【疑問】スレ立てるまでもない質問8【戦国時代板】 at SENGOKU
【疑問】スレ立てるまでもない質問8【戦国時代板】 - 暇つぶし2ch770:人間七七四年
11/12/14 16:38:29.46 RBpRrwUp
>>769
ご回答ありがとうございます。

ただ寛永諸家系図伝に記載がないだけなら、その理解でよいと思うのですが、
1812年完成の「寛政重修諸家譜」にも記載がないことの説明がつかないように思います。
(寛永諸家系図伝にも記載がないことは、ウィキペディアの「仁科盛信」にも記載されています。)
幕末も間近な1800年代以降に「仁科」と名乗りを変えたということがありうるでしょうか。

また自分が調べた限りでは、そもそも幕末時点でも「仁科」なる大身旗本がいたという史料が見当たりません。
こうなるとウィキペディアの「大正時代に叙勲」というのも何を根拠にしているのか…。
しかし、ウィキペディアの信基の記載は、「明治時代に大坂に移住」とまで書かれていて、
根拠もなくこんなことを書くだろうかとも思います。

ちなみに旧武田家家臣の子孫で作られている武田旧恩会の顧問を仁科盛信17世の方が務めていらっしゃいますが、
林姓なので、おそらく上総武田家を頼って落ち延びたとされる仁科信正の後裔だと思われます。

あと1812年成立の甲斐国史にも、仁科盛信の後裔については記載がありません。
実在が怪しいともいわれる、旗本でもなんでもない武田勝頼の三男勝三についても記載している甲斐国史が、
(仁科信基が実在するなら)4100石の大身旗本の系譜について記載しないとは考えがたいのですが…。






771:人間七七四年
11/12/14 16:49:56.27 RBpRrwUp
すみません。
上の6行目(寛永諸家系図伝にも記載がないことは、ウィキペディアの「仁科盛信」にも記載されています。)
は     (寛政重修諸家譜にも記載がないことは、ウィキペディアの「仁科盛信」にも記載されています。)
の誤記です。
申し訳ございませんでした。


772:人間七七四年
11/12/14 19:59:53.14 yXh0I1Ks
>>770
少し調べてみたら

八王子史の武田宗家に関する記述では、
信玄の盲目の次男の一子(信正)と孫(信道)が、勝頼死去の後伊豆大島に流されたが、
家光13回忌の恩赦で江戸に戻ることができた。
その後、柳沢吉保(彼も武田の血筋)の口添えもあり、
信道の子・信興が500石・表高家として旗本に列せられた。
この家系が以後武田宗家として現在に至る~とあった。

このことから考えると4100石は確かにあまりにも不自然だね。
信基のことは作られた歴史か・・??

773:人間七七四年
11/12/14 20:53:21.85 RBpRrwUp
>>772
どうもありがとうございます。

武田一門関連の旗本では、寛政譜によると信玄の弟河窪信実の系統が、
信実の子信俊のとき1610石、後に加増されて最大5710石にまでなっている例もあるので、
信基の石高が高いことだけではなんとも言い難いところもあるのですが、
何の事跡もない仁科信基が、いきなり3100石というのは確かに不自然な気もします。
もっと言えば、信基の系譜はウィキペディアの記載以外ではそもそも事跡が全く分からないのが非常に疑問です。

「仁科信基」の名前自体は、吉川弘文館「戦国人名事典」の仁科盛信の欄に、
「子女に信基…がいるというが確認できない」と記載されているので、何かの史料に載ってはいるのだと思うのですが、
ウィキペディアの妙に詳しい仁科信基の経歴やら系図(「仁科氏」の項目に記載があります)は、
何を出典として書かれているのか、自分が調べた限りでは全くわかりません。
(過去の編集履歴には、信基の子孫は、「明治時代に子爵になり貴族院議員になった」という記載もありましたが、
調べたところ、「仁科」姓の貴族院議員は存在しませんでした。)

履歴を見てみると、仁科信基がらみの新情報は、どうも全部同じ人が編集しているようなので、
この人に聞ければ早いのかもしれませんが…。

スレ違いだったらすみません。
ずいぶん長いこと、疑問に思っていることなので、どなたか「仁科信基」の出典について
ささいなことでもご存知の方がいれば、教えてくださると助かります。

774:人間七七四年
11/12/15 12:52:26.84 jSOTpVV9
慶長見聞書について説明できる人はいますでしょうか

三浦浄心の慶長見聞集、幕府編纂の慶長見聞録とは異なるもののようですが

775:人間七七四年
11/12/15 14:14:36.87 QFgISP7F
>>772
>勝頼死去の後伊豆大島に流されたが

大久保長安事件に連座して流罪なんですね

776:人間七七四年
11/12/17 13:56:36.31 D6DL9JV6
北畠と畠山

北にいる方が畠山って変じゃないですか?

777:人間七七四年
11/12/17 14:34:08.74 ZY4I4UKa
浪岡北畠氏ならどの畠山より北にいますがなにか

778:人間七七四年
11/12/17 16:45:21.00 2L5Ivl1A
上杉謙信の家臣に北条がいるけど、北条氏からの寝返りですか?

779:人間七七四年
11/12/17 17:03:45.89 51M9sQB0
多分北条高広とかそのあたりのことだと思うけど
あれは「きたじょう」さんであって、「ほうじょう」さんではありません。
血筋的には、安芸の毛利氏と同族です。
経歴的には、北条(ほうじょう)氏に寝返ったり、上杉に帰ってきたりを繰り返してます。

780:人間七七四年
11/12/17 17:04:00.96 ZY4I4UKa
先祖は大江毛利氏のきたじょうさんです。

781:人間七七四年
11/12/17 18:52:36.41 MeZrXIOl
だから北条に属していたときは、
喜多条なんて変えさせられてたりする

まあ紛らわしいからな…

782:人間七七四年
11/12/17 19:50:10.90 3DFjjHzu
伊勢さんが北条なんて名乗ったから、いけないんじゃないですかー

783:人間七七四年
11/12/17 20:05:00.48 1R6QVEl0
先祖代々名乗ってきた苗字を先代から名乗り始めた方に遠慮させられたんだからなあw

784:人間七七四年
11/12/17 20:16:26.39 51M9sQB0
まぁ、当時の人って、秀忠に書き間違えられて、黒金さんが「鉄」(くろがね)さんに変わったり、
自分の名字を諸角、両角、室住と気ままに署名したり、
あんまり漢字の正確さにこだわりがなかったようにも思えるけどね

785:人間七七四年
11/12/17 20:33:44.66 3DFjjHzu
当て字を使ったら、いつの間にかそっちで通っていたってこと、よくあるしね

786:人間七七四年
11/12/18 13:26:12.97 3rzzFW8W
水原さんの当て字は逆に分かりにくかったから元に戻ったんだろうか

787:人間七七四年
11/12/19 00:03:13.27 dKBhxLhK
北条、中条
上杉に足りないのは南条さん、東条さん、西条さん

788:人間七七四年
11/12/19 00:45:50.30 SFCW9r8C
>>787
みなみじょうさんもひがしじょうさんもにしじょうさんも全部いるぞ

789:人間七七四年
11/12/19 01:17:11.27 xF8F0E9I
上条下条もいるから隙が無いな上杉家

790:人間七七四年
11/12/19 05:09:41.91 dKBhxLhK
すげーな上杉
上と下までいるのかよ

791:人間七七四年
11/12/19 09:34:53.21 LMmEXHUg
「上」と「条」で上条?
おめーをこれから「ジョジョ」って呼んでやるぜ!

792:人間七七四年
11/12/20 17:04:13.93 IE0tZoem
上条(かみじょう)なら京の地名であるからおそらくいるはず。

793:人間七七四年
11/12/20 17:59:03.07 TvgdCrGg
筑前国続風土記24巻の岩屋古城の項目を読んでいるのですが、
「岩屋賓満を取立なば名城たるべしと~」や「賓満を居城とし、岩屋を端城とせり。」といった文章がでてきます
文脈から城のような気がするのですが、この「賓満」って何だかわかる方いませんか?

