【岩松・由良】上野の戦国大名【長野・長尾】at SENGOKU
【岩松・由良】上野の戦国大名【長野・長尾】 - 暇つぶし2ch2:人間七七四年
08/05/30 02:40:30 kSfgrDCr
関連スレ

長尾景春
スレリンク(sengoku板)l50

【長野業正・業盛を語るスレ】
スレリンク(sengoku板)l50

3:人間七七四年
08/05/30 05:48:03 v281jQXG
関東管領上杉や沼田や桐生もいるよ。
ついでに剣聖の上泉もね。


4:人間七七四年
08/05/30 07:08:09 u3DXtiFX
金井・横瀬・小幡・和田・猪俣とかも入る?

5:人間七七四年
08/05/30 10:33:19 ax+Hm7Yz
もちろんです。

6:人間七七四年
08/05/30 22:01:14 ax+Hm7Yz
横瀬って、読みは「よこせ」でおk?


7:人間七七四年
08/06/13 14:20:17 hRFpaBIX
>>6 そうだよ。

8:人間七七四年
08/06/23 21:18:36 XCFA9cGK
由良成繁は東国で最初に鉄砲を手に入れた大名らしい

9:人間七七四年
08/06/23 22:33:00 hHYeh9rl
義輝からも鉄砲贈られてたよね
鉄砲が好きだったらしい。

10:人間七七四年
08/06/23 23:00:23 e5P0WgCN
>>9
上様から貰ったってのは、謙信の口利きがあったのかな?

11:人間七七四年
08/06/23 23:16:30 XCFA9cGK
横瀬泰繁の頃から御内書が下されてたから、以前から将軍家とは懇意だったんだよ

12:人間七七四年
08/07/02 03:33:38 9xMeYvov
岩松の由良による簒奪劇はもっと語られてもいいと思う

13:人間七七四年
08/07/02 13:42:13 Y1WDGhH8
屋裏の錯乱 亨禄の変…

14:由良成繁ってどお?
08/07/02 15:41:14 TaFvJvuZ
>>12享禄大乱で岩松が京から下向した時点で、すでに横瀬が岩松を牛耳っていたから…ネタがないんじゃない?

15:人間七七四年
08/07/02 15:53:15 Y1WDGhH8
うーん、厳密に言うと、由良改姓までは下克上は完成してないのではないかと思います。


16:人間七七四年
08/07/03 15:15:43 bh1hxG0a
詳しくない俺に横瀬から由良に改姓した理由を教えてちょ。

17:人間七七四年
08/07/03 23:44:43 MqZgfhBC
一言で言うと「家格」と「政治的立場」の問題かな。
小野姓横瀬氏のままだと、政治的地位としてはあくまで「岩松氏の執権」との認識にとどまるため
岩松氏の「執権」という政治的立場から脱し、岩松氏一門やその重臣たちを被官化し
家中の統制を確固たるものにするためにも改姓は必要なことだった。

そのため、室町幕府有力者と交流を密にし、それが効を奏したのか永禄7~8年
将軍義輝から直接に官位をもらい、「御供衆」に任命され正式に足利将軍家の直臣となった。
このことは岩松氏の執権という政治的立場から脱したと同時に改姓の大儀名分を得ることとなり、
岩松氏と同等の立場を示す新田氏流源姓由良氏を称した。

18:人間七七四年
08/07/07 20:47:17 /zVfOGDP
>>17
実に分かりやすい説明ありがとうございます。

19:人間七七四年
08/07/08 13:20:00 fe+NvaUt
群馬県を代表する大名ってやっぱり長野だよね?一般にはマイナーだけど

20:人間七七四年
08/07/08 16:27:34 TA6TOcRR
いや、白井長尾家だろ。。山内上杉の命運を握ってたようなもんだし。

21:人間七七四年
08/07/08 23:30:07 t3fwJ3VV
普通に山内上杉だろ
それ以降なら長野かなぁ

22:人間七七四年
08/07/10 18:44:14 pO1YtQBM
白井・総社の両長尾と長野と由良は上野代表選手だね。

23:人間七七四年
08/07/10 23:09:04 pt5d+G08
和田城を修築して高崎と改めた井伊直政だろ

24:人間七七四年
08/07/10 23:17:32 L59vtN/N
その発想はなかったわ。
一応関ヶ原以前だったっけ?

25:人間七七四年
08/07/11 03:00:26 9YEPgmUQ
井伊は最初は箕輪城にいたけど高崎城へ遷った。
滝川も最初は箕輪城にいたけど厩橋城へ遷った。
山城だったのが戦国末期の時代に合わなかったのか箕輪城不憫すぎw
でも遺構はすばらしく感動する。

26:人間七七四年
08/07/11 03:01:37 bwGC8bC6
おい荒らし厨房、お前の正体みんな分かってたんだよ
いい子ぶんないでいつもみたいにここも荒らせよ

27:人間七七四年
08/07/11 06:34:29 pN3wmRgS
>>26
陸奥の宮の栃木人荒らしは消えろよ。


28:人間七七四年
08/07/14 01:51:15 QE4mhsqH


29:由良成繁ってどお?
08/07/17 16:16:44 /+u/Q/1g
紙本著色 長尾景長・憲長・政長像
URLリンク(www.city.ashikaga.tochigi.jp)
だけど…
覗いてみたら、準備中だったよ。
山川の『栃木県の歴史』で政長像を見たんだけど…
ハンプティ・ダンプティに、もしくは狸にそっくりだったよ。

30:人間七七四年
08/07/17 19:01:15 va2gFEDg
てどお?は由良長尾連合が嫌いなんですね、わかります。

31:人間七七四年
08/07/18 00:20:42 Bu4SKIkN
ってどお?はロム専になれや
HNきめぇw

32:人間七七四年
08/07/18 00:52:44 ARhJNfx0
いやいや、てどお氏はそういう感情はないと思うよ。
というかどうしてそう思えるのかがわからないな。
きもいとか嫌いなんですねとかじゃなくて、
ちゃんと建設的に対話して欲しい。
見ている側からすれば、そういう書き散らしで、
せっかくの良質な情報を提供してくれる人が去るのは困るし。

33:人間七七四年
08/07/18 01:17:16 L2wVonmZ
なにも>>29の書き込みだけで判断している訳じゃないよ。
このスレでだって、岩松氏が京都に下向してからの岩松一族内での争いや横瀬氏に家政が任されていたこと・屋裏の錯乱以後も横瀬氏が完全に新田荘を掌握した訳ではなかった事等を知らずに>>14のように「すでに横瀬が牛耳ってたので語ることはない」と斬っているし、
以前どこかのスレで、越相同盟の件で上野が上杉に帰属することになったのは成繁が無能だったからだみたいなレスをしていたからだ。

34:人間七七四年
08/07/18 01:31:58 ARhJNfx0
見解は自由なわけですよ。
そこに適切な反論なり異見を出すなりして理解を深め合うか、
論破してしまうかしてくれないと、
いきなり気に入らないみたいな発言はやめて欲しいな。
当事者はそれで解決するかも知れないけれど、
ロムしている側からすると後味が悪いよ。
でも説明ありがとさん。

35:人間七七四年
08/07/18 02:57:59 SqMBGsD7
対論なり、反論なりを具体的に書けばいいじゃんね。
そういう悪口中傷レベルにまで、自分が貶めることはないと思うよ。直江叩きしてる人みたいに、とにかく何が何でも貶せみたいになっちゃうよ。
そしたら建設的な話ができなくなっちゃう

36:人間七七四年
08/07/19 08:03:09 Ec326dhm
確かにね。最近はどのスレみても歴史上の人物に対する
誹謗中傷ばかりで嫌になる。
俺も含めてだが、平和な時代に生きるしがない凡人が、
何を偉そうに書き散らしているのかと笑止な気持ちになる。
それでも、てどお?氏みたいに建設的なレスを延々と続けて
くれる人がいるので、除きに来る訳だが。

37:人間七七四年
08/07/19 14:58:37 8D24GLoQ
てどお?はスレの流れも読まずに書き込んだり、しつこく連投したりするところが
マッタリしたいだけの住人の反発を招きやすいんじゃないかな
元々戦国板は学術系ではなく趣味系の板だしね、学術的な議論をしたい人もいれるだろうけど
そうじゃない人も一定数いるわけで

38:人間七七四年
08/07/20 01:47:42 A6GxWCw2
スルーすればいいじゃん。

39:人間七七四年
08/07/20 18:13:07 F9Z01DFi
金山城の最初の主である岩松家純は、上杉禅秀の乱で禅秀側について討伐された岩松満純の嫡子であったため、
転々と逃げ回る生活を送っていたが、禅秀の乱から53年後に庶流の持国から家督を奪い新田荘に復帰することに成功する。
家純の新田荘復帰に大いに貢献したのが、岩松氏の根本被官であり、家純とともに享徳の乱を戦いぬいた横瀬貞国・国繁父子である。
横瀬氏は当時から家宰的立場であり、国繁は起請文により家純の代官に位置づけられている。

家純は明応三(1494)年に死去するが、その翌年、屋裏の錯乱と呼ばれる事件が起こる。
この事件は家純から勘当され新田荘を追い出されていた家純の子の岩松明純が新田荘に復帰し、
明純と、その子で家純の名代となっていた尚純とともに横瀬氏を倒そうと陰謀をはかり、
当時の当主であった横瀬成繁が留守にしている隙をついて尚純が挙兵した。
結局明純・尚純の実力では金山城を落とすことはできず、足利成氏の調停により尚純の子を故家純の名代にし、
尚純自身はは隠居することで一応の決着がついた。

