【早雲】後北条家総合スレッド 其の四【氏直】at SENGOKU
【早雲】後北条家総合スレッド 其の四【氏直】 - 暇つぶし2ch750:人間七七四年
12/05/26 10:16:45.78 ljVAdvEn
>>749
お前が見てる小田原合戦時の陣立書が何に乗ってるものか知らないけど
少なくとも下山氏の引用には乗ってるし小田原市史資料編の原文にも載ってる

751:人間七七四年
12/05/26 10:58:43.41 tNzsuhWb
三増峠でボコボコにされて血便流した北条のスレはここですね

752:人間七七四年
12/05/26 11:00:05.46 usxJZcB8
【武田完勝☆】三増峠の戦い【北条涙目wwww】
スレリンク(sengoku板)

こっち

753:人間七七四年
12/05/26 11:45:24.58 PHz8bcqP
徳川2万織田1万3千などに兵数が下方修正された陣立書のほうは人じゃなかったかな
3万1万5千のほうは騎だけどね
これ両方とも市史にないかい


754:人間七七四年
12/05/26 12:15:20.11 ljVAdvEn
そもそも騎なんて言葉何の意味もなく使われたり使われなかったりするのに
馬上身分だけを示すとかアホすぎるだろ
3月28日豊臣秀吉状で
5万騎にて山中城攻め崩しとか書いてるけど馬上身分だけで5万もいたのかって話

755:人間七七四年
12/05/26 13:02:27.43 PHz8bcqP
同じ穴のムジナwww

756:人間七七四年
12/05/27 01:04:05.02 lKNuMb3L
もはや支離滅裂だなw
今時、論破されてここまでファビョる奴も珍しい

757:人間七七四年
12/05/27 11:01:04.38 hgfqsN4k
多分自分でも何に反論してるのかわからなくなってると思うぜ

いるんだよね、自分が正しいと思うあまり
他人の粗につっこむだけで論点を見失っちゃう奴

758:人間七七四年
12/05/27 11:52:58.51 INMFHHis
北条を8万とか6万とか言ってる馬鹿は講談軍記脳の馬鹿

759:人間七七四年
12/06/15 05:04:35.93 20ulrC+E
玉縄城築城500年祭り
URLリンク(www.tamanawa.net)
2012年 11月に開催します

玉縄歴史アカデミア No.13「北条早雲と鎌倉そして玉縄城」
URLリンク(www.tamanawa.net)
平成24年6月30日(土)14:00-17:30
会場:(玉縄城本丸跡)


760:人間七七四年
12/06/18 15:04:03.36 nHcNud5N
>>756
情弱乙
それマスゴミが言ってたそのまんまじゃん

761:人間七七四年
12/06/19 00:39:10.81 iBPVDkfe
よく後北条側は、秀吉軍の兵站能力を過小評価していたと言われるが、本当だろうか?
と言うのも、天正十六年五月くらいまでに、山上宗二が小田原に来ている。
言うまでも無いけどこの人は、堺の住人で利休の弟子。
通説の如く、堺の商人が秀吉の兵站を下支えしてたとするなら、宗二が知らないわけは無く、
親しく付き合ったとされる、氏直以下に情報が流れないはずがない。

まあ何で開戦したの? と言う根本的な疑問が残るけど、そいつはいったん棚上げしておくれw

天正一六年と言うと、戦闘準備は一段落したけれど、氏規上洛がらみでどたばたしている時期で、
そんな時期に上方からやってきた知識人相手に茶飲むだけなんて考えづらい。
と言うか、宗二が別方面で仕事をした形跡があるんですよ。
天正一六年に最前線である上野権現山城に備蓄されていた火薬は、
火縄銃一丁あたり三十六発程度。
にも関わらず、その二年後の小田原合戦で北条が火薬に困ったと言う話は無い。
二か月たっても連日銃撃戦みたいなことを榊原康政が言ってたり、
黒田官兵衛に、城方が火薬を送ったりみたいな話があるくらいで。
で、火薬の原料の硝石は輸入主流だが、言うまでも無く堺が窓口なわけで。

北条が秀吉を甘く見ていたとしても、
少なくともそいつは兵站がらみじゃないと思うんだが、どうだろうか?

762:人間七七四年
12/06/20 03:39:56.34 0ebY01oH
死の商人が一儲けしたんだったりして
以降世の権勢は博多商人へ

763:人間七七四年
12/07/01 07:37:29.13 KFlRJh5L
河東一乱から河越合戦の間の北条大ピンチの時に、里見が氏康に援軍を申し入れたけど氏康が断った、って話をどっかで読んだ記憶があるんだけど、夢でしょうk?

764:人間七七四年
12/07/01 07:39:59.84 KIbXmFfR
里見スレで聞いたほうが早いかも

【安房・上総】里見氏を語るスレ2【関東副将軍】
スレリンク(sengoku板)

765:人間七七四年
12/07/01 08:05:07.22 EPk90u0f
>>763
1544年9月 北条綱成が里見方の妙本寺砦を攻略。海戦もあり。
1545年6月 里見から山内上杉への使者を捕縛。
1545年8月 北条氏康と今川義元の和睦交渉が決裂。合戦が始まる。
1545年9月 山内と扇谷の両上杉が河越城を包囲。
1545年9月 里見義堯が北条氏康に和睦を請う。真理谷武田信応がこれに反対。

都合のいい略年表で申し訳ないが真理谷武田は駿河今川と結ぶ甲斐武田に同調したのでは?

766:人間七七四年
12/07/01 08:59:30.25 KFlRJh5L
早速ありがとうございます。
第一次国府台合戦の段階では、北条が信隆を、里見が全方・信応を支援していたのに、
河越合戦のあとは北条は全方の子の義信を支援して里見が奪った佐貫城を攻撃しているのですね。

房総は複雑だ。

やっぱ、なんで里見が圧倒的に不利な北条に敢えて援軍を持ちかけたのか、よく分からりません…。
河東一乱の前年に正木時茂が真里谷朝信を討って、武田との関係が悪化したことが影響しているのか?もっと勉強してみます。

767:人間七七四年
12/07/01 09:15:21.59 KFlRJh5L
あと分からないと言えば、河越合戦直前の北条大ピンチの段階で、なんで太田資顕が北条に内通したのかもよく分からない。

768:人間七七四年
12/07/01 09:58:48.51 DULM+0Bl
扇谷上杉に、曾我と太田の内部対立があったと見るべきだろうね。

769:人間七七四年
12/07/05 00:36:29.42 IiP3x2G/
2・3ヶ月前の鑑定団に幻庵作の笛が出てた

770:人間七七四年
12/07/25 14:40:15.75 WxIDsAFf
>>766

> やっぱ、なんで里見が圧倒的に不利な北条に敢えて援軍を持ちかけたのか


相手が不利な時にこそ恩を売っておくというのは処世術としては悪くない。

771:人間七七四年
12/07/25 19:05:27.60 tsmTYkzP
そのまま北条が敗退したとしても北条がそのまま反撃もせずに滅びるのは考えにくいものな
恩を高く売る方法をよく心得てらっしゃる >里見

772:人間七七四年
12/07/30 22:33:33.24 PnPu64an
【サッカー/U-23】五輪 日本、モロッコに1-0勝利で準々決勝進出! またも生きた永井のスピード、権田と守備陣が守り切る★13
1 : ◆YKPE/zzQbM @ゆきぺφ ★:2012/07/30(月) 17:04:36.72 ID:???0
2012 ロンドン五輪 男子サッカー グループステージ 第2戦

◆ D組
 日本 1-0 モロッコ  [ニューキャッスル]
1-0 永井謙佑(後39分)

◆ U-23日本  関塚隆監督
GK 1 権田修一(FC東京)
DF 2 徳永悠平(FC東京)
   5 吉田麻也(VVV/オランダ)(Cap)
   12 酒井高徳(シュトゥットガルト/ドイツ)
   13 鈴木大輔(アルビレックス新潟)
MF 3 扇原貴宏(セレッソ大阪)
   7 大津祐樹(メンヘングラードバッハ/ドイツ) → 15 齋藤学(横浜F・マリノス)(後33分)
スレリンク(mnewsplus板)



773:人間七七四年
12/07/31 15:21:13.06 j9dlq1LI
後北条って大坂の陣に徳川で参陣した?

