源義経=チンギス・ハン説を議論しようat NANMINHIS
源義経=チンギス・ハン説を議論しよう - 暇つぶし2ch2:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/12 17:45:15
遺言に日本を攻めろと言ったわけか

3:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/12 17:48:11
面白いよねこの説
モンゴルの人からすれば噴飯物なんだろうけどw

4:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/12 18:55:44
まずチンギス=義経としたら、義経がどうやってチンギスとしての人脈を得たのかが問題になる
チンギスの兄弟や子供や友人が存在していたことは否定できないからね

5:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/12 21:22:10
モンゴル統一直前に討ち取られて死亡するテムジン、
途方にくれる彼の一族の目の前にテムジンに瓜二つの日本からやってきた武者が・・・!



小説的にはこれで十分だな

6:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/17 22:48:43
>>4
家族や親戚に囲まれていた状況からして、よそ者の、しかも外国人が
すりかわる余地などなさそうに思えるよなw

7:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/18 09:41:31
>>1
お笑い弱小民族の孔子、諸葛亮、千利休、ヌルハチは韓国人という説に似ている気がする。

8:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/18 21:08:40
義経の北上に同行した一行って誰だろう?
弁慶も金売り吉次も、主だった家来は衣川でほとんど死んだんじゃなかったっけか。

9:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/02/18 22:10:10
アイヌの社会とモンゴルに何か繋がりがあるんかいな。

10:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/18 22:32:45
本物の劉備は既に死んでいて、その後の劉備は日本から来た倭人なんだよ。

11:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/19 21:44:03
>>9
オホーツク文化を介して間接的に交易はあったかも知れない。

12:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/02/19 21:51:00
佐藤忠信・・・カサル
弁慶・・・・・・・ベルグタイ
海尊・・・・・・・カチウン
    ・・・・・・・テムゲ

川越氏・・・ボルテ
静御前・・・クラン

こういうネタはとっくにやりつくされてそうだけどな。

13:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/19 21:55:49
十三湊があったしねぇ

14:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/20 08:09:54
>>10
V論尊先生っすか?

15:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/20 10:42:22
この説はチョンがみたいで嫌いだな

16:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/20 11:21:44
大いなる河=オホーツク海

17:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/23 21:21:08
アゲ!
もっと知りたいから 書きに期待!

18:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/23 21:30:41
>>15
この説って「ムー」レベルの㌧でもなのは認めるが
日本人の大部分の認識も押しなべてそうなんじゃないか?

㌧でもを㌧でもとして楽しめるホビーカテの醍醐味を存分に味わってみようじゃないか



以前、この説は関東軍の謀略だった説をどこかの本でで見た記憶がある

19:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/24 09:03:35
英語ではゲンギケーハンと言うらしいな

20:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/24 11:25:10
源氏の紋章と似てたとかいろいろあるらしいね。でも、やっぱモンゴル人の英雄だよ。
他国の英雄は実は日本人って、なんかチョンみたいでやだな。

21:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/25 00:22:16
「舜天=源為朝」説もあったわなw

22:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/02/25 00:28:38
舜天は為朝の息子説な。

23:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/25 16:01:19
江戸時代沢田源内の「金史別本」という偽書が義経チンギス・ハン説の嚆矢らしいね。

24:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/25 21:06:17
犯人は

天の雲すら盗めると豪語する


あいつだ!!


雲盗り暫平


25:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/26 12:12:44
ウリナラ起源説を聞いた日本人のように、この説をモンゴル人が聞いたら不快になるんだろうか?

26:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/26 16:11:13
>>25
そりゃ怒るだろう
ただしモンゴル人は郷土への執着心が希薄なので
同じ民族だった、くらいのニュアンスなら親近感を持たれるかも知れんね

27:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/26 21:31:53
ストロング金剛がチンギス・ハーンだろ

28:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/26 21:59:00
ムーレベルで思い出したが昔ムーで特集してたな!

29:死闘!東海道サッカー命トトカルチョ
07/02/27 05:23:13
青春18きっぷで出かけて来い!
スレリンク(moeplus板)l50

30:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/27 07:48:26
北海道の平取に義経神社があるよ

31:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/27 08:03:28
チンギスハンの親はエゾカイというらしいね

32:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/27 10:44:55
蝦夷開勇者

33:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/27 11:51:42
イェスゲイ・バアトルじゃね?
バアトルは勇者の意

34:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/27 18:59:28
テムジンは天神の意

35:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/28 01:22:06
>>18
いいねえ。
さんざん妄想ふくらましたあげくに950くらいから
「んなわけねー!!」を連呼したい。

36:名無しさん@お腹いっぱい。
07/02/28 07:22:44
>>33
当時のモンゴルには文字がなく、正しい発音は今となっては分からないらしいよ。
チンギスハンとジンギスカンみたいな感じで。