この事件で成繁は結果的には主筋に当たる人物を排除し実権を奪うことに成功したとみることもできるが、
主家の関係人物を完全に排除することはできず、尚純の子を推戴することになったし
家純は遺言で「明純の意見に任せれば、滅亡である」と述べていて、
「すべて国繁父子が余の在世の時のように計れ」とも述べていることから、
家純の遺訓を守り明純の権力奪還を阻止し、家純の遺志を継ぐという形で実権を保持したという見方もできる。

尚純の子昌純も、自身が新田一族の当主でありながら横瀬氏に実権を握られていることに不満を感じていたことが考えられ、
横瀬泰繁が昌純を殺害した事件(享禄の変)も、昌純が横瀬氏を排除しようという計画を事前に察知した泰繁が先手をうったという説もある。
享禄の変後当主になった氏純の代からは幽閉に近い状態で置かれていたと考えられるが、
「関東幕注文」から岩松一門や岩松氏家臣との身分的な上下関係は克服されていなかったといえる。

明応期から続くこの矛盾を解消するため横瀬氏、>>17で述べたとおり、政治的対場と家格の上昇を目論むである。
このように、岩松氏の下向以降も語るネタなどいくらでもある。

また、越相同盟の件だが、上杉方に関東管領職を譲り渡してもよいという意思を北条氏康自身が明示しており、
管領分国である上野が上杉方に割譲されるのは自然であろう。
よって由良成繁の外交能力の如何とは無関係である。

横瀬由良氏代々の事跡を全否定したいだけのてどお。
需要があると思われるところだけを丹念にレポートしてれば、そら簡単に良い評判を得られる罠。
2chで名声を得ることに何の意味があるのだろうか。

40:人間七七四年
08/07/21 21:31:57 55/+z4j2
由良厨は基地外

41:人間七七四年
08/08/08 15:01:55 orGxZg1g
上野といえば新田なんだけどね。

42:人間七七四年
08/08/12 18:48:29 f975sAIp
いやいや、上州一揆だ

43:人間七七四年
08/08/14 09:31:50 wH5wwz5V
>>42
お前、見る目あるよ

44:人間七七四年
08/08/23 03:08:02 2rK2IcBG
桃井讃岐守って誰ぞ
桃井一族?

45:人間七七四年
08/08/23 11:22:19 eTdmRa9R
越後上杉にいる桃井讃岐守?
あれは桃井一族でしょ。

46:人間七七四年
08/08/25 03:25:01 bSl/TPKd
桃井一族って結城合戦で綺麗さっぱり消えた思ってたんだが、上杉にも奉公衆にも一族が居るみたいだな
しかしはっきりとした子孫は聞いた事がない

47:人間七七四年
08/08/25 13:05:08 WsBDAbPA
越後の桃井氏は位置的には関東管領の与力みたいな立場だったと思う

48:人間七七四年
08/08/31 01:50:59 d2Mgzufz
白井城から空恵寺までに歩いて行くとしたらどのくらいかかりますか?
ちなみに今日行く予定です

49:人間七七四年
08/09/08 00:21:39 +n1VEVlv
>>48
ちょんと行けた??
歩いてはいけないだろ。バスも無さげだね。
車なら20分もかからないんじゃない?


50:人間七七四年
08/09/21 00:49:27 C3i4mO8Q
長尾氏の嫡流ってどこ?

51:人間七七四年
08/09/21 02:12:19 w8zXpH1m
最も栄えなかった足利長尾氏だな。

52:人間七七四年
08/09/21 03:58:01 LA9cW2Yn
なんか嫌味な言い方だなw

やっぱりこの辺はアンチが多いんだなぁ

53:人間七七四年
08/09/21 05:56:22 jThRUH7a
総社長尾信綱は関東管領と一緒に越後へ逃げて、船と結婚し直江家の養子になったんだけど論功行賞で刺殺されたんだっけ?
大河に出る重要キャラだな!
関東管領後継者争いで、足利長尾氏は白井長尾氏と組んで家宰の総社長尾氏を追い落とした後に、山内上杉の家宰になったよね。
その後、足利長尾氏は由良氏から養子取ったけど。
白井も総社も越後へ逃げた後も、由良氏の後援で足利長尾氏は下野で踏ん張ったよなぁ。

54:人間七七四年
08/09/21 16:53:33 C3i4mO8Q
じゃあ足利長尾氏の男系は途絶えたという事ですか

55:人間七七四年
08/09/21 19:25:30 LA9cW2Yn
うん。
政長には子どもいなかったから…
ちなみに、政長の父憲長の妻は横瀬(由良)氏なので、
政長には由良の血も入ってる訳だが

56:人間七七四年
08/09/21 22:29:20 C3i4mO8Q
残念だな~
それでは白井長尾氏や総社長尾氏は男系を維持できたのでしょうか?

57:人間七七四年
08/09/21 23:13:32 w8zXpH1m
白井長尾氏は2度余所から養子とってるな。
でも鎌倉長尾と総社長尾からだから一応長尾氏としての命脈は保った…のか?

総社は普通に存続したはず。

58:人間七七四年
08/09/22 12:28:45 MrbdWPug
足利長尾・由良をこき下ろすための釣り>>50

59:人間七七四年
08/09/23 13:32:33 apXB2byN
>>58
同意。
本当やらしいよな。

60:人間七七四年
08/09/27 21:34:56 y3lSdIid
そういえば、成繁や由良長尾兄弟が活躍してる小説とか漫画もないよね
岩松に祟られてるのかなぁ?圧力でもかけられてるのかなぁ?


61:人間七七四年
08/10/11 03:47:22 W0HxffYW
また某スレで由良な話題をしたらスレストか…呪いだ

62:人間七七四年
08/10/12 06:32:15 J1gquw0I
岩松の祟りじゃ

63:人間七七四年
08/10/12 15:21:42 LjcTxaYy
他家の下剋上の例ではそんなことないんだが、
横瀬の下剋上はなぜか中国の諸王朝を思い出してしまう

64:人間七七四年
08/10/12 21:46:07 y38qIg7V
やっぱり天正期後半以降の落ちっぷりがそう思わせるのかな? かな?

65:人間七七四年
08/10/29 04:03:24 /cH2HejK
横瀬は氏んでけれ

66:人間七七四年
08/11/12 03:24:07 2f8nfXel
岩松は新田流の名門です。横瀬はガセです。

67:人間七七四年
08/11/14 09:11:38 iHudjSKc
自称新田氏嫡流の横瀬家って現存しているの?
現当主はどの面下げて生きているのやら

68:人間七七四年
08/11/14 11:32:07 jtbi3qtu
あるいみ織田と明智より根が深いんだな
なんか怖いわ、乙

69:人間七七四年
08/11/14 11:59:09 7zuIvhsS
横瀬=由良は岩松当主二代続けて殺害し、その後胤を桐生に幽閉しやがったからな。
おまけに成繁の時代には伊勢崎の地を謙信にもらい、さらに息子を足利長尾の養子にしてもらい、ついでに館林城までもらう程、
謙信の篤い信任を得ていながら足利長尾顕長が総大将で臼井城攻城に失敗すると、たちまち上杉を裏切って北条に付いた挙げ句に成田氏まで裏切りに誘う悪党。
おかげて揚北衆の本庄の裏切りを誘発し武田に春日山城を窺われるし、沼田城まで危なくなった。


70:人間七七四年
08/11/14 14:41:21 jtbi3qtu
昌純が殺害されたのは確かだが、氏純は自害じゃなかったっけ?
あとは、臼井後の離反に成田氏を誘ったというのは聞いたことがないので、
よかったら出典等よろしくです。

71:人間七七四年
08/11/16 00:57:42 HJsImQf7
横瀬家の現当主も新田嫡流を自称しているの?

72:人間七七四年
08/11/16 03:11:32 HOyf189v
随分必死なようだが岩松家の関係者なのか?

73:人間七七四年
08/12/03 14:29:48 Tcv5mqzQ
本家ぽいのは里見じゃないか。

74:人間七七四年
08/12/04 21:37:55 +rWRkYUg
岩松は女系だしね

75:人間七七四年
08/12/07 09:01:06 ZVtBz+5H
やっぱり沼田氏だな。
津軽と姉妹都市になるべき。
真田好きなら一度は行くべき

76:人間七七四年
08/12/07 11:42:25 ZVtBz+5H
最後の上野守護代家は足利長尾?由良氏が白傘袋を幕府から認められたのはそのため?
それとも上野国新田郡の分郡守護岩松氏の継承から?
幕末には岩松氏は新田に復して新田勤王党を組織して挙兵して新政府軍側になったんだよね。
岩松当主が代々描いたネズミ退治の猫絵って見たことある?信濃・上野・下野の農民達の支持があったみたいね。

77:由良成繁ってどお?
08/12/15 15:45:02 9KZlEmST
>>39
紙本著色 長尾政長像
URLリンク(www.city.ashikaga.tochigi.jp)
>上畳にすわる武将の肖像画[しょうぞうが]です。頭をそり上げ、口ひげをたくわえ、口元を引き締め、右前方を見ています。
>衣服は、白、青、赤のきものを重ね着し、その上に灰色で花の模様のついた上衣をまとっています。腰には大小2本の刀をつけ、
>右手に扇子[せんす]をもっています。この絵画を所有している心通院[しんつういん]の開基[かいき]で、足利長尾氏5代目の長尾政長の自画像と言われています。
>西宮長林寺には、まったく同じ描き方の政長の肖像画があります。中世の足利を支配した長尾氏の棟梁[とうりょう]の肖像画として貴重です。
この自画像を見てコピった私の感想が>>29

足利長尾氏初代景長は、狩野派の創始者狩野正信と親交を結ぶと同時に、技法を学んで自身の肖像画(自画像)を描いた。
恐らくその子の憲長、孫の政長(景長・当長)と代々受け継ぎ、両人とも自画像を描いた。これは長林寺にある足利長尾氏家系図に記載してあるし、実物も残っているから100%確実。

きちんと調べてから批判するように!!

