11/12/28 21:42:52.94 suNE31ye
事実をどう解釈するかで、享徳とか応仁、明応と
いろんな説がある、というのが基本だと思うが。
事実かどうかの質問じゃなく、どう解釈するか、という
質問にはいろんな説を紹介するのが普通だろう。
おかしなチャチャが入ってあれなんだが
873みたいなレスが一番困ると言うことだな。
896:人間七七四年
11/12/29 00:47:36.70 51ZYrfic
あとはお国自慢板でやってもらうとして、
次の方どうぞ
897:人間七七四年
11/12/29 00:51:49.33 3Lny+CX4
>>895
お里が知れるわ
898:人間七七四年
11/12/29 15:16:41.74 ex5iZjOT
福屋宛光秀書状の年代比定は天正九か十年かどっち?
899:人間七七四年
11/12/29 17:45:05.41 bTwHSLVc
>>875
長尾景春の乱自体が享徳の乱の「起承転結」の転じゃないか。
900:人間七七四年
11/12/30 17:28:42.76 QkeIm9d2
>>898
愛宕百韻の直後だから、10年。
901:人間七七四年
11/12/31 11:56:10.40 hrBLKNkr
戦国時代と言われるまでに争い事が日本中で巻き起こった理由を教えてください。
902:人間七七四年
11/12/31 12:22:39.97 WGenGiM4
義教が殺されて
幕府も鎌倉府も大空位時代を経て、
双方に幼君が擁立されて、
完全に権力が管領らに移ったから。
903:人間七七四年
11/12/31 12:35:58.00 OW60Be7N
>>901
生産力の向上により農民層の力が強まり相対的に支配層の力が弱まったからというのが通説
904:人間七七四年
11/12/31 13:40:38.01 7Dmr82ek
>>903
それ司馬遼太郎時代の通説だろ
最近じゃ小氷河期や災害時代説が解明されて
食料不足や秩序崩壊による混乱から各地で戦乱が起き、
(一昔前までは2毛作などは生産力の向上をあらわしているとされていたが、
近年では生産力減少を補うために開発されたやり方だというのが定説化されてる)
各地の地方大名達がそれぞれの地域を統合して地域秩序を形成していき、
やがてそれら地方大名達が形成していた地域秩序の上に乗っかる形で
豊臣政権が惣無事による日本統一を達成したというのが
現在の定説のはず
905:人間七七四年
11/12/31 14:33:54.81 jBIi9Wvg
>>904
最近小氷期説言ってる人いないでしょw
気候要因説で言えば、中世温暖期説の方が主流だよ
906:人間七七四年
11/12/31 14:35:32.53 tddURZHR
>近年では生産力減少を補うために開発されたやり方だというのが定説化
これ 詳しくわかる資料はありませんか?
つか二毛作成立は9-10世紀に遡るから小氷河期と一致しませんよね
そこらの解釈が知りたいので……
907:人間七七四年
11/12/31 15:08:35.49 BNFbhdyD
定説って総意と同じぐらい怪しい
908:人間七七四年
11/12/31 15:49:11.20 aEVH4OsC
氷河期を疑われるのは足利義持時代の異常な低気温と長雨。
これで大量の餓死が生じたが、これも商人による人災であり
商人・高利貸しが価格高騰に操作して被害拡大したものだとされている。
この日本弱体化が朝鮮軍による対馬攻撃を呼び込む。
基本的に人災によって餓死が起きるのであり
生産力自体がどんなに飢饉でも領民を喰わせるだけの地力はある。
現在の1億2500万人は無理だが。
あと西洋で起きた大噴火の火山灰が大気に舞ったから
天候悪化し小氷河期になったとする説もあるね。
ただ飢饉や餓死ってのは圧倒的に東国に多い。
一般的に東国の長雨と西国の旱魃が恐れられている気象だったが
西国では溜め池により解決できた反面で、
東国の特に標高が高い地での長雨ってのは冷害、
平野部では大洪水を発生させるため致命的。
基本的に畿内以西では司馬の説は正しいように思えるが
東国では信玄の土木河川工事に代表されるような
統一権力による治水が要求されたように思える。
堯舜禹の治水伝説なんてのもわかる話。
909:人間七七四年
11/12/31 16:35:02.08 hrBLKNkr
>>902
権力が管領らに移ったからというのが戦国時代幕開けとなる切欠になったですね。
強大な存在が無くなり、権力が管領らに分散されたため、権力者同士が争うようになっていったとう感じでしょうか。
>>903
農業生産力の向上により、支配構造にも変化が生じたのですね。
当時の支配構造を想像するのに必要な知識がまだ当方乏しいものでして、
支配層の何の力が弱まり農民層の何の力が強まったのか、何か例がありましたら教えてください。
>>904-907
小氷河期/温暖化期説などもあるんですね。戦国時代となった要因に気候も関与してるなんて面白いです。
小氷河期説では、食料を求めて民衆が争ったという見解なのですね。
温暖化期説を採る場合は、どのような見解になるのでしょうか?豊作だと争いは起きなさそうですが、
温暖化すぎて作物不足だったのでしょうか?