774:人間七七四年
12/08/02 20:48:53.63 m5PFYUm8
関ヶ原は参陣してたけど、
大坂の陣は……てか狭山って、大坂城から20キロくらいしか離れていないので、
その時どーしたんでしょってのは、確かに興味深いww


775:人間七七四年
12/08/17 12:43:42.02 qqMQcmeD
>戦国時代の礎石建物発見 小田原城跡 北条氏の主殿か

URLリンク(www.tokyo-np.co.jp)

「太守の塁は喬木森々として高館巨麗なり」(『明淑録』より)

776:人間七七四年
12/08/26 17:59:46.59 iZwJ9fro
ちょっと質問なんですが氏康の娘で1550年頃に生まれた女子っていますか?
誰に嫁いだかも判るとうれしいです

777:人間七七四年
12/08/28 20:29:16.23 sMc7D6D6
大河やってほしい(特に氏政)。三傑(織田は間接的にだけど)も武田も上杉も出せる。
NHK大好きな夫婦愛、家族愛もカバー。唐入りなどのタブーにも関係なし。小田原の陣では
滅び行く美学で劇的な終幕。これだけの要素が揃っているのになぜやらない…!
善政をしいた関東の覇者、最後まで天下人に抗った誇り高き男などのキャッチコピーで、
バカ殿イメージを払拭してもらいたい。

778:人間七七四年
12/08/28 21:06:54.32 o5Qg+1UJ
大河ねぇ。小田原の商業界くらいしか望んでないんじゃね

779:人間七七四年
12/08/28 21:50:43.95 s14p+Dtc
今の大河じゃ出番無い方が汚されなくて済むって言われるだけだろ

780:人間七七四年
12/08/28 22:49:52.82 3gfJNxx5
直江嫌いの俺が直江ファンに同情するくらいだったからな
冗談抜きで罰ゲーム

781:人間七七四年
12/08/29 01:45:33.81 el68nbsm
あの大河、小田原落城時の北条父子は結構カッコよかったな。
そういう俳優の熱演が、逆に浮いて見えてしまうようなクソ脚本だったけれど。

782:人間七七四年
12/08/29 12:18:41.97 fhHeg6iE
今の大河は、女の入れ知恵で行動し愛と平和を叫ぶ主人公にされるからな

783:人間七七四年
12/08/29 14:19:22.22 xzZZwQ1X
戦国大河で愛と平和とか片腹痛すぎて笑いが止まらん

784:人間七七四年
12/08/29 19:39:08.04 QPhtaCA6
大河出るなら脇役の方が良い俳優使ってくれるじゃん、
氏政で言えば清水糸広治や伊吹吾郎だったし、主役
だとろくでもねー奴な上糞設定にされて不愉快になる
可能性大じゃん

785:人間七七四年
12/08/30 00:48:40.56 W4TSELA9
>>782
んで、平清盛みたいな意欲作にすると、低視聴率に喘ぐことになる…
結局、視聴者がアホなんだろうなぁ

786:人間七七四年
12/08/30 02:08:28.81 sPMAYLpv
たしかに開始当初はいろいろあったけど今は面白いのにね、清盛
十年近く戦国と幕末ばかりだったから新鮮だぜ

でもあの時代はわからないって見るのを止めた人が多いらしいね
わからないから面白いのに

787:人間七七四年
12/08/30 04:21:37.77 Fv9ti+Mf
平清盛は現代の化粧で現代の言葉使って現代の歩き方して大鎧着てるのに兜も被らず戦ったり
下手すれば水戸黄門より酷いレベル
オマケにNHKの日本人に対する悪意が篭ってるし最悪の大河

788:人間七七四年
12/08/30 08:55:09.72 Dphq5yQP
当時の合戦では、視界確保のため、馬から下りたら兜脱いで戦うのがデフォだった。

789:人間七七四年
12/08/30 09:14:15.65 sPMAYLpv
ここ十年で時代がかった言葉を使ってる大河の方が少ない
ナンバ歩きしてる大河を見たことがほとんどない
ほとんど面頬や頬当をしてはずなのに大河で使ってるところを見たことが殆ど無い
竹束を使ってるところを(略
槍衾を(略
印地打ちを(略

で、何が酷いって?

790:人間七七四年
12/08/30 12:46:12.57 sqwxRhME
忠盛が出ていた時は見ていたけどねぇ。
なんか、違うんだ、清盛が。

791:人間七七四年
12/09/02 17:52:52.24 8FobzUsx
あげ

792:人間七七四年
12/09/03 13:52:37.49 1diTmRPG
>>789
>ナンバ歩きしてる大河を見たことない
過去の大河でもナンバ歩きをさせてる作品なんて、ねーよ


793:人間七七四年
12/09/03 15:10:00.15 +GJUcPB+
>>792
だから787みたいな指摘はおかしいだろって話
文脈読めよ

794:人間七七四年
12/09/03 22:23:07.22 GHPvR24K
馬鹿はほっとけ

795:人間七七四年
12/09/04 12:15:32.24 DptfMW88
20数年ぐらい前までは適当なチャンバラものですら奥方は眉剃ってお歯黒付けてたし
さすがに今の大河のように武士が手足振り回して歩いたり走ったりはしなかった
服装や髪形も当時の定説に則り作製されていた
歴史は年を追う毎に解明されて進化するのに、何故か大河ドラマは逆に退化していく不思議

796:人間七七四年
12/09/28 03:24:18.12 TmJgd6y6
玉縄歴史アカデミアNo.14[戦国北條氏と鎌倉そして玉縄城]
URLリンク(www.kanagawa-kankou.or.jp)
2012年10月8日(月) 13:30~17:30
清泉女学院中学高等学校(玉縄城本丸跡)階段教室

797:人間七七四年
12/10/04 03:20:40.87 xPVoCz/p
玉縄城築城500年祭
URLリンク(www.city.kamakura.kanagawa.jp)
玉縄城は戦国時代の1512年、北条早雲によって現在清泉女学院のある
玉縄の小高い山の上に築かれました。難攻不落の堅固な山城で、
小田原北条氏が関東を支配する際の重要な拠点でしたが、
豊臣・徳川連合軍の小田原攻めの際に無血開城し、1619年に廃城となりました。
たび重なる外部侵攻を受けて荒廃した鶴岡八幡宮を13年かけて
再興・造営したことは、玉縄北条氏のあまり知られていない偉業です。

今年は築城500年に当たります。これを記念し、
玉縄城築城500年祭実行委員会と市が共催して、
10月2日から11月末までさまざまな催しを行います。

798:人間七七四年
12/10/04 05:16:11.22 2h63FlKR
東国の戦国争乱と織豊権力
池 享 著

目次
十六世紀初頭の東国―プロローグ
/新旧勢力の激突(北条氏の武蔵進出/第一次国府台合戦/河越合戦/常陸・下野の情勢/《コラム》戦国期東国の人と城郭①―上杉憲政と平井城)
/地域社会の変貌(頻発する紛争/土地・用水をめぐる紛争/流通・貨幣をめぐる紛争/文化と宗教/《コラム》「『結城氏新法度』の顔」)
/北条・上杉・武田の角逐(北条氏の発展/上杉謙信の越山/北条氏の反攻/越相同盟の成立と破綻/《コラム》「長年寺の僧 受連の活躍」/《コラム》戦国期東国の人と城郭②―太田資正と岩付城)
/北条氏領国の仕組み(領国の論理/領主層の結集/民衆の編成/流通経済の統轄)
/東国政局の展開と織田権力(北条氏関東統一の進展/佐竹氏の南奥進出/甲越同盟の成立/武田氏滅亡と信長の「惣無事」/《コラム》戦国期東国の人と城郭③―「梁田晴助・持助と関宿城」/《コラム》戦国期東国の人と城郭④―北条高広と厩橋城)
/豊臣秀吉の全国制覇と東国(本能寺の変の衝撃/中央政局の変動と東国/豊臣政権の「惣無事」政策と東国/北条氏の滅亡)
/「天下統一」と東国社会―エピローグ


内容説明

小田原を拠点に勢力を伸ばした北条氏は、足利・上杉ら伝統勢力をいかに打ち破り、関東に「地域国家」を築いたのか。
領国形成、対立を超越した平和秩序への動きから小田原落城まで、東国にとっての「天下統一」を問う。
URLリンク(www.yoshikawa-k.co.jp)

799:人間七七四年
12/10/04 21:02:46.64 H90n8o/5
>>798
ありゃ、既に売ってたのか、明日にでも買ってくる。

800:人間七七四年
12/10/05 11:35:02.47 kAfm/E0D
早雲が縄張りしたいわれる米持城が保護されず簡単に破壊されてる。この事実をどうみるか?

801:人間七七四年
12/10/05 12:06:01.82 sIHtR4OU
>>795
>20数年前までは適当なチャンバラものですら
 奥方は眉剃ってお歯黒してたし

ああ、それは無い。大きな誤解。
戦後の昭和の時代劇全盛時代でさえも
眉剃りお歯黒をさせてたのは拘りのある文芸作や
考証と情緒に力を入れた監督の作品のなかでしか見られない。
多くの時代劇ではすでに眉もあったし、お歯黒もしていない。

802:人間七七四年
12/10/06 06:52:31.53 UG6MxYWy
だが待ってほしい
時代考証するつもりもない「時代劇」などそもそも時代劇として認識されていないのではないか?

803:人間七七四年
12/10/06 17:37:16.42 gSD2KOld
あくまで劇だから、観る人が納得するリアリティがあれば良いんだよ。

804:人間七七四年
12/10/06 20:19:36.23 oBrT/XAZ
創作物において、リアルっぽさは面白くする要素、リアルはつまらなくする要素
だとかなんとか

805:人間七七四年
12/10/07 08:11:30.19 y2yf237G
必殺仕事人見ればそんな事考えなくなるよ
カードローンとかあったしw

806:人間七七四年
12/10/07 20:54:43.96 gLXilAWk
時代劇というのは江戸時代などの実際にあったを時代を背景にしてるんじゃなくて、
時代劇時代という架空の時代を背景にしてる

みたいなことを昔の時代劇のプロデューサーだか監督だかが言ってた
なるほどな、と

807:人間七七四年
12/10/07 22:59:43.18 xGkXRbmJ
>>798
早く6巻が読みたいぜ

808:人間七七四年
12/10/08 21:24:42.31 ROLhqXsY
映画化したそうなので、この期に及んでようやく、のぼうの城を、読みかける。
最初の方で、ページを閉じる。

誰? この氏政とか言う人。

809:人間七七四年
12/10/09 06:25:18.12 sRAIjwt0
自分が無知だということをそんなに自慢されても困る

810:人間七七四年
12/10/09 13:48:43.48 OBm8tCe1
>>808
大河ドラマでも出てくる人なのにね、氏政
00年代だけでも二度は配役されてるし、
名前だけの登場なら四度はでてるはず

811:人間七七四年
12/10/09 20:23:56.11 qBHSopn7
篭城するから、防戦準備なんかいらない、
なんて言い伝えのある氏政なんて知らない、
と言いたかったんだが、まあ書き方が悪かった。すまん

812:人間七七四年
12/10/09 20:30:12.01 OBm8tCe1
それは補足してくれないとわからないなw

しかしそれはたしかに、俺の知ってる氏政ではない・・・

813:人間七七四年
12/10/10 00:54:59.96 FpxiE+IB
>篭城するから、防戦準備なんかいらない

え・・・こんなアホな事書く歴史小説なんかあるんかいwww

814:人間七七四年
12/10/11 23:55:58.55 C6XqmB+l
前、北条氏直が「名胡桃のことは知らない」と言ってた、と聞いて、
「実際に、名胡桃城手にしておいて、無茶な話だ」と思ったんだが、
実際に、氏直書状を見ると、こっちが正しく聞こえるから不思議ww

「名胡桃城のことは一切知りません。
真田が、こちらに渡すと言ってるんだから、奪い合いではありません。
城主中山からの書付を送ります」みたいな事を書いてるんだが。


815:人間七七四年
12/10/13 22:45:28.70 pMAA7Nd0
★元八王子北條氏照まつり★

元八王子祭りをみんなの力で成功させよう!