旧字体でフォントつぶれてて読みにくいので「賓」じゃないかもしれません

794:793
11/12/20 18:21:08.87 TvgdCrGg
すいません、自己解決しました。宝満城でした

795:人間七七四年
11/12/20 18:28:30.22 +lHyTqHA
宝満城のことでしょ。高橋氏の本城で大宰府の北東にあるこの辺り
URLリンク(g.co)
岩屋城は高橋紹運墓の近くで大宰府から西

796:793
11/12/20 18:43:31.72 TvgdCrGg
>>795 地図ありがとうございます。宝満山=竈門山なんですね
風土記でも竈門山城の項目で宝満城について説明してたので疑問が解けました

797:人間七七四年
11/12/20 19:43:18.40 Gwfr4y+x
戦国で凄い逸話持ってる最強っぽい軍てどこでしょう?
上杉軍と武田騎馬軍団が最強とか無敗とか言われるけど逸話が無いせいで凄さが分かりません
むしろ織田鉄砲隊が打ち破ったとか引き立て役

島津軍の鬼の引き口とか
戦国じゃないけどスパルタ兵の300人でペルシャ100万の軍勢と三日間戦い四日目でようやく全員死亡とか

そういう凄い逸話を持った軍て関ヶ原の島津軍以外でありますか?

798:人間七七四年
11/12/20 19:45:09.02 B+ErHbqZ
まず「最強」とかいう変な価値観に疑いを持とう。

799:人間七七四年
11/12/20 19:56:21.38 XaSiufI9
上条の城は上条城か
じょうじょうじょう

800:人間七七四年
11/12/20 19:56:51.33 Gwfr4y+x
すいません、最強の定義とか、どこが最強かとかじゃなくて、最強っぽい
それぐらい凄い逸話を持っているという意味でお願いします

つまり
「おいおいどこの最強部隊だよ、そいつら人間か!?」
みたいな感想になるような事を挙げていって欲しかったです

801:人間七七四年
11/12/20 20:09:24.82 gK8ZNiza
関八州古戦録とか活字で読めるから読んでみれば?

802:人間七七四年
11/12/20 20:18:21.21 Z1lg78jb
>>800
たぶん実際の歴史とコミックや小説、映画との区別がついてないだろうから
コミックスレや時代小説スレで聞いたほうがいいと思うよ。
ここは、逸話、なんて想像や妄想についてはあまり誰も
知らないだろうから。

803:人間七七四年
11/12/20 20:37:30.70 IE0tZoem
三国志などは史書でも敵の数が一桁か二桁多く記述されているのか
酷い軍勢を少数で倒したかのような記述がありますし、
あまり詳しくないですが戦国時代でもかなり数字が脚色されているような
合戦は探せばあるでしょうね。

804:人間七七四年
11/12/20 22:45:45.06 2lhdLLq/
>>800
関ヶ原の時に徳川秀忠率いる3万の軍勢を手玉に取って決戦に間に合わないようにした真田昌幸とか、
大阪夏の陣で家康の本陣に突撃してビビらせた真田幸村とか、そういう話でしょ?

805:人間七七四年
11/12/20 23:02:50.76 B+ErHbqZ
全部創作だな。
島津の退き口もただの潰走に過ぎない。全滅しなかったのは運が良かったというだけ。

創作だからこそかっこ良く見えるだけで、現実では全く大したことはない。

806:人間七七四年
11/12/20 23:12:28.68 a2MpWj0Z
60近い松本備前が300人くらい討ち取った話とか。

807:人間七七四年
11/12/20 23:25:28.65 2lhdLLq/
こういう逸話ってのは運も含めて結果が全てだからねぇ。
戦術なのか運なのかは問題ではないだろ。

808:人間七七四年
11/12/20 23:32:53.53 IE0tZoem
質問内容は逸話の有無なので、
あえて言えば凄そうな逸話を紹介するのが模範的な解答であって、
蘊蓄としては面白いかもしれませんが史実では云々、逸話の信憑性云々は
この質問の解答としては少し検討違いかと。
逸話の例としてスパルタの話を出しているんですし。

809:人間七七四年
11/12/21 00:17:14.92 7n5wYKxz
逸話レベルの最強を求めるなら戦国よりも太平記あたりを読むべきだな。
スーパー殺戮マシーンが何人も出てくる。

810:人間七七四年
11/12/21 00:34:26.20 nPOVPZ8Y
そのスーパー殺戮マシーンから適当に二、三人見繕って書けば良いんじゃないかと思うが、
肝心の質問者があちこちマルチポストしたあげく姿を消したようだ。

811:人間七七四年
11/12/21 01:01:04.79 1pb3PAl9
質問です。
戦国時代はまだ呪術の類を信じている人がいたと思うのですが、
大名が敵対する人物を呪殺するために僧侶や山伏を集めて
大規模な祈祷をさせるようなことはあったのでしょうか?

812:人間七七四年
11/12/21 01:28:08.51 oWz44n2t
>>811
信玄がよくやってました。
戦争前に氏康・氏政の滅亡を祈願したり

813:人間七七四年
11/12/21 01:29:28.00 7n5wYKxz
>>811
味方を鼓舞したり、敵への懲伏のための祈祷は一般的に行われていた。
上杉謙信には祈祷僧に対し「祈祷が足りない。こっちは命がけで戦っているのだからお前も寝ずに祈祷しろ!」
と叱責する書状が残ってる。

814:人間七七四年
11/12/21 06:35:19.16 aC8T5Ia4
運がいい大名は誰だろう

815:人間七七四年
11/12/21 08:26:31.27 FRhxTsgO
>>814
秋月

816:800
11/12/21 09:01:51.69 1eD5GRVz
>>801~>>810
レスありがとうございました

>>810
>肝心の質問者があちこちマルチポストしたあげく姿を消したようだ。
気を悪くさせたならすいません
ただ「その質問は○○へ行け」と書かれたりすぐついたレスが否定的なものだったので
場違いなのかと思って他の歴史関係のスレッドにも書きこんで質問しました

817:人間七七四年
11/12/21 15:21:09.39 6DcMLV2V
>>811
レスにあるようにやってたんだが、それで相手が滅亡したりすると
僧が「祈祷料値上げしろ」「勝ったのは僧だ」「領地くれ」と言い出すかもしれないし
あくまで儀式的なもので、大規模、というと鎌倉の時のような
ことはなかったんじゃないかな。

818:人間七七四年
11/12/21 15:31:33.35 FRhxTsgO
>>817
東大寺が大内義隆に強請りまくっていたような

819:人間七七四年
11/12/21 17:44:46.15 1pb3PAl9
>>812
>>813
>>817
>>818
ありがとうございます。
呪詛というよりかは怨敵調伏や戦勝祈願などをしていたのですね。

820:人間七七四年
11/12/21 19:22:37.65 ej0LArfF
日本に最初に上陸した白人女性、黒人女性の記録はありますか?

821:人間七七四年
11/12/21 20:04:06.79 Q/awfNtG
どこで聞けばいのかわからないのでこちらで質問します

とある映画の中で、戦国時代の最後の大戦、大阪夏の陣と大阪冬の陣での
豊臣家vs徳川家で、
「豊臣側に付く大名の中で真田家が一番豊臣家(秀頼や淀殿)を守る意思が固い」と
いうような印象を受けました
実際に真田丸や、真田家、その家臣達は大阪城(豊臣家)を守るために壮絶な死を遂げています

ここで質問ですが、それほどまでに真田は死ぬ覚悟で豊臣家に付いていく
ほどの忠誠を立てていた「史実」での主な理由は何でしょうか?



822:人間七七四年
11/12/21 20:16:58.99 Usg3Tb9D
「豊臣側に付く大名の中で真田家が一番豊臣家(秀頼や淀殿)を守る意思が固い」
この部分が史実では確認できませんので、後に続くご質問もお答え出来ません。

823:人間七七四年
11/12/21 20:26:15.40 Q/awfNtG
>>822
失礼しました

とある映画で、豊臣家滅亡後の大阪城を受け継いでいたのが何と真田家だったのです
これにより、
「豊臣側に付く大名の中で真田家が一番豊臣家(秀頼や淀殿)を守る意思が固い」
という考えに至りました

824:人間七七四年
11/12/21 20:30:06.38 7n5wYKxz
>>823
その時点ですでにSFとしか言い様が無いと思います。

825:人間七七四年
11/12/21 20:31:58.23 A50RNlJV
大坂の陣当時の真田家当主は真田信之な訳ですが・・・息子2人も徳川方で参戦してますし・・・
となれば、その映画はフィクションという事なのではないでしょうか?

826:人間七七四年
11/12/21 20:35:25.01 mmSpBMdo
マジレスすると豊臣家にもっとも忠誠を尽くしていたのは真田の活躍に隠れてしまった
真の実力者、毛利勝永ではなかろうか

827:人間七七四年
11/12/21 20:38:44.13 Of2UvCch
秀頼の乳兄弟の木村さんも忘れないで

828:人間七七四年
11/12/21 20:47:08.59 c7nPyfOO
>>821
徳川本陣まで食い込んだこと、関が原での足止め、本能事後の抗争などなどで、徳川に抵抗して戦果を収めてるという逸話
忠義というのはむしろ後付
弱い忠義の士が壮絶な討ち死により、強い忠義の士が壮絶な討ち死にのほうがお話として悲壮感もあってもりあがる
と、いうながれで忠義っていう設定になってるんじゃなかろうか
まあ実際そういう忠義な話があるのかもしれないが、上みたいに考えても納得できるんじゃないか?

