
その日、当時高校一年生の次男と中学一年生の長女は妻の妹や二人の従兄たちとともに、奈良県の祖父母に会いに出かけたところだった。途中、大阪までは少しぜいたくをして飛行機。私は仕事を休めなかったが、妻が一行を羽田空港まで見送りに出かけた。
(中略)
用を済ませて部屋に戻ると、テレビを見ていた長男がひきつったような顔をしている。
「旅客機が墜落したようだ」
まもなくして羽田から戻った妻は、墜落報道を知って激しく動揺した。
「どこの会社!?」
日航の123便、羽田発大阪行き。
妻の決壊したような形相を見て、私も全てを悟った。この123便こそ、子供たちを乗せて発った飛行機だった。頭の中が真っ白になり、しばらく立ち上がれなくなった。
(中略)
この時から、小田家は崩壊した。私と妻、長男それぞれの人生はここから狂いはじめ、もだえるような悲しみと沸騰する怒り、汲めども尽きない疑問とに苛まれる日々が始まることになった。
──小田周二『524人の命乞い』