   見どころ:都内最大級?の武者行列

   北條氏照を大将にした八王子隊は総勢30数騎の武者行進です。威風堂々と馬上にまたがる北條氏照の姿は必見です。
八王子隊に続く小田原隊は、北條五代祭りの経験豊かな武者が友情参加していただきます。長男北條氏政の家臣としての
誇りがうかがえます。これに続く寄居隊は三男北條氏邦隊、滝の城隊は総勢50騎の友情参加です。寄居隊、滝の城隊は
実践豊かな精鋭部隊です。  法螺貝・火縄銃を合図に12:00から始まる出発式と13:00から始まる出陣式は歴史絵巻
そのものです。
                                       元八王子北條氏照まつり実行委員会 
                                                    委員長 町田 勝利
URLリンク(www.geocities.jp)
URLリンク(www.geocities.jp)

816:人間七七四年
12/10/14 22:12:53.59 w36jN5uG
伊東じゅんの小説って北条好きの人にとってはどうなの?

北条を贔屓しすぎるあまり綺麗に描きすぎて
逆に人物の魅力が削げてしまってるように思えるのが自分の印象なんだが
作風が硬派だけに残念

817:人間七七四年
12/10/14 23:56:07.70 s3Dc6er7
北条は好きだけど、綺麗に書いて貰う必要はないよな
再来年の大河はクロカンらしいけど、あの人もあまり綺麗に書いてほしくないなー


818:人間七七四年
12/10/15 01:54:55.84 jBAl0VBk
良いじゃないか。たまにはひいきされても、と思いますw

けなされてる小説が見たければ、いくらでもあるんだし

819:人間七七四年
12/10/17 08:40:59.07 cjhgFMOP
>>817

ジャニーズが主演だから、、綺麗に書かないと事務所が納得しない。

820:人間七七四年
12/10/17 09:39:34.38 lTJ+f2aG
神奈川住みなこともあって北条家が好きなんですがなんかオススメの小説ないですか?

821:人間七七四年
12/10/17 09:42:14.85 g0zxDbvi
>>820
小説よりも史書読んだほうが面白いよ?
黒田基樹先生の「戦国北条氏五代」オススメ

822:人間七七四年
12/10/17 11:22:59.36 syzggSJc
講談小説はほとんどないのに、
史書とか研究の方面になるとあふれている不思議

823:人間七七四年
12/10/17 11:59:00.66 K1zfxhzK
資料多いからねい

824:人間七七四年
12/10/17 13:13:33.86 nWZ15d1T
>>822

早雲以外は地味な一家だから仕方ない。

氏康は名将とはいえ、巨人黄金期にたとえると柳田外野手のような地味なキャラクター。

825:人間七七四年
12/10/17 15:15:14.06 tSC1Bf3w
>>815
よさこい演舞にフラダンス・・・・
模擬店に出陣コスプレ

戦国武将をつかっての手垢のつきまくった町おこしか
まあ、頑張れ

>>816
伊東さんについては、小説を書く前からあまり良い印象を持ってなかったので
ホントのところは好きじゃない。
ただ氏照周辺の小説等は出れば一応は入手する。

時代小説好きの中には、伊東氏を近衛と同様に
「考証だおれ作家」とみる向きも未だに多い。

826:人間七七四年
12/10/17 16:15:44.70 stkoJh9t
>>820
『北条龍虎伝』海道龍一郎、超おすすめ。
なんだかんだで伊東潤の小説も、他の人があまり取り上げない関東戦国をテーマにしているので、おすすめする。

827:人間七七四年
12/10/17 17:11:50.05 YtwNZ5Qf
>>825
>伊東さんについては、小説を書く前からあまり良い印象を持ってなかったので
何があったのか気になるw

伊東さんは知識も豊富だし北条家に対する思いいれも充分なのに
人物描写やストーリーがそれに追いついていないのがなあ
北条家関係者以外の人物を小物や単純な悪者に描きがちなのもいかがなものかと思う

828:人間七七四年
12/10/17 17:39:38.39 qO8JkYI5
明応の政変の頃の敵対関係は大雑把にこんな感じで合ってる?



足利政知・義澄→細川・伊勢→今川・早雲-扇谷上杉・大森氏頼
   ↑
   ↓
足利義視・義稙→山名・茶々丸-山内上杉・甲斐武田・大森藤頼

829:人間七七四年
12/10/17 17:43:55.47 nWZ15d1T
足利茶々丸は名前が可愛いのに、生き方はアグレッシブだったなあ。

830:人間七七四年
12/10/17 19:15:18.33 oN92Nvc+
>>828
義澄派
 日野富子 ・ 伊勢貞宗
 細川政元 ・ 畠山義豊 ・ 山名政豊 ・ 赤松政則
 武田信昌 ・ 上杉定正 ・ 今川氏親 ・ 伊勢宗瑞

義材派
 斯波義寛 ・ 畠山政長 ・ 山名俊豊 ・ 朝倉貞景
 武田信縄 ・ 上杉顕定 ・ 上杉房能 ・ 富樫泰高

 ※大内政弘も義材派と考えていいと思います。

畠山家、山名家、武田家は分裂状態。
両上杉家も対立。
斯波家と朝倉家は敵対するも双方とも義材派。




831:人間七七四年
12/10/17 23:32:24.30 qO8JkYI5
>>830
詳しく、ありがとうございます。

832:人間七七四年
12/10/20 04:15:39.97 g3jt3tnw
小田原の地域振興担当の方の話を聞いたけど小田原は北条家ではなく明治大正のリゾート時代の小田原文化を推していくらしい。

833:人間七七四年
12/10/20 04:17:02.53 g3jt3tnw
戦国派と明治派で分かれてるのかな
小田原城周りの再開発もするらしいし。
俺的にはどっちも好きだから微妙

834:人間七七四年
12/10/21 16:21:51.86 MLJy6gVC
>>819
『早雲の軍配者』(富樫倫太郎・著)

という小説などは読みやすかった
ちょっとヌルいと感じる向きもあるかもしれないけど、とりあえず紹介しとく

835:人間七七四年
12/10/23 18:54:24.89 9HKt4u5f
>>827
>知識も豊富だし 思い入れも充分なのに
作家になる以前から知識も思い入れも充分だったけど
「小説」を書くということはソレらだけでは成立しないからね。

>>822
へー、じゃあ小田原市としては大河誘致はもう諦めたのかなぁ。
まあNHKからは盛り上がりに欠けるとかの理由で
後北条大河は却下された経過があるのだろうけど
諦めずに続けていくのかと思ってた。

動物園、遊園地の拡張整備でもするのだろうか。
自分も833同様にどっちも好きだから微妙だ

836:人間七七四年
12/10/23 19:27:40.64 J0IHh8ag
もう、司馬遼太郎の箱根の坂でもいいのに<大河

837:人間七七四年
12/10/27 11:39:01.09 2xhk+g9Q
800 伝承だろ、だから破壊してやった



838:人間七七四年
12/10/28 06:52:12.82 g6B6X5ei
>>63
伊勢氏は三河にいた藤原氏
滝山寺縁起(信憑性が高く又貴重な資料と高く評価されている)でばれちゃたんだよw

しかし中世900年は、三河人の国造りの時代だったとつくづく思うね
いや三河人の日本人調教の歴史かw




839:人間七七四年
12/10/28 07:21:39.75 o3jiBe39
伊勢氏

新編岡崎市史20(総集編) 足利家の根本被官で室町幕府政所執事などを務めた武士。

ふつう桓武平氏で平季衡の子孫とする。
『滝山寺縁起』にみえる足利家被官の藤原俊経(肥前前司)・藤原俊継(伊勢前司)は「伊勢系図」にのる同名の人物と
官途が一致するので伊勢氏の先祖にあたるとみられる。
とすると桓武平氏というのも必ずしも信をおけないことになるが、もとは藤原姓であったのを事情あって
後に平氏に変えたのかも知れない。

『縁起』に登場する伊勢氏は、俊経・俊継父子のほかに、俊経の兄弟に滝山寺僧円辰、その子に同じく増恵がおり、
鎌倉中期の滝山寺の隆盛に尽くしたひとが多く出た。

鎌倉時代の伊勢氏について知りうることは少なく、上総で足利貞氏の守護代を務めた伊勢九郎宗継がいるが
系図にはあらわれない。

康暦元年(1379)に尊氏の近習であった貞継(俊継の孫)が政所執事に任じられ、以後伊勢氏がこの職を世襲した。
ほかに将軍右筆や御番衆になった一族もいる。

明徳2年(1391)伊勢貞行が御料所額田郡山中郷の代官に任じられ、以後山中郷は伊勢氏の所領となった。
寛正6年(1465)当時、山中郷代官は伊勢氏被官の蜷川親賢であった。