それから、ついでに卿の好きな岩松尚純の自画像もあり

紙本墨画岩松尚純像(しほんぼくがいわまつひさずみぞう)
URLリンク(www.manabi.pref.gunma.jp)
>(指)県指定重要文化財(昭和56年5月6日指定)
>(在)太田市岩松町
>(有)青蓮寺(群馬県立歴史博物館保管)

>紙本。軸装。画面、幅35.5㌢、長79.5㌢。岩松尚純(1461~1511)は、金山城主岩松明純の次男で、1494(明応3)年家督を相続したが、
>実権をもつ家臣横瀬(由良)氏のため翌年には隠居している。隠居してからの尚純は専ら和歌連歌の風椎の道に没頭したらしく、
>『連歌会席式』『池水草』の著書があり、多数の連歌を残している。この画像は、1501(文亀元)年の自画像と伝えられ、
>県内には類例のない中世の武人像である。


78:人間七七四年
08/12/15 18:18:56 6LMuoH7t
私もその長尾当長の肖像画を見たがパンプティ・ダンプティだか狸だかには見えなかった。
まあ感性には個人差があるからね。

長尾当長は「政長」とは名乗ったことがなく、政長は実は当長(景長)の嫡子だったという指摘を、
足利長尾氏の発給文書を精査した上で黒田基樹氏が随分前になさっているのだが、
未だに当長→政長→景長の順で諱を変えたというのが一般的になっているようだが…

岩松尚純の肖像画は、群馬県立博物館の常設展示で直に見たことがある。
「新田一族の戦国史」と言う本にも載ってるしね。

あと何か勘違いしてるようだけど、私が好きなのは由良成繁だから。

79:78
08/12/15 23:07:17 1KNY7/zP
冷静になってみたら普通に勘違いしてました…吊ってきます。
>>77のちなみに卿が好きな~の部分)

80:人間七七四年
08/12/16 02:03:13 N4E9bkGV
ん?IDが違うようだが?

81:由良成繁ってどお?
08/12/24 14:38:43 dLJO3hLp
>>78-79さんへ。返レスありがとう。

肖像画の件なのですが、他に…
横瀬泰繁と由良成繁と妙心尼の(自画像ではない)画像もあるらしいのですが…
ネット上で公開されていません。残念です。

横瀬泰繁は白黒でコピーしたものを見る限りでは…
「立花道雪」のように甲冑を着ていかつい表情をしている武人として描かれています。
(新田町 龍得寺蔵)

成繁は未だ見ていません。

妙心尼は軍配を持っているとか…
彼女らしいですね!!

作成中の「謙信の動向」リポートに由良成繁が出てくるので期待していて下さいね!!
恐々謹言。

82:人間七七四年
08/12/25 00:34:36 jbUpf0Lt
今までの無礼、申し訳ありませぬ。

横瀬由良氏の肖像画情報ありがとうです。
由良成繁夫妻に関しては、それぞれ成繁の菩提寺・鳳仙寺(桐生市)
妙印尼の菩提寺・得月院(牛久市)所蔵されているのでしょうか…?
(横瀬泰繁の肖像画が彼の菩提寺蔵になっているので…)

泰繁はベッキーのようですか。
妙印尼は軍配持ちとは、本とに彼女らしいw

「謙信の動向」リポートも楽しみにしてます。

83:人間七七四年
09/01/01 13:01:01 R7KosiKg

市村高男『東国の戦国合戦』(吉川弘文館、2008年)

84:人間七七四年
09/01/02 13:17:18 ljqhlaDw
津軽の沼田祐光は上野の三浦沼田氏出身。
会津の三浦葦名氏とも同族。

85:人間七七四年
09/01/02 14:52:54 ys8rG+YT
憲盛厨は沼田も好き…とφ(..)

86:由良成繁ってどおってどお?
09/01/05 10:12:40 FrrmrG7x
みなさんへ
新年明けましておめでとう。本年も宜敷お願いします。
今年はより景気が悪くなるので、新田金山城の様に守りを固めて、
真田氏のようにしたたかに、妙印尼のようにたくましく生き延びてください。

>>75さんへ。返レス有難う。
こちらこそ、誤解を与えたなら申し訳ない。
一期一会ですから悔いのないように遣り取りしましょうね。
一期一会と言えば、成繁はあの武野紹鴎のお弟子さんだったとか?
何か御存知でしたら、些細なことでもいいので情報下さい。
(鉄砲・茶人・堅固な本城といえば、信長を連想しますね!!)

由良成繁の肖像画は妙印尼とペアで、牛久の得月院にあるそうですよ。

政長の件&岩松→横瀬→由良の簡潔な歴史もありがとう。
後者は、簡潔にまとまっており読み応えがありましたよ。

前者のことですが…
これは黒田基樹氏の『戦国大名と外様国衆』(文献出版、1999年)で宜しいでしょうか?
読んでみたいので、是非とも返レス下さい。
「景長=政長」説は、今までの通説もそうですが、
付け加えて(足利長尾氏の菩提寺の)「長林寺所蔵長尾系図」によると、
「政長のちに景長と改める」と書いてあるので、それが事実なんだろうと思っていました。

87:人間七七四年
09/01/10 19:26:11 o1Cmgcn2
随分遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。
(もう7日とっくにすぎてるし…w)
こちらこそ、本年もよろしくおねがいします。

肖像画、ペアで所蔵ですか…!
お墓は離れてるけど、肖像画は一緒…萌えますね。

そして、由良成繁が武野紹鴎のお弟子だったとは…
好きなのに知らない事ばかりでorz
どういう経緯で師事したのかなどとても気になります。
紹鴎が関東に下向した事実があるのか、
あるいは成繁が上方に…?とか色々想像してしまいますね。

ネットで調べたところ、紹鴎について書かれた書籍はいくつかあるようですが、
そこに何か手がかりがないかなあと思案しております…
あるいは、紹鴎に関する一次史料とか…
(この辺はてんで疎いのでよくわからないです…)

>鉄砲・茶人・堅固な本城といえば、信長を連想
確かにそうですね…!
と同時に、明智光秀も連想させるなあ、と個人的には思います。
割と歳をとってから活躍した事と(成繁が家督を継いだのは40の時ですし)妻との関係から…
輝子(妙印尼)もきっと賢妻だったに違いないと思ってますw
本城ではありませんが、光秀の領内にも総石垣の山城がありますし。
山城国の周山城のことですが…

>岩松→横瀬→由良の簡潔な歴史
お褒めいただき光栄です。

政長の件ですが、黒田基樹氏の『戦国大名と外様国衆』で間違いありません。
その本に収録されている「館林長尾氏の研究」という論文です。
余力がありましたら、その書籍に収録されている「由良氏の基礎的研究」「由良氏の研究」もどうぞ。
私も、黒田氏の論文を読んで初めて知ったので…目から鱗が落ちる思いでした。
高野山過去帳にも「政長のち景長」と書いてありますし…

他にも黒田氏は、上野の諸勢力についての発給・受給文書を一覧にしてまとめておられたり、
文書の年度比定の見直しなども行われていて
上野の戦国史研究の発展に大いに貢献していてGJな感じですね。

88:人間七七四年
09/01/26 01:57:55 uSf0yVeE
上州

89:人間七七四年
09/01/26 07:41:41 59hs+iX5
あれ?太田金山城の石垣は戦国期にはなかったんじゃ…
いまある金山城の石垣は教育委員会の捏造じゃないのか?

90:人間七七四年
09/01/26 14:27:42 uSf0yVeE
戦国期の最終型(つまり、北条の直轄であった1584~1590年)を復原したものなので、一概に捏造とは言えないと思うよ。
石垣群の一部は由良氏の時代まで遡れる可能性があると言われている。

91:人間七七四年
09/01/26 15:30:26 BLD08KLT
北条って石垣あったっけ????

92:人間七七四年
09/01/26 15:54:18 uSf0yVeE
八王子城にだってあるじゃない。

ちゃんと発掘調査もされてるんだから、何でも否定すればよいってもんじゃないお。

93:人間七七四年
09/01/26 16:50:19 BLD08KLT
戦国期の大田城に石垣ねぇ・・・?
そもそも唐沢山城の石垣は
佐野氏に豊臣系の富田氏が養子に入って
作ったもんだと言われてるね。

そういや畝堀や障子堀は
近年には成田長泰の弟の小田朝興が城主の騎西城や
佐竹時代?の水戸城で見つかってて
北条が先に考えたのか、もはや不明だろ?
つか北条の方がパクったんじゃねーの?