>>908
金融市場の政策の失敗なども争いの種を生んだ原因の1つなのですね。
さらには自然災害もあったりなど、戦国時代は様々な要因が折りに折り重なってたんですね…。
勉強になります。
910:人間七七四年
11/12/31 16:55:07.88 OW60Be7N
>>909
温暖化で生産力が上がる→土地を持つ農民の力が強くなる
↓
人員(軍事力)と年貢(税収)の根源である強くなった農民層(惣村)を
直接支配する国人層の力が強まる
↓
上に乗っかってるだけの幕府や守護の言うことなんか聞いてらんねー
俺らの方が力が強いんだから上に立ってやる
↓
全国的な下克上の時代
教科書的な戦国時代説明はこんな感じ
911:人間七七四年
11/12/31 17:04:55.64 aEVH4OsC
支配構造にも変化ってのはやはり
畿内における惣村一揆や一向一揆のように
民間レベルで力を蓄えて、守護層の命令に対して
抵抗するようになったことが挙げられる。
これは農業技術の向上により
石高の飛躍的向上があったと考えられる。
それと共に渇水時の河川の水止め争いが近江などで頻発し、
その解決策を幕府が出すが、現状を把握してるわけでなく現地では無視される。
それを話し合いにより、円満解決した浅井などが
六角や京極ら守護権力に抵抗する惣村コミュニティーを形成する。
これは一向宗も同じで守護に対抗するために組織されたもの。
村単位での自主独立に近い感じ。
摂津や和泉などは逆に商業都市による自治に進化。
その一方で西国は将軍や大内へ意見・抵抗するための
国人一揆という古い体質が毛利手動で生きながらえているのは
大内氏などが彼らに弱腰で帰属してもらいたい側ゆえ
緩やかで、温暖な気候ゆえにぬるかったのだろう。
この大国に対抗するべく組織された国人一揆は南関東でも存在していたが、
いち早く戦国に突入していた関東ではさっさと解体されている。
912:人間七七四年
11/12/31 17:44:55.48 kM6X99Yn
>>900
愛宕の直後、というのは?
