★管領家★  細川氏総合スレ  ★応仁勝者★at SENGOKU
★管領家★  細川氏総合スレ  ★応仁勝者★ - 暇つぶし2ch351:人間七七四年
09/11/20 14:20:24 1l2mm3HS
>>350
富樫政親が加賀一向一揆に殺された時、将軍義尚周辺では本願寺討伐が本気で検討されたが
細川政元がかばった為、象徴的な処罰程度で済んだ。本願寺はそれ以降、京兆家との連携を
非常に重視した。

352:人間七七四年
09/11/20 23:59:52 EWuvlKJT
>>351
でも、三好長慶がでてくると本願寺は三好シンパになっちゃうんだよな。
おそるべし長慶の政治力。

353:人間七七四年
09/11/21 00:57:35 wRuCMhhg
>>351
そういえば富樫政親を滅ぼした一向一揆って、細川政元の被官が多く加わってたらしいね。
政元が後ろで糸引いてた可能性もあるな。


354:人間七七四年
09/11/21 01:12:15 VwH8VabO
>>352
長慶の親父は本願寺にぬっ殺されたのにな

355:人間七七四年
09/11/21 23:15:05 HNP7VXCk
でも一向門徒を利用したつもりの細川晴元が後で逆に一向宗から攻められて、
和睦の斡旋をしたのが長慶だろ。(当時、10代前半だったけど)

356:人間七七四年
09/11/21 23:26:48 dTxawj74
実質的に動いた木沢長政はぶち殺したからな

357:人間七七四年
09/11/21 23:46:17 wRuCMhhg
木沢くらい「悪党」ってタイプもいないな。松永なんかよりよっぽどたちが悪い。

358:人間七七四年
09/11/27 22:49:08 LPqIccZZ
土佐の支配って阿波や讃岐に比べると弱かったの?
内衆の中に土佐の国人っていた?

359:人間七七四年
09/12/31 13:57:33 ECVfeqJm
阿波は一族がいたから

360:人間七七四年
10/01/05 11:53:32 lAATvedX
徳島の丈六寺に有る細川家の墓所に行ってきたけど、
あまりの荒廃ぶりに悲しくなったよ。
丈六寺自体、お金がないのか、かなりぼろぼろなのだけど、
墓所はもっと酷かった、
折れた木の巨大な枝が墓石に覆い被さっていて、
正面から見られない、
折れた枝が他のお墓に引っかかって安定しているので、
墓石本体は、無事だが、花活けなどは倒れてしまっている。
何かの拍子で枝が動けば、墓石も倒れてしまいそうだった。
直系の子孫がおらず、祀る人がいないというのは寂しい話しだ。



361:人間七七四年
10/01/19 16:29:53 H2boKgas
手垢まみれの龍馬やるぐらいなら細川頼之でもやってほしいわ

362:人間七七四年
10/01/31 07:55:21 nz/xdC9j
義満が主役かな、簒奪とか厳しいが

363:人間七七四年
10/02/21 02:33:51 /ASh+aNd
細川元賢が、三浦兵庫頭に養育されて三浦氏を名乗った。
前田利常につかえた三浦乗賢は阿波から出てきたらしいが、細川乗賢のことだろうか。

364:人間七七四年
10/03/28 10:57:01 wHN/EDSJ
加賀に行ったんだ

365:人間七七四年
10/06/16 19:31:46 JeBDQGG/
政元暗殺には澄之の意思がはたらいたのか
部下が勝手にやったかどっちなんだ?

366:人間七七四年
10/06/17 23:13:30 +vyuxs9L
連絡は当然澄之に行っていたでしょうね。

それと言っても仕方ないんですが、澄之が公家からの養子ではなく
政元の実子だったら、政元暗殺も両細川家の乱もなかったのかな・・・
なんて思ったりもします。

367:人間七七四年
10/06/18 22:12:23 lspOCazd
>366
ありがとうございます
政元と一緒に澄元・三好之長も死んでたら高国の一人占めなんだろうか
んで義興が義稙と上洛してきて大内の天下
史実どおり義興が帰ったら庶流の尚春か政賢・尹賢
もしくは六角家が実権握るかだったんだろうな



368:人間七七四年
10/06/24 19:04:22 eL/YGJ3T
細川藤賢って人についてなのですが
足利義昭の追放後、信長に属して1581年の御馬揃えに参加している事と
1590年に没した事はわかったのですが
1581~1590年の間はどこで何やってたんでしょうか?
特に本能寺の変の前後とか。何か動向がわかるような記述ってありますか?