伊勢俊経

新編岡崎市史20(総集編) 鎌倉前期の武士、足利氏被官。『滝山寺縁起』に肥前々司藤原俊経(法名願仏)と見える人で、
足利氏被官伊勢氏の先祖とみられる。
弟相模法橋円辰と円辰の子大進法眼増恵は滝山寺僧侶であった。滝山寺に持仏堂を建て、古市場御油畠などを寄進した

伊勢俊継(初代伊勢氏)

新編岡崎市史20(総集編) 鎌倉中期の武士で足利氏被官。『滝山寺縁起』に伊勢前司藤原俊継とある人で、
肥前前司俊経の子。
滝山寺に足利義氏追善のため檀那として法華堂を造営し、田畠3町8段をこの堂に寄進した。
また碧海荘青野・宇祢部の料田畠も足利(斯波)家氏に働きかけて寄進させた。そのほか滝山寺の諸造営にかかわって
財政的な援助を惜しまなかったのは、叔父の円辰や従兄弟の増恵が滝山寺僧侶であったからであろう。

URLリンク(c.2ch.net)


840:人間七七四年
12/10/28 09:19:03.27 g6B6X5ei
滝山寺縁起は、鎌倉時代の伊勢氏の具体的な動向を記録した唯一の資料
重要なのは、足利氏との関わりは父親の代からである事、従兄弟の増恵が吉良氏に仕えて所領の奉行をしていた事が書いてある

なぜ伊勢氏が、足利氏の近習となったかのヒントが、ズバリ書いてある




841:人間七七四年
12/10/28 11:14:25.12 aMfBBBmN
ヒントじゃあズバリじゃねーよ

842:人間七七四年
12/10/28 11:37:54.29 vGHqIDLa
ワロリッシュ

843:人間七七四年
12/10/28 23:17:32.69 g6B6X5ei
ヒントがズバリ

日本語的に全く問題ない


悔しいのか?w万年パシリの関東でw





844:人間七七四年
12/10/29 06:33:25.73 kjAqnYhp
日本語でおk

845:人間七七四年
12/10/29 15:27:07.95 rPui7gIJ
ワロリッシュ

846:人間七七四年
12/10/29 19:03:41.28 9osT2ssz
■有史以来、武蔵国の御所号は3ヶ所

平安時代
・吉見御所(埼玉県吉見町)
源範頼(三河守)の息子、源範円(正法寺(三河国宝飯郡)僧侶)が移り住む
範円の息子(為頼)から吉見氏と名乗る
現在も、吉見姓は愛知県蒲郡市(源範頼の本拠)が日本一多い

室町時代
・世田谷御所(東京都世田谷区)
長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬)を祖する奥州吉良氏、三河国生まれ吉良治家(初代奥州管領、吉良貞家の息)が移り住む

戦国時代
・蒔田御所(横浜市南区)
長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬)を祖とする奥州吉良氏、吉良頼康が移り住む

■家康入城前の江戸城主は富永直勝

三河国設楽郡富永保を本貫とする三河富永氏
家紋は木瓜に足利二つ引両(太平記、多々良浜の戦いの功労により、家紋に足利二つ引両を与えられる)
先祖は源頼義の家来、鶴岡八幡宮社職家の三河伴氏の平松氏、源義家の郎党No.2 三河伴氏の伴助兼



万年パシリのカントン猿w

847: ̄ ̄ ̄ ̄)ノ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
12/10/29 20:09:50.77 uhPeGZw/
などと逮捕された韓国籍の男は意味不明な供述をしており

848:人間七七四年
12/11/03 16:52:41.39 B9AZDSV7
関東管領家上杉氏


上杉-勧修寺家支流と称するが疑問が大きい。丹波国何鹿郡上杉庄より起り、上野を本拠として、越後や関東各地等に分る。『東鑑』を含め確実な史料には、先祖重房の下向記事が見えず、
足利家家人の上杉三郎入道(頼重)より前は不明。その出自は難解であるが、三河の日下部(穂国造一族か)と関係をもった場合も考えられ、その場合は、同国の足利被官で藤姓を称した杉山氏や大草氏と同族か


事実上の始祖である上杉三郎入道(頼重)の日名屋敷


新編岡崎市史20(総集編) 鎌倉末期に額田郡日名にあった上杉氏の屋敷。足利貞氏室となり尊氏・直義を産んだ上杉頼重の娘清子が、暦応2年(1339)10月15日に丹波国光福寺(現綾部市安国寺)へ日名屋敷を寄進、
翌年4月5日に清子の甥上杉重能がこの屋敷を光福寺雑掌へ渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている。
頼重は額田郡を含む足利氏所領群を管理する奉行人のひとりであったから、現地支配の拠点として上杉氏がこの屋敷を所領とし、頼重から女子清子に譲与されたものであろう。日名屋敷跡伝承地の近くの墓地に14世紀後半の宝塔の笠1個がある。



万年パシリのカントン猿w




849:人間七七四年
12/11/03 18:24:32.04 4bdwUKYv
鮮人の気持ち悪さは異常

850:人間七七四年
12/11/03 18:51:17.74 0bGScpr4
秀吉の関東征伐に間に合わなかった、幻の北条下田城は気になる

851:人間七七四年
12/11/03 21:37:37.41 kpIfLDJZ
清水康英の立てこもったアレじゃなくて?

852:人間七七四年
12/11/03 22:54:14.18 0bGScpr4
『読書週間講演会』
【国府台合戦】
講師・滝川恒昭氏
11/24(土)・13:00~15:00
鎌ケ谷市立図書館・3階集会室

申し込みは、当館まで。
047-443-4946

853:人間七七四年
12/11/04 18:56:06.14 YorzKXDi
北条家のみなさんが詠んだの歌の翻訳や意味が知りたいんだけど検索しても出てこない
誰か訳せる人いますか?


「見恋」いかにせむ 心ひとつに 月日へて つゐにあわての 浦のみるめを 氏政
「蚊遣火」ながめつる 月のひかりに 影そへて 草の庵りに 蚊遣たくらむ 氏直
世の中に あらぬ草木を 求めても 法のみちには ふみもまよはじ 氏規
「契空恋」知らせばや 契し事も もしほ草 そをだに絶て 思ふ心を 氏堯
逢坂の せきのひかしに 武の 名やはかくるゝ 十五月の駒 氏照
色ゝの さかなはあれど 今夜しも わきてさゞいの めづらしきかな 氏光
月もはや さ夜ふけがたに なりぬれば かれヽになる むしの声かな 氏邦
「月前雲」山かぜの 吹よはるより 久方の 月のな□□の 秋のうき雲 氏能
「通書恋」かばかりや さきの世くやし 玉章の むすぶちぎりは あはじ物かな 氏親
冬のうみの 時雨るゝ波の はげしきに 身もはづかしの さゞいなるらん 氏冬
見ぬ花や おもふばかりに かきつばた ふかき色香を 面影にして 範冬(今川範以?)

854:人間七七四年
12/11/04 23:28:27.71 i9oviJ2q
世田谷城

世田谷城は、吉良氏によって築かれた平山城。世田谷に本拠を置いた奥州吉良氏が代々居を構えた。
歴史・沿革

貞治5年(1366年)、吉良治家が世田谷郷を与えられる。
応永年間(1394年-1426年)頃、居館として整備されたと考えられている。
吉良成高の頃、城郭として修築されたものと考えられている。
天正18年(1590年)、吉良氏朝の代に小田原の役により豊臣氏勢に接収されたが、同戦役後廃止された。江戸城改修に石材を利用したという。


また、太田道灌が文明12年(1480)に山内上杉氏の家臣高瀬民部少輔に提出した書状「太田道灌状」によれば、道灌は成高を「吉良殿様」と敬称をもって呼び、
「吉良殿様は江戸城に御籠城になって、御命令になっていたので、城下の軍勢はそれに従って数ケ度合戦を致して遂に勝利を得た」と武将成高への感謝を記しています。

鎌倉鶴岡八幡宮の供僧だった相承院の快元の記録した「快元僧都記」によれば、快元は吉良頼康を「吉良殿様」「蒔田御所」と敬称を使用、北条氏綱に対しては「氏綱」と呼び捨てにしています。
当時の関東では「足利氏一家衆」という吉良氏の存在が小田原北条氏以上に尊敬を受けていたものと思われます。


>吉良殿様
>御籠城
>御命令


力抜けよw

855:人間七七四年
12/11/05 00:12:33.98 m/vqv0mL
いやーその時代は、北条は他国の凶徒呼ばわりですよ。
もし、足利一門の吉良氏より北条を上にしてるその時代の文書があったら、
偽物間違い無しですね。

ちなみに、吉良氏と家格の面で同格になったのは、
小弓公方を滅亡させた第一次国府台の戦い後の天文八年。
古河公方家の外戚になった後ですね。

まあ、その足利氏の御一家ってのは、吉良氏、渋川氏、新田岩松氏、山内上杉氏、
なる面々で、腕っぷしの面で、北条と比較してあげるのは、
気の毒ですからやめてあげてください。

856:人間七七四年
12/11/05 00:52:43.11 m/vqv0mL
ちなみにその世田谷城、1530年1月扇谷上杉朝興の攻撃で陥落。
吉良氏は、蒔田に拠点を移したと思われます。

と言うか、蒔田ってのは思いっきり北条の勢力圏内でしてね、
保護された、
と言うのが正確でしょう。動員できる軍事力的に考えて。

857:人間七七四年
12/11/05 00:57:00.32 m/vqv0mL
てか氏綱あたりは、こー言う物言い、風評に耐えて、
勢力を拡張したんでしょうなあ。
短気は損気。見習わないと