829:人間七七四年
11/12/21 20:59:33.28 Usg3Tb9D
>>823
休戦期間中に信繁が大坂から義兄に宛てた手紙の中では
「思わぬことで戦になり大阪方に付きました。奇怪なことだと思われたでしょう」と書いている。
もちろん敵対することになり迷惑をかけている実家に遠慮しての言い回しではあるが
逆に言えば奇怪(おかしなこと)と書けるという事は、大阪方に味方するのが当然という理由や義理は、
姉の夫という身近なものでも知らない、もしくは無かったと推測することができる。

830:人間七七四年
11/12/21 21:06:13.07 nPOVPZ8Y
>>821
タイトルをハッキリさせるべきだが、いずれにしても創作としか言いようが無い。
真田丸を作った真田幸村は史実では真田信繁であり、徳川についた兄、信之とは違って、
徳川の世には身の置き所の無い立場だった。豊臣とともに滅ぶしかなかった訳だ。
それは長宗我部盛親とか後藤又兵衛なども同じだが、真田程には有名でなかったので
映画の主人公にはなれなかったというだけの事。

>>816
スレ違い、板違いと言われるのはしょうがないね。史実を離れた話を所望したんだから。
それで俺が何処かに書いた宇梶剛士の話はどうなの?

831:人間七七四年
11/12/21 21:25:06.79 6DcMLV2V
真田は一族を二つに分けて徳川豊臣どっちにもついて
どっちが勝っても家が残るようにしてた。
だから「忠誠」というよりは好戦的に「武功を狙った」というほうが
シンプルではあるだろう。

また、壮絶、覚悟、などやけに美化した表現が多いけど
戦いとは普通はそういうものだし数時間で負けてるから
そんなに言われてるほどたいしたことでもない。
撤退する時の言葉とかも妙にカッコよく捉えられてるけど
単に「負け惜しみ」というところ。

これは直江あたりにも言えることなんだけどね。

832:人間七七四年
11/12/21 21:57:38.51 NwiS4Ema
兄貴に何でもいいから士官の口利きをしてくれとか、泣きついてなかったっけか >信繁
豊臣への忠節と言うよりは、もう他に行き場もないから最後っ屁って感じだと思うぞ

833:人間七七四年
11/12/21 22:01:38.94 nPOVPZ8Y
>>832
あほか。仕官どころか高野山に軟禁されてんのに。

834:人間七七四年
11/12/21 23:19:15.65 oWz44n2t
>>819
なぜそんな理解になるのか分からないけど、
調伏と呪詛は同じ意味だからね

835:人間七七四年
11/12/21 23:27:00.63 1eD5GRVz
>>830
1対100で喧嘩したのはガチで凄いと思います、ありがとうございました

ちなみに板垣恵介の達人列伝という本だとスタミナの問題で達人でも30人
相手に勝つのがやっとらしいのでよほど相手が弱くない限り宇梶剛士の喧嘩術
は格闘技の達人のさらに上位に位置するのでしょう
バーリトゥードでもやっていたら有名選手になってたかもしれませんね

836:人間七七四年
11/12/22 00:12:21.10 F5GcXW5c
>>835
バラエティ番組での話によると、向こうも数は多くても内心ビビってたんで、オリャーって行ったら蜘蛛の子を
散らすように逃げたらしいです。

837:人間七七四年
11/12/22 00:12:39.48 jUyr65Cq
>>833
だから軟禁先から兄貴へのお手紙の中で
二人の間に交流があったことくらい知ってるでしょ

838:人間七七四年
11/12/22 00:20:26.12 F5GcXW5c
>>837
だから本当なら仕官を頼む以前に軟禁から解放されるように頼む所だろ。
許しを乞う事もしないで仕官したいなんて虫の良い話が有るか!!

839:人間七七四年
11/12/22 00:22:28.09 ASyxVd0S
>>834
正確に言うと調伏は悪人を改心させ仏法に帰依させる行為のことだから
呪詛の類とは違うし仏典でもそこは明確に区別されてる
時として相手を殺す場合もあるがそれは
悪人をこの現世では命を奪い来世で仏法に帰依させ救うという調伏の仕方に過ぎないし
これは『涅槃経』などの経典にも説かれている
一応、調伏とは違って本当に相手を苦しめるためだけの行為である呪詛もあるけど
これはあまり表だってやってたとは思えない

それなりに仏教への教養があったはずの上杉や武田が
そこを混同してたとはちょっと考え難い

840:人間七七四年
11/12/22 09:24:52.36 ISwhaZPx
原義とは異なる意味で使われるようになる言葉って普通にあると思う

841:人間七七四年
11/12/22 10:54:51.74 LfcX9W4R
信玄や謙信がお互いを「仏法に帰依させ救」いたいと願って調伏してたのか
ちょっと考えれば分かる話なのにw

842:人間七七四年
11/12/22 13:56:44.63 Awg875Bh
聞く限り、映画って下のこれじゃなかろうか
これだとしたら確かに真田が大阪城と豊臣家を守って、あるいは継いでいるけど
なぜ原作者は真田にしたのかはわからないが世間の一般人の通説と同様に
>>828氏の書いている考えなのかも知れないね
大阪冬の陣、大阪夏の陣での真田信繁 (幸村) の活躍


URLリンク(www.youtube.com)



843:人間七七四年
11/12/22 14:00:54.19 HwiZYMdr
早い時期に嫡男が生まれて成長していたら(小田原で初陣飾れるくらいの年頃で)、
関ヶ原の戦いとそれに続く大坂の陣は無かったと考えていいんだろうか。
それとも、その後淀との間に生まれる秀頼との間で結局は似たような
経緯を辿ったんだろうか。

冬休みに帰省してきた厨房の従兄弟に聞かれて自分でも気になった。
秀吉の配下で日本全国レベルでの政治ビジョン持っているような人材がいれば、
戦いに至らせずに豊臣の治世を成立させられたのかな。

844:人間七七四年
11/12/22 14:21:51.70 yFFNXlTl
そういう立ち位置だと、三成の名前が上がりそうだけど
三成の政治手腕でできたのかどうか…

845:人間七七四年
11/12/22 14:32:27.57 wbCmUAoh
>>842
これだと石田でも良かったんじゃないか
というか寧ろ石田三成じゃないとおかしい
豊臣家では五大老、関ヶ原での西軍大将

知名度と武勇で真田を選んだとしか思えない

846:人間七七四年
11/12/22 14:34:31.51 z74BLa2d
いっとくけどIFは答え出ないよ

847:人間七七四年
11/12/22 14:35:32.64 wbCmUAoh
西軍大将は毛利輝元だった

848:人間七七四年
11/12/22 16:44:33.02 ASyxVd0S
>>841
私はあいつが個人的に憎いわけではありません
正義のために悪いあいつを神仏の力で救って欲しいんです
後、私たちは正しいことをしているので悪い人たちに負けないようにしてください
という名目でしてもらうのが調伏の類

あいつが憎くて仕方がないんです
どうにかしてあいつを呪い殺したいんです滅亡させたいんです
という名目でしてもらうのが呪殺や呪詛の類

少なくとも調伏と呪詛では祀る本尊も違えば儀式内容も違うため
寺院側は明確に使い分ける必要があることだから
仮にそこら辺を知らないで大名が適当に依頼してても
寺院側は文脈から判断してどっちかをしてるはず

普通は世間体を気にするなら調伏の名目で依頼すると思うけど
公的に「呪詛」や「呪殺」の名目で寺院に依頼している人がいた可能性もあるから
そこら辺は否定しきれないけどね
自分が知る限り、多くの大名は調伏の名義だったと思うんだが

849:人間七七四年
11/12/22 16:52:14.99 ASyxVd0S
そういう質問があったわけでないしスレの趣旨から外れるからもうしないけど
当時でも寺院や僧侶は意図的に使い分けていた言葉だから
調伏と呪詛が全く同じという認識は理解として間違いって話ね
当時の一般民衆や権力者がどれだけ意識していたか
もしくは知っていたかは全く別問題だけどね

