【どちらが】織田信長 vs 北条氏康 【民政家?】at SENGOKU
【どちらが】織田信長 vs 北条氏康 【民政家?】 - 暇つぶし2ch298:人間七七四年
10/10/21 00:42:38 v/YW0a90

外園豊基氏が資料に残る東国の災害をまとめているけど それによると1454~1590までに起きた災害数は
陸奥 197 甲斐 171

武蔵 64
相模 47
上野 42

常陸 38 越後 32 下総 17 出羽 13 伊豆 12 関東 9 下野 6 上総 1
広大+北国の陸奥はともかく甲斐がヤバすぎる
あの信玄も水害対策には苦心した 北条は治水対策まったくやってませんね。
その数字を見ると いかに北条が治水や灌漑をやってこなかったかよくわかるな。
逆に山国の甲斐での信玄の苦悩が信玄堤などの発明になり
江戸幕府でも氾濫防止の治水対策で武田の土木技術を導入したんだな。
明治維新後も改良され続けた武田流技術はフランスの技術導入と並んで引き続き使用されてるし。

関東平野の河川や湖沼湿地の多大さは尋常ではない河川工場や埋め立てで現代のようになったのは明治以降だ
江戸幕府や大日本帝國の公共事業をもってしても300年以上かかったのだからたかが後北条ごときにどうにかなるものではない
もっとも本当に何もしなかったのなら施政者として低評価せざるを得ないけど

武田と違い江戸幕府で採用されたような北条技術がまったくないのは そもそも存在しなかったからだろ。
それに300年かかったと言うのは新田開発目的の大規模土砂埋め立てと
船舶流通大動脈計画としての大規模開削の実行による利根川の付け替えによる水路変更東遷事業であり
しかも幕閣における政治闘争に利用され主導者が失脚し頓挫を繰り返したからだし。
関東郡代伊奈家
武田信玄流の治水技術を修得し、江戸時代初期の治水技術を指して後世、
伊奈流または関東流と称することになった。この治水技術の考え方は、自然の力に逆らわず、
溢れるものは溢れさせ、上手に自然の力を利用して洪水に対処しようとするもので、
堤防を連続させず所々に切れ目を入れて洪水を一時遊水させる霞堤などを作り、
その遊水した水を普段の時は溜井(沼)として利用し、
水田などへの水の水源にするといった治水上「柔」に対応する手法であった。
北条はなにもやらないので技術すら存在せず。
甲斐や越後で天災が起きてる中で、北条は人災で民衆は困窮。
現在では越後や甲斐で天災の記録があるから北条領でも天災があったに違いないという
山地の甲信越と関東平野の違いを考慮せず開き直る。そもそもその全国50万丁には根拠ないから。
それに佐竹は小規模な金山を多数開発所持してて財力の裏付けもあったから。
中国商人も関東まで直接に船で行き交い貿易してたし。佐竹の所持した採掘技術ノウハウは凄いもので
秋田へ転封後もわずか4年で院内銀山を発見して江戸期を通じて東洋一の銀山と呼ばれ活況を呈したほど確かなもので、
戦国期において今川、武田、上杉と鉱山開発ノウハウでは劣るものではなかった。
しかし北条ほど技術導入に熱心さを感じられない家は無いな…
北条は伊豆の土肥金山すら開発出来なかったほど無能揃いだからね。
家康が大久保長安が開発を命じたら超ボロ儲けで笑いが止まらなくなったしw
明治からは佐渡に続く日本第二位の産出量だったし。


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