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>>1の続き
「そして弟君の秋篠宮文仁親王を『摂政宮』とし、秋篠宮妃紀子殿下を『摂政宮妃』とする。
悠仁親王には当代最高の傅役(かしずきやく)をつけ、幼いうちから帝王学をお教えすべきです。
男系の将来の天皇を傅育(ふいく)しなければなりません」
天皇家で唯一の男系男子の孫として、将来の皇位継承が確実な悠仁親王には、早いうちから帝王学をお教えする必要がある。
そのためにも秋篠宮殿下が摂政宮となり、紀子妃殿下も摂政宮妃として皇后学を学んでおくべきというのである。
佐々氏はこの持論を講演でも話し、雑誌にも寄稿している。
佐々氏が秋篠宮摂政論を考えるようになったのは、1975年に起きた「ひめゆりの塔事件」での経験が原点だという。
当時まだ皇太子夫妻だった天皇陛下と美智子皇后が、沖縄海洋博開会式に際し、
昭和天皇のご名代として皇族として戦後初めて沖縄を行啓された時のこと。
ひめゆりの塔を訪れた際に、過激派が火炎ビンを投げつけた。この時、警備責任者を務めていたのが佐々氏だったのである。
「爆発した火炎ビンの炎は数メートルのところまで近づきましたが、その時の両殿下のお振る舞いは忘れられません。
事件の現場にはひめゆりの生き残りの女性もいたのですが、陛下は警備の者を振り払ってその女性の元に戻り、
『ご無事でしたか?』と心配して声をおかけになったんです。また妃殿下もご立派で、何事もなかったかのような表情で行事を続けられた。
現在の状況では、こうした両陛下のお気持ちを継ぎ、国民の支えとなれるのは秋篠宮殿下です。
そして国母たる皇后の任に耐えるのは紀子様ではないでしょうか」(佐々氏)
※週刊ポスト2011年12月9日号