369:人間七七四年
10/08/16 11:50:30 AsQqXUy8
>>366
史実でも高国が澄之、澄元、三好を撃破し京兆家家督を継いでしまいます。

しかし高国の場合は、相続ではなく、戦闘に次ぐ戦闘で言わば武力で強引に
京兆家家督をもぎ取った形になる為に、今まで京兆家の支配に服していた
丹波や摂津や山城の国人層は京兆家に対する帰属意識や一体感が希薄になって
しまった、と言われています。

内衆や国人達は、「高国は、所詮、野州家という京兆家の分家筋であり、
細川宗家の血は引いておらず分家筋が無理やり宗家を軍事力で乗っ取った」
という認識であり、政元暗殺から高国相続まで、京兆家親族や内衆、国人は
相互にテンデンバラバラに分かれて殺し合ったが為にすっかり京兆家に対して
嫌気が差してしまった、と言えます。

現在でもある大企業で重役のスキャンダルや派閥争いが激化し、
社員がすっかりヤル気を失い将来を期待されていた中堅管理職がセクハラ
パワハラで次々と更迭される事態となっていますが、それと似たようなものでしょう。

政元暗殺まで京兆家は畿内で一番の大名でした。将軍家を凌駕し、畠山家を
無力化し、畿内の公家や大寺院の経済的な基盤を奪い取り、事実上畿内を
京兆家が制圧しつつありました。内衆や国人層も京兆家に所属している事に
ある種の満足感が有ったのかも知れませんが、政元があのような事になり、
更にその後は、京兆家内乱で畠山家や六角氏、大内氏までも巻き込む大乱
となってしまい京兆家家督への期待と言うか求心力が希薄になったと思います。

こうなると政元に実子が居ない事が如何に京兆家の前途に悪い影響を与えているかが判ります。

370:人間七七四年
10/08/17 07:51:01 Ba0BmGPO
>政元暗殺まで京兆家は畿内で一番の大名でした。

畠山家も斯波家も足利将軍家も15世紀には内紛状態だったのに
細川京兆家は、16世紀まで大規模な内紛らしき事は発生しなかった。

371:人間七七四年
11/02/02 12:46:55 yeGHkGJa
政元って天狗になって空飛びたいとかいって修行してた人だっけ

372:人間七七四年
11/02/07 17:45:43 FKhvtxPM
>>371
麻原ぐらいには飛行能力があったらしいぞ

373:人間七七四年
11/02/07 18:44:12 +bRiLKXA
魔法に没頭しすぎて殺されるんだよね

374:人間七七四年
11/02/08 00:30:14 Iq978DIL
童貞修行でついに魔法使いになって怪力を得たから
試しに殺してみてもらっただけだよ。
思った通り凄い効果だったよ!

375:人間七七四年
11/02/08 00:59:01 Uobkgw+M
>>373
というかのちの軍記に「魔法で天下を支配した」とか書かれるような人。

376:人間七七四年
11/02/08 14:54:32 Iq978DIL
魔法使いになろうとした謙信…

377:人間七七四年
11/02/08 15:25:53 n9NHIwb6
政元なんかは前半キレキレで後半飽きて(辛抱できなくて)投げだし~の典型だと思う
玄宗皇帝とか、大友宗麟とか、あのタイプ

378:人間七七四年
11/03/15 12:44:30.33 AB7/RFSU
もとは愛知のお百姓

379:人間七七四年
11/04/21 10:01:54.40 0x2iEEJm
.