少なくとも>>819はわざわざ呪詛と調伏を使い分けて話しているし
そういう認識の上で話してたんだろうから間違いってわけではない

850:人間七七四年
11/12/22 18:40:55.22 PfvOHCTh
秀吉の下には家康と言うすごいビジョンも能力もあったのがいて
これに豊臣政権をまかせたんだが
裏切られた時点でアウト。
秀吉や秀頼にポコポコ男子がいたら別の話だろうが
それがうまく家康から人質とって裏切れないように
しててどうかというとこかな。
まったくイフなんだけどね。
ちょっとは面白いか。

851:人間七七四年
11/12/22 22:48:09.93 F5GcXW5c
>>843
嫡男つまり北政所の子ならば、いかに秀吉でも廃嫡出来ないので安泰の可能性が高い。

852:人間七七四年
11/12/23 17:37:10.05 6aoiX+FV
家康がやってるなぁ・・
茶々との間に生まれた子は徳川に養子に出されたりして。
そうすると家康もまた作戦が難しくなったろうな。

853:人間七七四年
11/12/23 20:18:35.88 5ck8nFSA
於次秀勝よろしく死んでもらえばいい

854:人間七七四年
11/12/23 21:22:15.68 7PU6Y+ew
大老奉行制は幼君秀頼の下で豊臣政権が運営されるように秀吉がとった苦肉の策。
これが無ければ外様の大大名が政権に参与する事は無くなり、
二頭体制の勢力争いが発端となる内紛である関ヶ原は起こりようが無い。
家康は豊臣政権内での権力を巧妙に利用して味方を増やし、且つライバルを潰していった。
いくら大封を領しているとは言え、一大名家であっては同じようには出来ない。
少なくとも彼一代で豊臣家を潰すなんていう真似は到底無理だろう。
秀吉死後に大大名たちが徐々に中央政権から離れて独立していく可能性はあるけど。
寧ろ問題なのは取次である浅野・増田・石田の三人。
取次として大大名を下につけた彼らが増長する方が危険。

855:人間七七四年
11/12/24 23:44:18.46 sFZQER3V
戦国大名のほとんどは天下統一を目指していなかったそうですが
統一を目論んでいた大名は信長以外、具体的に何家が挙げられるでしょうか?

856:人間七七四年
11/12/25 02:06:52.51 /2jv068B
足利将軍家

857:人間七七四年
11/12/25 14:29:06.75 E6Ei/OEs
家康様。
明日誕生日だ。

858:人間七七四年
11/12/25 19:14:32.39 8kvaR82B
戦国時代で和歌や漢詩の名手として知られていた武将はいるでしょうか?

859:人間七七四年
11/12/25 20:56:21.42 SMAAy7mw
畿内以外の大名で天下を意識していたのは、信長以外だと武田信玄、上杉謙信、尼子経久などがそうだったと
考えられる。

860:人間七七四年
11/12/25 21:37:31.35 g2K58TyL
南光坊天海

861:人間七七四年
11/12/25 22:34:28.23 QwR5gIKc
>>858
有名どころとして細川藤孝

862:人間七七四年
11/12/26 14:28:46.19 6ySSGuLW
>>858
まず思いつくのは織田信秀。
名古屋城を奪取するにあたり、名古屋城主の今川氏豊と「歌」による文通を続け、
ついに氏豊からの招待を受けた時に屈強の配下を伴い入城し、即効で城を奪った。

863:人間七七四年
11/12/26 14:48:28.30 LdVEqifJ
>>862
名手じゃなくて「好き」のレベルだろ信秀は。

歌の名手で武将といえばまず東常縁だ。

864:人間七七四年
11/12/26 16:29:53.15 6ySSGuLW
東常縁が戦国武将か・・・うーん・・・・

865:人間七七四年
11/12/26 16:34:51.57 6ySSGuLW
いや、すまん。
俺は「戦国時代は明応の政変から説」を支持しているから、時代が違うと思ってね。

866:人間七七四年
11/12/26 19:06:22.42 9YtJ2Df8
具体的に歌や詩をはってくれるとうれしいが。

867:人間七七四年
11/12/26 19:10:08.30 wWA4Qwth
敦盛 206,916
URLリンク(www.youtube.com)

868:人間七七四年
11/12/26 21:11:35.30 /5Ln4VyZ
佐川田昌俊、小堀政一

869:人間七七四年
11/12/26 21:17:56.44 NlUFjt6t
>>858
漢詩というと直江兼続なんかも戦国武将のなかでは有名かな。
三好長慶などにしてもそうだけど、基本的に当時の武将はこういったスキルは
かなり高い

870:人間七七四年
11/12/26 21:18:07.78 9AaqD6BF
>>865
俺も基本的には明応の政変論者だが、関東に関しては享徳の乱まで遡るのはありかと。

戦国時代の始期を応仁の乱から明応の政変に繰り下げたのは室町幕府中央の権威が存在していたから。
一方、関東は室町幕府の直接統制下になく鎌倉府の下にあった訳だが、中央の明応の政変に相当するのが関東管領上杉憲忠暗殺だと思う。

871:人間七七四年
11/12/26 22:00:37.09 IMacZv3A
戦国時代は織田信長が元服してから豊臣家が滅びるまでです(キリッ)

872:人間七七四年
11/12/26 23:13:33.53 9YtJ2Df8
>>870
そういうのよく聞くね。
関東の学者は享徳に始まりを持っていって
西より先に戦国に突入した、進んでたみたいな。
武士の起源とかもそうだけど微妙に東西で学説とか
解釈が分かれてたりするのは根拠がわかったりするから面白い。

最近は東国の戦国大名の本がよく出てるけどなんか
ちと拡大解釈してるような感じはするんだ。
そんなに歴史の中心にいたり動かしてたわけでもないだろうにね。

873:人間七七四年
11/12/26 23:24:17.40 LdVEqifJ
>>872
> 西より先に戦国に突入した、進んでたみたいな。

アホか。そんな解釈してるお前の方に関東コンプレックスしか感じないわ。

874:人間七七四年
11/12/27 00:19:51.80 tYipOkiR
制度面が進んでいたというのは定説ではあるが
比較対象の西国大名が未だに研究不足でようわからん

875:人間七七四年
11/12/27 09:44:52.25 cNhEIrvT
文明8年の長尾景春の乱からが
関東戦国時代の開幕だろう。
これで関東は修正不能の完全なカオスになった。

876:人間七七四年
11/12/27 13:05:00.39 O1/dARaZ
でも室町政権って建部の新政が始まったと同時に南北朝の騒乱が起き
完全な南北統一が終わる前に享徳の乱が発生しているんだよね
初めから混乱状態にあって、戦国時代も延長戦でしかない気もするのだが

877:人間七七四年
11/12/27 13:48:51.54 GOmLx8fm
>>876
そういうのを極論という

878:人間七七四年
11/12/27 13:49:05.70 mhunsbe2
義満が奥羽を鎌倉府統治にしちゃう妥協っぷりが
関東の戦国への導火線になってるからね。
それで東日本が鎌倉府のもんだから自分勝手にやらせてもらうわ!
なんて鎌倉公方が思ってたし、義持もそれでいいやって放任。
そこにくじ引き将軍義教が全国は俺のもんじゃ~とばかりに強圧的。
そんで鎌倉府を潰して、俺の子を鎌倉公方にするべw
そこで結城の乱が起きて、その戦勝祝勝の鴨の子を眺めて楽しむ会で
義教が殺され、越後上杉や利根川以東のやつらが
鎌倉公方を復興してくれー。じゃあ復興させっか!となったら成氏暴発だもんなw
そこに景春が山内上杉の勢力の半分近く引き連れて謀反し成氏と共闘し
その後のドンパチで早雲・為景・信虎が暴れ出すとか花火と燃料をあげすぎw

879:人間七七四年
11/12/27 14:26:17.84 sF1ufOOW
>>859
遅レスだが当時の天下=畿内ってことだと思うのだが。

880:人間七七四年
11/12/27 14:58:07.89 2S9o3xOV
>>873
別に自分の解釈じゃなくて普通の本に書いてあると思うが。
自分は877じゃないが少し極論っぽいが
戦国の定義によるとは思ってる。
それと東西で解釈が全然違うのは今後
大河で話題になるから面白いとは思うけどね。

881:人間七七四年
11/12/27 19:11:39.90 ZKo+/957
享徳の乱を提唱した峰岸純夫とその弟子たちの本には、
「関東の戦国時代突入は、西より先」とは確かに書いてあるが
「進んでる」などと妄言はどこにも書いてはいないだろうな

