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小田原城を攻略するため箱根山に入った兵の総数は、20万人とも言われています。
箱根山のいくつかのお城やお寺に分散して、温泉も入ったのでしょう。
この20万人の兵員が郷里に帰ったあと「箱根の温泉」について語り、箱根の温泉が有名になり、富士講や大山講、
お伊勢参りの帰りに立寄るなどで広まったといわれています。
また、勝戦後に伊達政宗は仙台に帰郷することになったが、このときに徳川家康や淀君など武将を
引きつれ底倉温泉で祝宴をして伊達政宗を送ったのです。
それがあそこです!
こちらの田んぼのような段々畑は「かめ張り」といって温泉貯蔵庫のような役割を果たして
います。
ここも昔は温泉旅館だったそうですが、現在は空き地になっています
だけど、凄い事に温泉はまだ、生きていました。
温泉が利用されていたのは戦国時代からで主に領主様や武将が
戦の傷を癒したり病気療養のため使用していたらしく
お客からお金(一銭)をもらう商売としての旅館業は太閤の天下統一後
(小田原攻略2年後)の1592年からず~とですよ!
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