858:人間七七四年
12/11/05 06:46:30.09 2aM07NfI
名門 足利氏とは


源義兼(足利義兼、2代目足利氏当主)の年表


1153年、父:源義康(初代足利氏)、母(源頼朝の母と姉妹):藤原季範(初代藤姓熱田大宮司)の娘(実父は藤原季範の長男:藤原範忠)の間に生まれる(出生地は京都もしくは三河)
1155年、母方の祖父(血縁上は曾祖父):藤原季範死去、父方の祖父:源義国死去
1157年、父:源義康死去
1159年、母の姉:由良御前(源頼朝の母)死去
1160年、源義朝暗殺、源頼朝伊豆に配流
1160~1162年頃、母親(頼朝の母と姉妹)の三河国額田郡乙見内の所領(父親からの化粧料)に、異母兄弟2人(源義清、源義長)と共に移り住み、三河の藤姓熱田大宮司家の庇護を受ける
1161年、藤原範忠(実の祖父)周防国に配流
1167~1168年頃、八条院蔵人、三河国碧海郡碧海庄(三条女御(鳥羽天皇女房)領)の庄司に任じられる(碧海庄司時代、熱田神宮祭典の大宮司代理に補された)
・異母兄弟の源義清(細川氏・山名氏の祖、室に新田義重の娘)は、三河国幡豆郡矢田(皇嘉門院(崇徳天皇中宮)領)に拠を構え、矢田義清(矢田判官代)と称する
1174年、三河国碧海郡碧海庄で長男、源義純(源姓畠山氏の祖、新田義重が養育)が生まれる(その所縁か、室町時代に畠山氏流和田氏が碧海地域の奉公衆になる)
1176年、三河国碧海郡碧海庄で次男 源義助(桃井氏の祖)が生まれる
1180年、以仁王挙兵、源義清(矢田義清)、源義長、源義兼は三河国から参戦、義清と義長は源頼政(頼政死後は木曽義仲)と、義兼は源頼朝と行動を共にする
1181年、北条時政の娘を正室に迎える
1183年、異母兄弟2人源義清(矢田義清)と源義長は、水島の戦いで戦死
1184年、源範頼(後に三河守)軍の一員として九州平定
1187~1190年頃、三河国碧海郡碧海庄内に薬師寺を建立(義純、義助の母である白拍子を菩提)、三河国額田郡乙見の真福寺に法華堂を建立(母親を菩提)
1189年、源頼朝軍の一員として奥州合戦に従軍、嫡男足利義氏(後に足利氏として初めて三河守護)が産まれる
1195年、東大寺で出家
1199年、死去

859:人間七七四年
12/11/06 21:22:14.36 nuhtcTcC
誤爆?

860:人間七七四年
12/11/07 08:23:57.90 M3S4gpst
吉良氏繋がりじゃないかな。

861:人間七七四年
12/11/07 21:42:59.99 td9+ma06
だったら、吉良貞家とか、有名人いろいろいるだろうに分からんことをする

あ、やれ、と言う意味じゃないからね。
ここ、後北条スレだし。
吉良氏スレあるから、そこでやったら、喜んでもらえるんじゃないかな?

862:人間七七四年
12/11/07 22:15:45.26 td9+ma06
足利ついでに……

1498年8月。足利茶々丸。伊勢宗瑞に自害を強いられる。
1538年10月。足利義明、義純、基頼、国府台にて北条氏綱勢に打ち取られる。
1554年11月。足利晴氏、北条氏康に波多野に幽閉される。
足利藤氏、1566年以降に後北条氏によって処刑されたとみられる。

……合掌。

863:人間七七四年
12/11/08 01:15:16.15 eAWF9JOD
北条研究者がスルーしちゃう後北条の暗部だね

864:人間七七四年
12/11/08 07:05:06.47 /5aSn7oI
後北条が国民意識を領民に持してたのを知って感動したんですけど他のとこでもそうだったんですか?

865:人間七七四年
12/11/09 11:27:46.63 4N/LMD1z
>>863
だって、前二つは茶々丸さん義明さん両名のお兄さんの依頼ですぜ。
後二つにしたって、手出してくれるなといったのに、
先に仕掛けたのは二人の方だし。
全然後ろ暗くないと思います。

て、言うか、足利さん親兄弟で殺し合いしすぎw

866:人間七七四年
12/11/09 11:55:39.83 4N/LMD1z
と、間違えた。国府台の際、義明さん退治してくれと頼んだのは、
甥っ子の足利晴氏さんでしたね。
お詫びして訂正いたします。

867:人間七七四年
12/11/09 22:16:11.70 QDSJpKWB
>>864
長篠合戦の後、武田が「当家滅亡」と危機を訴え、
百姓を動員した、と言う話があります。

868:人間七七四年
12/11/11 09:17:45.05 5vcyDBVj
北条自体が上杉朝興から『他国の凶徒』呼ばわりされている。

869:人間七七四年
12/11/11 10:35:28.90 5wVnSUld
>>868
そりゃ扇谷上杉家の当主ならそういうだろ普通

870:人間七七四年
12/11/11 15:33:14.33 h3sdipX8
◆源頼朝◆父方:源義朝、河内源氏  母方:由良御前、藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡)

■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡)
・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り、三河国加茂郡(豊田市)に土着
・季兼は、三河国加茂郡(豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券、皇室に寄進する
・季兼は、三河国額田郡(岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする
・季兼は、三河国設楽郡稲木(愛知県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼の室、松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(愛知県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(季兼の父の従兄弟)が尾張守になり、三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪)
・藤原季範の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝を産む

■高橋荘(三河国加茂郡(現在の愛知県豊田市))
・藤原季兼(三河四郎)は妹(三位尼)の息(高橋惟康(伊勢新二郎大夫))を領主にし養育する(遺構 不動堂館跡)
・平治の乱で平家に没収され、恩賞として義朝を暗殺した長田忠致が荘官となる(遺構 長田館跡)
・高橋一族は駿河に移住し、初代大森氏・初代葛山氏に、子孫の大森頼春は小田原城を築城した
・長田忠致一族が処刑されると、小野成綱(頼朝とは妾の子(貞暁)の乳母父を依頼される関係)が地頭になる
・小野成綱の代官である高橋頼之(藤原南家、相良氏)は、軍功により頼朝から高橋荘8000貫地の地頭目代となる(遺構 高橋館跡)
・その後、小野氏に代わり中条氏(八田知家(実父は源義朝、妹が寒河尼(頼朝乳母)の猶子)が、鎌倉~南北朝時代通じで地頭になる

■高橋新荘(三河国加茂郡(愛知県豊田市))
・荘官の足助氏(足助重長)から源頼家に室を出し、息に実朝を暗殺した公暁(母は足助重長と源為朝の娘の娘)

■菅生郷(三河国額田郡(現在の愛知県岡崎市))
・荘園としては立券されず、後に足利義兼が母からから相伝したもよう
・郷司は足利被官の高階惟長(高師直の先祖)

871:人間七七四年
12/11/11 15:36:01.60 h3sdipX8
【鎌倉幕府】

■頼朝姻族(将軍御一家、源頼朝の女系一族、足利家、一条家、北条家の3家)
・足利義兼:河内源氏、上総介、幕府内序列2位、母親が頼朝の母と姉妹(藤姓熱田大宮司家/本貫地:三河国額田郡)、母方から菅生郷(愛知県岡崎市)を相伝、嫡男が足利氏として初めて三河守護

■関東御分国(将軍家が知行国主とし、国司は将軍家が推挙、当初(頼朝時代)は三河国、駿河国、武蔵国の3ヶ国後に9ヶ国)

国司一覧
・三河守:源範頼(河内源氏、頼朝異母弟、室は安達盛長(のちに三河守護)と丹後内侍(比企尼の長女)の娘)
・駿河守:源広綱(摂津源氏、古井城主(愛知県安城市)、実兄が伊豆守になり、伊豆に移住、頼朝と懇意となる)←太田道灌の先祖
・武蔵守:平賀義信(甲斐源氏、室は丹後内侍の妹(比企尼の三女)、従兄弟(方原師光)が三河国形原荘荘官)
・伊豆守:山名義範(河内源氏、実父は矢田城主(愛知県西尾市)の矢田義清(足利義兼の兄)←範の字は藤姓熱田大宮司家が関係か?
・相模守:大内惟義(甲斐源氏、平賀義信(武蔵守)の息)
・上総介:足利義兼(河内源氏、幕府内序列2位、母親が源頼朝の母親と姉妹(藤姓熱田大宮司一族/本貫地:三河国額田郡))
・信濃守:加賀美遠光(甲斐源氏)
・越後守:安田義資(甲斐源氏)
・伊予守:源義経(河内源氏、頼朝異母弟、室は河越尼(比企尼の次女)の娘)

■政所(一般政務・財政を司る)
・別当:大江広元(牛田城主(愛知県知立市)、五男(海東忠成)が熱田大宮司家に養子入り、娘が高階惟長(菅生郷(愛知県岡崎市)郷司)の室)
・令:二階堂行政(母親が頼朝の祖父(初代藤姓熱田大宮司/本貫地:三河国額田郡)の妹、岐阜城を築城)

872:人間七七四年
12/11/11 22:28:24.78 vBCxO3Tr
>>869
いや多分、>>864に関して言及してると思う。

873:人間七七四年
12/11/12 11:19:37.35 EIvXED9V
>>863
何処でもやってるし、特に暗部じゃないような・・・。
それはそうと、茶々丸だけ違うような。

874:人間七七四年
12/11/13 18:17:48.53 zTJiC/oF
>>863
氏綱以降、北条の政権基盤は権威にあまりよらないのでそういったものを重要視しないのは仕方ないな
政治基盤が権威にベッタリのどっかの誰かさんは重要視しないといけないけどね