882:人間七七四年
11/12/27 23:21:22.19 2S9o3xOV
>>881
似たようなものじゃないか・・

883:人間七七四年
11/12/27 23:50:20.58 9T7Nw7hg
>>882
時間的に先を、進歩的意味合いで「進んでいる」ととるのは違うと思うが

884:人間七七四年
11/12/27 23:59:53.78 ZKo+/957
>>882
883の言う通り

885:人間七七四年
11/12/28 00:06:54.79 zk9j6BGl
>>882
お前日本人じゃないだろ
子供でもそんな解釈しない

886:人間七七四年
11/12/28 00:51:23.91 5jxEWvsw
この場合一番間違ってるのは>>882の歴史観だな。
一般常識から勉強しなおしたほうがいい。

887:881
11/12/28 01:01:37.41 qFyiZKB8
>>882フルボッコワロタw

888:人間七七四年
11/12/28 08:43:31.27 ax4lKcLn
西国住人がプライドを傷つけられ、
怒って噛みついてるだけの話だな。

889:人間七七四年
11/12/28 10:55:46.00 ytd0werF
東国国家論・権門体制論のような学閥絡みの論争中は
東西どちらががどれだけ優越してるかなんて話題は頻発してた

890:人間七七四年
11/12/28 11:47:10.20 S1d0v7sy
2chで東西対決に持っていこうとする奴は高確率でチョン

891:人間七七四年
11/12/28 12:56:04.40 suNE31ye
言い出しの872は、進んでた、というだけで「進歩的意味合い」
なんてどこにも書いてないんだけどね。
873や883がそういう解釈をすることこそ
コンプレックスだと思うのだけど。

自分は尾張出身だしどっちでもいいから
889のようなおっさんだが。

ところで権門という言葉自体が関東に多く見られる気がする。
なにかこう、朝廷とか将軍に対抗したいようなとこがあるというか。

892:人間七七四年
11/12/28 16:39:28.63 1gMNYxkk
現在は関東中心だけど
やっぱり当時は畿内が日本の中心でなにかと先行していたんじゃねえの?

893:人間七七四年
11/12/28 17:12:10.09 5jxEWvsw
2ちゃんで自分語りを始める奴は100%信用出来ない

894:人間七七四年
11/12/28 21:31:53.99 qFyiZKB8
問題は、「ある本・学者が○○と言ってる」のが事実か否か、それだけだ。
嘘や間違いを書けば、そりゃ叩かれる。
質問スレなんだから。

ましてや、「西国住人がプライドを傷つけられ」だの、
「そういう解釈をすることこそコンプレックス」だの、
素人のエセ心理学で深読みするのは、全くの無内容としか言いようがない。

事実だけ書けばいい。

895:人間七七四年
11/12/28 21:42:52.94 suNE31ye
事実をどう解釈するかで、享徳とか応仁、明応と
いろんな説がある、というのが基本だと思うが。

事実かどうかの質問じゃなく、どう解釈するか、という
質問にはいろんな説を紹介するのが普通だろう。

おかしなチャチャが入ってあれなんだが
873みたいなレスが一番困ると言うことだな。

896:人間七七四年
11/12/29 00:47:36.70 51ZYrfic
あとはお国自慢板でやってもらうとして、
次の方どうぞ

897:人間七七四年
11/12/29 00:51:49.33 3Lny+CX4
>>895
お里が知れるわ

898:人間七七四年
11/12/29 15:16:41.74 ex5iZjOT
福屋宛光秀書状の年代比定は天正九か十年かどっち?

899:人間七七四年
11/12/29 17:45:05.41 bTwHSLVc
>>875
長尾景春の乱自体が享徳の乱の「起承転結」の転じゃないか。

900:人間七七四年
11/12/30 17:28:42.76 QkeIm9d2
>>898
愛宕百韻の直後だから、10年。


901:人間七七四年
11/12/31 11:56:10.40 hrBLKNkr
戦国時代と言われるまでに争い事が日本中で巻き起こった理由を教えてください。


902:人間七七四年
11/12/31 12:22:39.97 WGenGiM4
義教が殺されて
幕府も鎌倉府も大空位時代を経て、
双方に幼君が擁立されて、
完全に権力が管領らに移ったから。

903:人間七七四年
11/12/31 12:35:58.00 OW60Be7N
>>901
生産力の向上により農民層の力が強まり相対的に支配層の力が弱まったからというのが通説

904:人間七七四年
11/12/31 13:40:38.01 7Dmr82ek
>>903
それ司馬遼太郎時代の通説だろ
最近じゃ小氷河期や災害時代説が解明されて
食料不足や秩序崩壊による混乱から各地で戦乱が起き、
(一昔前までは2毛作などは生産力の向上をあらわしているとされていたが、
近年では生産力減少を補うために開発されたやり方だというのが定説化されてる)
各地の地方大名達がそれぞれの地域を統合して地域秩序を形成していき、
やがてそれら地方大名達が形成していた地域秩序の上に乗っかる形で
豊臣政権が惣無事による日本統一を達成したというのが
現在の定説のはず

905:人間七七四年
11/12/31 14:33:54.81 jBIi9Wvg
>>904
最近小氷期説言ってる人いないでしょw
気候要因説で言えば、中世温暖期説の方が主流だよ

906:人間七七四年
11/12/31 14:35:32.53 tddURZHR
>近年では生産力減少を補うために開発されたやり方だというのが定説化
これ 詳しくわかる資料はありませんか?

つか二毛作成立は9-10世紀に遡るから小氷河期と一致しませんよね
そこらの解釈が知りたいので……

907:人間七七四年
11/12/31 15:08:35.49 BNFbhdyD
定説って総意と同じぐらい怪しい

908:人間七七四年
11/12/31 15:49:11.20 aEVH4OsC
氷河期を疑われるのは足利義持時代の異常な低気温と長雨。
これで大量の餓死が生じたが、これも商人による人災であり
商人・高利貸しが価格高騰に操作して被害拡大したものだとされている。
この日本弱体化が朝鮮軍による対馬攻撃を呼び込む。
基本的に人災によって餓死が起きるのであり
生産力自体がどんなに飢饉でも領民を喰わせるだけの地力はある。
現在の1億2500万人は無理だが。
あと西洋で起きた大噴火の火山灰が大気に舞ったから
天候悪化し小氷河期になったとする説もあるね。
ただ飢饉や餓死ってのは圧倒的に東国に多い。
一般的に東国の長雨と西国の旱魃が恐れられている気象だったが
西国では溜め池により解決できた反面で、
東国の特に標高が高い地での長雨ってのは冷害、
平野部では大洪水を発生させるため致命的。
基本的に畿内以西では司馬の説は正しいように思えるが
東国では信玄の土木河川工事に代表されるような
統一権力による治水が要求されたように思える。
堯舜禹の治水伝説なんてのもわかる話。


909:人間七七四年
11/12/31 16:35:02.08 hrBLKNkr
>>902
権力が管領らに移ったからというのが戦国時代幕開けとなる切欠になったですね。
強大な存在が無くなり、権力が管領らに分散されたため、権力者同士が争うようになっていったとう感じでしょうか。

>>903
農業生産力の向上により、支配構造にも変化が生じたのですね。
当時の支配構造を想像するのに必要な知識がまだ当方乏しいものでして、
支配層の何の力が弱まり農民層の何の力が強まったのか、何か例がありましたら教えてください。

>>904-907
小氷河期/温暖化期説などもあるんですね。戦国時代となった要因に気候も関与してるなんて面白いです。
小氷河期説では、食料を求めて民衆が争ったという見解なのですね。
温暖化期説を採る場合は、どのような見解になるのでしょうか?豊作だと争いは起きなさそうですが、
温暖化すぎて作物不足だったのでしょうか?

