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八王子医療刑務所と千葉刑務所を行ったり来たりする懲役は少なくない。
特に無期懲役囚は精神をやられやすい。希望を失った人間はすぐに心が蝕まれてくる。
女子大生殺しの元警察官、松山純弘もそんな一人である。
警視庁北沢署に勤務する現職警官だった松山(当時20歳)は昭和53年(1978)
世田谷区に住む一人暮らしの女子大生のアパートに押し入り、暴行しようとしたが抵抗
されたため、ストッキングで首を絞めて殺した。
制服を着た現職警官が女子大生を襲ったこの事件は大々的に報道され、警察は世間から
激しい非難を浴びることになった。当時の警視総監・土田国保が史上初となる「処分」
を受けたほどである。松山には死刑が求刑されたが、判決は無期懲役だった。
私は千葉刑務所に入って松山と話す機会があったのだが、素人目にも明らかに精神に
変調をきたしているようだった。
「ふ、富士山に、ぶ、ブタが、と、飛んでるみたいです・・・・・・」
案の定というかべきか、その後間もなく松山は八王子に送られた。
「かわいそうだが、あいつはもうだめかもしれんな・・・」みな、口々にそう言ってた。
ところが、その後10年ぐらいして再び千葉の工場で松山を見たときは本当に驚いた。
「おい、ワシのこと覚えとるか? お前、八王子から戻ってきたんか!」
私が声をかけると、松山は答えた。「は、は、ハイ・・・も、もう、あ、あそこは行きたくあ、ありませんよ」
どもりのほうはますますひどくなっていたが、わけのわからない発言はなくなっていた。
八王子では長い間、掃夫をしていたらしい。私は聞いた。
「まあ、良かったな。おまえいくつになった?」
「ぼ、僕にはもう、ま、孫がいますよ・・・」「ええッ?お前、孫がおるん?」
事件当時の松山は20歳で、もちろん独身だった。だから「孫がいる」というのはおそらく
本人の夢か希望だろう。いや彼が孫を夢見る年齢になったということかなのかも知れない。
何しろあれから30年以上が経っているのだ。(金原龍一「31年ぶりにムショを出た」より)