13/08/16 NY:AN:NY.AN XDnpPr6Z
あー、やっと規制あけた。その間、夏休みのお子さま2号with金魚のフンが
ずいぶんと調子こいてたなw
>>291
で、オマエ素で馬鹿だろ。
>成功してるってw~慶尚道の記録だし。
とか言ってる時点で、多少の知識が有れば即座にそれと判るであろう、
当初日本側に最も協力的であった咸鏡道における加藤・鍋島勢の経略失敗の
話をしている事がまるで理解できてないのが丸判りで、自分は基礎的な
知識すらないのに伸びしてる無学なガキです、と自己紹介してるようなものw
さらに、ドヤ顔で何を持ち出してきたかと思えば、相変わらず飢饉と重なる
休戦期の話だし。
西生浦の話はともかくとして、解放された捕虜が食い物がないので
日本側に戻って行ったなんてのは、飢民が相殺食す、と記録にあるほどの
飢饉の傍証にしかならんし。
おまけに引用すべきURLが間違ってるしw、正しくはこれだろ。
URLリンク(zaq.ne.jp)
そもそも、いつの時点の話で、どんな史料を根拠にしているのかも判然としない、
どう見ても都合のいいところだけをつまみ食いしてつなぎ合わせたような
古田センセも雑文を、マルチポストしまくった上にこれを知っておくのは絶対必要キリッ!とか
言い出すのは、まさしくウリナラ学者の珍説・奇説を鵜呑みにしてオナニー史観に
浸ってる韓国人とさして変わらないメンタリティであり知的レベルだと言うこと
くらい自覚しろよw
やりたけりゃ、291が引いてきたブログのような史料付き検証サイトを紹介する方が
遙かにマシだな。
ついでだから、上述の相殺食の史料をあげておくわ。
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『芝峰類説』
癸巳(1593)春、大いに飢ゆ。各道の人民、流離巣を失し、餓ヒョウ相属し、人相殺食す。
山中の草葉、松楡の皮根、並びに尽く。
甲午(1594)夏、(中略)人相殺食し、女子稚児、敢えて任意出入せず。餓ヒョウ相続き、
飢民争いてその肉を喰らう。死骨を剥ぎて、汁を取り咽下するに至る。
※ヒョウはくさかんむりに俘のつくり=飢え死にすること