12/10/12 01:18:30.68 H7KMdTwS
昔の侍は、たいてい常軌を逸した奇行者に剛の者が多かった。
人なみ外れた奇行をする気性であるがゆえに、
気力も強くて勇気もあったのである。
このあたりがいまいち納得出来なかったので老武者に聞いてみると、
「気力が強いゆえ、普段も手荒く、他人からは奇行者のように思われる。
今の者たちは気力が弱いから、そういうことをしないのだ。
しかしだぞ、気力は劣っていても人柄は昔より良くなっている。
昔と今を比べてみたが、勇気の有無は別のことだ。
今の者は無気力で、大人しいからと言って、
死にもの狂いになることにおいて、
昔の侍に劣るということは根本的にはないのだ。
死狂いになるのに気力がなければならないという道理はない」
とのことだ 【葉隠】
894:人間七七四年
12/10/12 08:52:56.29 RzTDGKd/
>>890
差別用語だろうから台詞は他に置き換えるのかな
あるいは触れないかw
895:人間七七四年
12/10/12 10:42:35.03 S09DAfZH
>>893
秩序のない世代と秩序を求められる世代を比べても意味ないしな。
896:人間七七四年
12/10/12 13:22:35.17 FN00yU0A
>>893
草食草食騒ぐ糞ジジイが昔も多かったんだろうな
それにキチガイ具合じゃ戦国の武者だって鎌倉の武者に比べれば大人しいもんだしな
897:人間七七四年
12/10/12 20:14:02.95 mkLXV63a
>>887
孕石はあの孕石の縁者かの?
898:人間七七四年
12/10/12 20:30:35.86 iDfdGD7W
旧今川領におおい苗字なのかしら
899:人間七七四年
12/10/12 20:35:27.65 6KZn9KQW
【名字】孕石
【読み】はらみいし,はらいし,こいし
【解説】
現静岡県西部である遠江国佐野郡孕石村が起源(ルーツ)である、中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)。
藤原南家工藤氏族、和邇部氏がある。現高知県である土佐藩、小田原藩等にみられる「石」は石や岩、硬い地盤を表す。
URLリンク(www.myoji-yurai.net)
900:人間七七四年
12/10/12 21:21:01.48 I0GB3Awo
>>897
井伊家の旗奉行の孕石といえば、旧武田家家臣で、
信玄秘蔵の家臣として山県昌景に付された孕石源右衛門のことだけど、
甲陽軍鑑の注釈によるとあの孕石(主水)の息子さんではないかって、言われてるみたいだね
901:人間七七四年
12/10/13 00:46:11.93 5yVzBdzJ
織田信雄が京で猿楽を催した時、小早川秀秋ら諸大名が見物に行った。
この時、秀秋は十四、五歳であったが秀吉の猶子だったためにその従士までが
その威に誇り「金吾の御出ましだ!」とすぐに戸口に入っていったところ、
側にいた加藤清正の家臣十人ばかりが「何が金吾だ」と過言した。
怒った秀秋の近習は棒を取って三人まで打ち叩いた。これがきっかけで喧嘩となり、
秀秋の帰宅後、両家の士が伏見より馳せ来たり、互いに武装して警固した。
秀秋の老臣は「打たれた三人は清正が成敗するでしょう。ならばこちらの者も切腹
させなければなりません。先延ばしにして自害でもされたらそれこそ恥辱ですぞ」
と具申した。
「清正が何と言おうと元々彼の無礼により起こったことだ。我が家来が死ぬ必要は
ないだろう。お前たちの心配には及ばない」
秀秋はそのように言ったが、老臣たちは清正のような剛勇の士ならば必ず大事に
なると恐れ慄いた。また、打擲した者もすでに沐浴して礼服を身に着け、清正の使者が
来れば、すぐに自決しようと覚悟して待っていた。
間もなく清正自身がやって来た。秀秋はきっと争論になると思っていたが、思いの外
清正は温和な態度で「今日の家人の失礼を只今承り、遅参致しました。御近習の人々が
それがしの家人の無礼をもって斬り殺すべきところを、怒りをなだめられて打擲程度に
留めて下さったことは喜悦に堪えません。それがしも彼らを成敗しようと思いましたが、
それでは御近習も閉門になってしまうのではと思い、本国に帰して閉門を申しつけました。
どうぞ御近習を罰するようなことはなさらないで下さい」と、秀秋に詫びた。
秀秋は清正の思いもよらない挨拶に心も打ち解けて会釈すると、清正も大いに喜び、
「三里の道のりを急いで参りましたので喉が渇きました。御酒を一盃頂けませんか」と
言うので酒が用意された。また、清正は「打擲した人々も呼んで下さい」と言って
その席に招き、酒を酌み興を催して帰っていった。
―『名将言行録』
902:人間七七四年
12/10/13 00:55:46.91 M/tDoDaQ
このとき仲が悪くなっていたら蔚山に援軍が来なかった可能性あるのかな
903:人間七七四年
12/10/13 01:25:27.23 zTi6fMAs
>また、清正は「打擲した人々も呼んで下さい」と言ってその席に招き
下手人どもをその場に呼び出して成敗するはかりごとかと思った・・・
まあ、他家でしかも格上の郎党に手を出すわけないけどさ
