12/09/03 00:13:27.62 J8naobvn
関ヶ原において徳川秀忠は東山道を進み、途中真田勢が籠る上田城を囲んだ。
緒戦の攻め合いの後、両軍はにらみ合いのような状況になる。
そんな中上田城内に籠っていた百姓たちのうちで用事があって外へ出たがった者たちがいたため
足軽を添えて城下へと出したことがあった。。
この時秀忠の旗本7人がこの一団に目を付けた。
この7人は抜け駆けして百姓足軽達に迫る。
しかしながらに襲われたのは百姓といえども勝戦に馴れたものたちであったため
7人を追い払い、難なく城内へと引き取った。
この7人を「真田ノ七本槍」と号するが
世に真田家の何某と槍を合わせたという話は合っても
この7人と槍を合わせたという者の話を聞かないのは
7人が戦ったのが百姓足軽達だったからである。
『上田軍記』