380:人間七七四年
11/06/01 11:08:42.12 brekoMgL
政元が修験道にはまらず子供がいたら細川幕府が出来ていたんだろうか?

381:人間七七四年
11/06/05 11:41:56.24 NWWXIjRn
平成5年8月豪雨には、目的があった

URLリンク(s1.shard.jp)

実は、鹿児島叩きに細川氏は利用され、用がすんだら捨てられていた。

382:人間七七四年
11/06/05 11:44:36.03 TWqEfrdQ
>>380
せいぜい足利将軍を立てた上での細川執権政権だろうな。
細川は足利一門なわけで。

383:人間七七四年
11/06/26 23:13:13.42 JIzPSwnv
真保の小説どう?

384:人間七七四年
11/06/27 18:49:15.08 SP6WZ+GQ
政元って本当に童貞なの?
若い頃は魔法こってないだろうし勝元が何かしてたんじゃないの

385:人間七七四年
11/06/27 20:52:42.82 xNvq8+vt
>>325
>>328
江戸時代まで大名として残った藤孝忠興親子がいいな
戦国初期だったら高国で

386:人間七七四年
11/06/28 13:30:26.84 VtQlxIZz
いまさらみたくないわそいつらなんか

387:人間七七四年
11/06/29 13:31:15.85 aiZRZNxZ
じゃあ細川高国で

388:人間七七四年
11/07/03 14:07:41.50 ZigRrlq1
典廐細川藤賢の末裔何処いった
和泉細川藤孝の末裔は大名
三淵藤英の末裔は旗本
一色藤長の末裔は旗本


389:人間七七四年
11/07/20 20:00:39.67 tnaTvlOP


390:人間七七四年
11/07/28 01:49:40.48 d8gAblxZ
もとは、愛知のただの土豪

391:人間七七四年
11/08/05 00:39:37.46 xSKSPye8
>>387
主役大内義興、脇役細川高国ぐらいだろな

392:人間七七四年
11/08/14 03:25:10.57 M5RDWn+B
細川蔵人家って信憑性あるの?

393:人間七七四年
11/08/14 17:00:46.21 iZr0np85
>>392
系譜の年代に、つじつまの合わない怪しいところあり。
元常の長男とされる、元春なる人物の出自も謎だな。
(実子とは思われないのだが)

とはいえ、「自称」で蔵人家という地位を、
大藩の熊本藩があるもとで獲得できるのか、
とういうことも疑問。

394:人間七七四年
11/08/14 22:55:22.24 /PgKs6h1
>>387
勝元っちゃんじゃダメなん?

395:人間七七四年
11/08/20 01:38:54.44 nGSUGsM4
勝元は、応仁の乱では、荘園押領しまくりで、恨まれているね。

396:人間七七四年
11/09/12 17:20:49.59 Bl9VvS2s
空も飛べるはず!

397:人間七七四年
11/09/13 01:34:10.52 fJ4YLXZt
半将軍様に関しては周りも「あの人ガチで魔法使いだよね」と思ってたフシすらある。

398:人間七七四年
11/09/13 19:23:58.86 ozFU8rXt
ぶっちゃけ忠興とか一夢理斎wwwwwwwwwwって稲富さんが言ってました

399:人間七七四年
11/09/17 15:31:41.38 iTcel8Y6
藤孝ってムキムキまっちょだったの?
細マッチョだったの?