>>908
金融市場の政策の失敗なども争いの種を生んだ原因の1つなのですね。
さらには自然災害もあったりなど、戦国時代は様々な要因が折りに折り重なってたんですね…。
勉強になります。

910:人間七七四年
11/12/31 16:55:07.88 OW60Be7N
>>909
温暖化で生産力が上がる→土地を持つ農民の力が強くなる

人員(軍事力)と年貢(税収)の根源である強くなった農民層(惣村)を
直接支配する国人層の力が強まる

上に乗っかってるだけの幕府や守護の言うことなんか聞いてらんねー
俺らの方が力が強いんだから上に立ってやる

全国的な下克上の時代

教科書的な戦国時代説明はこんな感じ

911:人間七七四年
11/12/31 17:04:55.64 aEVH4OsC
支配構造にも変化ってのはやはり
畿内における惣村一揆や一向一揆のように
民間レベルで力を蓄えて、守護層の命令に対して
抵抗するようになったことが挙げられる。
これは農業技術の向上により
石高の飛躍的向上があったと考えられる。
それと共に渇水時の河川の水止め争いが近江などで頻発し、
その解決策を幕府が出すが、現状を把握してるわけでなく現地では無視される。
それを話し合いにより、円満解決した浅井などが
六角や京極ら守護権力に抵抗する惣村コミュニティーを形成する。
これは一向宗も同じで守護に対抗するために組織されたもの。
村単位での自主独立に近い感じ。
摂津や和泉などは逆に商業都市による自治に進化。
その一方で西国は将軍や大内へ意見・抵抗するための
国人一揆という古い体質が毛利手動で生きながらえているのは
大内氏などが彼らに弱腰で帰属してもらいたい側ゆえ
緩やかで、温暖な気候ゆえにぬるかったのだろう。
この大国に対抗するべく組織された国人一揆は南関東でも存在していたが、
いち早く戦国に突入していた関東ではさっさと解体されている。


912:人間七七四年
11/12/31 17:44:55.48 kM6X99Yn
>>900
愛宕の直後、というのは?
何かその証明はできてましたっけ。

913:人間七七四年
11/12/31 18:38:29.09 kM6X99Yn
連で悪い。
宇宙物理の最新ぽい説でガンマ線とかそういう宇宙線が
具体的に全地球的に影響を及ぼしたというのがかなりの短い
スパンでわかってきてて数年のうちにも細かい気温みたいなのが
説明できるのかもしれないのだよね。
異常気象みたいなのはそんなに突発で大被害をもたらしたわけで
もなくすべての原因を気象や飢饉に持っていくのは少し違う
解釈になっていくのかもしれない。

914:人間七七四年
11/12/31 20:55:42.85 hrBLKNkr
>>910-911
こういう経緯だったのですね。
とても分かりやすかったです。ありがとうございました。

915:人間七七四年
11/12/31 21:36:24.94 E98n4YHv
農業先進国の畿内の民力と
商業先進国の畿内の商力が、
自治権獲得の動きを示した。
地方では守護代が国人たちと組んで、
在京する守護への納税をチョロまかした。
管領家や将軍家の後継を巡って徒党、派閥化し闘争。
すると自派に付くなら守護代でも国人でも誰でも身分を引き上げる約束を乱発。
守護代を守護にしてやるなどと言い出して、
斯波の被官だった守護代の織田や朝倉らの立場が強化されていく。

916:人間七七四年
12/01/01 15:46:14.43 W2OMtoZJ
>>912
手紙は現存しているし、日付は5月28日になっている。
愛宕百韻は24日だから直後だろ。

信長の命で秀吉に合力することと
その後でそちら方面に行くから、なにかおいしいものをよろしく・・・

こんな内容。


917:人間七七四年
12/01/01 16:13:13.69 RemgNBFE
>>916
現存してないだろ
写しだろ残ってるの
だから「自」と「尉」のくずし字を誤写したんじゃないかって説がでてきたんだし

まあ個人的には天正十年だと思うけど
天正九年じゃ織田・毛利の状況に合致してないし

918:人間七七四年
12/01/02 08:27:30.39 NCBGxDXr
>>917
藤田が九年説だっけ。
「証言~」に載ってるのかな、それ、見てみないといかんな。

愛宕百韻も今は7~28日ぐらいが一般的な説じゃないのかね。
だから降りてきてすぐに行動したみたいな。
これも実はよくわからないんだけどな。

919:人間七七四年
12/01/02 15:44:16.40 feNYyGQd
守護代から大名になったのは織田、朝倉、長尾あたりが有名どころか
逆に守護が領国に帰って大名になったケースも多いのかな? 今川とか畠山がそんなん?

920:人間七七四年
12/01/02 16:56:39.14 78FsLkHH
武田や小笠原なんてそうじゃないかな。

921:人間七七四年
12/01/03 10:50:14.04 9QeJ8QKe
>>905
つーか最近では海底地層学からの時代別温度の調査が行われ、
中世は偉く寒い時代だったって事が判明した事が小氷河期説の論拠だろ

922:人間七七四年
12/01/03 13:14:32.75 HQF+G/g0
>>921
海底累積物コアから中世の小氷期が確認された、なんて話は聞いたことがないけど……

つか小氷期(LIA)てのは「期間中の気温低下が1℃未満に留まる、北半球における弱冷期」(IPCC)
って定義されてるわけで、東京(年平均15.6℃)と新潟(13.2℃)の差ほどもなかったりする
現在、中世小氷期は局地的気候変化の範囲内、って判断されてると思うよ

923:人間七七四年
12/01/04 08:28:36.24 ywUyqCw3
昨日テレビでやった映画にんたま、のシリアスな戦場シーンで大筒の砲弾が草むらで
バウンドして射程外まで届き、草むらに水を流し込み沼地にしてバウンドを防ぐ
っていうシーンがあったけど鉄の砲弾って草むらでバウンドするんですか?

子供向けギャグ漫画でも一応は真面目な合戦場面での事なので質問しました。

924:人間七七四年
12/01/04 09:37:20.03 FznhNkcF
>>923
URLリンク(www.youtube.com)
射角が低いとめり込まずに反跳する

925:人間七七四年
12/01/08 00:00:16.81 mgCYJcG2
信長の鉄砲に対向する為に、防弾チョッキみたいなものは着なかったの?

926:人間七七四年
12/01/08 00:04:19.92 LRLmi7QB
鎧を着てますがな

927:人間七七四年
12/01/08 13:23:32.56 lDaZ0YDe
南蛮胴具足で一応は防御可能だけど、
西洋も東洋も同じく、銃器の発達と共に鎧は廃れていく運命なのさ

928:人間七七四年
12/01/08 17:47:44.21 wc1iV5yB
まあ、日本人は特に防御軽視する傾向が強いからな
欧州では鎧が廃れる代わりに工兵や重火器が発達していくわけだが

929:人間七七四年
12/01/08 21:01:18.66 W/13sAdu
日本には竹束という軽くて防弾性に優れたチート防具があったから

930:人間七七四年
12/01/08 21:08:41.88 GJSROX7Y
草履や他の部分に使うような紐の寿命はどのくらいだったのでしょうか?

931:人間七七四年
12/01/09 00:27:16.61 ASeFSQgs
藁と木綿や綿の紐とはまたぜんぜん違う。
草鞋なんかは基本使い捨てで、武士だとひとつの合戦で履きつぶす感じ。

932:人間七七四年
12/01/09 15:30:10.56 rMrhsbUm
>>930
鼻緒が切れたら手ぬぐいを切って紐の代わりにして応急処置してた
って戦前生まれのじっちゃが言ってた

933:人間七七四年
12/01/10 17:30:22.73 5A/E64Ij
戦国時代の兜で、側頭部に飾りが付いてる物がありますが、
どのように付けてるの。 接着材?

934:人間七七四年
12/01/10 17:39:01.56 k1jYGRTe
>>933
甲に凸部分があってそこに固定する。

935:人間七七四年
12/01/10 17:41:38.48 1cggC8JG
持ち運びの時は取り外せるんだよな、あれ

936:人間七七四年
12/01/10 17:47:32.13 k1jYGRTe
これがわかりやすいな。伝織田信長兜。
URLリンク(www.lets-go-aichi.jp)
横の棒に挿し込む。

差し込むと
URLリンク(www.hina.co.jp)
こんな感じになる


937:人間七七四年
12/01/10 18:28:52.01 FeJOvQMB
>>936
こうなってんだ 面白いなぁ

938:人間七七四年
12/01/11 08:26:19.06 dGtlP9Py
戦国時代の都市を見るとあまり周辺を城壁で囲っているようなものがありませんが、
何か地理的な理由があったのでしょうか?