何かその証明はできてましたっけ。
913:人間七七四年
11/12/31 18:38:29.09 kM6X99Yn
連で悪い。
宇宙物理の最新ぽい説でガンマ線とかそういう宇宙線が
具体的に全地球的に影響を及ぼしたというのがかなりの短い
スパンでわかってきてて数年のうちにも細かい気温みたいなのが
説明できるのかもしれないのだよね。
異常気象みたいなのはそんなに突発で大被害をもたらしたわけで
もなくすべての原因を気象や飢饉に持っていくのは少し違う
解釈になっていくのかもしれない。
914:人間七七四年
11/12/31 20:55:42.85 hrBLKNkr
>>910-911
こういう経緯だったのですね。
とても分かりやすかったです。ありがとうございました。
915:人間七七四年
11/12/31 21:36:24.94 E98n4YHv
農業先進国の畿内の民力と
商業先進国の畿内の商力が、
自治権獲得の動きを示した。
地方では守護代が国人たちと組んで、
在京する守護への納税をチョロまかした。
管領家や将軍家の後継を巡って徒党、派閥化し闘争。
すると自派に付くなら守護代でも国人でも誰でも身分を引き上げる約束を乱発。
守護代を守護にしてやるなどと言い出して、
斯波の被官だった守護代の織田や朝倉らの立場が強化されていく。
916:人間七七四年
12/01/01 15:46:14.43 W2OMtoZJ
>>912
手紙は現存しているし、日付は5月28日になっている。
愛宕百韻は24日だから直後だろ。
信長の命で秀吉に合力することと
その後でそちら方面に行くから、なにかおいしいものをよろしく・・・
こんな内容。
917:人間七七四年
12/01/01 16:13:13.69 RemgNBFE
>>916
現存してないだろ
写しだろ残ってるの
だから「自」と「尉」のくずし字を誤写したんじゃないかって説がでてきたんだし
まあ個人的には天正十年だと思うけど
天正九年じゃ織田・毛利の状況に合致してないし
918:人間七七四年
12/01/02 08:27:30.39 NCBGxDXr
>>917
藤田が九年説だっけ。
「証言~」に載ってるのかな、それ、見てみないといかんな。
愛宕百韻も今は7~28日ぐらいが一般的な説じゃないのかね。
だから降りてきてすぐに行動したみたいな。
これも実はよくわからないんだけどな。
919:人間七七四年
12/01/02 15:44:16.40 feNYyGQd
守護代から大名になったのは織田、朝倉、長尾あたりが有名どころか
逆に守護が領国に帰って大名になったケースも多いのかな? 今川とか畠山がそんなん?
920:人間七七四年
12/01/02 16:56:39.14 78FsLkHH
武田や小笠原なんてそうじゃないかな。
921:人間七七四年
12/01/03 10:50:14.04 9QeJ8QKe
>>905
つーか最近では海底地層学からの時代別温度の調査が行われ、
中世は偉く寒い時代だったって事が判明した事が小氷河期説の論拠だろ
922:人間七七四年
12/01/03 13:14:32.75 HQF+G/g0
>>921
海底累積物コアから中世の小氷期が確認された、なんて話は聞いたことがないけど……
つか小氷期(LIA)てのは「期間中の気温低下が1℃未満に留まる、北半球における弱冷期」(IPCC)
って定義されてるわけで、東京(年平均15.6℃)と新潟(13.2℃)の差ほどもなかったりする
現在、中世小氷期は局地的気候変化の範囲内、って判断されてると思うよ
923:人間七七四年
12/01/04 08:28:36.24 ywUyqCw3
昨日テレビでやった映画にんたま、のシリアスな戦場シーンで大筒の砲弾が草むらで
バウンドして射程外まで届き、草むらに水を流し込み沼地にしてバウンドを防ぐ
っていうシーンがあったけど鉄の砲弾って草むらでバウンドするんですか?
子供向けギャグ漫画でも一応は真面目な合戦場面での事なので質問しました。
924:人間七七四年
12/01/04 09:37:20.03 FznhNkcF
>>923
URLリンク(www.youtube.com)
射角が低いとめり込まずに反跳する
925:人間七七四年
12/01/08 00:00:16.81 mgCYJcG2
信長の鉄砲に対向する為に、防弾チョッキみたいなものは着なかったの?
926:人間七七四年
12/01/08 00:04:19.92 LRLmi7QB
鎧を着てますがな
927:人間七七四年
12/01/08 13:23:32.56 lDaZ0YDe
南蛮胴具足で一応は防御可能だけど、
西洋も東洋も同じく、銃器の発達と共に鎧は廃れていく運命なのさ
928:人間七七四年
12/01/08 17:47:44.21 wc1iV5yB
まあ、日本人は特に防御軽視する傾向が強いからな
欧州では鎧が廃れる代わりに工兵や重火器が発達していくわけだが
929:人間七七四年
12/01/08 21:01:18.66 W/13sAdu
日本には竹束という軽くて防弾性に優れたチート防具があったから
930:人間七七四年
12/01/08 21:08:41.88 GJSROX7Y
草履や他の部分に使うような紐の寿命はどのくらいだったのでしょうか?