94:人間七七四年
09/01/26 17:04:53 uSf0yVeE
金山城は小田原征伐後廃城になって、その後金山は徳川将軍家の御用林に指定されたんだよね。
だから戦国期もなにもないわけで、近世まで使用されていた騎西や唐沢山と同列に語ること自体ナンセンス。

95:人間七七四年
09/01/26 17:56:31 GDn/Gedv
519 名前:人間七七四年 投稿日:2009/01/26(月) 07:29:06 59hs+iX5
>>518
そもそも相模国内でもマンセーされてねーよ。
他国の凶徒伊勢氏なんて小田原市くらいしか…
鎌倉市は鶴岡八幡宮と頼朝
金沢市は鎌倉執権北条氏にゆかりある金沢文庫の歴史博物館へ行くとマンセーされてるね。
横浜市は開港からの歴史をマンセーしてるし。
藤沢以西はサザンと中居くんマンセーだべ。


ふうん…アンチ北条ですか、なるほどねえ…。
最後の一文はおもいっきり板違いですね

96:人間七七四年
09/01/26 19:24:49 59hs+iX5
事実を書くとアンチか?アホくせーな北条厨って。
つか金山城のあの大規模な石垣は完全に捏造だから。
そもそもあの石は有り得ないだろう。

97:人間七七四年
09/01/26 19:41:28 uSf0yVeE
「他国の凶徒」て北条氏を貶す時の代名詞を使ってるからアンチ扱いされたんじゃねーのか?
実際北条厨とか呼んでるしw

ただ「復原に問題がある」と言えば良いのに、「捏造」って表現は不適切かと。

98:人間七七四年
09/01/26 20:09:13 59hs+iX5
横浜市民にとって他国の凶徒と発言するのは当たり前じゃないか。何かおかしいか?
北条万歳って言わないとアンチ認定なのか?


99:人間七七四年
09/01/26 20:58:03 a2ROTmzm
そもそもが、得意げになって「他国の凶徒」だの「捏造」だの「マンセー」
だのと幼稚くさいことをのたまってるから、馬鹿にされるのだよ。

軍記ものの記述や、家譜など後世の史料の内容などを「捏造」とか
言って得意げな手合いが多いんだよな、この板って。


100:人間七七四年
09/01/26 21:11:53 ylZaMenf
幼稚臭いといわれてもそれも歴史のうちだからなー。
98は少し感情的だけれど間違ってはいないよ。

101:人間七七四年
09/01/26 21:15:02 3AaH0gaU
軍記ものでもその書かれた内容によって、近年は資料としての再評価を受けるものも多いのにな。
甲陽軍鑑や、それこそ北条五代記もそういう再評価を今受けている。

102:人間七七四年
09/01/26 21:22:18 uSf0yVeE
>>98が北条にどんな感情を持ってようが構わんが、
横浜市民だから~といったこだわりは読み取れなかった訳で…
その上で「他国の凶徒」発言を見たなら、やはりアンチなんだろうなと思っても仕方がないだろうなと。

神奈川県民だなとは思ったが。

103:人間七七四年
09/01/26 21:41:12 59hs+iX5
そもそも神奈川県民にとっても伊勢氏を他国の凶徒呼ばわりしても問題ないと思うが?
>>99
w←これ使う人の方が幼稚だと思うが、北条厨にとっての味方は貶さないで、アンチ認定した者だけを貶すわけだ。
さすがガキの平等性ない恣意的発言は立派だよな。

104:人間七七四年
09/01/26 22:14:25 QQjvNN2w
現在首都圏に住んでいる大半の人間はルーツをたどればよそ者なのだから、
「神奈川県民にとっても他国の凶徒呼ばわりは問題ない」とか失笑ものなのだがなあ。

105:人間七七四年
09/01/26 22:29:13 uSf0yVeE
問題は無いかも知れないが一般的ではないよな。
その地域でマンセーされている人物=必ずしもその地域出身の人物や勢力ではない例なんて枚挙にいとまがないだろう。
その地域の出身であろうがなかろうが、地元民にとって地域の発展に一番寄与したと思えるものをマンセーするのが一般的かと思う。>>103の他スレでのカキコを取り上げてアンチ認定した奴にとっては相模といえば北条なんだろう。
それだけの話だ。


それに、同じ神奈川県であれど地域によって様々な思いがあるというのは>>103も書いてるじゃないか。
なのに「神奈川県民なら云々~」と言うのは本末転倒だがね(笑)

106:人間七七四年
09/01/26 23:54:57 BLD08KLT
もう北条厨は基地害すぎるな。
苦しい擁護の言い訳も限界だと気づけよ。


読者の方からの情報で、この石垣は昭和に入ってから、失業者対策のために「崩落防止」の名目で作られた、
真っ赤なニセモノだったことが判明

URLリンク(www.asahi-net.or.jp)

107:人間七七四年
09/01/26 23:57:49 3AaH0gaU
>>106
で?

それのどこが石垣のなかった証拠になるの?

108:人間七七四年
09/01/27 04:23:59 zZR7Y3Ni
他家ではそんなことないのに、
由良の簒奪が悪い簒奪に見えるのはなぜか

109:人間七七四年
09/01/28 01:01:15 dNqM18IU
金山城の八王子城すら凌駕する石垣量。
あれが北条によるものなのか?
山中城や松井田城や鉢形城や沼田城や厩橋や岩槻城や川越城を石垣要塞化するならまだしも、
北条氏康の兄弟や息子がいたわけでもない、あそこを北条があれだけ固める動機も理由もわからん。
そもそもあの石垣量はどこから運んできたんだ?
石垣が戦国期のものなら、戦国東日本最大の石垣城が金山城という不思議な話になってしまう。
金山城がオール石垣城とは実に怪しい話だ。


110:人間七七四年
09/01/28 23:02:14 vpjMJZ1a
>>108

うーん…
・主家の家格
・主君殺し(享禄の変)
・両家とも存続していること

などが複合的に絡みあっているのかなと思いましたが…
また改めて考察をカキコしてみますね。


>>109

>そもそもあの石垣量はどこから運んできたんだ?
金山自体が岩山なんですよ。山を削れば石垣の素材を採取可能なんです。
=近場から持ってこれるので、労力が少なくて済みますね。

>北条氏康の兄弟や息子がいたわけでもない
確かに金山城は在城衆が置かれており、北条一門の当主は常駐していませんでした。
しかし小田原征伐時に書かれた「北条家人数付」には「同左衛門助(左) 新田の城」とあり、
北条氏忠の城として認識されていたのではないかと思われます。
それに、在城衆には氏直腹心の清水太郎左衛門が置かれていますし…

>あそこを北条があれだけ固める動機も理由もわからん。
北条氏は金山城(と館林城)を東上州の重要拠点と考えていたようです。
だからこそ、かつての金山城主であった由良氏(と館林城主の長尾氏)に城の借用を申し入れたのでしょう。
ちなみに、北条氏から借用を申し入れられた時、領地没収と勘違いした家臣たちが暴走して
各城に篭城、両城の城主は小田原に拘束されるという事件が起こっており
そのことが、「沼尻の合戦」(関東の小牧長久手?)の切欠にもなっています。
戦国後期の関東史においても重要な城であったのではないでしょうか。

氏忠が佐野氏へ入るまでは館林城とともに佐竹氏などの反北条連合の最前線に位置していたので
あのように堅固にする必要もあったのではないかと。


元々「中世(戦国期)においては関東に総石垣の山城はなかった」という概念がなかったのですが…
関東でも条件が揃えばこのようなこともありえるんだという証左になったわけです。

最後に太田市HPから少し抜粋しますと、

>金山城跡は文化財保護法によって指定された国の史跡であり、整備するに当たっては学術的に十分な裏付けが求められます。
>現時点で明確になっている歴史学・考古学・建築史学などの学問の成果に則り、整備されるものですが、
>発掘調査で礎石や柱穴が発見されても常に建物を復元できるとは限りません。学問的・資料的に十分な裏付けのないものを作ることは認められていません。
>国指定重要文化財の修理や国指定史跡内における建物復元にあたっては、文化庁の諮問機関である建物復元検討委員会で認められたもののみが許可されます。

つまり太田市教委の独断で整備・復原が進んでいるわけではないので、「太田市教委の捏造」というのは見当違いということになります。

あと
>調査でははっきり残っていなくとも、その周辺の状況、例えば、石垣裏込め石が確認された状況から、その高さまでは石が積まれていただろうとか、
>石垣がいくつか壇状になっている場合は1つ上の石垣の一番下の段までは石が積まれていただろう、などとある程度想定することができるのです。何の根拠もなく石垣を復元するということはありません。

だそうなので。
無論、推定の域に関しては今後の研究の発展によって改められる可能性があるとのことですが…。



111:人間七七四年
09/02/05 13:50:56 XpN+IJ94
というか何であの石垣が北条によるものって前提なの?
八王子城の石垣と共通する技術が使われた部分もあるんだが、
八王子城は北条最末期の築城なんだからむしろ金山城→八王子城で技術が使われたんだろう。
石垣は普通に岩松、由良期のものだろう。

>>110
>ちなみに、北条氏から借用を申し入れられた時、領地没収と勘違いした家臣たちが暴走して
これは足利長尾の旧臣の書置きを黒田基樹氏が北条びいきからかなり強引に解釈したもので、
普通にその史料を読んでもまずそういう解釈は難しいし、
そもそも兄弟の監禁から由良側の蜂起までは一ヶ月近くかかったと見るのが妥当。

112:人間七七四年
09/02/05 14:49:39 Uw7dUaNh
簡単な話、兄弟を幽閉して、金山と足利を明け渡せと脅迫したんだろ。
たしか父が遺言か何かで、北条は信用できないから、決して兄弟で小田原へ行くなって言ってあったんだけど、
兄弟は双方とも知らずに小田原でバッタリ遭遇したんだっけ?
石垣が由良氏のオリジナルなら上野国の築城技術は東国一だってことかな?