400:人間七七四年
11/11/12 21:27:51.44 MqtbNFZl
香西氏末裔

401:人間七七四年
12/02/05 11:59:20.52 wcY0YJpI
典厩家が江戸時代に何してたか教えてください

402:人間七七四年
12/04/25 00:35:28.65 zgeUT0N1
頼之

403:人間七七四年
12/05/28 03:45:39.88 tQWwwDOw
足利義稙「やっときましたね。おめでとう!
このゲームを かちぬいたのは きみたちが はじめてです」
細川澄元「ゲーム?」
義稙「わたしが つくった そうだいな ストーリーの ゲームです!」
細川高国「どういうことだ?」
義稙「わたしは さいきんのばくふのけんりょくあらそいに あきあきしていました。そこで まさもとをよびだしたのです」
細川澄之 「なに かんがえてんだ!」
義稙「まさもとは かんれいしょくをどくせんするなどのばつぐんのせいじりょくで ばくせいをあんていさせてくれました
だが それもつかのまのこと かれはしゅげんどうにこってしまうような かわりものだったのです」
大内義興 「そこで ゲーム・・か?」
義稙「そう!そのとうり!!わたしは まさもとを うちたおす ヒーローが ほしかったのです!」
澄元「なにもかも あんたが かいたすじがきだったわけだ」
義稙 「なかなか りかいが はやい。 あなたたちはまさもとのこどもといってもしょせんはようしでした。 そのほかのいえからやってきた 
ちのつながらないようしすぎないそんざいが ひっしに たたかいぬいていく すがたは わたしさえも かんどうさせるものがありました わたしは このかんどうをあたえてくれた きみたちに おれいがしたい!
どんなのぞみでも かなえてあげましょう!」
高国 「おまえのために ここまできたんじゃねえ! よくも おれたちを みんなを おもちゃにしてくれたな!」
義稙「それが どうかしましたか? すべては わたしが つくった モノなのです」
澄元「おれたちは モノじゃない!」
義稙「かみに ケンカをうるとは・・・・ どこまでも たのしい ひとたちだ!どうしても やる つもりですね これも いきもののサガか・・・・
よろしい しぬまえに かみのちから とくと めに やきつけておけ!!」 




404:人間七七四年
12/05/28 21:41:27.24 OB+Xlrdy
政元がやってた、飯綱の法って一体どんなものなのかねー

405:人間七七四年
12/05/29 18:33:11.51 CVA7jbKS
飯綱使いだと、管狐という竹筒に入るほど小さな狐を飛ばして相手に祟らせたりする術なんだが、
これとは違うだろうしな。

406:人間七七四年
12/05/31 00:40:22.16 6dD4TST7
降霊法と聞いた。過去の偉人が降りてきて力を貸してくれる的な。

407:人間七七四年
12/05/31 07:05:15.47 VuDhoVpx
そういえば義経の神像に対して怪しげな儀式してたんだっっけ?

408:人間七七四年
12/06/17 15:58:11.28 2xLsUTNb
八犬伝か何かにも魔法使って空を飛ぶとかなんとか書いてあったしな

409:人間七七四年
12/07/05 08:58:41.98 wH4CqKkr
良スレ

410:人間七七四年
12/07/19 11:41:52.56 sm8ADkAM
 典厩家は元賢が三浦姓を名乗り、浅野、蜂須賀を経て乗賢の代に加賀前田家
に仕え幕末に至る。
 京兆家は三春藩家老。
 備中守護家は長府藩家老。
 阿波守護家は、末裔と称する貫心流の細家が広島藩指南役。
 地下官人では、和泉上守護家の子孫が六位蔵人、有栖川諸大夫、大覚寺侍に
も細川元雄なる者がいる。
 鳥取の佐川神社住田氏は細川氏綱の子、天竺二郎三郎元氏の弟住田久次の末
裔を称する。
 旗本の花木、細田、澤も細川氏族を称する。