37:名無しさん@お腹いっぱい。
07/03/02 04:07:49
ネタないのかよ


38:名無しさん@お腹いっぱい。
07/03/02 10:40:54
>18
>以前、この説は関東軍の謀略だった説をどこかの本でで見た記憶がある
義経=チンギス説の御大とも言うべき小谷部全一郎の現地調査は
日本軍のバックアップの元に行われたから、タブンそれのことかと。

小谷部の調査で出てきた証拠って胡散臭いのばっかしなんだよね~
ウラジオストックの方で見つかったと言う「大日本源義経墓」と掘られた石碑とか。
なんぼなんでも「大日本」はねぇ…
軍が関連してるのがバレバレ(苦笑

後、笹竜胆の紋の入った遺跡関連。
頼朝・義経の清和源氏が笹竜胆を使っていた証拠はなく、
源氏=笹竜胆になったのは江戸時代になってからの創作で、
義経関連の遺跡で笹竜胆が出てきたら、江戸時代以降の捏造と疑った方がいい。


39:名無しさん@お腹いっぱい。
07/03/02 11:06:07
笹リンドウを使ってないという証拠もまた無いのだ!

40:名無しさん@お腹いっぱい。
07/03/02 21:15:35
>>39
それ悪魔の証明……

41:名無しさん@お腹いっぱい。
07/03/03 11:21:03
しかし、義経がチンギス・ハンである可能性も捨てきれない訳ではない。
最終的な結論は更なる調査に委ねるしかない!

42:名無しさん@お腹いっぱい。
07/03/03 18:19:35
以上 マスコミ向けのコメントでした。

43:名無しさん@お腹いっぱい。
07/03/03 22:07:34
義経北行の一行の足取りについては、結構色々な古文書が残っているようだが、
総勢何人くらいだったんだろうな。
>>8のとおりで、衣川まで一緒だった家来は全て死んでしまったわけだし。

・・・静と落ち合って愛の逃避行?

44:名無しさん@お腹いっぱい。
07/03/04 00:54:53
ムー的にはwベンケイ一行が先に大陸に渡りある程度地慣らしした上で義経は渡ったらしい。

45:名無しさん@お腹いっぱい。
07/03/05 23:45:47
>>38
だから、それはもう具体的に明らかになっている。
>>23で書いた通り、沢田源内の捏造だよ。

46:名無しさん@お腹いっぱい。
07/03/05 23:51:38
ヨシ!じゃあ結論は出た事だし(・∀・)
みんな解散!

47:名無しさん@お腹いっぱい。
07/03/06 01:21:41
いよいよ選挙かぁ
地元に帰らんと・・・

48:名無しさん@お腹いっぱい。
07/03/06 02:31:28
このスレは終了しました。
本当にありがとうございました。

49:名無しさん@お腹いっぱい。
07/03/08 17:03:24
まだだ、まだ終わらんよ!

50:名無しさん@お腹いっぱい。
07/03/09 01:09:49
尾張

51:名無しさん@お腹いっぱい。
07/03/09 22:12:13
テムジン=牛若丸 だと 静が強奪されてレイプされるので嫌

52:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/03/09 22:14:40
それは河越氏の役どころなんじゃなかろうか。

53:名無しさん@お腹いっぱい。
07/03/15 01:14:45
静タン(;´Д`)ハァハァ

54:名無しさん@お腹いっぱい。
07/03/15 01:46:30
花田のお兄ちゃん=朝青龍説を論議しよう

55:名無しさん@お腹いっぱい。
07/03/16 00:26:47
そういえば、顔は似ているw

56:名無しさん@お腹いっぱい。
07/03/16 00:33:00
定/金/伸/治のジ ハ ー ド 読めばいいよ
それで全部解決するよ 今文庫版も出て買いやすく読みやすくなったからね
あれをモンゴルと日本の指定図書にして小学校低学年~情操教育すればおk













と言ってみる 本気じゃないよスマソ

57:名無しさん@お腹いっぱい。
07/03/16 08:19:17
>>54
松坂も似てるよ

58:名無しさん@お腹いっぱい。
07/03/16 15:06:44
松坂=福原愛だろ?

59:名無しさん@お腹いっぱい。
07/03/17 04:16:09
泣くぞ


60:名無しさん@お腹いっぱい。
07/03/18 01:12:59
松坂君はいつも笑顔ですw

61:名無しさん@お腹いっぱい。
07/03/21 10:32:11
スレ枯らし

62:名無しさん@お腹いっぱい。
07/03/31 19:04:06
2488


63:名無しさん@お腹いっぱい。
07/04/04 01:36:52
買いか?