113:人間七七四年
09/02/05 16:59:57 33x2bLgY
上野は山内上杉零落移行半世紀にわたって、
北条・武田・上杉の係争地だった関係上、
この三者が自分の最新築城技術をバンバン投入しているわけで。

そういう地に居たから切磋琢磨して築城技術を自前で上げた一面もあるだろうが、
三者の築城技術を吸収した面もあるだろうから、
東国一とかランク付けに走るのはどうかと思う。

114:人間七七四年
09/02/05 21:50:59 1jy2jXRI
三者強豪の時代は唐沢山がもっとも発達した石垣を持っていたはずではないかな。

115:人間七七四年
09/02/05 22:41:21 9ByKWaKc
なんだ>>111が無知な振りをして釣ってただけか。
北条厨哀れww

116:人間七七四年
09/02/05 22:54:44 Uw7dUaNh
>>114
>>93
つかさ、金山城も小田原陣後に
いきなり廃城になったんでなくて

短期間だけ井伊直政が箕輪城にいた時の遺構で石垣が一部残ってるように
(井伊はすぐに和田城を大改造した高崎城へ移った)

小田原陣後に入封した人に金山城も石垣化改造された後に廃城になったんじゃないのかな?
岩松・由良・北条かハッキリわからない以上は隣接してる唐沢山城と似た経緯だとしても不思議じゃないような…

117:人間七七四年
09/02/05 23:49:32 XpN+IJ94
>>114
>>116
唐沢山城の高石垣は西国のと同じだが
金山城の石垣は唐沢山とも、織豊系のものとも異質。
金山城には高石垣をつくる技術はなかった。
また、考古学的な調査の結果、何度も石垣は何度も改修されていることや
新旧二つの積み方があることもわかっているので
やはり岩松、由良時代に徐々に作られたんだろう。

118:人間七七四年
09/02/06 00:02:58 kJ27DJ0q
すると箕輪城は長野氏時代の石垣遺構で
金山城が岩松時代の石垣とを考慮すると
関東管領山内上杉氏の築城技術なのでは?


119:人間七七四年
09/02/10 10:20:41 IfAyvRcU
上野国の関東管領の本拠地の平井城や守護代の白井城は石垣あるのかね?
たしか白井長尾景春が築城した武蔵鉢形城には崖の崩落を止める為のショボイ石垣があったような。
しかしあれは北条時代なのかねぇ。


120:まさよし
09/02/23 17:52:44 lSWOetER
太田の者です。戦国時代のことは浅学であまり知識はありませんが、岩松家純の
生き方や人間像に興味があります。家純が新田に復帰して築城された金山城を歴史
を振り返りながら時々散策しています。殊にこの城内において、家臣郎党らと執り
行った「一味神水の儀」を思うと感慨深いものがあります。金山はくまなく歩き
ますが、新田神社から東金井に通じる道は静寂としていて、昔の石垣などが散見され、
私の好きなコースとなっています。


121:人間七七四年
09/02/24 09:18:07 kaCt74F2
>>119 安房守(氏邦)殿辺りが造らせたんですかね?

122:人間七七四年
09/03/09 16:26:01 gDLAAE+Y
長尾ではなさそうな

123:人間七七四年
09/03/14 12:50:57 wXc1E6jv
いや長尾時代だな
技術なら中山道経由で入ってきたんだろ。
もしくは北陸道から越後上杉氏経由
東海道なんて使えねぇし。

124:人間七七四年
09/03/28 11:31:50 StNoQT0F
情報発表時刻 2009年3月28日 1時29分
発生時刻 2009年3月28日 1時23分ごろ
震源地 群馬県南部
緯度 北緯36.4度
経度 東経139.3度
深さ 140km
規模 マグニチュード 4.0

金山城付近だな

125:人間七七四年
09/04/13 16:03:03 3ulufjVY
関東に石垣は少ないよね。

126:人間七七四年
09/04/16 19:22:30 FOt7tlOD
石垣に使える石が少ないからな。

127:人間七七四年
09/05/02 11:49:00 GbHIzcLr
なるほどそういう訳か

128:人間七七四年
09/05/02 13:30:57 y5kfoX2a
定説のひとつだしな

129:人間七七四年
09/05/07 09:14:10 VoQq6Hu3
岩松氏の衰退の速さは異常

130:人間七七四年
09/05/19 00:44:34 JXK84BfC
元々大したことなかった気がしたんだが

131:人間七七四年
09/05/23 15:43:04 DTebHKrR
>>130
>元々大したことなかった気がしたんだが
そんな主観的な判断でよくレスする気になったと感心する


132:人間七七四年
09/05/24 09:42:09 cZxZtFhA
>>131
客観的な判断とやらをどうぞ

133:人間七七四年
09/05/24 16:12:00 ra4y8RBR
>>132
まず大したことがなかったことについて先に述べるのが筋だろ。
室町時代における新田氏の総領である岩松氏が大したことない?
ゲーム板から出てくるなよ。

134:人間七七四年
09/05/27 18:57:00 ENUjEYB3
新田の総領なんて名乗ったもん勝ち程度のもので
顔真っ赤にするなよw

135:人間七七四年
09/05/29 19:47:36 SmpNXIzL
>>134
岩松氏の新田氏総領を名乗ったもん勝ち?
あははははははははははははw
いやー愉快愉快w
顔真っ赤にしてゴメンネ。ゴメンネw
猿のように顔を赤くして嘲笑わせていただきました、アリガ㌧。

136:人間七七四年
09/05/29 23:33:57 4Y8kQ9UC
新田の惣領なんて現代の我々が思っている以上に軽い軽い
宗家からして時代の徒花を咲かせただけの弱小御家人だからな
案の定、積極的に新田流を名乗りたがっているのは
岩松・横瀬・里見・徳川といったキワモノ揃い
岩松でさえ自称であって血統的には足利流なのか新田流なのかすら分かってない
新田の嫡流だと認めてもらえるのは明治になってから

137:人間七七四年
09/05/30 10:18:12 VoF0xwmF
>>135
かわいそうな子…

138:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
09/06/01 06:33:41 ZuvUimz1
新田本宗の惣領なら、系譜的に見て日本でも有数の名家なわけだが。
頼朝に気に入られたか否かは問題ではないし、
始祖新田義重は源義国の長子であり、三子の足利義康とは母の出身から見ても
どちらかが嫡子とは判断できない。

明治政府が新田のお墨付きを出したのなら、ある程度信じてやってもいいんじゃないだろうか。

139:人間七七四年
09/06/01 13:51:19 M6sJ45cn
血統書だけが誇りの分郡守護が大したことあると

140:人間七七四年
09/06/01 16:34:16 A6XhlwvE
まあ岩松家純は名将だよな。

141:人間七七四年
09/06/01 19:58:21 RLKeOabC
そういえば上野は鎌倉時代は国司領なんだよな。幕府のお膝もとの関東なのに
朝廷の支配地域。

142:人間七七四年
09/06/03 16:26:57 Pa0G7F+Q
血統だけで力なくても誇っていいじゃない。天皇を否定すんのかw

143:人間七七四年
09/06/03 21:06:26 ERf6zwtx
武家は仮にも「武士」なんだから、その血統以上に家職をまっとうすること、
すなわち戦い続けていく力を維持することで初めて誇れるんじゃないか?

144:人間七七四年
09/06/04 00:21:53 oSfIBPOG
由良氏が真田昌幸に勝ったことがあるって本当?

145:人間七七四年
09/06/04 16:39:31 bNscnh75
いつの話?

146:人間七七四年
09/06/16 14:50:27 psNVWonO
どうだろか。

147:人間七七四年
09/06/16 20:27:10 eRkUHYrH
金山城は難攻不落の名城

148:人間七七四年
09/07/01 17:15:37 Vy0qYiAR
落ちたことないの?

149:人間七七四年
09/07/17 16:04:31 kPdgPhmo
利家に落とされてるね。

150:人間七七四年
09/07/31 15:26:18 nJoE0c+g
難攻不落といわれる城ほど落ちてたりする。大坂とか小田原とか。

151:人間七七四年
09/08/03 03:49:38 AEZlN1Yu
落とすための価値が有るから、落とされるし
落としたくないから改修する

152:人間七七四年
09/08/06 07:16:15 gp7ipyVl
なんで長尾って武将がやたら居るの?長尾憲景、長尾顕長とか。
謙信の部下?