たったそれだけのことだよ

875:人間七七四年
12/11/13 20:12:02.20 HzYvGwbt
そんな単純なものでもないと思うが。

876:人間七七四年
12/11/13 21:20:38.34 Nb+Cf3ln
>>873
ま、一つだけ、古河公方系じゃないですねw

>>874
足利義氏を盛り立てて、公方権力を再興させ、
その流れで北条による支配の深化を図っている、
と言う見方もあるから、権威を無視しているわけでもなさそうな。
であるからこそ、義氏の権威に傷をつける足利一族の行動は、
容赦なく潰したのだろうし。

まー使えるものは使う程度の感じかもしれないですけどww

877:人間七七四年
12/11/16 12:20:16.89 ZYZ8fot+
1570年の後北条氏の「人改め令」を読む。

>其の時は、三カ国の城々の留守、不足たるべし。
>来年是非の弓箭たるべき間、御出陣の御留守番、其の模寄りの城、
>仰せ付けらるべく候。

と、ある。
と言う事は、出戦するつもりで、籠城するつもりは無かったと読める。
結果的に、一戦が無かったのは、氏康の病などが原因であろう。

常識に即して想像すると、敵が来て籠城するときは、
「百姓の皆さん。城に入ってください」などとお願いするまでもなく、
百姓たちの方から「入れてください」となるだろう。
と言う事は、百姓を兵士として動員するのは、
出撃して手薄になる所を補うためである、と言えるのではないか。

878:人間七七四年
12/11/16 12:30:52.98 ZYZ8fot+
で、後北条氏の「人改め令」の話。
天正十五年から、十六年初にかけても発動している。
と言う事は、この時も出撃しての戦を想定していたと思われる。

そもそも、この時は京勢こと秀吉軍の関東出兵は無い。
敵が来ない時に、城の普請をするのは武人の嗜みではあるが、
敵が来ないのに城に籠るのは、間が抜けている。
単に、北条方の情報収集がお粗末なだけだったと言う説は、
天正十八年、実際の秀吉軍襲来の時、それなりに動向情報を収集できている事から、
ありえないと言えるだろう。

では、どこへ出撃するつもりだったか?
兵員の集結場所が小田原であったから、結論は一つである。
徳川領駿河侵攻。

実際の作戦開始前に、ある程度の譲歩を引き出せたのであろう。
それは天正十八年三月に、
「祈念が成就した」として寄進を行っていることからも明らかである。
徳川か豊臣か、どっちか知らないが、ナイナイしやがったなww

ともあれ、この時、駿河へ侵攻していたらどうなっていただろうか?
個人的には、島津家よろしく、本領が侵攻を受ける前に、
講和が成立出来たんじゃないか? と思うんだが。

879:人間七七四年
12/11/17 10:03:12.21 QO8ufOr2
それはないな……というより、徳川を仲介とした和平交渉を考えた上での小田原籠城だったのだから

880:人間七七四年
12/11/17 20:51:18.51 SW8kHRjp
>>879
んー。参考までに伺いたいのですが、
無い、と言うのは、
天正十六年初の徳川領侵攻計画のことでしょうか?
それとも、
駿河へ侵攻していたら、島津家よろしく、
本領が侵攻を受ける前に講和が成立していた、と言う推測の方でしょうか?

881:人間七七四年
12/11/18 00:17:42.93 co71rHu+
ポーズ以上の物ではないんじゃね
そういえば現代の某隣国も攻める気もないのに
動員令出して譲歩引き出そうと何度もしてるな

882:人間七七四年
12/11/18 00:42:36.78 jws2mTwT
>>878
>それは天正十八年三月に、
>「祈念が成就した」として寄進を行っていることからも明らかである。

間違ってました。
十六年三月ですね。

883:人間七七四年
12/11/20 02:06:33.71 20mnrL9f
吉川弘文館営業部official ‏@yk_sales
12月の「動乱の東国史」と「敗者の日本史」はともに後北条氏モノ!
編集部に無理を言って同時発売にしちゃいました。
『古河公方と伊勢宗瑞』と『小田原合戦と北条氏』ともに12/18出荷開始!(春秋)

お財布を破滅させるつもりかwww

884:人間七七四年
12/11/20 14:56:35.27 yxKWA+0B
今年はもう財布のゆとりはないぞ、餓えろというのか(震え声

885:人間七七四年
12/12/01 10:43:36.93 ep5/hIKF
『戦国時代年表後北条氏編・下山治久編』買いました。
お値段15000円ぷらす消費税ww
いやー趣味に金つっこんだなーと思ったけど、ゲーム機あたりより安いと言うwww

しかしあれね、この中の記述を抜き出してつなげるだけで、
研究者の気分を味わえますね、とwwww

886:人間七七四年
12/12/05 09:51:33.57 /h9WYOMR
普通に欲しい本だなぁ。
しめていくらになるのかなぁ。

887:人間七七四年
12/12/07 20:58:42.46 2FJWVGjp
>>883
買うとしたら、『古河公方と伊勢宗瑞』かなあ。
小田原合戦は、後北条厨的には気が重くなる(苦笑

しかし、「動乱の東国史」は、
『東国の戦国争乱と織豊権力』があまり面白くなかったんだよなあ。
いや、面白くなかったと言うか、興亡読みたければ『東国の戦国合戦』の方が、
内実詳しかった、と言うか。
もちろん『東国の戦国合戦』に無い話もあったけど、これもなんか詳しいの他にありそうだし。

888:人間七七四年
12/12/22 10:31:46.44 Ga/urO2s
蜷川氏

元は物部氏の流れを汲むとされる宮道氏
蜷川氏は、越中国新川郡蜷川郷から発祥した。すなわち宮道式俊・親直父子は、治承四年(1180)の源頼朝の旗揚げに参じて功があり、越中国砺波・新川の両郡を領した。
室町幕府において、政所執事を世襲した伊勢氏の家臣であり、親直から数えて3代目の蜷川親当の頃より政所代を世襲することとなった
蜷川氏の当主は代々新右衛門と名乗っており、蜷川新右衛門といえば、テレビアニメ『一休さん』(1970年-1982年)に足利義満の側近で寺社奉行の武士蜷川新右エ門が登場する


宮道氏

饒速日命を祖とする物部守屋の後裔(物部氏より分かれる)と称する。ほかに日本武尊系宮道氏
発祥地は三河国宝飯郡宮道郷(現在の愛知県豊川市)と推定される。


宮道天神社(愛知県豊川市)

源頼朝は上洛の折、安達盛長に代参を命じ、京からの帰路、鞍馬装束を奉納

889:人間七七四年
12/12/25 23:15:01.99 KKuJ/S47
氏直は器量良しだったのかね?一応、氏康と信玄の孫だよね?兄弟に一人くらい切れ者がいてもいい感じがする

890:人間七七四年
12/12/26 20:38:06.76 qYO5Z5sN
個人的には、英雄豪傑を必要としない、後北条と言うシステム、
と言う解説にロマンを感じるなあ、とか呟いてみるww

891:人間七七四年
12/12/26 21:04:15.25 m2IdOMct
俺も北条のそういうところが好き
だけども華がないので物語にはなりにくく、従ってファンも増えずという惨状に繋がってるのはなんとも悲しい

892:人間七七四年
12/12/27 08:45:25.31 zk7kc52T
>>889
判断される前に終わっちゃったからねぇ。
兄弟もしかり。

893:人間七七四年
12/12/27 10:54:09.32 VmzKLEkQ
下山さん編の氏照関連の古文書集をもってるけど
氏照への愛を感じて、思わず胸熱になるものだ。

894:人間七七四年
12/12/28 12:18:13.08 +l/IWTwh
後北條氏の旧臣って、帰農した者が多いのだろうか

895:893
12/12/28 23:11:52.99 mtAWgykx
滝山城の北側にある市の出身だけど、名のある家や名主級の旧家の幾つか
後北条の武士が帰農した家ということで、古文書が残っていたりする。

(東京の)西多摩地区にも多くあると思うよ。

896:人間七七四年
12/12/29 03:06:03.51 /kwyfgnP
>>889
数字で言うと最高が100だとすると采配も政治も70あるか無いかかとw

897:人間七七四年
12/12/29 13:01:32.45 JbvP7+Cf
織田家トップ格の滝川に2倍の兵力差で10倍の被害差与えたからそれはない
滝川が80前半なら氏直は90くらい

898:人間七七四年
12/12/29 16:47:15.88 xHil9DLm
数字w
最高100w

アホか、ゲームの世界から出てくんな

899:人間七七四年
12/12/30 00:04:50.35 sIxFSHTk
氏直は、天正壬午の乱のとき(徳川方の証言によれば)二万を率いて、
家康(推定一万)に負けていない、と言う実績があります。直属部隊はね。

と、言う事は、豊臣秀次や池田恒興、朝倉景健より、戦闘指揮能力は確実に上でしょう。
池田恒興は、山崎の戦いを見る限り、あるいは明智光秀より戦闘指揮に限っては上、
と言う見方もありますから、織田家の方面軍司令官程度の力量は確実にあるかと。

滝川に勝ってるんだから、当然と言えば当然なんですがw

900:人間七七四年
12/12/30 00:33:41.88 QS8JEVdw
普通に史実の戦績で本多500>>>>>秀吉軍20000(小牧長久手時の後詰妨害の攻防)
織田徳川16000~17000>>>>>>秀吉軍100000(決戦しかけたら1万人戦死の大敗)
滝川6000~8000>>>>>>>秀吉軍60000(天正11年の伊勢の攻防、ゲリラ戦で苦しめられまくり7月まで篭城、柴田・信孝の降伏で勝ち目なく降っただけ)
だから滝川破った氏直は秀吉の20倍くらいの戦闘力はあるだろうな

事実小田原合戦で235000対34500の普通なら半月くらいで瞬殺されて終わりそうな兵力比で
一柳・堀尾嫡男・前田重臣が戦死するなど苦戦しまくり忍城1000や小田原1000に手も足もでなかったし

901:人間七七四年
12/12/30 02:06:41.11 fYbMhm9s
消えろカス
北条ファンが吉外と思われるだろうが!

