11/12/10 12:33:33.61 5yOYsvwQ0 BE:1939421298-PLT(15072) ポイント特典
sssp://img.2ch.net/ico/u_chinsyu.gif
映画『いのちの食べかた』のニコラウス・ゲイハルター監督が、1999年にチェルノブイリ原発周辺の立ち入り
制限区域に暮らす人々の姿をとらえたドキュメンタリー映画『プリピャチ』が、東京・神田のアテネ・フランセ文化センターにて公開された。
プリピャチは、チェルノブイリ原子力発電所から4キロ離れた場所にある市の名前。事故直後に5万人の住民が当時の
ソ連全地域に避難したこの市は、現在も、厳格な監視下に置かれたゴーストタウンとなっている。だが、プリピャチで生まれ育った高齢者は、
ふるさとを捨てられないと自発的に故郷に戻り、事故発生から12年がたったころには、約700名の人々が、
“自発的帰還者”として当局に黙認されたまま、ひっそりとそこでの暮らしを始めていた。
石棺工事に従事した80万人に及ぶ事故処理作業員のうち、約5パーセントから10パーセントが、通常労働ので
きない体になったという現実の一方で、1万5,000人余りの労働者たちは、当時稼働中だった3号機内で働き続けていた(3号機は2000年に停止)。
生まれ育った土地で採れた食べ物、そして地元の川で採った魚を食べながら生活を続ける老夫婦、空き家を荒らすホームレス……映画『プリピャチ』の
モノクロの映像は、プリピャチの現実をただ淡々と映し出す。映像を観たとき、頭をよぎるのは、「12年後の日本は……?」という恐ろしい疑問だ。
プリピャチは、映画『チェルノブイリ・ハート』と併映されたメアリーアン・デレオ監督のドキュメンタリー『ホワイト・ホース(原題)
/ White Horse』にも登場する。『ホワイト・ホース(原題) 』では、6歳で被ばくした青年マキシムが、2006年、20年ぶりにわが家に戻るが、
そのマキシムの家があったのがプリピャチだった。マキシムは、同映画の撮影から1年後、に27歳という若さで死亡。原発事故から25年がたった今
でも、健康被害は、大人、子どもを問わずに表れ、急性放射線障害、甲状腺がん、白血病、心臓および循環機能障害、呼吸器障害、免疫不全など、
数多くの病気が人々を襲っている。それでも、科学的な証拠がない限り、“放射能”はあくまで「ただちに健康に害を及ぼさない」程度のもの。
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)