153:人間七七四年
09/08/06 09:49:42 jUAD/wXk
上杉氏の部下。
上杉氏は関東各地を同族が支配した。

154:人間七七四年
09/08/08 12:06:13 S64ivuT4
関東管領上杉氏の家宰職が上野守護代長尾氏が代々継いでいた。
関東管領軍を率いて鎌倉公方→古河公方と戦い続けてたのが長尾景仲や長尾景信。
関東戦国史は応仁大乱よりずっと前から始まってた。

155:人間七七四年
09/08/09 01:34:03 NlTMtKLB
むしろ関東の戦乱が影響して応仁の乱が起こった。

156:人間七七四年
09/08/09 20:45:31 2yt22jPG
上杉は管領家の山内上杉を圧倒しようと狙う扇谷上杉と戦い始めるし
山内上杉に養子を出した越後上杉まで介入してくるし
さらに若い頃の足利義政はまだやる気があって
自分の弟を伊豆に派遣して堀越公方として古河公方を牽制したりして関東情勢に介入してた。
また古河公方はのちに親子が対立分裂。さらに兄弟も対立し小弓公方が成立。
関東管領も古河公方親子のそれぞれを支持して分裂。
もう関東はめちゃくちゃになった。

157:人間七七四年
09/08/10 02:01:00 iSl9/2zy
つーかそもそも足利持氏がなあ。

158:人間七七四年
09/08/11 15:57:25 7WTJa6Cp
衆院選、民主勝利後の最悪シナリオ

民主が国政第一党になる

公明「外国人参政権などの党としての本懐で民主党と一致した」
民主、公明の連立政権成立

国政での外国人参政権が成立
国政選挙で民主、公明、社民更なる躍進

人権擁護法が与党の賛成多数により成立
行政、在日朝鮮人、中国人、宗教法人を批判すると罰せられる様になる

国籍法の更なる緩和
日本国籍と生活保護資格だけ持つ、日本人の血が一滴も入ってない中国人が急増

在日朝鮮系、中国人系の国会議員も出現
親中国の自民議員が民主に寝返る
自民党完全無力化、または解散消滅

日本乗っ取り完了

 「民主党の正体」 で検索


159:人間七七四年
09/08/25 14:10:23 2EsYivse
将軍狙ったり 籤とはいえ将軍馬鹿にしたりがよくない。

160:人間七七四年
09/09/10 15:25:27 QpPSqde5
持氏は野望が強すぎる。

161:人間七七四年
09/09/12 21:17:50 G5fEj6RR
自分が将軍になるものだと信じきっていたきらいがあるからな

162:人間七七四年
09/09/23 12:53:35 TPMsW4lq
だいたい義持が後継者指名を拒否して死ぬのがねぇ。
持氏も俄然やる気になっちまった。

163:人間七七四年
09/10/05 16:06:52 6CxcOmwY
義量の死で投げやりになったのかな 義持。

164:人間七七四年
09/10/16 22:41:01 dCygob3P
足利長尾氏最後の当主の長尾顕長には「関英宗鉄」という法名がついて
ますが、墓所はどこにあるかご存知の方いますか?
晩年はやはり兄のいる牛久あたりにいたのでしょうか?
顕長の嫡男が古河藩土井家の重臣になったとの話もありますが事実ですか?

165:人間七七四年
09/10/17 09:22:37 wsjYTZd4
>>163
「わしが後継者を指名しても、お前らが支持しなきゃ意味がないから指名しないし、
わしは死ぬんだから今後のことには興味がない。死後の自分のことで頭がいっぱいだから仏の道のことでやれることをやるだけ」
>>164
由良氏から入って臼井城攻略の責任者に任じられた時にまだ10才前後の小僧だった人だっけ?

166:人間七七四年
09/10/29 15:37:57 xpd7rNOK
顕長ってどこで没したかもわからないんだ

167:人間七七四年
09/10/30 12:09:43 zMHRf5dr
牛久じゃないの?

168:人間七七四年
09/11/10 15:00:11 OEbZT7FW
息子は土井利勝に仕えたのね。

169:人間七七四年
09/11/13 09:41:30 UE1RutaG
渡良瀬繁詮関係の資料や小説ってありませんか?
豊臣に仕えた経緯とか秀次家来時代のポジションとか知りたいです

あと忍城の甲斐姫の母親についても知りたいです
兄弟ですよね

170:人間七七四年
09/11/14 09:29:23 m4dQVhNk
のぼうの城に名前が出てきたような・・・

171:人間七七四年
09/12/02 17:34:32 U5HHINvw
1575年の上野国

北部(厩橋以北):上杉家
西南部:武田家
東南部:北条家

172:人間七七四年
09/12/13 08:47:56 eG/aGvjZ
元々は上杉管領の勢力圏なのにね。

173:人間七七四年
09/12/15 11:14:25 OCi4KBtI
山内家が一旦滅んでからは、文字通り三分されてしまった

174:人間七七四年
10/01/10 09:07:00 tl+EREPn
関八州の勢力圏は北条が圧倒的に広いけどね。

175:人間七七四年
10/02/14 01:41:20 nNkfcvG/
山内上杉→武田→滝川→北条と属した倉賀野氏なんですが
滝川一益が関東へ進出した頃の当主は誰だったんでしょう?
当時の倉賀野城主の名前として
倉賀野「秀景」とするものと、倉賀野「家吉」とするものがあるんですが。
事績はほとんど一緒なんで同一人物でしょうか?

176:人間七七四年
10/02/14 22:39:47 UCetjFlT
倉賀野尚通の系統は、そのまま上杉氏に属したそうですが

177:人間七七四年
10/02/18 13:20:15 hZXSuyBM
利根川の渡河ポイントがわかる人います?

178:月孔雀
10/02/19 05:53:25 cnRvP6TV
昔は、江戸川当りを、坂東太郎流れてたからね。。
どこも、結構たいへんじゃないかな。
江戸湾、使って、船で上陸するほうが良さそ。

179:人間七七四年
10/03/27 15:56:39 40FdE5c3
神流川合戦の時、由良氏はやっぱり北条方だったのかな?

180:人間七七四年
10/06/20 18:41:57 R2u+0Jhx
>>179
だと思うよ。上杉の関東への影響力はもう死んでるどころか越後まで攻められてるし。

181:人間七七四年
10/09/09 15:56:24 tItGgBX1
えっ?滝川側だったろ。

182:人間七七四年
10/10/10 23:54:53 79Z1TDwi
【岩松頼有こそ、田島経政?】

暦応2年から伊予国守護、その後備後国守護として活躍する岩松頼有その人を岩松・田島経政の出家した姿か、後継者である可能性が高いという。
新田義貞の鎌倉攻めにおいて、岩松経家と並ぶ岩松軍団の大将として、新田遠江(田島)又五郎経政がその人であろうという。

 『新田町史』

183:人間七七四年
10/10/12 11:07:22 6e+Q5sK/
ふむふむ・・・・・

184:人間七七四年
10/11/19 01:53:34 EKlCsWYP
由良太田城の堅牢さは異常

185:人間七七四年
10/12/15 23:23:18 gRz0pe4t
「箕輪城と長野氏」戎光祥出版・中世武士選書
ISBN:9784864030311 2011年1月出版 2,415円
近藤義雄著  と言うのが出るようです。

186:人間七七四年
10/12/29 19:30:55 90jVp0OA
桐生城いきてぇ

187:人間七七四年
11/01/02 16:54:49 kyaN9mnw
由良氏の子孫ていまだに新田義貞の末裔とか言ってんのかな?
恥ずかしいね

188:人間七七四年
11/01/03 00:24:58 MNuW72vR
んなこと言ったら徳川なんて…

189:人間七七四年
11/01/04 09:46:20 +ZJQXgg4
>>185
【送料無料】箕輪城と長野氏
URLリンク(hb.afl.rakuten.co.jp)

これだな

190:人間七七四年
11/01/04 17:42:44 pIWyA/Hg
それシリーズ4冊目で
3冊目が「羽生城と木戸氏」
だけど1・2のタイトルがわからん。。。

191:人間七七四年
11/01/09 08:29:54 Od8kNuNH
>190
「武田信重」、「安芸武田氏」だったと思う。

192:人間七七四年
11/01/30 14:52:31 DuYdui/r
豊臣秀次が浸かったと言う群馬の温泉に行きたい。

193:人間七七四年
11/07/18 22:02:22.63 rErzQmAO
箕輪城って小田原城攻めのとき、誰が城主だったの?

194:人間七七四年
11/07/19 00:03:58.03 JPnTOxjJ
在特会VS京都腐警&朝鮮総連
【腐食】京都府警による犯罪的取り調べの実態!【腐敗】
URLリンク(www.youtube.com)
京都府警の北原氏による恐怖のカミングアウト
「俺は腐ってる」「一部の警察官も腐ってる」その他意味不明な言動を繰り返し異様な取り調べを繰り広げています。
長時間になりますが全編ご覧ください。違法取調べの生々しい貴重な録音です。
警察と北朝鮮との癒着も疑われます。

その後抗議に行くもカメラを執拗に拒否し姿を見せない北原氏!
URLリンク(www.youtube.com)
差別利権の町、京都と北朝鮮の闇を見逃すな!

195:人間七七四年
11/08/19 21:34:10.98 0R8q54gQ
>>191
続刊しないな~

196:人間七七四年
11/08/30 07:51:45.36 dplT2ivj
神流川合戦って滝川の挑発で起こったと思うんだが、何を目的としてたんだ?

197:人間七七四年
11/09/09 10:39:43.42 bG0sHAHA
>>196
滝川『本能寺がばれないうちに北条叩いておこう』

俗説と異なり滝川一益は実際は本能寺のことを関東諸侯にひた隠しに隠してる。

198:人間七七四年
11/10/11 20:11:22.74 b16Ak0VH
戦国時代の館林城って館レベルだったのかな?
沼沢地帯だったんだろうけど

199:人間七七四年
11/10/12 08:43:09.66 oP8+0vIn
>>197
富岡みたいな明らかに北条方の国人の書状一枚を、
全ての上野国衆に当てはめて全部俗説扱いして良いのか?

