戦国ちょっと悪い話33at SENGOKU
戦国ちょっと悪い話33 - 暇つぶし2ch337:人間七七四年
12/09/06 22:38:45.03 MfMuhx+J
明智光秀の家来に、箕浦大蔵丞、古川九兵衛、天野源右衛門(作兵衛)という者たちがあった。
彼らは本能寺の変でも大いに活躍した勇者であり、その後の戦乱も生き延び、
後に天野源右衛門は立花宗茂に仕え、箕浦大蔵は浅野幸長に仕えた。

ある年京都において、天野の宿舎に箕浦が訪問して、昔の話などしていた時に丁度、古川九兵衛も尋ね来て、
久方ぶりの珍しい会合となった。
3人の話は尽きず、果ては本能寺の話となり、お互いの武功を論じ合ううちについに罵り合いとなった。
中でも箕浦と古川は互いに立腹してその功の優劣を争い、座もどんどん白けていく所を、天野が様々に
とりなしてどうにか収めようとしたが、双方共に一向に引こうとしなかった。
いい歳していても、武士はこれだから困りものである。

と、ここで門外にわかに騒ぎ立ち多くの人の足音聞こえてきた。
何事かと3人、2階の窓から外を覗くと、何としたことであろう、上京の方より大男が、たった今人を殺したのだろう、
血刀を振り回しながら走り来る。その後ろ二町ほど隔てて2,30人の者たちが抜き身にて、この男を追いかけていた。

「これは容易なことではない。」

先ず天野がとっさに2階より降り、古川もそれに続いた。
箕浦は昔鑓傷を負ったため手足不自由であり、急に降りることができず遅れたのを古川、「ここだ!」
と思い急いで梯子を引いた。箕浦大蔵、文字通り梯子を外されたのだ。

これでは下に降りることができない!箕浦はどうしようもなく窓から出て庇の上に立って見ていると、
なんとあの科人がその真下に通りかかったではないか!
箕浦、思い切って庇から科人の頭の上に飛びかかる!
そして踏み倒しざまに直に押し乗って、物も言わせずその頸取って立ち上がった。

この時天野古川もその場に到着したが、箕浦は大得意でその科人の頸を示し

「いつも手柄は我先なり!本能寺てもこの通りなり!!」

そう鼻をふくらませて悠然と言い放ったという。
人々その剛勇を感じ、古川は一言もなかった、とのことである。
(武士道美譚)


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