411:人間七七四年
12/10/21 16:50:35.35 CzEmkJxO
源義兼の年表


1153年、父:源義康、母(源頼朝の母と姉妹):藤原季範(初代藤姓熱田大宮司)の娘(実父は藤原季範の長男:藤原範忠)の間に生まれる
1155年、母方の祖父(血縁は曾祖父):藤原季範死去、父方の祖父:源義国死去
1157年、父:源義康死去
1159年、母の姉:由良御前(源頼朝の母)死去
1160年、源義朝暗殺、源頼朝伊豆に配流
1161年、藤原範忠(実の祖父)周防国に配流
母親(頼朝の母と姉妹)の所領(父親からの化粧料)である三河国額田郡乙見に、異母兄弟2人(源義清、源義長)と共に移り住み、三河の藤姓熱田大宮司家の庇護を受ける
1167~1168年頃、八条院蔵人、三河国碧海郡碧海庄(三条女御領)の庄司に任じられる(碧海庄司時代、熱田神宮祭典の大宮司代理に補された)
異母兄の源義清(細川氏・山名氏の祖、室に新田義重の娘)は、三河国幡豆郡矢田(皇嘉門院(崇徳天皇中宮)領)に拠を構え、矢田義清(矢田判官代)と称する
1174年、三河国碧海郡碧海庄で長男、源義純(源姓畠山氏の祖)が生まれる(その所縁か、後に畠山氏流和田氏が碧海地域の奉公衆になる)
1176年、三河国碧海郡碧海庄で次男 源義助(桃井氏の祖)が生まれる
1181年、北条時政の娘を正室に迎える
1183年、異母弟2人源義清(矢田義清)、源義長は水島の戦いで戦死
1184年、源範頼(後に三河守)軍の一員として九州平定
1185年、上総介に推挙される
1187~1190年頃、三河国碧海郡碧海庄内に薬師寺を建立(義純、義助の母である白拍子を菩提)、三河国額田郡乙見内の真福寺に法華堂建立(母親を菩提)
1189年、源頼朝軍の一員として奥州合戦に従軍、嫡男足利義氏(後に足利氏として初めて三河守護)誕生
1195年、東大寺で出家
1199年、死去

412:人間七七四年
12/11/28 22:20:48.19 4bdhGeHl
>>149 国五郎の一族ですか?私の先祖かも

413:人間七七四年
12/11/29 15:53:45.25 KiyiHhJb
>>142
祖谷にも末裔のかたがいらっしゃるんですね、阿南とうちの先祖だけかと思ってました。
この分だと、徳島各地に細川家の末裔がいるんじゃないでしょうかね?
まあ、うちの場合、調べても言い伝え以外には、何も出て来ませんし、
江戸期を通して別の姓を名乗っておりますしで(汗
まあ、一族だけのロマンにしてたほうがいいのだと思います。
レスありがとうございます。

414:人間七七四年
12/11/30 01:28:12.70 jaqdumIG
>>413 確証はないんですが、墓所の家紋とか名字を名乗るのが許されていた事など、調べていくと本家筋は繋がりがあると私は推測してます。伝手があるので一度コンタクトを取る予定ではおりますが。

415:人間七七四年
12/12/01 00:26:10.48 8Q/cexL8
九曜紋 桜紋 桐紋 他にバリエーション無いかな? 細川桜以外の桜紋とか使ったり

416:人間七七四年
12/12/01 02:20:39.45 CkE9tOfo
二引両と細川番い松。九曜は幽斎系だけのはずだよ。
なので、それを知らずに使っていたらけっこう恥ずかしい。

417:人間七七四年
12/12/05 16:06:37.24 9jHX7UCM
そっか熊本は幽斎系だったか

418:人間七七四年
12/12/05 17:27:16.25 9WAJJkj8
細川九曜
URLリンク(www.manyou-kumamoto.jp)
あとはこのへんがまあまあ詳しいかな。
URLリンク(www2.harimaya.com)
URLリンク(www2.harimaya.com)
URLリンク(www2.harimaya.com)

419:人間七七四年
12/12/11 17:23:24.17 1cCiqJb+
鎌倉時代からの細川氏の氏神、村積神社(愛知県岡崎市)の神紋も九曜星だが

熊本とか忠興とかアホか

420:人間七七四年
12/12/11 20:07:35.40 4tRO4d6y
桜紋では細川桜以外のバリエーションは使ってないのかな?