939:人間七七四年
12/01/11 10:09:36.26 imi153d0
蘆名盛興が伊達輝宗に次男の蘆名家への養子要請してた書状見つかった
らしいですね。

940:人間七七四年
12/01/11 10:43:48.36 5l+Vj7je
>>938
城壁都市は国家間、民族間での戦争が頻発する地域でより発達するものであり
異民族による根こそぎ略奪や、他国家による総奴隷化を防ぐもので
日本も統一国家の出来る前は城壁都市の原型である環濠集落が基本であったが
その後の日本の戦争はほとんどが内戦であり、極端に言えばやくざの縄張り争いに近い物で
新しいシノギを壊滅させる馬鹿は居ないので、一時的な略奪暴行を回避できる規模の
城や寺や山などの避難所があれば城壁都市を築かなくとも事足りた訳だ
それを踏まえて質問の戦国時代は末期になると内乱から踏み出し国家乱立の体をなし
さらに城下町が発達し守るものが増えると、総構えという、簡易城壁都市が出てくるが
すぐに戦乱が終わり城壁都市まで発達する必要性がなく終わった。
2次的な要因として地震が多い、高温多湿なため城壁で囲ったら蒸し風呂になる等もある

941:人間七七四年
12/01/11 13:04:51.44 0oeaCwWv
>>934 >>935 >>936
完璧に理解できました。 ありがとうございました。

942:人間七七四年
12/01/11 16:24:44.63 a1Fv7SHC
>>938
惣構えというのは土塁と堀で囲まれた城壁都市と解釈してもらっていい。

943:人間七七四年
12/01/11 16:35:00.85 i+p19M1p
戦国時代の鎧って、どれくらいの強度があったんだろう

944:人間七七四年
12/01/11 17:32:58.89 npDQ3DqI
>>922
違う違う
近年における海水準曲線の変動推移調査によると
気候の温暖化における海水面上昇は1110年頃に最高潮を向かえ
これ以降の年代から海水面は急速な衰退期に入っており、寒冷期の始まりが示されており
やがれそれは戦国時代となる15、16世紀でバリア海退とよばれる海水面減退の頂点を迎えており、
戦国時代が寒冷時代であった事を示している
そして、16世紀末から海水面は再び上昇に転じていき、小氷河期は終わりを告げる、というのが
海水準曲線から見た日本戦国時代の気候的背景であって
これを見る限り日本戦国時代は寒冷時代の極点を背景としていた事がうかがわれるぞ

945:人間七七四年
12/01/11 18:26:55.65 n7higtCE
>>944
パリア海退って鎌倉末期(14世紀)じゃない?

海水準曲線変動から見れば戦国時代(16世紀)は海進してる
だから戦国寒冷期の反証にしかなってないと思うのだけど……

946:人間七七四年
12/01/11 18:33:28.13 npDQ3DqI
>>945
なんで?
バリア海退と戦国時代日本気候の関係は普通に山本氏とフォアブリッジ氏に基づいてるが
君のは何が論拠?
てか、こっちも16世紀末、つまり戦国時代終焉期には上昇してると書いてる
君のいってる事は正直、相手のいったことから抜き出して自分に都合よく反証とさせてるだけにみえるけど?
とりあえず論拠頂戴

947:人間七七四年
12/01/11 19:08:43.13 n7higtCE
>>946
>戦国時代が寒冷時代であった事を示している
山本武夫先生、こんなこと言ってったっけ???

根拠も何も、戦国時代まっただ中(16世紀中旬)には海進おきてるじゃん
「これを見る限り日本戦国時代は寒冷時代の極点を背景としていた」
…なら、この海進の原因は何??

つか16世紀末から北半球の寒冷化が始まり、17世紀にはアルプスの氷河成長が問題になったのに
あなたの説(16世紀が寒冷時代の極点)によれば、暖かい時期はどこにあるの??

948:人間七七四年
12/01/11 23:12:06.71 UNKBaRjn
つーか、どの中世寒冷期説も微妙なんだよな
樹の年輪を分析しても、文書から見た異常気象の分析でも、
どの時代が最も寒かったかとか、研究によって食い違う

949:人間七七四年
12/01/12 00:12:55.55 YRGr66DA
記録の多い戦国後期からは温暖化はだいたい一致してるが
どこが谷かはまだ確定はしていない
冷害の記録も暖かいことが原因の長雨だったりとかな

950:人間七七四年
12/01/12 01:31:19.64 sNnW6cTh
>>944、946は”パ”リア海退じゃなく”バ”リア海退?の話をしてるな……

951:人間七七四年
12/01/12 15:08:21.77 Q0JlhDl9
>>943
くぐればここに
URLリンク(detail.chiebukuro.yahoo.co.jp)

952:人間七七四年
12/01/15 00:39:11.81 jhjNW+yM
戦国時代の東北と中世ヨーロッパってどちらの血縁関係がより複雑なの?

あと戦国と少しずれてるけど江戸時代の農民が閑農期に微分積分で遊んでたってのは本当なの?
たまに2chで聞くけどどうも信用できない

953:人間七七四年
12/01/15 00:47:11.55 /GzKCLv8
>>952
和算でググって自分で判断しろ。

954:人間七七四年
12/01/15 04:11:48.32 PnXnnzPl
>>952
2ちゃんで聞いて信用出来ないことを2ちゃんで尋ねるって馬鹿かお前は

955:人間七七四年
12/01/15 09:06:56.05 Z3q2/nh7
>>952
そういう農民さんがいたのは記録にあるけど
「みんなが」というわけではない。
微分積分というかパズルの解き方ってことで
自分で努力工夫したと言う話があるということね。

それと江戸時代の数学ー和算自体はかなり進んでいたのは事実。
だから寺子屋なんかで先生が「これはとけるかな」みたいなのは
やてたろうし、中には賢いのが自力で解いちゃったかもしれない。
そういうのは田畑の面積、年貢の歩合、と実用にもなったから
今のわしらよりよほど実用的であった、ということね。
このぐらいでいいかな。

956:人間七七四年
12/01/15 09:26:40.29 jhjNW+yM
>>954
同じ2chでもvipとかνで聞いた話だからさ

>>955
ありがとう
おらが村の秀才ならまだしも、殆どの農民がかなりの数学できたんだぜ!的な書き方が信用できなかったんだ

957:人間七七四年
12/01/15 10:28:14.54 L4NFrw4P
義務教育が敷かれてる現代ですら微積分できない人が大勢いる事を考えれば分かるかと

958:人間七七四年
12/01/15 19:46:43.37 OUNrAj+H
今は室内で仕事してる人が多いけど昔は
山や海で働いてたから逆に数学と言うか
天文気象力学算数みたいなのは体で覚えた
必需ルールでもあってそれはある意味今以上って
言い方もできるかも知れないんだよね。
田畑の水運なんてのは村の運命にも関わるし
段々畑だと台形立方体の体積分割とかそういうのも
関係してくるかもしれない。
おらが村の秀才の尊敬のされ方は尋常じゃなかったろうなぁ。

959:人間七七四年
12/01/15 21:52:31.68 tIPswftl
>>958
だが、基本的に和算はパズル以上のものでは無い。和算が出来ても同好の士以外には尊敬もされない。
実用って言ってもせいぜい鶴亀算みたいのくらいだろう。

960:人間七七四年
12/01/15 23:35:44.64 79GQvJVc
暦とか和算で作られているんだけどなー

961:人間七七四年
12/01/16 00:10:13.02 vJMlLGjE
暦は一般人が勝手に作っていい物じゃないだろ。

962:人間七七四年
12/01/16 12:08:54.52 CbQsCTY0
958だけど、タネをいつまくかとか実用的なものは
必要でしょう。だから暦でなく気象天文にしたのだけど
そういう私暦みたいなのは計算はされてたとは思うよ。

963:人間七七四年
12/01/16 13:10:00.92 C//vCHAb
和算は実用的なものだよ
年貢の換算や検地、堤防や水路などの土木計算、揚水装置の設計、天文や地図作成の測量など
色々な面で使用されていた
むしろ数学の研究が本格化したのは維新後に西洋数学が入って来てから

964:人間七七四年
12/01/16 13:13:57.33 ELgndS79
私暦=myカレンダー みたいなもの??
自分の予定表作るのにExcelのマクロ計算使います、って言ってるくらい無理が……

965:人間七七四年
12/01/16 16:39:30.94 CbQsCTY0
>>964
田んぼといっても日当たりは違うわ
場所、地域、地方によって違うし
同じ品種でも収穫手法が当然違ってくるでしょう。
だから村総出で順番に稲刈りする時でも
「もう3日あと」とか経験則で数えて判断してたということね。
早いと少なくなるし遅いと台風が来るかもしれん。
公式の暦とは別に実用段階でのマイ暦を作ってたろうな
ということで、別に無理とかそういう問題じゃないのだけどね。

966:人間七七四年
12/01/16 17:03:58.07 ELgndS79
>>965
>経験則で数えて判断してたということね
それのどこに”和算”の入る余地が……

967:人間七七四年
12/01/16 22:57:18.52 vJMlLGjE
>>965
>経験則で数えて判断してたということね。
そういうのは種まき爺さんのような雪形などとして伝承してるけど、和算と何の関係が?

968:人間七七四年
12/01/16 23:10:25.38 EN6BA9ZV
つか>>955で答え出てるよな

969:人間七七四年
12/01/16 23:58:58.89 0eQUYzYm
つーか算数使わなくても足りる日常の習慣に
わざわざ和算だのマイ暦だの使ってたら、逆にバカとしか思えないがw

970:人間七七四年
12/01/17 03:00:35.02 usP3r4si
武田家の御旗と楯無は今現在は喪失されてしまったのでしょうか?