一次史料では無いけれど、内藤、北条(きたじょう)、藤田の様々な
立場での史料が一益の情報開示を裏付けているのに。

200:人間七七四年
11/10/12 09:04:00.13 oP8+0vIn
同じく当時北条方の由良氏、足利長尾氏は、
神流川合戦で北条方に付いている。
どの史料か忘れたけれど。

201:人間七七四年
11/10/12 12:18:15.15 W1fJxaI+
>>199
> 一次史料では無いけれど、内藤、北条(きたじょう)、藤田の様々な
> 立場での史料が一益の情報開示を裏付けているのに。

それと実際の彼らの当時の反応や動向が一致しないから俗説ってことなんだろ。

202:人間七七四年
11/10/12 13:07:46.45 HjMxor4F
>>201
実際の彼らの当時の反応や動向がどう一致しないの?

203:人間七七四年
11/10/12 13:25:50.08 W1fJxaI+
>>202
つまり書状でも行動でも、本能寺の事を知ったという動きがまるで見えない、ということだ。

204:人間七七四年
11/10/12 19:13:59.32 oP8+0vIn
旧武田方の諸侯にしてみたら、
長年の確執のある北条に付くより滝川という選択肢は別に不自然ではない。
また藤田信吉の消える時期とその沼田城攻め失敗の時期は一致していると思う。

205:人間七七四年
11/10/12 20:37:36.48 7Vg2SKf8
滝川は滝川で遺恨あるじゃん

206:人間七七四年
11/10/12 21:04:17.76 oP8+0vIn
上野国衆は武田攻めの戦闘に参加してないし、
ほぼ旧領安堵されてるし、北条の脅威から解放されているし、
遺恨が発生するタイミングが無いと思う。(人の気持ちだから憶測だけど)


207:人間七七四年
11/10/12 22:16:36.54 7Vg2SKf8
>>206
旧武田方のことじゃなかったのか?

208:人間七七四年
11/10/12 22:31:48.68 oP8+0vIn
旧武田方は武田攻めの戦闘に参加してないし、
ほぼ旧領安堵されてるけれど?

209:人間七七四年
11/10/12 23:22:42.21 T5j1hg+W
>>198
1560年11月9日付鑁阿寺文書だが、
謙信のもとに参集する関東国衆のおかけで、
「(館林の)城内は殊の外詰め候」になったと書かれてある。
この時すでに「城」とよばれる施設を備えていたと思う。

210:人間七七四年
11/10/13 09:59:00.29 pKFvM5RT
>>208
じゃあ北条にも遺恨なしか

211:人間七七四年
11/10/14 01:44:11.14 ac4ZkEGW
>>210
上野の旧武田方は北条との戦闘が多かった。
晩年の勝頼は佐竹と組み上野から北条をかなり追い詰めているし、
真田なんかはいくつも北条方の城を落としているから、
旧武田方は北条に降ると処遇は良くないと思う。

212:人間七七四年
11/10/26 18:53:05.21 xsMFpwuL
勝頼に較べて氏政の無能さが目立つな。


213:人間七七四年
11/10/26 19:18:46.24 g0BVIo7t
【打倒】上杉謙信 上洛戦【信長】
868 :人間七七四年[]:2011/10/26(水) 17:24:30.57 ID:xsMFpwuL
織田厨は相変わらずアホだな

【治部】石田三成総合スレ 9【佐吉】
817 :人間七七四年[sage]:2011/10/26(水) 17:27:11.07 ID:xsMFpwuL
いま、史料読んできたら
ほんとに三成が主導したような史料が
まったくなかったからビビったw
無意識下の洗脳って怖いわ。
いままで、そこら辺はスルーで疑問にすら思わんかった。

もし信玄が死なずに西上を続けていたら・・・ 3
900 :人間七七四年[]:2011/10/26(水) 17:51:49.81 ID:xsMFpwuL
信長が金や兵糧に困窮してたのは事実だろうね。
元亀3年12/26には多聞院が成身院より銀子100枚を請われ(信長衆の要求)
外にもいろいろ提供してんのがわかるし。
天正元年2/24にも信長は紫野大徳寺から銀子10両を受けてるし。

2/23村重が信長に無二之忠節を誓い、その信長は藤孝に若年の和田惟長へ意見するように伝えてる。
しかし3/11には信長の命や藤孝の面目は無視され荒木・高山派閥に惟長がぶっ殺される謀反発生。
だが厚顔無恥にも3/29に藤孝・村重が信長へ御忠節を誓ってる。これじゃ藤孝は村重に一物あるよな。
1/8に大和戦線で不利になってヌケヌケと信長に恭順を言い出した面従腹背の久秀同様に
あからさまに村重は信長をナメてるよな。

角明浩氏によれば命を無視して私戦を繰り返し
去就著しい大和衆の統御を
織田家がうまく行えるようになったのは
天正2年の蘭奢待採取と塙直政の大和守護任官が大きいそうだ。
これにより筒井衆や興福寺を始めとした大和衆の
本願寺攻撃への協力が取り付けれるようになり
伊勢長島への有効的な攻撃が可能になったのだと。

【みんなの】だがを見守るスレ【アイドル?】
384 :人間七七四年[sage]:2011/10/26(水) 17:54:56.46 ID:xsMFpwuL
また織田厨が恥を晒したのか。
相変わらずブザマだな。

【打倒】上杉謙信 上洛戦【信長】
872 :人間七七四年[]:2011/10/26(水) 18:01:11.59 ID:xsMFpwuL
>>869
一次史料にその事件があったことを証明するものは一切なく
成田氏が馬上で挨拶が許されていたなどとする史料も存在せず。
完全な創作ネタなんだけど。
>>870
京の治安をお願いする立場だから持ち上げてんだけど。
そんな信長が下京で恐喝し 上京に放火して御所まで類火させて
桂川は住人の死体でいっぱいにし 略奪大会で宝の山wとまで書かれた暴挙をするんだから
天皇も失望しただろうね。

【治部】石田三成総合スレ 9【佐吉】
820 :人間七七四年[sage]:2011/10/26(水) 18:13:04.63 ID:xsMFpwuL
あぁ輝元のことか。
まぁ真の巨悪は罰されず、 生贄が泥をかぶるのはよくあることじゃない?
徳川や毛利は江戸期を通じて 庶民に三成を判官贔屓させない為に策を弄したんだろうね。

毛利元就って明らかに実力未知数だよね
871 :人間七七四年[sage]:2011/10/26(水) 18:19:32.05 ID:xsMFpwuL
九州どころか畿内・東国にも存在しない
西国だけに存在する酒毒なる毒入り酒を飲んで死んだバカ以外は長生き。

214:人間七七四年
11/10/26 23:02:12.41 9eo4ONKO
>>213
何がしたいんだ?
コピペでスレを荒らすな低脳。
今後、お前はこのスレに書き込み禁止な。

215:人間七七四年
11/10/27 19:47:55.04 Jqq7YXJd
簡潔に纏めてくれればいいのに

それにしても意味不明だけどな

216:人間七七四年
11/11/18 22:22:33.27 dnuLHagf
足利城と館林城はどちらが名城だったの?

217:人間七七四年
11/11/18 23:15:06.25 yp4LAcLV
城の強さなんてそれ単体で測るものじゃない

218:人間七七四年
11/11/30 19:42:50.47 d6WWGRD/
毛野氏の武将っていないのかな?

219:人間七七四年
11/11/30 20:07:26.17 jOMA0nNk
新田義貞四天王の栗生氏が
義貞の息子と一緒に敗北覚悟で玉砕した後に
足利の世を生きる為に
生き残りが生方に姓名を変えて
戦国の世には反沼田氏で上杉に仕えて
のち真田氏の元で砦の守備を任され
北条の走狗にして偽新田の由良氏が攻めてきた時に撃退したってマジ話?

220:人間七七四年
11/12/03 22:46:29.69 afTOgQrd
生き残りが姓を変えて成り済ましってチョンみたいだな

221:人間七七四年
11/12/10 23:05:38.22 njx4YYju
>>218
壬生氏

222:人間七七四年
11/12/10 23:10:52.55 R/g6PHPp
>>218
金太郎

223:人間七七四年
11/12/11 01:11:59.62 uyOoBRaj
>>220
おまえがチョンだろw

224:人間七七四年
11/12/12 23:10:58.01 wlL5w+5e
>>223
ネトウヨは出てけよ・・・面倒くせえな

225:人間七七四年
11/12/14 23:10:57.37 n/3ywaAj
>>224
在日乙

226:人間七七四年
11/12/16 09:54:27.21 pUn3ByiM
クソウヨ死ね

227:人間七七四年
11/12/22 02:42:23.68 vTSd3caq
とにかく岩松を潰せ

228:横瀬(由良)
11/12/22 21:40:02.24 dsCsNUBe
了解!!!