421:人間七七四年
12/12/12 20:51:31.17 iSbzZdN2
>>419
神紋を後から変えた可能性もあるし、(例えば熊本の細川家が保護した等々の理由で。)
先祖の氏神の神紋が九曜なのを承知した上で、信長に拝領したっていうかたちにした可能性もあるわな。
肥後細川家ぐらい歴史のある家は、紋もそれぞれに歴史があるので、どれが正解とは決めがたい部分もあるが、
定紋として九曜を使用したのは、長岡家以降で間違い無いと思いますよ。

422:人間七七四年
12/12/14 09:23:25.79 uzl4qZRp
細川氏と三河の濃密な関係は、細川成之までだぜ
二つ引両を足利義満から与えられたのなら、それ以前の家紋があったはず、それは九曜紋
元々鎌倉時代もしくは室町時代から、九曜紋だったと言う事だ

ちなみに細川氏は、菩提寺が隣松寺、氏神が村積神社と何故か足利宗家・足利被官(菩提寺は滝山寺、高氏だけは満性寺)と一線を引いている
これは、初代細川義季は足利宗家に連れて来られて関東から移住して来たのではなく、祖父から引き続き三河にいたという事を暗示させる
関東に全く細川氏関係の記録がないのもこの為だ

祖父、足利義清(矢田判官代)←嫡男の義実と共に三河の矢田(矢田城)に本拠を置く、水島の戦いで戦士

父、足利義実(広沢義実)←父が戦死したあとも三河にとどまる、広沢は豊田市の広沢、豊橋市の広沢か?

戸賀崎義宗←細川義季の弟、戸ヶ崎(矢田のすぐ近く)城主、後に村積神社神官、細川義季と同じ隣松寺に墓あり

423:人間七七四年
12/12/14 12:51:28.94 ZuLZZj+S
>二つ引両を足利義満から与えられたのなら、それ以前の家紋があったはず、それは九曜紋
>元々鎌倉時代もしくは室町時代から、九曜紋だったと言う事だ

ここで論理的に飛躍してない?
前からの紋が有った可能性と、それが九曜であることを断定出来るだけの証拠が揃ってないじゃない。
細川家の氏神の村積神社の神紋が九曜なのは、後から肥後細川家が寄進したりして、
後から変えたものである可能性も有るのだから、簡単に断定するのはおかしいよ、
九曜の紋についいては、言い伝えレベルであるが、信長からもらったという話も残っているのに、
そこを無視してはダメでしょ。

424:人間七七四年
12/12/14 22:30:22.27 uzl4qZRp
三河に熊本の細川氏のゆかりは一切ありませんよ
可能性はゼロだと言ってんの
つーか村積神社の九曜紋は室町時代からなんだよw


俺の仮説が正しいだろうが

425:人間七七四年
12/12/14 23:11:27.68 8o11Lzw7
自分の田舎の阿波細川家の筋の家紋は九曜紋
細川藤孝とかは関係ないのに九曜紋なのはおかしいと思ってたらやっぱりそれ以前から九曜紋は使われていたんだね
納得

426:人間七七四年
12/12/15 08:48:30.21 CmX0aa1t
>>425
納得しちゃうのは早計じゃないかなあ。
うちは細川の子孫だ、細川といえば九曜紋、じゃあうちも九曜紋にしよう!ってご先祖様が早とちりした可能性もある。
現にうちのご本家がそうだ(w
丸の小さな細川九曜なので、どう見ても無理がある(泣

九曜紋自体は、メジャーな意匠なので、いくつも紋を持っていた古い家系なら、使っていても全く不思議では無いのだが、
武家で考えれば、どうも九曜には平氏系のイメージが付きまとうので、源氏の細川が九曜というのは、やや特殊な感じがするのよね。
信長にもらったというのも、わりと納得できるエピソードでは有るのだが、

足利家との決別を示すシンボルとして利用した可能性もあるからね。
本来は昔から使ってた(かも知れない)九曜に戻しただけなのかもしれないし、
先祖の氏神の神紋と同じだったから、信長からもらった形にして、信長への忠誠を示すパフォーマンスだったかも知れない。

427:人間七七四年
12/12/15 09:45:37.70 pUBdYlCb
>>426 その辺も含めて今度聞いてみようと思います

428:人間七七四年
12/12/15 16:54:54.01 pUBdYlCb
このスレはやっぱり細川氏の末裔が大半なんでしょうか?