904:人間七七四年
12/10/13 03:30:03.04 2nQbfbWV
織田兵と喧嘩してやっつけちゃった人たちがいるじゃないか
まあ同盟の関係だけれど
905:人間七七四年
12/10/13 09:47:53.06 4/txyCnV
関東の公方・足利一族の知名度のなさに涙流した俺が外堀埋めに来たよ
国府台と足利義明
(前略)
天文八年下総の古河にあって古河公方といわれた左馬頭足利高基は、
北条氏綱の娘を子の晴氏に娶わせた縁で、氏綱は高基を援けたのである。
高基の弟右兵衛督義明は兄と仲が悪く、下総の小弓にいたので小弓御所といった。
足利義明は勇猛の将である。自ら関東八州を征服して、覇府を鎌倉に開こうする大野心があった。
そこで同年八月古河に晴氏を攻めた。晴氏驚いて急使を以って小田原の北条氏綱に援けを頼んだ。
氏綱は義明の勢力が強いのは自分にも不利益であると考え、晴氏を援けることにした。
この情勢を伝え聞いた義明は、北条軍を途中でむかえて撃つ作戦計画を立て、
弟基頼、里見義尭と共に房総二国の兵七千を率いて国府台に至り、
江戸川を前にひかえて陣を張った。
天文八年十月四日北条氏綱は子の氏康と共に小田原を出発し、二万余人の兵を率いて江戸城に入った。
群議の結果進撃と決し、諸隊は忍んで金町に進み、江戸川の堤の下に隠れて、夜の明けるのを待った。
七日の朝北条軍は川を渡って松戸の岸に上がり、勢い猛に攻めかかる。
義明の弟基頼は第一陣将として勇戦して倒れたので、小弓勢の一陣先ず敗れ、小田原勢は士気大いに振う。
義明は見方の敗走に憤激し、ただ一騎敵中に突入し、縦横に斬りまくる。
その大長刀にふれて斬らるるもの数知れず、その勢いに敵はどっと崩れ走る。
義明は丘上に立って味方が来るのを待ったが、小弓勢はこの時総崩れとなったから、義明を援けに馳せ集まる兵士はなかった。
北条軍の横井新助は剛弓の勇士、義明の丘上に立つを見て、馬から下り立ち、密かに近づき、矢頃を計って三人張りの弓に十三束の矢をつがえ
『これは三浦の守護代横井新助と申すもの、一矢受けたまえ。』
大音に呼ばわりつつ、きりきりと引きしぼってひょうと放つ。矢は義明の胸にぐさと射貫けば、流石の勇将もどっと地に落ち、太刀を杖につきつつ息絶えた。
『横井新助敵の大将を射とめたぞ。』
と呼ばわれば、北条軍はどっと鯨波をつくって勇み立った。義明の旗下の勇士はこの時馳せつけて、新助に斬ってかかる。
この隙に松田彌二郎は素早く義明の首を取った。
乱軍の中を斬り抜けた佐々木四郎等は小弓に馳せ戻って義明の一子頼純を連れて安房に落ち、小弓御所はここに滅びたのである。
『日本英雄史蹟 : 歴史地理. 関東地方及中部地方巻』より
内容自体は悪い話なのだが、原典元の趣旨が”歴史と地理は切り離すことの出来ない因縁で成り立っているよ!
引きこもって研究ばかりしてないで、治乱盛衰や文化興廃の跡をその目で見て肌で感じるために旅しようぜ!(要約)”
本書に掲載されているのが明治天皇を皮切りに、乃木大将・徳川家康・伊能忠敬・大石良雄・新田義興等、
有名人が名を連ねる中で紹介されていて、今の知名度の低さからとても考えられないと俺的にイイ話だったから
906:人間七七四年
12/10/13 10:34:32.92 1CHK3a6O
小弓公方と真里谷武田の関係とか、堀越公方の登場とか
本当関東の状況はカオスで楽しいんだけどいまいち認知度がなぁ
907:人間七七四年
12/10/13 11:09:55.83 L7i5fm+Z
村雨の人で有名じゃないかw
908:人間七七四年
12/10/13 11:16:04.54 WF2ixMjG
天庵さまは堀越公方政知の孫やあ!
909:人間七七四年
12/10/13 11:35:05.88 4/txyCnV
>>906
おお、やっと話の分かる人がいてなんか嬉しい
後北条氏が興隆する陰に古河公方の没落があるからね
当方後北条氏好きだが、関東史を全体的に掘り下げた一般書籍が出回って欲しいと思うよ
>>907
ゲームでネタにされているだけで、古河公方のこと知らなかったら意味ないじゃんw
910:人間七七四年
12/10/13 11:41:43.10 WF2ixMjG
北条の後押しを受けて家督簒奪した里見義堯が、武田に同調して小弓に与するんだよなあ
911:人間七七四年
12/10/13 11:51:49.34 pMAA7Nd0
>>909
12月に発売予定のこれがドンピシャだと思われる
東国を知れば日本史が変わる! 動乱の東国史シリーズ、好評刊行中
⑥古河公方と伊勢宗瑞
則竹雄一著 〈12月発売予定〉978-4-642-06445-3
URLリンク(www.yoshikawa-k.co.jp)
こっちはこの間出たばかりで、なかなか面白かった
東国の戦国争乱と織豊権力 7
URLリンク(www.yoshikawa-k.co.jp)
912:人間七七四年
12/10/13 12:09:15.09 +bBk8dQC
やはり陸戦型モンスターには飛び道具が有効なのか
913:人間七七四年
12/10/13 13:44:01.89 uHwI5Nqd
小弓公方は臼井なら分かるんだがなあ