64:名無しさん@お腹いっぱい。
07/04/05 00:35:05
義経はブサメン

65:名無しさん@お腹いっぱい。
07/04/05 01:15:11
ならチンギス・ハンと同じだなw

66:名無しさん@お腹いっぱい。
07/04/05 11:22:26
ここで山本義経説

67:名無しさん@お腹いっぱい。
07/04/06 09:06:10
近江源氏

68:名無しさん@お腹いっぱい。
07/04/06 13:27:28
言葉が通じないから却下

69:名無しさん@お腹いっぱい。
07/04/08 14:00:29
そもそも鎌倉武士の戦い方しか知らん義経が、モンゴルの軽装騎馬による戦術
(機動力生かして遠距離から包囲して騎射)を出来るとは思えん。

70:名無しさん@お腹いっぱい。
07/04/08 14:44:28
ひよどり越えを知らんのか

71:名無しさん@お腹いっぱい。
07/04/08 15:09:59
断崖を駆け下りる奇襲とパルティアンショットになんの関係があると?

72:名無しさん@お腹いっぱい。
07/04/08 22:56:41
>>69
義経は、鎌倉武士の戦いというより、奥州藤原氏の武装形態の方が馴染んでいたのではないでしょうか?
馬を操るにしても。
おそらく、義経のトリッキーな用兵は、鎌倉武士でさえ違和感があったと思います。

73:名無しさん@お腹いっぱい。
07/04/11 22:58:38
<<<<<<<<<<<<<<<<<(`;ω;´) ヒューン

74:名無しさん@お腹いっぱい。
07/04/15 23:30:24
うまー

75:名無しさん@お腹いっぱい。
07/04/17 09:17:23
ねこー

76:名無しさん@お腹いっぱい。
07/04/17 20:38:44
うしー

77:名無しさん@お腹いっぱい。
07/04/17 23:30:49
とら、とら、とら・・・

78:名無しさん@お腹いっぱい。
07/04/18 00:24:24
>>72
当時の奥州藤原氏は戦いに疎いし

79:名無しさん@お腹いっぱい。
07/04/18 01:50:59
むしろ義経のゲリラ戦法は、浪々の身の段階で身につけたものじゃないか。

80:名無しさん@お腹いっぱい。
07/04/19 10:56:47
秀吉の野武士戦術のようなものかあ。

81:名無しさん@お腹いっぱい。
07/04/25 01:02:48
>>71
パルティアンショットはイラン系遊牧民特有の技術、モンゴル人は使わない

82:名無しさん@お腹いっぱい。
07/05/02 05:33:17
↓みると、こういう希望がなくなった
URLリンク(ja.wikipedia.org)

83:B@a
07/05/02 06:14:37
>>24は「さいとうたかお」のチラ裏、乙。
あたいの霊感出羽、実は「義経」=静御前=仁義巣韓。
男色家の頼朝が静(=女装した実の弟)の仮初の夫婦として呼び寄せた女が超戦略家で
あったことを隠蔽するため「義経追討」の下致を発した。その女は恋人の「金売り吉次」
や父親の弁慶と逃亡。女の武器で平泉氏の庇護を得るも急襲され絶望。流浪の果てに
異国の王に変化。「巴御前」伝説はその真相を伝える為のキーワード。

84:名無しさん@お腹いっぱい。
07/05/02 09:06:36
>>83
ヴォォォォーイッ!?



北条政子が吠えてます(>_<)

85:名無しさん@お腹いっぱい。
07/05/02 12:54:29
義経モンゴルに連れてったん、わしや(´・ω・`)

86:名無しさん@お腹いっぱい。
07/05/02 19:45:44
ベルグタイは弁慶

87:名無しさん@お腹いっぱい。
07/05/03 08:38:04
>71
使うてば。匈奴時代にはすでに猛威振るってる。
「騎馬に乗りながら背面に射る」だけなら日本も源平合戦のころにはすでにあった。
が、鎌倉武士は軽装騎兵ではないし、騎兵のみの軍団による包囲殲滅戦法なんか
しなかっただろうが。

88:名無しさん@お腹いっぱい。
07/05/03 22:19:07
軍備は変遷がある。
モンゴル軍も
騎馬だけから、城攻め武器も使った軍団に代わっている。
地域の特性にあわせて、かえてもおかしくない

89:曲者
07/05/06 13:02:54
義経=ジンギスカンは無理があるにしても、今で言う軍事顧問、兵法を編み出したのは同根の人種かもしれません。
高木氏の本にある通り、平泉の富の源泉がどこから来て、どこに消えたのか?本当に興味があります。
私は藤原3代の前の安倍氏に、その影響を見ますが、彼らは前9年の役後も結構生き残っているんですよ。
黄金はもちろん、鉄、交易品の数々は、吉次に代表される武装商人によってもたらされたのは確実でしょう。

彼らの行動範囲が、どこまで広がっていたのか。
最近、奄美の喜界島で、同時期の遺跡が見つかって大騒ぎになっています。
中尊寺に使われている夜光貝の産地は奄美産の様子ですので、ここすら武装商人団の1拠点だった可能性があります。
義経というより、この交易集団の範囲&行方が判れば、大陸への逃避行くらい何でもないかも知れません。