429:人間七七四年
12/12/15 19:10:57.89 nV2YXOC3
織田信長とか関係なし
戦国馬鹿にはうんざりだ

430:人間七七四年
12/12/15 19:21:47.54 CmX0aa1t
「忠興公御譜中」に「或時忠興公信長公之腰物を持ツ小刀の柄に九曜之紋有を見て愛シ衣服之紋とし信長公御感ニ而自分家紋にすべき由被仰候よう忠興公九曜を用候なり」と書いてあるらしいんだが、
これをどう考えるかだな。
忠興公を細川幽斎系と書くと忠興さんに怒られそうなので、お詫びと訂正を致します。
こういう書物って、脚色の可能性もあるので、素直に信じる訳にはイカンだが・・・。

431:人間七七四年
12/12/15 20:55:43.51 tKlNOAoZ
政元は元から義視嫌ってたからずっと義材を排除する機会をうかがってたんだろうな

432:人間七七四年
12/12/17 08:37:59.50 bP7jvpZP
>>431
東軍ど真ん中の京兆家に西軍系の将軍は、そりゃあ感情抜きに共存は難しいわな

433:人間七七四年
12/12/26 22:01:11.36 bz3jwJ8F
君達は細川の誰が好きかね

434:人間七七四年
12/12/26 22:02:25.51 LSyBy1dk
>>433
恐ろしくキャラが立ってるのは政元。
人間的に良い人っぽいのは高国

435:人間七七四年
13/01/05 21:07:43.62 oL4nw9Hn
なんの!細川といえば頼之 

飛砲火槍の成之よッ!

436:人間七七四年
13/01/10 01:44:02.49 bqiIba8l
足利義満に尽くす頼之の生き様はかっこいい

勝元のしたたかさは流石だと思う

政元は自由に生きすぎたw
だがそれがいい

結論:みんな味があって非常によろしい

437:幽斎 
13/01/12 22:06:39.01 pdfKAOFP
細川じゃなくて太川ですな

438:人間七七四年
13/01/13 19:33:12.99 i6YKe17B
基本家格が低いので細く長くの生き残り戦術だったのに、おしまいの方は異様に広く太くなってしまったイメージ

439:人間七七四年
13/02/03 13:35:07.44 fIIT5fi7
細川って画数で見たら凶だった

440:人間七七四年
13/02/03 13:39:37.09 TZdT6oPj
近世以前は細河って書いてる史料のほうが多い気がする

441:人間七七四年
13/02/20 21:24:48.75 DXuMuWIH
細川の子孫って多いの?

442:人間七七四年
13/02/28 12:47:10.48 Htw4WSn9
>>441 呼んだ?

443:人間七七四年
13/04/04 16:08:26.38 f7xFjzBz
高国が養子入りしたのは何年のことでしょうか

444:人間七七四年
13/04/04 16:13:14.01 f7xFjzBz
下げ忘れたすまn

445:人間七七四年
13/04/04 16:57:34.58 In+/la0l
>>443
よく解らん。そもそも本当に養子入りしたのかという疑いもある

446:人間七七四年
13/04/04 21:32:53.20 f7xFjzBz
>>445
マジかいありがとう

447:人間七七四年
13/04/06 17:07:30.65 wzKfmsui
空華集 「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京之地也」


「三河国碧海荘は管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」
初代斯波氏である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠地とした


永源寺

中世、碧海郡碧海荘内にあった禅寺。管領斯波義将が1380年代に創建。南北朝時代の禅僧義堂周信の詩文集『空華集』に収める「贈雲谿首座赴永源命詩并序」にみえ、錘秀山と号した。
「序」に碧海荘は斯波義将の先祖の墓所のあるところであるといっており、家氏以来斯波氏が伝領してきたのであろう。所在地は「碧海之東」とあるのみでどこであるか不詳である。
応永4年(1397)5月18日、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚が将軍義満より住持職に補任された(『蔭涼軒日録』文明17年9月15日条)。

448:人間七七四年
13/04/07 11:46:48.37 LGR4+siQ
政界のウィザード 細川政元


最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch