11/11/10 23:38:01.25
919* 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2011/04/12(火) 00:21:06.66 ID:???
>ほいから、D手氏が班長の目を盗んで朝寝して殴られたことに怒り、
>武器庫から弾薬を確保して大砲一門を兵舎の方へ弾薬を装填して、
>中隊長が新兵のD手氏に平あやまりに謝罪したよう、
>気づいた時は、人事将校の佩刀を奪い取って斬りつけ、
>止めに入った下士官たちも追い散らしていた。
こんなのなあなあで済ませていたら軍組織がなりたたず
広島師団の栄光とやらもなりたたんということに思いがいたらんらしい。
921* 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2011/04/12(火) 00:26:40.62 ID:???
}}919
従軍経験者が異口同音に言うのは「同調圧力の強さ」なんだけどな。
まぁ、ジジイの「郷土史読んだ」「連隊史読み込んだ」なんて所詮
他人に自分を称揚して貰う為の道具の域を出てない訳だが。
923* 名前:白馬青牛 ◆8mr41B7alChB [] 投稿日:2011/04/12(火) 00:39:06.80 ID:bL1mxf3F
}}919-921
わしが、森金氏の戦記を引用した過去スレのんでも挙げとこう。
646 :205:廃藩置県暦135年,2005/04/05(火) 02:40:33 ID:/JTAJr+W
福山232連隊でのこと、第七中隊の宴席でF曹長は、A少尉を殴った。
A少尉は、将校侮辱罪として、中隊長代理T少尉に訴えた。事件を
公けにすると、F曹長は二等兵に降等され憐れであり、中隊としても
恥を外部に公表するより、中隊長が仲に入り、曹長からの始末書一枚で
穏便にすませるが普通であるが、この時、T少尉は、F曹長を反攻罪と
して大隊長に告訴し、大隊長A大尉は、軽薄な男で、将校侮辱罪として
F曹長を軍法会議に提訴した。
同じ頃、第八中隊のM軍曹は、姑娘の誘いに乗り、敵の密偵とは知らず、
夜半歩哨線を越え脱営した。本来なら敵前逃亡罪として、反逆罪の汚名を
着せられ郷里に通報されるのであるが、I中隊長は、本人には無論、
郷里の父母を気の毒に思い、「△△出動の際、マラリアの発熱に冒された
M軍曹は、咽喉の渇きに堪えきれず敵前のクリークに水を求めている
とき、不運にも敵の捕虜となった」という、I藤中隊長温情の戦闘詳報が
作られた。
温情のある隊長と軽薄な隊長とでは、部下兵の扱いに天地の差がある。
647 :205:2005/04/08(金) 01:00:30 ID:DPSdx7KJ
続いて福山232連隊でのこと、I軍曹は順応でも服従でもなく、自分の
思い通り行動し、上官を批判する。殊に戦闘の拙劣な指揮官、卑怯な
将校に対する非難は露骨且つ痛烈で、将校も陣糞漢な号令を掛けて
兵隊の嘲笑を買ったり、卑怯な振舞いをして人格を疑われる例は少なく
なかった。
高地占領の命令を受けるやM小隊長は何を勘違いしたのか、部下兵の
小銃を借りて敵を狙撃しようとした。I軍曹は「ぶった斬るど」と
罵倒した。S大尉はM少隊長の昂奮状態から小隊の指揮をI軍曹に執るよう
命じ「このI軍曹が小隊の指揮をとる。高地に向かって突入する、生命の
惜しい奴は残れ」号令一下、I軍曹が後も振り返らずに駈けた。
その後もI軍曹は、無能な指揮官を容赦なく誹謗したので三代目の
△△中隊長から不興を買い、S挺身斬込隊要員として中隊を追われ、湘桂
(大陸打通)作戦に出動し、昭和19年12月に第39師団に復帰した。