902:人間七七四年
12/12/31 13:13:07.65 imSr5VW+
………なんだこのゲーム脳

903:人間七七四年
13/01/04 02:21:57.35 CoBZ2Crr
そろそろ大河いいんでない?

関八州 後北条五代

で頼むわ

904:人間七七四年
13/01/04 08:14:01.43 fYmfQqJ5
やったとしても三国同盟で、それぞれの家に嫁いだ姫が主役になりそうな悪寒。

905:人間七七四年
13/01/04 10:42:36.31 2RT3cVmS
北条五代とも馬鹿殿にされるのは間違いないな
無能な旦那が嫁の助言で出世すると言うシナリオじゃなきゃ駄目と言う決まりが今のNHKにはあるみたいだし

906:人間七七四年
13/01/05 12:31:32.52 IKRmRCSJ
もう大河はあきらめた
というか今の大河なら主役にならない方が良いと心の底から思った

清盛は序盤以外はそこまで悪くなかったが

907:人間七七四年
13/01/05 15:58:58.85 ED6j3YYo
通して見て振り返ってみれば、
序盤の青臭さと終盤の清盛とのギャップが郷愁を誘ってよかったとは思う
見てる当事は苦痛だったけれどもなw

俺も現状の大河ならしてくれなくてもいいかなー

908:人間七七四年
13/01/05 23:48:10.61 HnptPzUQ
早雲公が女の尻に敷かれる…あっちゃならねー

909:人間七七四年
13/01/06 02:18:27.23 zSFoRaxZ
>>903
そもそも後北条大河はNHKからはっきりと難色を示されてしまってるし。
それに最近の大河の劣化を見てると、大河になんてならないほうがマシだよ。

それに〇代ものって視点がぼやけるし、
その題材好きな視聴者以外には混乱がおきる可能性大。

過去の大河の徳川三代や奥州藤原氏モノがあったけど
当主が変わると近臣や正室も変わり、政敵も変化し、勢力図も変化。
時代の経過も長い時代を描くことになるので複雑になる。
もしも、もしも後北条モノが脚光を浴びることになっても
五代を続けて・・・ってのは止めといたほうが良いと思う

910:人間七七四年
13/01/09 18:21:24.16 0gvY7IVi
家康 秀忠 家光の三代でもわかり辛いとの声があったから
後北条の何代かモノなんてまず無理だな。

911:人間七七四年
13/01/11 09:28:48.08 +eUzeJBi
可能性としては箱根の坂で早雲主役が一番有り得そう
NHKは司馬遼太郎を使うの好きだし
ただ、本人が亡くなっているのをいいことに原作改変しまくるんだよな

912:人間七七四年
13/01/11 21:05:22.28 0u3eMhm0
今更あんな古い早雲像でやられてもなw

913:人間七七四年
13/01/11 22:05:14.03 7jlvnax2
司馬遼太郎や井上靖の原作を
今もそのまま使えると思ってるなら凄いよな。

914:人間七七四年
13/01/11 23:36:54.02 GIfpOHDi
新潮社が司馬遼の「覇王の家」を、『今までに無い新解釈!』なんて煽りで未だに売ってるんだぜwびっくりしたわw

915:人間七七四年
13/01/12 17:38:13.76 XkAULdP0
その煽りこそ今までに無い新解釈だなw

916:人間七七四年
13/01/12 21:35:12.59 UcYzZDOw
>>913
書かれた年代が古い以上どうしても、解釈や考証が古臭くなるのは
仕方ないけどね。それでも、面白いものは面白い。
『国盗り物語』とかまさにそういう典型じゃないか。

917:人間七七四年
13/01/12 21:58:56.04 jBtxadO8
史実と、物語を成立させるための起承転結は、
残念ながら一致してくれない場合が多いので

918:人間七七四年
13/01/13 11:09:37.71 fi8CxQEm
あくまで小説やドラマだから史実通りにやれば良いと言う訳じゃないしな
軍記やら伝記をデタラメだと叩く人がいるけど、それはあくまで歴史資料としては使えないと言う話であって
読み物として面白いかの評価はまた別の話だ
文学と歴史学、両面からの視点を持つべきだわ
伝記は事実かどうかより、立派な人物像を見せる事で読者を啓発する事を目的としているのに
嘘だの実は大した人間じゃないとかケチつけるのもナンセンス
嘘の人物像でも、それを尊敬模倣して少しでも立派な人間が生まれればそれでいい

919:人間七七四年
13/01/13 13:41:52.65 aQUcm2NA
でもワープしたり空飛んだりするのはどうかなぁ

920:人間七七四年
13/02/02 13:29:29.50 +4fu2+8z
他スレで話題になってた「燎原の雲」(主人公は早雲)を読んでみた。
電子書籍で馬鹿にしてたけど、けっこう面白かった。
作者が素人で多少鼻につくところがあるが、
目新しい解釈が多くて、楽しめる。
ここのスレの人は読んでみたらいいと思うよ。

921:人間七七四年
13/02/04 11:03:33.32 2bsDVP6A
「小田原評定」の北条氏像覆す遺構 高い文化と先進性
2013.2.3 21:12 (MSN産経ニュース)
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
戦国大名の北条氏のイメージを覆す遺構が小田原城(神奈川県小田原市)から出土し、
16日に見学会が行われる。
「小田原評定」の不名誉な故事から、北条氏は山城に籠もって堂々めぐりの議論を続けた
印象が強く、世間一般の評価はいま一つ。しかし、今回の発見から、専門家は強大で
先進的な大名だった可能性を指摘する。

922:人間七七四年
13/02/04 12:00:16.46 uIiTsNEA
評定と遺構に何の関係があるのだw

923:人間七七四年
13/02/05 01:21:53.35 i0MybMRz
記者が馬鹿だなw
真に受ける奴も大概だけど。

924:人間七七四年
13/02/05 19:00:18.97 Z4BJQ9BW
小机城って過去に発掘調査してないの?

925:人間七七四年
13/02/19 16:02:52.05 jXhytrZI
>>920
燎原の雲、いいんじゃない。
気になるところは結構あるけど
司馬遼太郎 VS 素人 という先入観を持たなければ
箱根の坂よりずっと面白いわ。
とくに明応大地震の直後に深根城を攻めた理由と
たいしたトラブルもなく今川家から独立できた理由がいい。
その謎解きが、物語のクライマックスと重なって見所があるよ。
閲覧もダウンロードも無料だから、見てみたらどうかな。
(「燎原の雲」で検索すればすぐわかる)

926:人間七七四年
13/02/22 19:54:43.03 KjkQfaeM
>>920
>>925
ダウンロードせず、閲覧で途中まで読んでやめた。
やっぱり素人臭がぬけないわ。
おどろくほど新解釈が出てくるのに、
ついて行けなかったというのが正直なところかな。
まず横書きじゃあ雰囲気がでないよ。
長編歴史小説を電子書籍で発表するのは無理だな。

927:人間七七四年
13/02/22 22:49:28.05 fFAolqNF
じゃあ伊東潤に「そろそろ早雲を書け」って言っとくわ。
ただし考証倒れじゃない面白いドラマにしろってね。

928:人間七七四年
13/02/22 23:09:35.19 RE6uGvfe
伊藤さん物語自体は大して面白くないからな

929:人間七七四年
13/02/24 23:33:52.97 xrqqCrCd
688 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2012/12/22(土) 09:31:04.40 ID:1bAaG98a
吉川弘文館の「古河公方と伊勢宗瑞」、これは凄いな。情報量が半端じゃない。
絶対読んでおくべき本。

691 名前: 人間七七四年 投稿日: 2013/02/24(日) 23:30:33.98 ID:xrqqCrCd
>>688
戎光祥出版から北条早雲関連の論文だけを集めた
「シリーズ・中世関東武士の研究Ⅹ『伊勢宗瑞』」
が刊行された。
URLリンク(www.ebisukosyo.co.jp)

ただ、余りの知名度の無さにこんなことになっていたりする……
URLリンク(twitter.com)

930:人間七七四年
13/03/14 15:04:09.58 Naqf2IGI
■小田原城
築城主大森頼春
築城年1417年(応永24年)


大森氏・葛山氏
高橋惟康の孫親家が大森に住んで大森氏となり、子惟兼が葛山に住んで葛山氏となった。
『吾妻鏡』に葛山太郎とか葛山次郎とみえ、惟兼-惟忠-惟重のころ、源頼朝の時代にあたり、
家伝によれば、源頼朝に従って石橋山の合戦に参加して、軍忠を尽くして恩賞を与えられた。
そして鎌倉幕府御家人として駿河国駿東郡に勢力を伸ばしていったのである。


大森氏
高橋惟康(三河国高橋荘領主、源頼朝の曽祖父の妹の息子)→高橋親康→大森親家

葛山氏
高橋惟康(三河国高橋荘領主、源頼朝の曽祖父の妹の息子)→高橋惟直→鮎沢惟兼→葛山惟忠→葛山惟重


葛山景倫
高橋惟康(三河国高橋荘領主、源頼朝の曽祖父の妹の息子)→高橋惟直→鮎沢惟兼→葛山惟忠→葛山景忠→葛山景倫

金剛三昧院
建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建された
承久元年(1219年)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰された
貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝)を建立した。