971:人間七七四年
12/01/17 03:12:48.94 ONrrEHat
菅田天神社の小桜韋威鎧鎧じゃだめなの?

972:人間七七四年
12/01/17 20:53:38.04 lyjZIa1X
公家も剣術習っていたというけど
剣の達人の公家ってどんな人がいる?

973:人間七七四年
12/01/18 14:56:37.65 zespbTXx
>>970
御旗は甲州市塩山上萩原の雲峰寺に、
楯無は>>971のとおり。

974:人間七七四年
12/01/19 15:35:16.66 9WEAwUVo
>>972
北畠は代々そっち方面で有名。
公家でありながら、後に戦国大名に名を連ねる。代表格は北畠具教。

975:人間七七四年
12/01/20 09:02:38.93 DHmDQ/T8
このまえの信長番組で火縄銃の値段がポルトガル人から買った時は
一丁1000両(1150万円) 量産化に成功した信長は一丁1000文(50万円)
ってやってたんですけど、これだと計算上は
1両が1万1500円、1文が500円ですよね? 小判一枚が一万円札、最低通貨の1文が500円玉感覚なんですか? 
そうなると23文で1両になっちゃいますよね?

この時代の通貨単位や価値について教えてください
※以前本で読んだ時(これも内容メチャクチャ)
1文
1朱 (1部の4分の1、何文なんだよ)
1部=250文
1貫=4部=千文 
1両=4貫=16部=4千文
(両は金貨銀貨の数え方なので銀1両、小判1両、大判1両かで変わる)

976:人間七七四年
12/01/20 14:49:22.19 aM4rQmP3
室町時代の15世紀後半~16世紀中頃
一文は100円程度。
一貫文(1000文)が約10万円
一両に相当する金4匁~4匁5分が30万円
*大判が金45匁で作られ、後にこれが小判10枚相当ということから
   
   一両という貨幣は当時は無いから重さで取引されていた。
   当然金の質に差があるからどこの産かで価値は違う。
   銀は当時から金の5分の一ほど。

これで行くと>>974の金額はデタラメということになるが??

977:人間七七四年
12/01/20 14:52:40.06 aM4rQmP3
おっと失礼>>975だね。

978:人間七七四年
12/01/20 15:03:00.25 UQIfc1yt
975は江戸時代の通貨制度だからな
戦国時代へそのまま適用はできない

大体、江戸時代の通貨も時代によって価値が全然違うし、
何を基準にするかで現代での価値も相当変わってくる
一両あたり、米価換算なら四万円、給与換算なら30~40万円、そば代換算なら12~13万円
URLリンク(www.imes.boj.or.jp)

979:人間七七四年
12/01/20 16:05:15.50 n2O+vQTX
信長の撰銭令(1569)だと金10両=銭15貫文、銀10両=銭2貫文
当時の金銀銭交換レートを反映してると思うからコレを元にして……

都(1582頃)豆腐一丁3文 ナス10個で一文 日払い日当20枚くらい
「時代を超えて野菜の値段はそうは変わらない」と思うので”ナス”基準で以下計算
現在スーパーで長ナス一本50円、つまり信長は一丁ナス10000個→50万円相当で購入
これは>>975の数字にあってるね

で、種子島時尭は1挺金1000両で購入(1543)これは銭150万ナス1500万個
つまりナス換算で一丁7億5千万円で買ったことに……

なんか「1000両=1150万円」の計算の元が気になるねぇ

980:人間七七四年
12/01/20 17:03:02.80 IXuB1Hw5
ナス換算は初めて聞いたな、おもしろい。
魚も記録が残ってるからできそうだな、イワシレートとか。

江戸は長いしテレビなんかだとかなり後期のプライスだから
戦国には合致しないだろうなぁ、300年立ってるし。
ソバは固定で末期に値上がりしたからわかりやすいのだけど
やはり外食だからか米レートとは結構違ってくるよね。

信秀が寄進したのが3000貫とか信長が本願寺に
要求したのがそのぐらいとか、それだと一貫10万以上というのは
ちと高すぎるようにも思うのだよね。

仕事人さんは1両で引き受けるけどそれ思うとゴルゴさんは
ぼったくってるよな。
最初は1000万ぐらいだったけど最近はいくらぐらいになってるのかな、
ヒットマン料?

981:人間七七四年
12/01/20 17:06:48.05 HmIo6lKP
一両の価値は上でも出ているように何の品目の物価を基準にするかで大きく違ってくる
金自体の価値も現代は下がってるし米等もエンゲル係数が馬鹿高かった時代
その中では職人の日給から算出した30万~50万円が感覚的に一番しっくり来ると思うよ
ただ物価も現代と違って京と関東で2倍の差が付く場合があるとか
地域格差が大きいとかも考慮に入れないといけないが

982:972
12/01/20 17:23:06.05 F6rZ1Vrs
>>974
遅レスごめん そうか北畠さんがいたか ありがとー

983:人間七七四年
12/01/20 18:28:16.20 lrtMNoma
精銭1枚1文で換算するので鐚銭だと1貫4000枚か。
これじゃあ決済や持ち運びにも苦労するな。
外人との取引は高額決済(金や銀や米札)や相応の価値のある輸出品との物々交換だったのかなあ?

984:人間七七四年
12/01/20 20:15:24.78 mOG4Q2mM
かつて見たアニメで
昔は私的に作った硬貨も価値が大幅に下がるだけで
市場で使用可能だったと描かれていたのですが
戦国時代にはそうした硬貨はどの程度出回っていたのでしょうか?

985:人間七七四年
12/01/20 21:41:51.05 UQIfc1yt
私鋳銭ね
いわゆる「びた一文まからない」のびた一文ってのが私鋳銭含むびた銭(=粗悪な銭)
それこそ、大名や時代によって換金率や使用の有無まで変わってくるから、
一概にどうとかは言えないな

986:人間七七四年
12/01/21 07:48:07.83 e9B5AfmV
今日明日で、京都・伏見、大津・膳所・石山あたりを周ります。

987:975
12/01/21 08:26:38.16 rEEHK+rj
詳しい情報ありがとうございます
それで、また別の番組で言っていた事で、信長は平氏の子孫だと言うのですが

とある歴史マンガにて「我が織田家は源氏の流れをくむ由緒ある家柄、それをあいつら~~」
夢幻の如く(信長がモンゴルにて)「俺の先祖の者がチンギスハンと名乗りかつてこの地を治めたのでな、子孫の俺がまた来たわけだ」

複数のマンガで織田家は源氏の子孫ということになっていますがどっちが正しいのでしょう? ちなみに番組では

平氏を倒したのは源氏、それを倒したのが平氏の子孫の北条、それを倒したのが源氏の子孫の足利
それを倒したのが平氏の子孫の信長、それを倒したのが源氏の子孫の光秀
それを倒したのが平氏の子孫を名乗った秀吉、それを倒したのが源氏の子孫の家康、と言ってました

秀吉も平氏じゃなくて「実は俺は源氏の子孫で」って言ってませんでしたっけ?
それで「俺は本来源氏の人間だから」っていう名分で足利家の養子になろうとしたんじゃ……
母親が将軍家に奉公に行った時に間違いが起きて母が身ごもってしまって、その時生まれたのが自分だと言ったとか

連続質問すいません

988:人間七七四年
12/01/21 08:51:22.31 /LEmYAYT
最近では忌部氏と言われとるね

989:人間七七四年
12/01/21 09:00:02.58 b5GfBEbl
平信長でしょ


990:人間七七四年
12/01/21 12:27:33.41 GA35w0jv
まあ実際の出自はともかく信長が平氏を強く意識していたのは間違いない

991:人間七七四年
12/01/21 14:33:52.84 OkTlvihO
織田は藤原を名乗っていた。
信長も尾張統一以前の文書には「藤原信長」の署名がある。
1571年には「平信長」となった。
平親実から始まる家系図もこのころ作られたんじゃないの?
家系図はホントにいいかげん。

992:人間七七四年
12/01/21 15:05:56.87 rJgb+r7o
>>991
> 平親実から始まる家系図もこのころ作られたんじゃないの?

それはなんとも言えない。元々平姓だったのが何らかの理由で一時的に藤原を名乗っていた
という可能性もこの時代考えられる。

993:人間七七四年
12/01/21 17:28:13.54 LH+pqmVQ
次スレね
【疑問】スレ立てるまでもない質問 9【戦国時代】
スレリンク(sengoku板)

994:人間七七四年
12/01/22 00:45:42.00 XP6yoERN



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