13/02/01 12:30:14.26
凍傷の登山家と希望的観測
URLリンク(www.junkstage.com)
2013/01/31 06:30
不敏にして栗城史多(くりきのぶかず)という登山家を存じ上げなかった。
存じ上げなかった訳であるから、氏の来歴についてなにかしらの個人的見解を述べる権利は僕にない。
しかし、医療的側面から、彼について語ることが許されるなら、彼の指はもうもとには戻るまい。
たとえiPS細胞がどれほどすばらしいものであっても、である。
2012年10月、単独無酸素でエベレスト登頂に挑んだ彼は、右手の親指を除く9本の手指に重度の凍傷を負った。
栗城氏のtwitterには、第二関節からうえが黒色に壊死した痛ましい指の写真も掲載されている。
そして、氏はいまだ切断には踏み切らないという。諦めず、再生医療に取り組むと語る。
そもそも、壊死した指はなぜ切断しなければならないのか。
たとえば、てのひらにプリンをのせたままで幾日も生活する必要があるとしよう。そう遠くない未来に、
プリンの甘い香りは異臭に変わり、腐る。腐ったプリンは食べることができない、あたりまえだ。
ひとのからだはプリンよりもたくさんの有機物で構成されている。それが腐らないのはどうしてかと言えば、
そのパーツが生きているからだ。生きていれば細胞は血流により栄養され、免疫細胞により保護される。
死んだらそれがない。腐ったプリンは、死んでいる部分の血管から体内に戻り、腐ったプリンによって
からだがパニックを起こす。これが敗血症だ。ひどいときは、からだ全体が死ぬこともある。
血流改善をして再生医療に取り組む、氏の主張は一見心得ているようで、そのじつなにも受け入れていない。
まず、血流とは生きている部位の話で、彼が再生したい指にはもう、血管そのものがないのだ。
血流改善による効果が得られるのは生きている部位の末端であり、炭化した第一関節ではない。
むしろ、患部で産生された壊死物質を、いたずらに体内循環に戻してしまうとも考えられる。