関東人、万年パシリも大概せいw

931:人間七七四年
13/03/14 17:42:58.53 hapEzLRM
朝鮮乞食は半島帰れ

932:人間七七四年
13/03/15 11:30:07.45 /IVOHjiv
早雲が生まれて中年まで過ごした井原の高越山城いったが、あまり大きくない
城だった

933:人間七七四年
13/03/15 14:39:51.69 nmrpbRKH
大きい城もてるような環境だったら、
関東くんだりまで来ないよ、と言うww

934:人間七七四年
13/03/15 22:34:17.62 2upb+Vs+
早雲は備中伊勢の本領井原で生まれたのか
それとも京都で生まれたのか

935:人間七七四年
13/03/16 08:36:48.99 dBMXG2tW
伊勢氏(初代・藤原俊継) 滝山寺縁起


■藤原俊経(~1238):初代伊勢氏・伊勢俊継の父
・肥前前司
・法名願仏
・弟の相模法橋円辰と円辰の子大進法眼増恵は滝山寺僧侶
・滝山寺に持仏堂を造営する(後に持仏堂は、甥の大進法眼増恵に譲られる)
・滝山寺に古市場御油畠を寄進する
・歴仁元年(1238)5月13日、京都東山一切経の谷で死去

■藤原俊継(1217~1274):初代伊勢氏
・藤原俊経の息
・伊勢前司
・建長7年(1255)、足利義氏追善の法華堂(宝幢寺)を造営、この堂に田畠3町8段を寄進、足利家氏に働きかけ、家氏の三河国碧海荘青野、宇祢部の料田畠を寄進させる
・文永11年(1274)6月23日、鎌倉で死去

■円辰:初代伊勢氏・藤原俊継の叔父
・藤原俊経の弟
・相模法橋

■増恵(1209~1283):初代伊勢氏・藤原俊継の従兄弟
・円辰の息
・聖蓮坊大進法眼
・叔父藤原俊経の持仏堂を譲られ、自身の持仏堂とする
・吉良荘の奉行として、吉良氏の所領経営をする
・建長6年(1254)、本堂屋根瓦替工事の大勧進を勤め、同年、温室を改造する
・正嘉元年(1257)、一切経蔵を造営する
・文応2年(1261)、山王社の宝殿を改築する
・弘安6年(1283)2月13日、鎌倉滞在中に死去



関東人、万年パシリも大概にせいw

936:人間七七四年
13/03/16 21:09:20.55 RrXaWzSL
>>934
まったくの妄想だが、京都説に一票。
行動に一所懸命の要素が見当たらないから、伝来の土地に愛着持つような育ちじゃなかったんじゃないかな。

937:人間七七四年
13/03/27 12:09:54.05 aRaHAnqh
宗端が建仁寺や大徳寺の門をたたいていたりするとことをみると
都育ちで禅門への馴染みや素養をもってたような感じがするな。
自分の憶測だけど

938:人間七七四年
13/03/28 11:19:12.26 O4I7qXfm
きみら素人が語っても、専門家の研究では大筋井原で間違いないだろういわれてるのだよ

939:人間七七四年
13/03/29 11:51:04.74 Bwvl6Ao0
>>938
ささ、虎の威を借らずに、
自分の言葉で、かくかくしかじかの理由で井原と語ってくだされ。
楽しみにしてますぞ。

例えば、伊勢盛時が備中法泉寺の禁制を掲げている。
これは元服の花押始めと言われているから、それまで井原にいたんじゃね? とか

940:人間七七四年
13/03/29 15:09:49.72 C5ysxnv7
>>938
そうなんだよな。
こんな場で語っても意味がない。
論文にしないと何も変えられない。

941:人間七七四年
13/03/29 20:43:32.92 h2PUW2aM
ここは何かを変更させるところでなく楽しむ場所なのでは?

942:人間七七四年
13/03/29 23:21:46.45 gjOSBcsA
まあ掲示板なんで、
変えることは無理でも、
変わったことを広める役には立つかもしれないよ、とw

象牙の塔に仕舞い込んでれば良いってもんでもなかろうし。

943:人間七七四年
13/03/30 01:01:34.66 1Htyaj5N
信長の野望・天下創世で18だった猪俣邦憲の知略が、天道で68と一気に50も大幅アップしててワロタw
独断説が薄くなったからかな。

944:人間七七四年
13/03/31 09:58:10.33 deCp7Ff0
じゃあ代わりに氏政の知略を50下げないとな

945:人間七七四年
13/04/20 22:04:00.94 Z0Jbj7Xj
早雲を大河化するよりも
伊勢貞親をBS時代劇にしてその謀略の実行役として早雲出した方が面白い
政治劇にとどめて合戦シーンは一切無しで制作費圧縮
市井に流布される素浪人説に止めを刺すべし

946:人間七七四年
13/04/21 18:30:43.31 hLyj6BUF
来月の北条五代祭り行ってみようと思うんだが過去のに行った人
どうだったか感想聞かせて欲しい

947:人間七七四年
13/04/21 22:32:09.05 22nlUxx7
>>947
北条氏綱公が目の前で落馬され涙を誘った。

948:人間七七四年
13/04/21 22:35:08.79 22nlUxx7
間抜けにも自分にレスアンカーをつけてしまった。
×>>947 → ○>>946

949:人間七七四年
13/04/28 01:05:03.35 qxdsgcAO
北条氏の栄華と悲劇の舞台 八王子城・御主殿跡を復元、一般公開始まる
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
国史跡の八王子城跡(東京都八王子市元八王子町など)で約20年前に
出土した城主の館「御主殿(ごしゅでん)」跡の遺構が新たに復元整備され、
一般公開が始まった。
建物自体は形状が推測の域を出ないため復元せず、出土物から判明した
間取りなどが分かるよう土台や礎石、庭などを復元し、往時の様子を伝えている。

950:人間七七四年
13/04/28 01:52:15.46 qxdsgcAO
北條五代祭りの新企画 小田原
忍者志願 全国から
URLリンク(www.townnews.co.jp)
今年の新企画、「第1回天下一忍者決定戦」に全国から
参加応募者が集まり、話題となっている。
企画は5月3日(金・祝)の日中に、小田原城馬出門から学橋まで
忍者に扮して全力で駆け抜ける脚比べ。


天下一忍者決定戦
URLリンク(odawarafuma.web.fc2.com)
優勝者には『六代目風魔小太郎』の称号を授与

951:人間七七四年
13/04/29 17:10:36.85 0wYrQEfu
氏綱母親は系譜不明だが岡野氏とか鎌倉北条の末裔名乗る家柄かな

952:人間七七四年
13/04/29 19:13:04.30 jmLfyNTM
>>951
何か新しい史料でも出たの?

953:人間七七四年
13/05/03 17:48:21.79 HZ0df1y/
小田原行って来た、氏康役の人爺さん過ぎるだろ、幻庵役に
しとけば良かったのにw

954:人間七七四年
13/05/03 19:34:12.08 WZ+0Cuzj
大名行列の後半、氏政と氏直が消化試合すぎ
姫隊くらいからみんな飽きてるじゃねーか

後半にも見どころを配してあげてくれ

955:人間七七四年
13/05/04 10:36:11.86 HRYukU+r
ただでさえ人気のない北条にあって、
まだ人気のある早雲と氏康に比べて、さらに人気のないのが氏政と氏直だからなー

氏政が一番好きだけど、そういう扱いになるのは仕方ない

956:人間七七四年
13/05/04 22:52:30.44 dtj0g1gK
早雲が一番人気と知名度が高く氏康もそれなりに知名度と人気があって
氏政は秀吉のやられ役として有名で後は無名

957:人間七七四年
13/05/28 20:21:30.74 NL44dUxg
解るかこんなものw

hutan28 ぷよ丸
日本史学特殊講義の問題むずすぎワロタwwww
「下の書き下しは右の古文書をそのまま写したものである。しかしこの古文書には漢字が一文字抜けている。どこに何の漢字をいれるのが適切か。」
知るかwww
URLリンク(twitter.com)

958:人間七七四年
13/06/06 01:15:22.12 PpQksAeE
レッドデータガールというアニメで北条家が題材になっているな…

959:人間七七四年
13/06/06 09:22:17.39 dijZFuwf
くわしく

960:人間七七四年
13/06/07 01:04:35.44 sVgKc4Yf
北条学園のイケメン軍団が天下統一を目指す学園アニメ!
武田農高のブサメン軍団や上杉三高のマッチョ軍団を撃破
今川高専のゴージャス金持ち軍団には苦戦するが辛くも勝利
ついに織田スーパーハイスクールの超異能者軍団と激突する

愛と友情、そして智勇を競い合う男のロマンスが華麗に舞う物語

961:人間七七四年
13/06/08 01:20:58.70 ue4NTSVU
0点

962:人間七七四年
13/06/13 01:35:01.87 3j/dxYmj
>>959
八王子城の悲劇の話。北条氏照の名前が出てたし。
おそらく豊臣秀吉が、北条征伐する時の話だろうかなぁと。
八王子城攻防戦を文化祭の出し物でやるという話に組み込まれてた。

絵的には、少しマニアックな女の子向けアニメだが、北条家ということで目が点になった。

963:人間七七四年
13/06/14 05:00:59.11 Hs/Xhk7e
山中城で討ち死にした松田康長の軍には弟の康郷もいたのかな

964:人間七七四年
13/06/15 03:17:21.78 cWiJcJyB
>>963
最終的には生き延びて結城秀康に仕えて1609年まで生きてるから、いたとしても
上手く脱出した感じか。余談だが、踊る大捜査線の署長がこの役やってたんだよなw

何か異様に老けた康郷だったw 結構剛胆な武将だったんだな康郷って。


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