931:人間七七四年
12/01/09 00:27:16.61 ASeFSQgs
藁と木綿や綿の紐とはまたぜんぜん違う。
草鞋なんかは基本使い捨てで、武士だとひとつの合戦で履きつぶす感じ。
932:人間七七四年
12/01/09 15:30:10.56 rMrhsbUm
>>930
鼻緒が切れたら手ぬぐいを切って紐の代わりにして応急処置してた
って戦前生まれのじっちゃが言ってた
933:人間七七四年
12/01/10 17:30:22.73 5A/E64Ij
戦国時代の兜で、側頭部に飾りが付いてる物がありますが、
どのように付けてるの。 接着材?
934:人間七七四年
12/01/10 17:39:01.56 k1jYGRTe
>>933
甲に凸部分があってそこに固定する。
935:人間七七四年
12/01/10 17:41:38.48 1cggC8JG
持ち運びの時は取り外せるんだよな、あれ
936:人間七七四年
12/01/10 17:47:32.13 k1jYGRTe
これがわかりやすいな。伝織田信長兜。
URLリンク(www.lets-go-aichi.jp)
横の棒に挿し込む。
差し込むと
URLリンク(www.hina.co.jp)
こんな感じになる
937:人間七七四年
12/01/10 18:28:52.01 FeJOvQMB
>>936
こうなってんだ 面白いなぁ
938:人間七七四年
12/01/11 08:26:19.06 dGtlP9Py
戦国時代の都市を見るとあまり周辺を城壁で囲っているようなものがありませんが、
何か地理的な理由があったのでしょうか?
939:人間七七四年
12/01/11 10:09:36.26 imi153d0
蘆名盛興が伊達輝宗に次男の蘆名家への養子要請してた書状見つかった
らしいですね。
940:人間七七四年
12/01/11 10:43:48.36 5l+Vj7je
>>938
城壁都市は国家間、民族間での戦争が頻発する地域でより発達するものであり
異民族による根こそぎ略奪や、他国家による総奴隷化を防ぐもので
日本も統一国家の出来る前は城壁都市の原型である環濠集落が基本であったが
その後の日本の戦争はほとんどが内戦であり、極端に言えばやくざの縄張り争いに近い物で
新しいシノギを壊滅させる馬鹿は居ないので、一時的な略奪暴行を回避できる規模の
城や寺や山などの避難所があれば城壁都市を築かなくとも事足りた訳だ
それを踏まえて質問の戦国時代は末期になると内乱から踏み出し国家乱立の体をなし
さらに城下町が発達し守るものが増えると、総構えという、簡易城壁都市が出てくるが
すぐに戦乱が終わり城壁都市まで発達する必要性がなく終わった。
2次的な要因として地震が多い、高温多湿なため城壁で囲ったら蒸し風呂になる等もある
941:人間七七四年
12/01/11 13:04:51.44 0oeaCwWv
>>934 >>935 >>936
完璧に理解できました。 ありがとうございました。
942:人間七七四年
12/01/11 16:24:44.63 a1Fv7SHC
>>938
惣構えというのは土塁と堀で囲まれた城壁都市と解釈してもらっていい。
943:人間七七四年
12/01/11 16:35:00.85 i+p19M1p
戦国時代の鎧って、どれくらいの強度があったんだろう
944:人間七七四年
12/01/11 17:32:58.89 npDQ3DqI
>>922
違う違う
近年における海水準曲線の変動推移調査によると
気候の温暖化における海水面上昇は1110年頃に最高潮を向かえ
これ以降の年代から海水面は急速な衰退期に入っており、寒冷期の始まりが示されており
やがれそれは戦国時代となる15、16世紀でバリア海退とよばれる海水面減退の頂点を迎えており、
戦国時代が寒冷時代であった事を示している
そして、16世紀末から海水面は再び上昇に転じていき、小氷河期は終わりを告げる、というのが
海水準曲線から見た日本戦国時代の気候的背景であって
これを見る限り日本戦国時代は寒冷時代の極点を背景としていた事がうかがわれるぞ
945:人間七七四年
12/01/11 18:26:55.65 n7higtCE
>>944
パリア海退って鎌倉末期(14世紀)じゃない?
海水準曲線変動から見れば戦国時代(16世紀)は海進してる
だから戦国寒冷期の反証にしかなってないと思うのだけど……
946:人間七七四年
12/01/11 18:33:28.13 npDQ3DqI
>>945
なんで?
バリア海退と戦国時代日本気候の関係は普通に山本氏とフォアブリッジ氏に基づいてるが
君のは何が論拠?
てか、こっちも16世紀末、つまり戦国時代終焉期には上昇してると書いてる
君のいってる事は正直、相手のいったことから抜き出して自分に都合よく反証とさせてるだけにみえるけど?
とりあえず論拠頂戴
947:人間七七四年
12/01/11 19:08:43.13 n7higtCE
>>946
>戦国時代が寒冷時代であった事を示している
山本武夫先生、こんなこと言ってったっけ???
根拠も何も、戦国時代まっただ中(16世紀中旬)には海進おきてるじゃん
「これを見る限り日本戦国時代は寒冷時代の極点を背景としていた」
…なら、この海進の原因は何??
つか16世紀末から北半球の寒冷化が始まり、17世紀にはアルプスの氷河成長が問題になったのに
あなたの説(16世紀が寒冷時代の極点)によれば、暖かい時期はどこにあるの??
948:人間七七四年
12/01/11 23:12:06.71 UNKBaRjn
つーか、どの中世寒冷期説も微妙なんだよな
樹の年輪を分析しても、文書から見た異常気象の分析でも、
どの時代が最も寒かったかとか、研究によって食い違う
949:人間七七四年
12/01/12 00:12:55.55 YRGr66DA
記録の多い戦国後期からは温暖化はだいたい一致してるが
どこが谷かはまだ確定はしていない
冷害の記録も暖かいことが原因の長雨だったりとかな
950:人間七七四年
12/01/12 01:31:19.64 sNnW6cTh
…>>944、946は”パ”リア海退じゃなく”バ”リア海退?の話をしてるな……
951:人間七七四年
12/01/12 15:08:21.77 Q0JlhDl9
>>943
くぐればここに
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)
952:人間七七四年
12/01/15 00:39:11.81 jhjNW+yM
戦国時代の東北と中世ヨーロッパってどちらの血縁関係がより複雑なの?
あと戦国と少しずれてるけど江戸時代の農民が閑農期に微分積分で遊んでたってのは本当なの?
たまに2chで聞くけどどうも信用できない
953:人間七七四年
12/01/15 00:47:11.55 /GzKCLv8
>>952
和算でググって自分で判断しろ。
954:人間七七四年
12/01/15 04:11:48.32 PnXnnzPl
>>952
2ちゃんで聞いて信用出来ないことを2ちゃんで尋ねるって馬鹿かお前は
955:人間七七四年
12/01/15 09:06:56.05 Z3q2/nh7
>>952
そういう農民さんがいたのは記録にあるけど
「みんなが」というわけではない。
微分積分というかパズルの解き方ってことで
自分で努力工夫したと言う話があるということね。
それと江戸時代の数学ー和算自体はかなり進んでいたのは事実。
だから寺子屋なんかで先生が「これはとけるかな」みたいなのは
やてたろうし、中には賢いのが自力で解いちゃったかもしれない。
そういうのは田畑の面積、年貢の歩合、と実用にもなったから
今のわしらよりよほど実用的であった、ということね。
このぐらいでいいかな。
956:人間七七四年
12/01/15 09:26:40.29 jhjNW+yM
>>954
同じ2chでもvipとかνで聞いた話だからさ
>>955
ありがとう
おらが村の秀才ならまだしも、殆どの農民がかなりの数学できたんだぜ!的な書き方が信用できなかったんだ
957:人間七七四年
12/01/15 10:28:14.54 L4NFrw4P
義務教育が敷かれてる現代ですら微積分できない人が大勢いる事を考えれば分かるかと
958:人間七七四年
12/01/15 19:46:43.37 OUNrAj+H
今は室内で仕事してる人が多いけど昔は
山や海で働いてたから逆に数学と言うか
天文気象力学算数みたいなのは体で覚えた
必需ルールでもあってそれはある意味今以上って
言い方もできるかも知れないんだよね。
田畑の水運なんてのは村の運命にも関わるし
段々畑だと台形立方体の体積分割とかそういうのも
関係してくるかもしれない。
おらが村の秀才の尊敬のされ方は尋常じゃなかったろうなぁ。
959:人間七七四年
12/01/15 21:52:31.68 tIPswftl
>>958
だが、基本的に和算はパズル以上のものでは無い。和算が出来ても同好の士以外には尊敬もされない。
実用って言ってもせいぜい鶴亀算みたいのくらいだろう。
960:人間七七四年
12/01/15 23:35:44.64 79GQvJVc
暦とか和算で作られているんだけどなー
961:人間七七四年
12/01/16 00:10:13.02 vJMlLGjE
暦は一般人が勝手に作っていい物じゃないだろ。
962:人間七七四年
12/01/16 12:08:54.52 CbQsCTY0
958だけど、タネをいつまくかとか実用的なものは
必要でしょう。だから暦でなく気象天文にしたのだけど
そういう私暦みたいなのは計算はされてたとは思うよ。
963:人間七七四年
12/01/16 13:10:00.92 C//vCHAb
和算は実用的なものだよ
年貢の換算や検地、堤防や水路などの土木計算、揚水装置の設計、天文や地図作成の測量など
色々な面で使用されていた
むしろ数学の研究が本格化したのは維新後に西洋数学が入って来てから
964:人間七七四年
12/01/16 13:13:57.33 ELgndS79
私暦=myカレンダー みたいなもの??
自分の予定表作るのにExcelのマクロ計算使います、って言ってるくらい無理が……
965:人間七七四年
12/01/16 16:39:30.94 CbQsCTY0
>>964
田んぼといっても日当たりは違うわ
場所、地域、地方によって違うし
同じ品種でも収穫手法が当然違ってくるでしょう。
だから村総出で順番に稲刈りする時でも
「もう3日あと」とか経験則で数えて判断してたということね。
早いと少なくなるし遅いと台風が来るかもしれん。
公式の暦とは別に実用段階でのマイ暦を作ってたろうな
ということで、別に無理とかそういう問題じゃないのだけどね。
966:人間七七四年
12/01/16 17:03:58.07 ELgndS79
>>965
>経験則で数えて判断してたということね
それのどこに”和算”の入る余地が……
967:人間七七四年
12/01/16 22:57:18.52 vJMlLGjE
>>965
>経験則で数えて判断してたということね。
そういうのは種まき爺さんのような雪形などとして伝承してるけど、和算と何の関係が?
968:人間七七四年
12/01/16 23:10:25.38 EN6BA9ZV
つか>>955で答え出てるよな
969:人間七七四年
12/01/16 23:58:58.89 0eQUYzYm
つーか算数使わなくても足りる日常の習慣に
わざわざ和算だのマイ暦だの使ってたら、逆にバカとしか思えないがw
970:人間七七四年
12/01/17 03:00:35.02 usP3r4si
武田家の御旗と楯無は今現在は喪失されてしまったのでしょうか?
971:人間七七四年
12/01/17 03:12:48.94 ONrrEHat
菅田天神社の小桜韋威鎧鎧じゃだめなの?
972:人間七七四年
12/01/17 20:53:38.04 lyjZIa1X
公家も剣術習っていたというけど
剣の達人の公家ってどんな人がいる?
973:人間七七四年
12/01/18 14:56:37.65 zespbTXx
>>970
御旗は甲州市塩山上萩原の雲峰寺に、
楯無は>>971のとおり。
974:人間七七四年
12/01/19 15:35:16.66 9WEAwUVo
>>972
北畠は代々そっち方面で有名。
公家でありながら、後に戦国大名に名を連ねる。代表格は北畠具教。
975:人間七七四年
12/01/20 09:02:38.93 DHmDQ/T8
このまえの信長番組で火縄銃の値段がポルトガル人から買った時は
一丁1000両(1150万円) 量産化に成功した信長は一丁1000文(50万円)
ってやってたんですけど、これだと計算上は
1両が1万1500円、1文が500円ですよね? 小判一枚が一万円札、最低通貨の1文が500円玉感覚なんですか?
そうなると23文で1両になっちゃいますよね?
この時代の通貨単位や価値について教えてください
※以前本で読んだ時(これも内容メチャクチャ)
1文
1朱 (1部の4分の1、何文なんだよ)
1部=250文
1貫=4部=千文
1両=4貫=16部=4千文
(両は金貨銀貨の数え方なので銀1両、小判1両、大判1両かで変わる)
976:人間七七四年
12/01/20 14:49:22.19 aM4rQmP3
室町時代の15世紀後半~16世紀中頃
一文は100円程度。
一貫文(1000文)が約10万円
一両に相当する金4匁~4匁5分が30万円
*大判が金45匁で作られ、後にこれが小判10枚相当ということから
一両という貨幣は当時は無いから重さで取引されていた。
当然金の質に差があるからどこの産かで価値は違う。
銀は当時から金の5分の一ほど。
これで行くと>>974の金額はデタラメということになるが??
977:人間七七四年
12/01/20 14:52:40.06 aM4rQmP3
おっと失礼>>975だね。
978:人間七七四年
12/01/20 15:03:00.25 UQIfc1yt
975は江戸時代の通貨制度だからな
戦国時代へそのまま適用はできない
大体、江戸時代の通貨も時代によって価値が全然違うし、
何を基準にするかで現代での価値も相当変わってくる
一両あたり、米価換算なら四万円、給与換算なら30~40万円、そば代換算なら12~13万円
URLリンク(www.imes.boj.or.jp)
979:人間七七四年
12/01/20 16:05:15.50 n2O+vQTX
信長の撰銭令(1569)だと金10両=銭15貫文、銀10両=銭2貫文
当時の金銀銭交換レートを反映してると思うからコレを元にして……
都(1582頃)豆腐一丁3文 ナス10個で一文 日払い日当20枚くらい
「時代を超えて野菜の値段はそうは変わらない」と思うので”ナス”基準で以下計算
現在スーパーで長ナス一本50円、つまり信長は一丁ナス10000個→50万円相当で購入
これは>>975の数字にあってるね
で、種子島時尭は1挺金1000両で購入(1543)これは銭150万ナス1500万個
つまりナス換算で一丁7億5千万円で買ったことに……
なんか「1000両=1150万円」の計算の元が気になるねぇ
980:人間七七四年
12/01/20 17:03:02.80 IXuB1Hw5
ナス換算は初めて聞いたな、おもしろい。
魚も記録が残ってるからできそうだな、イワシレートとか。
江戸は長いしテレビなんかだとかなり後期のプライスだから
戦国には合致しないだろうなぁ、300年立ってるし。
ソバは固定で末期に値上がりしたからわかりやすいのだけど
やはり外食だからか米レートとは結構違ってくるよね。
信秀が寄進したのが3000貫とか信長が本願寺に
要求したのがそのぐらいとか、それだと一貫10万以上というのは
ちと高すぎるようにも思うのだよね。
仕事人さんは1両で引き受けるけどそれ思うとゴルゴさんは
ぼったくってるよな。
最初は1000万ぐらいだったけど最近はいくらぐらいになってるのかな、
ヒットマン料?