90:名無しさん@お腹いっぱい。
07/05/06 15:12:01
>>1
光秀=天海説
の方がまだ現実味がある

91:名無しさん@お腹いっぱい。
07/05/06 15:17:01
俺なら日本3大DQNの一人に挙げられる自信がある

92:の
07/05/07 03:23:56
90
光秀=天海説
は、私もかなりそう思う。
これでスレたててほしい。

89勉強になります。・




93:の
07/05/11 02:43:36
11


94:古河御所
07/05/11 14:06:11
>>90に同意
義経がチンギスか・・・・・・

それより安彦良和先生の安東(あんとん)
面白いぞー

95:名無しさん@お腹いっぱい。
07/05/14 21:13:51
オリジンの人か

96:の
07/05/19 01:37:30
ほしゅ

97:の
07/05/26 00:17:28
ほしゅ

98:名無しさん@お腹いっぱい。
07/05/26 07:58:26
日本て恥ずかしいね
義経をチンギスハンって言ったり
小野小町を世界の三大美女のうちに勝手に数えてるし


99:名無し@お腹いっぱい。
07/06/05 14:57:28
ってか義経=チンギスハンは同一人物と証明できますか?

100:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/06/05 22:23:20
無理です。

101:名無しさん@お腹いっぱい。
07/06/26 14:51:23
>>100詳しく教えてください。

102:奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
07/06/26 23:24:35
いえ、オレには無理です。

103:名無しさん@お腹いっぱい。
07/06/27 01:09:39
おまいら日本の歴史人物を韓国人起源だと言われて怒るくせに
モンゴルの英雄に日本人起源なんて言うなよ

モンゴル人聞いたら怒るぞ


104:名無しさん@お腹いっぱい。
07/06/29 12:53:01
>>103
日本人は特別な存在だから、日本人起源はとても名誉なことなんでしょうw

105:名無しさん@お腹いっぱい。
07/06/29 16:08:15
そもそも韓国人起源って屈辱語だしな

106:名無しさん@お腹いっぱい。
07/06/29 20:08:29
トンでも論は日本では主流にはならんよ
だからこそファンタジーはファンタジーとして楽しむのもあり


107:名無しさん@お腹いっぱい。
07/07/15 13:56:06
s


108:名無しさん@お腹いっぱい。
07/07/20 23:34:06
まぁ江戸の講釈もんに癇癪起こしても始まらんだろ。
と思うくらい、江戸時代の義経像は高かったらしい。
実際はその下地を生かして幕府を貶めようとした明治期あたりだろ。
だからこの伝説は復讐をテーマにしてる点で単なるマンセーじゃないってとこだな w

109:名無しさん@お腹いっぱい。
07/08/15 05:02:29
元の記録では鎌倉幕府との戦闘(元寇)の他に蝦夷地のアイヌとも戦闘したという記録があり、
現に海を渡りアイヌと戦闘したとか、逆にアイヌが海を渡り、モンゴルと騎馬戦したという記録がある。

だから、源義経=チンギスハン説ではなく、更に北方に落ち延びてアイヌにかくまわれて、
アイヌを鍛えたと見るほうが適切ではないか?

110:名無しさん@お腹いっぱい。
07/08/15 06:02:52
元のなんていう文書なの? 

111:名無しさん@お腹いっぱい。
07/08/17 11:21:17
元朝秘史

112:名無しさん@お腹いっぱい。
07/08/17 18:09:14
チンギスハン=本能寺で逃げ延びた信長説を強くもってた時期もあったが、
モンゴルに失礼なので流石に捨てた。

113:名無しさん@お腹いっぱい。
07/08/19 06:17:26
ヌルハチと相撲とって舎弟にしたり、イワン雷帝と一戦交えたりした後、
ラストはインディアンの酋長になったアレか?

114:名無しさん@お腹いっぱい。
07/10/08 00:29:37
>>109
いや、あれはクビライがモンゴル皇帝を名乗った1260年に樺太アイヌらしい「骨嵬」とかいう
連中が、間宮海峡を渡ってアムール川周辺にいてモンゴル帝国に帰順していた女直などの現地住民を
襲撃して来たんで、彼らがモンゴル帝国側(クビライの方だったと思うが)に救援要請を出したのが
きっかけ。

クビライ政府側がたびたび起きる襲撃を対して、メインの対カイドゥの中央アジア遠征とか南宋遠征、
日本遠征などの合間を縫って応急処置的に現地の女直などの兵力を編成して迎撃に当たらせていた。
最終的に弘安の役が終わったクビライの晩年に再び女直などを中心に編成した兵力一万ほどを狗橇
(イヌゾリ)に載せて凍結した間宮海峡を渡って樺太に侵攻させ、当地の「骨嵬」の勢力を討伐して
臣従させた、ってことらしい。あとで樺太に軍を駐留させたそうだが、騎馬部隊はどうだったろうか。

