12/05/12 17:20:16.58 RCUO9sKM
北条軍は扇谷上杉軍の籠る深大寺城をパスして河越城を直接攻撃したとか。
URLリンク(saikatsutramway.sakura.ne.jp)
162:人間七七四年
12/06/02 23:57:59.76 4ynoTn2B
鮫ヶ尾城主・堀江宗親の謀反に遭って、自害を余儀なくされた。享年26とされる。
163:人間七七四年
12/06/05 13:12:55.71 b1v88K6u
>>158
大金に目が眩んだとかいうアレは北条の流言だと思う
本当糞だよ北条は 自分らの不手際から愛想つかされた責任を相手に転嫁するんだから
164:人間七七四年
12/06/06 13:51:41.22 jR2qgCUU
軍艦は北条が書いたのか知らんかった
165:人間七七四年
12/06/06 16:43:28.77 zQG6unLM
都合いいところだけは軍監頼みの北条ワロタw
166:人間七七四年
12/06/06 17:27:33.25 aTQgTH6I
悪いことは全部北条のせいにするのは気楽でいいですね
167:人間七七四年
12/06/06 18:30:33.52 zQG6unLM
そうやって現実逃避するのは北条らしくて無責任ですね
168:人間七七四年
12/06/06 19:43:02.87 aTQgTH6I
大金に目が眩んだのは北条の流言
↓
それのソースは軍鑑
↓
都合のいい事は(
無責任なのはどっちだよ
169:人間七七四年
12/06/06 19:46:34.61 RKcfrLoA
北条の分際でなに武田の軍監に頼ってんの?
170:人間七七四年
12/06/06 19:52:52.31 RKcfrLoA
本当北条は無責任だよな
自分たちのいいわけを他人に代弁させようとするんだから
何もかも人任せ 御館で見捨てられたのも納得だわw
171:人間七七四年
12/06/06 22:35:10.93 jR2qgCUU
北条の言い分垂れ流しちゃうくらい
諏訪勝頼は武田家中みんなに忌み嫌われてた
まで読んだ
172:人間七七四年
12/06/06 22:40:36.63 KOnOuboT
これ自演?
173:人間七七四年
12/06/07 09:06:14.65 zSomTRz1
北条は武田配下まで読んだ
174:人間七七四年
12/06/07 12:54:22.02 3p730OoG
馬鹿な大将敵より怖いってコーサカがゆってた
175:人間七七四年
12/06/07 18:39:48.09 zSomTRz1
甲陽軍鑑を熱心に読む武田配下の北条であった
176:人間七七四年
12/06/07 23:18:31.33 OO1uiFtl
御館の乱で北条が大軍を送れば上杉は詰んでいたんじゃないのか
177:人間七七四年
12/06/07 23:23:06.97 w9K0Unat
いや送ってるし
氏邦+上野諸将
いっつもこういう話題になると送ってないと妄想するアホが沸くが
178:人間七七四年
12/06/07 23:33:16.79 OO1uiFtl
>>177
大軍なら確実に勝ってたはず
179:人間七七四年
12/06/07 23:41:35.90 inZScU/X
>>177
戦力になってない件について
確かに雪が積もるとジリ貧だから北条勢が撤退したのは間違った判断ではないけど
180:人間七七四年
12/06/07 23:48:43.13 w9K0Unat
北条軍は坂戸方面を激しく攻撃してたじゃん
厩橋北条や他上野諸侯を先に派遣し氏邦本軍も越後方面へ進撃
これだけでも相当な数じゃないの?
181:人間七七四年
12/06/07 23:53:11.10 OO1uiFtl
上杉は二分
勝頼は信濃で静観
この状態で北条軍が加わって勝てなかったのが不思議
182:人間七七四年
12/06/08 00:22:15.26 UybD+u7K
送ってはいたが時期が遅すぎ。雪が降るの知らない訳ではあるまいし。
183:人間七七四年
12/06/08 00:43:09.73 +hTNJ5WH
強引に三国峠を越え(雪で帰れない)、越後で「乱捕り」を許すことで越後国内で戦う手もあったと思う
184:人間七七四年
12/06/08 02:28:03.42 YuT8L9d0
>>183
一応上野の景虎派諸将、例えば北条(きたじょう)なんかは越後で越冬してるよ
冬期で坂戸とかあの辺りで万余の兵糧は確保は乱捕りしたって難しいかと
>>182
だから何度も何度も繰り返し書いているけど、
絹川で佐竹ら北関東諸将と対陣の真っ最中だったんだよ
それに蹴りをつけつつ、上野の上杉諸将を懐柔して、その間隙を埋めるのに武田に出征をお願いをしてるるんだから、
やることはやってる
185:人間七七四年
12/06/08 04:11:22.25 +hTNJ5WH
>>184
説明サンクス
186:人間七七四年
12/06/08 04:59:29.72 ugJa8Pl4
北条の失策というよりは景勝に上手く立ち回られたとしか言い様がない
187:人間七七四年
12/06/08 07:02:45.60 +hTNJ5WH
歴史のif
北条氏康の七男・上杉景虎が北条の援助で御館の乱で勝利していたら、
北条家に頭が上がらない上杉家になっていたのだろうか???
188:人間七七四年
12/06/08 10:05:46.09 Zi7CLT8b
北条はもともと戦下手
駿河攻めでは相手よりも多くの兵を投入するもさんざん翻弄され本拠地まで攻撃食らう
御館では武田を頼みに上杉に挑むもまるで歯が立たずあまりの不甲斐なさに見捨てられる
天正壬午の乱 少数の徳川にボコボコにやられ美味しい所全部とられる
本当糞弱い よく小田原征伐まで生きてられたねってレベル
それまで武田上杉が防壁となってくれてた恩を忘れた罰 無道ものの末路だ
189:人間七七四年
12/06/08 10:59:55.48 3vEiLSoj
坂戸山を落とせない北条軍が越後に入っても邪魔なだけ。
御館で北条と景虎で主導権争いが起きて内部分裂だろ。
190:人間七七四年
12/06/08 14:52:39.36 V1jd8lux
伊達も芦名も普通に撃退されてるし北条が弱いというより上杉が強いだけだろ
191:人間七七四年
12/06/08 17:55:25.72 YuT8L9d0
>>188
百戦して百勝する必要はない
ここぞという所では勝つし、勝てないまでも完敗したことは無いしね
ええ、負け惜しみです
192:人間七七四年
12/06/08 20:47:46.58 rZI2lDM2
完敗する前に撤兵するてのが北条の軍法だからな(嘘
新たに旗下に加わった者のためのサポートの軍事示威行動はきっちりやる
御家騒動にはきっちり付け込む
これで漸う領土増やしてきたわけで
身内の都合は後回しになって氏邦がぶーぶー言うのは致し方無い
193:人間七七四年
12/06/08 23:53:06.75 UybD+u7K
関東から出るとチワワになるのは北条の特徴だな
武田の西征に援軍に行って大勝している武田軍を尻目に二俣城で壊滅している
北条派遣軍とかは涙無しには語れない。
早期に全力出動していればまったく違う展開になっただろうに、関東優先主義にも程がある
194:人間七七四年
12/06/09 11:02:18.99 YEH5g6n0
武田上杉が北条の防壁って…
毎年のように侵攻されて同時に関東諸大名とも攻防しなくちゃならんのに
防壁も糞もない
ただの害でしかない
195:人間七七四年
12/06/09 11:23:42.23 aZHq/Itj
そんなんだから秀吉に滅ぼされるんだよw
196:人間七七四年
12/06/09 11:24:59.71 YEH5g6n0
兵力比7.5倍なんだから勝って当たり前
197:人間七七四年
12/06/09 12:19:20.94 aZHq/Itj
徳川も一人で秀吉と戦ってたというのに北条ときたら何をしていたのやら
関東で芋掘りでもしてたんですか
198:人間七七四年
12/06/09 14:21:13.60 ek0FCsNn
>>197
小牧長久手の時の秀吉の勢力が、北条攻めの時と同じとは知らなかったなあ
あと信雄や、後方を撹乱してた佐々成政や長宗我部元親、紀州の地侍なんかも数に入れてあげてください
彼らが秀吉軍団を一部を引き受けていた功績は間違いないんだから
あと北条はその時、小田原の役で北条を後背から脅かした北関東諸将と沼尻で対陣中です
彼らの動きは秀吉との連動が指摘されてます、実際この時期は既に外交ラインはあったしね
また北条もさっさと片付けて家康に援兵を送ろうとしています
で、何の話でしたっけ?
199:人間七七四年
12/06/09 15:14:35.34 XfUmQ+iz
包囲網敷いてもって長宗我部は四国平定に手間取ってて
毛利も四国上陸してたから秀吉の後ろ付くどころじゃなかったし
佐々も前田と丹羽が抑えてたし蜂起するのは夏になってからだし
雑賀なんて大した軍勢もってないし毛利も上杉も木曽も宇喜多も大友も佐竹も味方
北条も家康の後ろを付くという風聞が垂れ流されてたし
おまけに石川もこの頃から秀吉と気脈を通じてたし
85年になると真田も小笠原も石川も水野も秀吉に寝返って譜代の離反によって軍事的機密が露見し圧倒的優位
200:人間七七四年
12/06/09 15:15:58.81 XfUmQ+iz
秀吉に同行していた渡辺清忠や桂横重が小牧山に陣替したときの人数を10万といっており
当代記、三河物語もこれと同じ数字
その他に伊勢方面を攻めている諸勢2万4000と美濃に残されている秀勝勢数千が存在するため
総勢で13万を超えると思われる
また尊禄以来年代記では秀吉は3月に大阪をたった時125000、八月には16万で尾張へ出兵した
また長久手合戦参加者の家記や家譜、合戦記などでも同じ数字が用いられている
そして陣立書や書状から>>7>>16>>24のように秀吉側は主要メンバーほとんど引きつれて短期決戦構想で
合戦に及んでいる事がわかる
201:人間七七四年
12/06/09 15:16:53.77 XfUmQ+iz
単に圧倒的兵力差があったから勝てただけ。島津も先鋒勢蹴散らせたし
北条も支城に配した兵が少なかったからあっさり陥落したが本城は余力ありまくりの状態での降伏だった。
逆に秀吉側が兵站維持できるギリギリの所まで追い込まれてたくらいだった。
徳川に至っては北条氏政がたくらみが深い武将で家康留守中に背信して徳川領に侵攻するとのうわさが垂れ流されていた上
上杉も信濃方面へ侵入の構えを見せていたためかなりの兵力を本国に残したままだった。
家康が対秀吉時に四天王の他は大須賀康高、本多広孝、そしてその頃から秀吉に通じつつあり翌年に寝返った石川数正くらいで
数は8000程度。残りは信雄の軍に依存してた。しずヶ岳時も信雄味方で雪で勝家が出られない間美濃や伊勢で暴れ周り
勝家が出てきたら圧倒的兵力で襲えばよかっただけ(それでも柴田勝政らの撤退中を大軍で襲撃して持ち堪えられる始末)
山崎も兵力差圧倒的なのに光秀軍より多い被害だした。ただの雑魚
家康は遠江、駿河、甲斐、信濃の要衝となる城に24000程も配置してきたため
尾張には8000程しか連れてこなかったとある(吉村文書、豊臣秀吉辞典)北条氏政は
企みのある大将で家康の留守を狙って駿河に侵入するという噂があった上に
上杉が川中島を押領し猶も国中へ切って出る事が予想されたため、
駿河と相模の境の長窪に牧野康成、三河岡崎に本多重次、甲斐に鳥居元忠、平岩親吉、
伊那に菅沼、知久、晴近衆、松岡貞利、諏訪に諏訪頼忠、木曽に木曽義昌(三月頃秀吉方に寝返る)
佐久に柴田康忠・松平康国、安曇・筑摩に小笠原貞慶を置き、大久保忠世は伊那、佐久、小県、諏訪、
松本等を指揮して廻った上浜松に留守居。
以上の武将を配置したというように総兵力の大部分を領国内に配置していた。
長久手戦参加の家康の主力武将は四天王の他はこの頃から秀吉に接近しつつあり翌年に寝返った
石川数正、大須賀康高、本多広孝・康重親子くらいで残りは刈谷の水野忠重等信雄の兵。
したがって小牧山で秀吉と対峙したときは1万6、7千と少なかった(『御当家記念録』『当代記』『御年譜徴考』『下伊那郡誌』)
202:人間七七四年
12/06/09 15:18:21.95 XfUmQ+iz
小田原合戦時の陣立書で全国から215000も動因してる上にこれに佐竹結城里見宇都宮など反北条軍2万
が加わるから235000。
それに対し北条は毛利家文書の北条家人数覚書でわずか34500。
秀吉書状で2、3万。
兵力比7.5~11倍もあるんだから勝って当たり前
そんな戦闘で一柳や堀尾嫡男・前田重臣が戦死し、韮山500や忍城1000に大苦戦し
小田原1200程度に手も足も出なかったのが秀吉。
はっきりいって勝てたのは家康や上杉・真田・依田、佐竹・宇都宮などが味方だったおかげ。
203:人間七七四年
12/06/09 15:20:58.54 c/cxgQAu
・播磨で別所や播磨国衆の裏切りで窮地に陥り信長の助けを求める→定説
・三木城攻略に2年も費やし、当時竹中重治と双璧といわれた谷を戦死させる→兵庫県史通史編
・ 熊見川で宇喜多、大友、南条、河野等にボロクソに負ける雑魚毛利にボロクソに負ける→毛利家日記、荻藩閥閲禄、相曾寺書状
・ 美作で宇喜多軍と協力しての軍事行動で穂井田元清に駆逐される→毛利から書状がなかったっけ
・防己尾城攻防で吉岡定勝に馬印を奪われる→これは知らん
・毛利を一人で攻め切れず援軍を信長に必死で懇願する→定説
・倍以上の兵力を持ってして丹波平定に苦戦しまくる光秀と戦い、 光秀軍よりも多い損害を被る
(しかも光秀は山崎を守るための不利な布陣を強いられていた。ランチェスターの
法則でいえば倍の兵力なら相手の25%か50%の損害でなければおかしい )→日本戦史山崎役・小早川家記
・撤退中の柴田勝政や佐久間盛政を大軍で後ろから襲って反撃され、逆に撃退される
・大きな兵力差がありながら前田が兵をひくまで少数の柴田軍と野戦で均衡状態
前田が兵を引いてなんとか助けられる→定説
・伊勢方面で寡兵の滝川一益に大苦戦。兵糧攻めも通用せず散々苦しめられる→3/3柴田→填島げんばあて書状
・わずか16000~17000ほどの信雄・家康に領国中の兵100000程かき集めて柵もめぐらされていない
無防備な陣の小牧山も全く攻められず短期決戦挑んでボロ負けし家康軍の5倍の被害を出し
池田親子・森長可・木下兄弟を討ち取られる→常識
・20000の大軍で本多忠勝500に行軍を妨害される→小牧陣始末記
・ごくわずかな兵しかいない木造具政・具康父子の戸木城を大軍で攻撃して撃退される→一次資料
・ごくわずかな兵しかいない松の木城や松ヶ島城に2~3万で攻めて散々手こずる→一次資料
・圧倒的兵力差がありながらわずかな兵しかいない竹ヶ鼻城、紀伊太田城、忍城を
正攻法で瞬殺できず水攻めという時間や金を異常に無駄に使いしかも
雨が降らなかったら失敗していたであろう不確実な愚策を使ってやっと落とす
・せっかく滝川一益が佐久間正勝の留守をつき前田与十郎を寝返らせて蟹江その他数城を奪い、
家康と信雄の領土を分断するという大チャンスをつくったのにもかかわらず、
なぜか木曽川筋でダラダラ陣を張り織田徳川方に滝川を駆逐されてしまう
・紀州口でも大苦戦。散々な死者を出す
・圧倒的兵力差がありながら九州征伐で仙石・長曾我部勢を先行させるという愚策を講じ見事大敗する
・圧倒的国力差がありながら家康を臣従させるため母と妹を人質に出すという失態をおかす
・全国から24万動員してわずか3万4千の北条を瞬殺できず
緒戦の伊豆駿河国境の戦いでボロ負けする
・全国から24万動員してわずか3万4千の北条に対し まともに倒せず
手薄な支城を攻めるのが手一杯で兵站を維持できるぎりぎりの所まで
追い込まれる(降伏時も北条はかなり余力残した状態)
・わずか500しか兵がいない伊豆韮山城を3万で攻めて3か月近く手間取り、重臣一柳直末を戦死させる
・わずか300程度の伊豆山中城攻防戦で重臣始め大多数の被害を出し大苦戦する
・わずか1000ほどしか兵がいない忍城を3万で攻めて落とせない
・わずか1000程度の小田原城に手も足も出ない
・秀次、その侍女一族や千利休を殺し人望を失う
・占領できもしないのに二度にわたる朝鮮出兵という愚行をなし案の定ボロ負けし、
国内を大いに疲弊させる
204:人間七七四年
12/06/09 15:45:00.71 c/cxgQAu
徳川方は春から特政・信雄領国は伊勢のみならず尾張でも会戦当初から寝返り続出と不利な条件だった
夏の対陣のときでも徳川方は兵の半分を返していて(家忠日記)
総勢小牧山総力一万足らずだったとある(当代記)
205:人間七七四年
12/06/09 15:47:09.26 6gfAXYq9
晋叟寺文書
天正6年8/21
今度播州上月之城従芸州被催候処、
自京都為後巻信長代官羽柴、荒木被差出、去六月21日来之、鉾盾削、就中為
虎御粉骨之被合戦於鑓下、彦六兵衛遂討死、其他京勢数多討死、
秀綱(花押)
晋叟寺 衣鉢閣下
手元にコピーがないが毛利家日記や荻藩閥閲禄にもちゃんとある
秀吉厨涙目の驚愕の事実w
206:人間七七四年
12/06/09 16:13:13.58 eOMxUFhA
こんな僻地にもキチガイは来るのか
207:人間七七四年
12/06/09 16:18:21.65 6gfAXYq9
>>205
美作戦線でも宇喜多単体で戦ってた時期は国力差4倍の毛利と互角かそれ以上の戦いをしてたのに
秀吉が加わりだす時期から負けが込んでくるね
祝山攻防など。いかに秀吉がゴミクズレベルの雑魚だったかわかる
208:人間七七四年
12/06/09 17:46:50.20 VI9lph/L
武田上杉徳川「北条は糞弱くて本当につかえねーな!」
北条「・・・」
209:人間七七四年
12/06/09 18:46:06.28 /tXThcv3
秀吉が天下(形だけ)取れたのは光秀や信長が馬鹿だったおかげ。
信長が愚行を繰り返し謀反だらけで寡兵の光秀に瞬殺され、光秀もまんまと反逆者の汚名被ったから味方多く集まっただけ。
210:人間七七四年
12/06/10 12:32:26.87 +wQHPgqX
雪が邪魔したのが景虎側にとって不利だった
211:人間七七四年
12/06/13 22:50:32.40 1PvPajz5
邪魔したってか景勝及び越後勢は
雪が降り出したら北条や武田は
帰らざるを得ないこと織り込み済みで戦ってるんだから
雪を計算に入れてないんだとしたら馬鹿だぞ…
212:人間七七四年
12/06/14 23:49:47.06 BQ1uAtf3
『関八州古戦録』によれば、景虎は甲相同盟の一環として武田家に人質とされていたと
いう。一方で、『関八州古戦録』以外の確実な文書・記録資料においては景虎が人質と
して武田家にいたことが確認されず、近年では否定的見解が強い。また正確な生年も不明である。
213:人間七七四年
12/06/15 06:22:37.44 gceVYA7h
正確な生年は今福匡『上杉景虎』にも一次史料で出ていたが?
214:人間七七四年
12/06/15 19:38:07.90 OEOPkwkA
さすが牙一族こと北条族長
子供なんて人質要員でしかなく代わりはいくらでもいる
215:人間七七四年
12/06/16 01:02:09.33 beMshgAL
一次史料てあったっけ?
216:人間七七四年
12/07/05 10:30:46.31 wH4CqKkr
春日山城にて謙信の姪との祝言が行われ、正式に謙信の養子となり、彼の初名でもあった「景虎」の名を与えられる。