981:人間七七四年
12/01/20 17:06:48.05 HmIo6lKP
一両の価値は上でも出ているように何の品目の物価を基準にするかで大きく違ってくる
金自体の価値も現代は下がってるし米等もエンゲル係数が馬鹿高かった時代
その中では職人の日給から算出した30万~50万円が感覚的に一番しっくり来ると思うよ
ただ物価も現代と違って京と関東で2倍の差が付く場合があるとか
地域格差が大きいとかも考慮に入れないといけないが
982:972
12/01/20 17:23:06.05 F6rZ1Vrs
>>974
遅レスごめん そうか北畠さんがいたか ありがとー
983:人間七七四年
12/01/20 18:28:16.20 lrtMNoma
精銭1枚1文で換算するので鐚銭だと1貫4000枚か。
これじゃあ決済や持ち運びにも苦労するな。
外人との取引は高額決済(金や銀や米札)や相応の価値のある輸出品との物々交換だったのかなあ?
984:人間七七四年
12/01/20 20:15:24.78 mOG4Q2mM
かつて見たアニメで
昔は私的に作った硬貨も価値が大幅に下がるだけで
市場で使用可能だったと描かれていたのですが
戦国時代にはそうした硬貨はどの程度出回っていたのでしょうか?
985:人間七七四年
12/01/20 21:41:51.05 UQIfc1yt
私鋳銭ね
いわゆる「びた一文まからない」のびた一文ってのが私鋳銭含むびた銭(=粗悪な銭)
それこそ、大名や時代によって換金率や使用の有無まで変わってくるから、
一概にどうとかは言えないな
986:人間七七四年
12/01/21 07:48:07.83 e9B5AfmV
今日明日で、京都・伏見、大津・膳所・石山あたりを周ります。
987:975
12/01/21 08:26:38.16 rEEHK+rj
詳しい情報ありがとうございます
それで、また別の番組で言っていた事で、信長は平氏の子孫だと言うのですが
とある歴史マンガにて「我が織田家は源氏の流れをくむ由緒ある家柄、それをあいつら~~」
夢幻の如く(信長がモンゴルにて)「俺の先祖の者がチンギスハンと名乗りかつてこの地を治めたのでな、子孫の俺がまた来たわけだ」
複数のマンガで織田家は源氏の子孫ということになっていますがどっちが正しいのでしょう? ちなみに番組では
平氏を倒したのは源氏、それを倒したのが平氏の子孫の北条、それを倒したのが源氏の子孫の足利
それを倒したのが平氏の子孫の信長、それを倒したのが源氏の子孫の光秀
それを倒したのが平氏の子孫を名乗った秀吉、それを倒したのが源氏の子孫の家康、と言ってました
秀吉も平氏じゃなくて「実は俺は源氏の子孫で」って言ってませんでしたっけ?
それで「俺は本来源氏の人間だから」っていう名分で足利家の養子になろうとしたんじゃ……
母親が将軍家に奉公に行った時に間違いが起きて母が身ごもってしまって、その時生まれたのが自分だと言ったとか
連続質問すいません
988:人間七七四年
12/01/21 08:51:22.31 /LEmYAYT
最近では忌部氏と言われとるね
989:人間七七四年
12/01/21 09:00:02.58 b5GfBEbl
平信長でしょ
990:人間七七四年
12/01/21 12:27:33.41 GA35w0jv
まあ実際の出自はともかく信長が平氏を強く意識していたのは間違いない
991:人間七七四年
12/01/21 14:33:52.84 OkTlvihO
織田は藤原を名乗っていた。
信長も尾張統一以前の文書には「藤原信長」の署名がある。
1571年には「平信長」となった。
平親実から始まる家系図もこのころ作られたんじゃないの?
家系図はホントにいいかげん。
992:人間七七四年
12/01/21 15:05:56.87 rJgb+r7o
>>991
> 平親実から始まる家系図もこのころ作られたんじゃないの?
それはなんとも言えない。元々平姓だったのが何らかの理由で一時的に藤原を名乗っていた
という可能性もこの時代考えられる。
993:人間七七四年
12/01/21 17:28:13.54 LH+pqmVQ
次スレね
【疑問】スレ立てるまでもない質問 9【戦国時代】
スレリンク(sengoku板)
994:人間七七四年
12/01/22 00:45:42.00 XP6yoERN
乙