>>110
これについては論文がある。主要典拠は『元史』と『高麗史』だったと思う。
中村和之「『北からの蒙古襲来』小論―元朝のサハリン侵攻をめぐって―」『史朋』26号 1992年

115:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/28 20:31:56
>>112
時代が変だろ。

116:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/28 22:08:26
>>115
超時空戦国大名オダノブナガ。
姉妹作品に超時空太閤トヨトミヒデヨシ、超時空宰相コイズミジュンイチロウなどがあります。

117:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/29 09:10:14
超時空糞宰相ゴミズミジュンイチロウ
あんな日本をガタガタにした売国奴、非国民をおなじような場所に立たせるでない。

118:名無しさん@お腹いっぱい。
08/01/29 23:58:13
これ日本史板にあったスレやん。
何で歴史難民板にあんの?

119:名無しさん@お腹いっぱい。
08/02/07 12:57:15
新説・日本の歴史第21弾 義経北行説を検証する URLリンク(home.att.ne.jp)

120:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/01 03:21:00
URLリンク(ja.wikipedia.org)

Wiki荒れてるなあ。
投票中。


121:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/01 05:03:11
つ沢田源内

122:名無しさん@お腹いっぱい。
08/03/09 18:59:10
URLリンク(pcpf.jp)

こいつが悪いんだろ?


123:武陽隠士あるいはピンチョ
08/03/17 00:45:42
>>113
本宮ひろしね

124:名無しさん@お腹いっぱい。
09/01/25 12:43:15
>>117
小泉、稲川会

125:名無しさん@お腹いっぱい。
09/06/28 17:45:05
>>116
読みてーーーーー

126:名無しさん@お腹いっぱい。
09/08/02 04:32:58
義経=チンギスカン説は根拠を示さない朝鮮人の種々起源説と違って、色々それなりの根拠がある。モンゴルに失礼だというが、チンギスカンの生誕から青年期の記録が曖昧であることも確かである。
一方、義経いなければ平家は滅びなかったろうと言われるほどの軍事天才の義経が死んだ以降、客観的なチンギスカンの活躍が始まる。すなわちこの説を否定するアリバイがない。そして、この説の根拠は私が記臆する限りこれだけある。
1義経の首が夏のあついさかりに一月もかけて運ばれたこと(義経の首の判別が不能)
2義経の身代わりになった伝説がある
3義経の北行伝説がある。(この場合、数騎の移動では伝説にならない。かなりの数の移動があったと考えられる)
4チンギスカンはモンゴル人ではなく外国人である可能性がある
5旗揚げの時、九本の白旗をあげた(源氏は白旗、義経は九郎判官と呼ばれた)
6チンギスカンの鎧は鉄でできていた(これはチンギスカンの軍隊が鉄の鎧を着ていて強い軍隊であったことを予想させる。ちなみに旧来のモンゴルの鎧は革製であった。)
7チンギスカンは漢字が読めた
8チンギスカンが作らせたモンゴル文字は50音順に近い。しかも,日本語のかなと同じものがいくつか含まれている(ただし多くの文字はウィグル文字を基本としている)
9チンギスカンの作戦が義経の作戦と似ているところがある
この他にも色々根拠があり,単なるこじつけではない。偶然にしてはあまりにもできすぎているような気がします。

127:注目
09/10/28 11:44:24
299865722656249



中学生が 自主制作ハメ撮りAV 売り捌いてたらしい ★12
スレリンク(news4vip板)


まとめwiki
URLリンク(www31.atwiki.jp)




681610107421874

128:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/13 23:25:21
モンゴルは親日らしい。

URLリンク(www.mofa.go.jp)
>2004年11月に在モンゴル日本国大使館が実施した世論調査では、「日本に親しみを感じる」と答えた回答が7割を超えたほか、
>「最も親しくすべき国」として第1位になるなど、現在のモンゴル国はきわめて良好な対日感情を有する国となっている。


モンゴルは中国を嫌っているらしい。

モンゴルの極右勢力が過激な「反中」運動を展開―中国紙
URLリンク(news.searchina.ne.jp)


>歴史的に何度も中国からの侵攻を受けたモンゴル国は、中国に対する激しい敵対心を抱いており、
>中国人がモンゴルで襲われるほどである。
URLリンク(ja.wikipedia.org)


>歴史的に中国との関係は悪く、今でも一部の民衆には反中感情がある。
>例えば日本人観光客が中国人に間違えられるとトラブルに巻き込まれ、
>中国関連の施設に「看板等に使用している漢字を3日以内にモンゴル語に変えなければ、強制的に撤去するかペンキで塗り潰す」
>という過激な内容警告文を出され、さらに独立記念日に活動家に襲撃される事もあるくらいである。
URLリンク(ja.wikipedia.org)