229:人間七七四年
11/12/28 23:44:34.09 c4SwBuWl
上泉だけや

230:人間七七四年
11/12/30 13:00:12.67 ke+CWghb
最近、下野スレの奴らが調子にのっててウザイ。
毎々、上野勢に負けてたくせに。

231:人間七七四年
11/12/30 13:55:53.08 E33jn4C3
両毛地区における
群馬側大勝利っぷりと
栃木側の過疎っぷりがハンパない。

232:人間七七四年
11/12/30 14:44:08.29 JFV81ALG
だって上野なんて草刈場に過ぎなかったし仕方ないじゃん

233:人間七七四年
11/12/30 15:18:26.13 ke+CWghb
宇都宮氏綱討伐
小山氏討伐
持氏討伐
結城合戦

全部、上州の勝ち
ちなみに謙信が継いだのは上州山内上杉家
これって完全勝利だな

234:人間七七四年
11/12/30 15:45:54.44 JFV81ALG
どれも戦国時代じゃないじゃんw
しかも全部幕軍と関東の豪族との間に起こった戦争で、
上野衆は幕府軍の手駒の一つとしてくっ付いてきただけでしょw

ぜひとも戦国時代の戦歴を挙げて下さい

235:人間七七四年
11/12/30 20:15:03.87 ke+CWghb
>>234
永禄6年の唐沢山、小山城攻略だな。
上野衆の戦闘力は関東随一。
それに控えて下野衆って何の役にも立っていないし。
古河公方、上杉氏、佐竹氏の足引っ張ってる感じだ。

236:人間七七四年
12/01/01 03:16:48.23 c2bVmy/p
上野のあたりは結構激戦区だったんじゃないかな
戦歴もいいけど、ことあるごとに信長や家康とかと比べるのは
まるで現実味のない人の観点だと思う

地方豪族というと、ちっぽけな印象があるかもしれんが
そのへんの地主なんかよりも全然格が上なわけだし

237:人間七七四年
12/02/05 00:48:08.57 uPxPqaNQ
長野県の差別を広めている人間は長野県の災害スレ住人(アネサン一味)。現在も差別を広め中
長野県の災害総合α3 スレリンク(lifeline板)
長野県の災害総合α2 URLリンク(logsoku.com)

政治の話、災害に直接関係ない話に辟易した住人と
どうしてもその話をしたい住人(アネサン一派)で
「政治控えめ」「災害総合6」にスレ分裂
 ↓
災害でアネサン(「前スレ1」という呼称でスレ主きどり)、東海、忍法帖の3人が
つるんでの決めつけ、叩き、追い出し
アネサンが叩かれると他の2人の親衛隊は即座に暴言、B扱い
控えめの住人だと決めつけ、アネサンと東海一味の裏でのヲチ
 ↓
ほかの住人の3人に対する不満が爆発
 ↓
アネサン、αを独断で立てて出て行く宣言、災害スレ削除申請
(削除板では「追い出された」と被害者づら)
 ↓
当然批判続出
アネサンの金魚のフンは捨て台詞でαに移動(その後どこいったw)
アネサンは晴れて自分のスレ獲得、ついでに親衛隊も追放w
 ↓
アネサン、さらに8を独断で立てる
が、アネサンが「削除権」を持った8には誰も行かない
 ↓
行き場を失った野次馬は控えめの庭に目をつける
αvs控えめの図式を作りたくて必死
庭が工作員だということにしたくて必死で布教活動中
 ↓
アネサンの悪行を全てなかったことにしたくて必死に工作中
 ↓
差別を正当化して弁護士に相談


長野県の災害総合6 URLリンク(logsoku.com)
302 : 地震雷火事名無し(東海) : 2011/10/22(土) 23:22:29.35 ID:Lpw4fXCt0 [3/4回発言]
あー初めてじゃない人だったか

同和は適度に差別をキープせんといけない
無くなると自分らから差別求めて因縁ふっかけてくるからな

238:人間七七四年
12/02/05 01:03:43.11 5D6iT2Ht
とよた真帆のNHK教育を見ました。
岩松新田さんの猫の絵を重要文化財に!

239:人間七七四年
12/02/09 16:13:53.20 y01uT/U8
あんなもん、農家にゴロゴロあるよ

240:人間七七四年
12/02/10 22:28:13.54 EmH1pgKn
上州と言えば小麦文化圏。
うどんや味噌パンや焼きまんじゅうが最高にうまかった。
下野ではかんぴょうとしもつかれと餃子か…

241:人間七七四年
12/02/10 23:13:41.51 0TOogrpX
つーか焼きまんじゅうって最高にうまいってほどのものかw?

242:人間七七四年
12/02/11 15:39:08.54 qXkozE/x
ここらで、このスレの取り扱っている武将を
列挙してくだりませぬか?

テンプレには

長尾景春
長野業正・業盛
関東管領上杉や沼田や桐生
ついでに剣聖の上泉
金井・横瀬・小幡・和田・猪俣 ← これ何ですか?
由良成繁
横瀬泰繁

このくらいですかね?

243:人間七七四年
12/02/11 23:44:19.66 rdWHtHLu
猪俣邦憲ではないだろうか?

他には、北条孫次郎、北条高広、那波顕宗、滝川一益、井伊直政、内藤昌豊・昌月、
赤井重秀、後閑氏、冨岡氏、山上氏、
白井長尾氏、総社長尾氏、足利長尾氏とか。

244:人間七七四年
12/02/12 18:11:18.14 Rwc1jGiw
旅がらすやこがねいも
うまいよ

245:人間七七四年
12/02/12 21:12:20.57 ciTCJFgg
金井ってグンマーのですかな?

246:人間七七四年
12/02/13 22:59:48.47 votZlT3q
倉賀野秀景の事だと思う。
あと後閑信純、冨岡秀高、長野方斎、依田信蕃、安中忠政あたりは、
けっこう華々しいと思う。

247:人間七七四年
12/02/17 21:58:07.77 j8xEHCEg
ここのスレだけに限ったことではないが
織田信長や徳川家康ならばまだしも
学校の歴史の教科書には出てこないような武将の伝承とか
どこで調べているのでしょうか?

皆さん、歴史研究家ですか?

248:人間七七四年
12/02/19 08:45:28.55 le1kyomc
ないしょー

249: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】
12/02/19 08:49:41.48 WGnJ3lA7
ソースは2ちゃん キリッ

250:人間七七四年
12/02/19 17:19:05.95 0fZsIvr+
ソースは2chだとしても、そのソースを書いた人の知識はどこから?
かなり詳しくないと、書けないと思うのだが。

もしかして殿様の子孫が集うスレが存在するとか?

251:人間七七四年
12/02/19 17:30:58.87 le1kyomc
なぜばれた??

殿様の子孫が集うスレ
スレリンク(sengoku板)l50

252:人間七七四年
12/03/04 17:33:26.25 vUMiwvHe
随分マイナーな中世城郭(家臣の城)のジオラマだ。
沼地に突き出た台地の要害に築かれた土の城だ。
大きさも500㎜×330㎜で卓上サイズで手ごろな感じ。
博物館仕様で作らせただけあって見事なできばえだ。
URLリンク(saikatsutramway.sakura.ne.jp)

253:人間七七四年
12/03/14 23:04:23.13 D4J1PB/r
sage

254:人間七七四年
12/03/22 14:19:12.25 H0xr62R8
>>219
事実。
川場村に逃げたらしい。
戦国期の新田郡にも侍大将に生方姓がいる。
また江戸時代の沼田藩で藩御用達の商人に転身している。
逸話だとどの時代かわからんが、
沼田城が落城だか、改易した時に、
主君武芸指南役(移住した庶家には忍者道具も戦前まで遺ってあったとか)だった本家が商人に転身し、
一族が沼田市南端にして利根川左岸の山々に移住し開発したらしい。


255:人間七七四年
12/04/29 13:53:56.78 XNEDf+7U
上杉の傘下で前橋城代だった「長尾謙忠」と長野氏の一族の「長野賢忠」って同一人物?
長野が長尾姓を賜ったのか単に間違えたのかもしれないが、
謙忠は謙信の従兄弟とか書かれてるサイトもあったりでよくわからん

256:人間七七四年
12/04/29 16:22:06.53 euMu6pMv
後北条支配の実像は点と線なのだが、他国への喧伝が凄くて、ちょっとでもカスれば我が物と大騒ぎ。影響地域を占領地域と誤認させ、さらに占領地域を既支配地と誤認させている。後北条ってほとんどブラフの歴史。

257:人間七七四年
12/04/29 21:13:11.55 V6Kj4eOU
元凶は黒田基樹しかいない。

258:人間七七四年
12/06/15 10:56:29.93 wy6MVVWJ
>>225
甲陽軍鑑では長尾でそれに影響された諸軍記も長尾だが
軍記系以外だと長野でおそらく長野が正しい。
かつ城代ではなく領主で、謙信越山時にすぐほろされている。
甲陽軍鑑の上野に関する記述はこういう風に少し間違っているものがある。
箕輪長野と白井長尾が親しかったのは他の史料からも確かめられるが、
甲陽軍鑑で長野業正と長尾景春が一緒に登場しているのはありえないし、
信玄による箕輪城攻略も年がずれているしね。

259:人間七七四年
12/06/23 12:24:46.79 uwr4CdSp
>>258
thx
そうだよなあ。最初に誰かが長野を長尾と間違える→長尾「けんちゅう」って「けんしん」の親戚じゃね?って感じの流れなんだろうな

260:人間七七四年
12/06/27 18:38:44.37 N/F3sFgt
長尾は長尾氏間で養子が行き来してるから、長尾と誤認=親戚と誤認となったと推測

261:人間七七四年
13/01/20 00:03:29.30 cPtgfE7f
長尾は多くて面倒
なんか東毛ばかりだけど、小幡氏や安中氏とかはないんかい
いろいろ教えてほしい


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