129:名無しさん@お腹いっぱい。
09/11/13 23:26:17
モンゴル国の国際関係
URLリンク(ja.wikipedia.org)

南に隣接する中国とは、伝統的に関係が悪い。「娘が中国人と結婚したら一家の恥」との通念が今でも通用しているし、国政選挙でも中国との関係改善の是非が争点になる。
モンゴルが漢字文化を一切受容しなかったのも、モンゴル人が中国人を嫌ったためである。
モンゴル人にとって「中国人のようだ」というのは最大の悪口となり、選挙でも「あの候補は家系に中国の血が入っている」というのは最大のスキャンダルとなる。
日本人を含めた東洋系外国人が、街頭で「中国人か?」と聞かれることはまずない。中国人は蔑称であり、喧嘩を売っていることになるからである。
通常であれば、「中国生まれのモンゴル人(または韓国人)か?」と聞かれる場合が多い。ただし、日本とはまだ縁遠いため、日本人かと聞かれることは少ない。
モンゴル人と中国人との衝突事件、あるいは中華料理店に対する襲撃事件は、ニュースにもならないほど日常的に起きている。
学校教育で、中国人に敵意を煽る教育は行なわれていないが、家庭教育で敵意を植え付けている場合が多い。
モンゴル人の子どもが語る「学校の怪談」でも、中国人による殺人事件が頻繁に登場する。
現在、中国人が嫌いなモンゴル人は9割、好きなモンゴル人は1割と言われる。
衣料品や、家庭電化製品は、中国製がほとんどであるが、モンゴル人は、「中国の商品は構わないが、中国人の思想が気に食わない」と語る。


130:歴史好き人間
10/10/31 01:43:09
確かに義経=チンギス。ハン説は私も若い頃には、馬鹿馬鹿しいと考えたが 類似点が
200以上も有っては嘘とも思えない チンギス。ハンがモンゴルで死ぬ時に残した言葉も
気になる 我 大命を果たし思うこと無し 故郷で死にたかったと言っている モンゴルが
故郷では無いと言う事 我はニロン族の出身なりニロン族のキャート族なりと言っている
ニロン族とは日本族と言う意味でキャート族とは京都族で有る それと源頼朝がチンギス ハーン
がテムジンの時にモンゴルに調査団を派遣している 何のための調査団か今もわからない
チンギス。ハーンが死んだ時 その巨体は一丈から八尺の並の体格に縮んだと書かれている
  

131:月孔雀
10/10/31 08:27:04
義経=チンギスハンは、俺の中では、もう確信になってしまった。

132:月孔雀
10/11/02 07:47:25
北条の支配に反発する武士が義経を追って、モンゴルへ渡って行ったと
いう事は、考えられないだろうか?
モンゴル騎兵と武士は流鏑馬ができるという意味で似ていると思うのだが。

133:名無しさん@お腹いっぱい。
10/11/03 12:45:30
終了

134:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/03 02:00:57
チンギスハーンはある年の8月15日に死んだと伝えられているが不思議な事に。その日に
京都の鞍馬山では義経の霊を慰める祭りが行われる チンギスハーンが死んだ日に
なんで義経祭りがおこなわれるのか?

135:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/03 17:25:59
義経=チンギスハンだからに決まっておろう。

136:名無しさん@お腹いっぱい。
10/12/21 22:47:52
俺個人の考えかる知れないが チンギス ハーンを漢字で書けば成吉汗となる
これを訳したら吉を思って成功した男となる 吉(静御前)静よ俺は成功したど
訪ねてこいと言う意味になる


137:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/17 15:19:09
チンギスハンの墓を発掘したら不味いだろ
大した教育受けてないテムジンがあの戦術あの力量は有り得ないし
チンギスハンよりも側近部下がそんまま付いていたと思われるから厄介だ

138:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/03 12:27:37.41
モンゴル人力士がほとんど日本人と変わらない
レベルで流暢に日本語喋ってるのを見ると、
逆に義経が数年でネイティブレベルにモンゴル語を
マスターしたとしても不思議はないと思う。

139:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 09:23:05.36
高木彬光

140:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/24 18:11:50.87
>>136
それも一理ありますな。

141:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/26 02:20:40.65
チンギスハーンはモンゴリュ

142:名無しさん@お腹いっぱい。
11/04/28 09:57:29.50
最近読んだ本に
「義経は小男、チンギス・ハーンは大男だから義経=チンギス・ハーン説はありえない。むしろ弁慶=チンギス・ハーンだ」
と書いてあった

143:宗久
11/04/29 03:10:02.02
一の谷、屋島、壇ノ浦で活躍した約200騎の義経の家来はどこに消えたのだろう。
馬の世話をする者を合わせると500人から600人の武者は義経をしたって
平泉まで向かった可能性がある。平泉にあった軍資金はどこに消えたのか。
吉野山で鎌倉の追っ手200騎に包囲された「義経かくれや」では、佐藤兄が身代わりになって
脱出している。
吉野山から平泉まで、うっそうとした日本列島を縦断して鎌倉の包囲網をかく乱して
脱出した一騎当千の武者たちが東北の田舎サムライに簡単に殺されるだろうか。

144:宗久
11/04/29 03:38:15.49
力道山は関脇まで相撲界で活躍してからアメリカに渡っている。イチロウも20代を日本球界で活躍してから
アメリカに渡って世界新記録を出して今も活躍している。
義経は15歳から20歳までの間、どこで何をしていたのだろう。藤原氏の勢力範囲は岩手から北海道にかけて
あったはずであるから、無駄に過ごしていなかったと思う。アイヌのホンカイ様伝説はこの時期のものでは
ないだろうか。もし、この時期のものであるならアイヌの中に義経をしたって家来になったアイヌ武者も
たくさんいただろう。

145:宗久
11/05/03 01:20:10.47
義経郎党は20歳代に日本全国北海道、東北、関東、中部、信越、近畿、中国、四国、山陰、九州
を駆け巡っていた。寝泊り、食料、馬のえさ、案内人はどうしていたのだろうか。
これだけ行動範囲の広かった武将は義経郎党だけである。
藤原秀衛は佐藤兄弟に相当の金塊を持たせたのではないか。一の谷の逆落としでは、馬のあつかいに優れた武将を
数百人必要とした。これらの武将の心をひきつけるには人格とオーラと資金が必要であったと思われる。
これらの武将が大物の浦で忽然と消えるとは、とてもおもえない。
ばらばらに分かれて平泉に向かったのではないだろうか、
家のあとを継ぐ者は地元に戻っただろうが、義経のオーラに魅了された剣に自身のある次男坊、三男坊は義経に夢をかけて平泉まで
追いかけただろう。
義経一党と泰衡の家来を合わせると3000騎4000騎になるから、少数で
大群を討つ義経戦法からすると十分鎌倉に勝つことが出来ただろう。
なぜ、戦わなかったのか。兄と弟だったからだとおもう。日本の歴史上、弟が兄を殺して天下を取ったことがない。
残るはひとつ消えることである。

146:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/15 16:15:07.99
鞍馬寺の本山は比叡山延暦寺である。延暦寺は天台宗であるから、当時も日本全国に天台宗の
お寺があったはずである。
鎌倉の追手からどのように逃れて吉野山から平泉まで約1000キロの山道を到達できたか?
稀代の英雄を20代の若さで失うのは惜しいと思い鞍馬寺の僧侶が延暦寺の僧侶に相談して
寺から寺えと駅伝のように逃がしたのではないか。寝泊まり、食料、道案内はすべて解決する。
寺であるから秘密も守られるし、鎌倉も手出しはできない。しかし、完ぺきではない。平泉に
到着すると、鎌倉もうすうすきずく、秀衛が存命のうちは手出しはしないが、亡くなるとそうはいかない。
鎌倉と一戦交えても所詮朝敵である。平将門の乱と同じで日本全国を敵にすることになる。
藤原氏の生き残る道はない。一か八かの考えで、義経の首を差し出し藤原氏は鎌倉に従うとの意思表示をして生き残りをねらった。
平家を滅ぼした鎌倉は、義経の首ではなく何かの理由をつけて藤原氏を滅ぼすことが定のうちであった。
どの道、義経と藤原氏は滅ぼされる運命にあった。こんなことは藤原秀衛は百も承知していたとおもう。だから子供のころから義経を
可愛がって平泉まで連れてきたのである。鎌倉も義経が生きていることは知っていたはずである。源平の戦いほどの戦はしなかったし、
泰衡の首はとったが、義経の怒りを買うほどのことはしなかった。

147:宗久
11/06/20 01:23:11.62
義経を慕って平泉の地へたどり着いた武将達は数百騎いたのではないかと思われる。これらの武将達の生活費は相当な金額であり、いつまでもやっかいになってばかりいられない、いずれはこの地を去らなければならない。
鎌倉と戦うにしても、自分達の身内と戦う事になるのでそんな事はしたくない。戦う事で自分を主張したい武将達にとって農業・漁業で生計を立てることは出来ない。戦いを探して他の地に行くしかない。
これまでに身につけてきた力を試してみたい、そこにその力を試す大きな大陸がある、軍資金の金は黒竜江の地にしこたまある。死の床で秀衛から渡された錦の袋の中にあった地図を頼りに少しずつ北海道に渡ったのではないだろうか。
北海道に渡った武将達は二手に分かれた。一方は弁慶を頭とした先遣隊であり、先に大陸に渡り足場を作っておく。北海道の西に小さな岬があり弁慶岬といい京都に武具を注文した弁慶がその地に立って船を待っていたと伝えられている。
一方は義経を隊長とした本隊で樺太に渡り、北上して尼港事件のあった地であるニコライスクに行き、砂金の宝庫である黒竜江の下流域で軍資金を確保して先遣隊である弁慶隊に合流する。
ニコライスクで伝えられている伝説として「この地にたどり着いた日本の武将がこの地を去った後、漢国の王様になった」というものがある。これは間宮林蔵がこの地の酋長から聞いた口碑伝説を北海道テレビが二十数年前ドキュメントとして放送していた。


148:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/20 03:49:00.91
大陸に渡ったが金に困って満州あたりで山賊として生き、山賊として死んだという説を聞いたことがある

149:宗久
11/06/21 01:33:27.72
十数年前、満州族の血を継ぐひとに「成吉思汗」の漢字を提示したら、チェンジースーハンとの答えが返ってきた。
高木あきみつ氏の「成吉思汗の秘密」の中に書いてあった「克羅」の漢字を提示したら、クローという答えが返ってきてその意味は「満州では成吉思汗のことをクローと呼んでいる」と、また「源義経」の
漢字を提示したら、「ウエイーチー」と答え、その意味は「満州の昔の歴史と地理の本の名称」だと言っていた。
そのひとは、お婆ちゃんが満州族の出身だといっていた。今はシナに同化され純粋な満州族は残っていないとも言っていた。日本で資金をためカナダへ移住して家族を呼ぶのが夢だと言っていた。


150:宗久
11/06/23 00:24:49.31
成吉思汗はウラル山脈を越え、ドイツの辺りまで攻め込んでいったようである。ドイツ人の成吉思汗に対する恐怖心は大変なものだっただろう。ドイツ人の事であるからただ恐怖心だけで何もしなかったとは思えない。
シーボルトが鎖国の日本にオランダ人に成りすまして訪れたのは、ドイツ皇帝の命を受けて成吉思汗の研究にきたのではないか。有名なシーボルト事件は日本の地図を海外に持ち出そうとした。
「恐怖のアンゴルモアの大王」が源義経である事を知っていて、それを調査してドイツ皇帝に報告してまた日本に戻ったのではないか。


151:宗久
11/06/23 23:38:56.63
先遣隊である弁慶隊はウラジオストクへ渡ったのではないだろうか。智謀の優れた弁慶がウラジオ辺りの部族と戦ったり懐柔したりして
足場を固め本隊である義経隊を待ち合流する。合流地点は黒竜江の中流域ではないだろうか。なぜか、義経隊が手に入れた黄金は数十トン
に及ぶと思われるからである。大量の黄金を一度に運ぶには船を使い、馬に引かせて上流に上って行くのが楽だし、大陸の中央上部に構えられる。
ちなみにウラジオとは、日本語(浦塩)ではないだろうか。ロシア語では「東方を征する」という意味らしいが、
ロシアが沿海州を手に入れたのは1860年の北京条約であるから義経の時代から約450年も後である。その地にはシナ人・アイヌ人・日本人の
東洋人(ツングース系)の人間が住んでいたのではと思われ、浦塩がロシア語の東方と言う言葉になったのではないか。
それからナホトカとは、国後(クナシリ)・択捉(エトロフ)・はば舞(ハバマイ)などアイヌ語ではないだろうか。


152:宗久
11/06/24 00:12:28.16
源義経のとてつもない才能を見抜いたのは、
5歳で平清盛が自分の子供と比べ比類なき才能を恐れたが、殺すには忍びなく鞍馬寺に預けた。
10歳で鞍馬寺と延暦寺の僧侶が認めて清盛との約束を破り、僧侶にさせるのではなく自由にさせた。
15歳で藤原秀衛が認めて平泉に引き取った。
20歳から25歳で一の谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いで天皇及び日本全国の人々が認めた。
そして、30歳以後世界へと羽ばたき、アレキサンダー大王・フレデリック大王と肩を並べる大王に
なったのではないか。

153:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
11/06/24 00:46:36.60
もう議論はいいから確定させないかお前ら。

154:名無しさん@お腹いっぱい。
11/06/24 01:40:08.14
世の中の噂話の99%は仮説に過ぎない

155:宗久
11/06/24 12:33:10.17
義経ゆかりの地にはほとんど行きましたが、シナ大陸・樺太にはまだ行っていません。
これまでのところでこれは変だと思うところは列挙してください。

156:宗久
11/06/24 12:53:06.54
財布が立派なのに中に入れるお金が空っぽでは話にならない。財布以上のお金を入れるのが
普通である。中尊寺の金色堂の中のお経を手に入れるため、数トンの黄金をシナに送ったという
資料があるらしい。確認はしていない。

157:宗久
11/06/27 03:45:57.02
藤原三代のの栄華は黄金の力ではないだろうか。(高木アキミツ氏の成吉思汗の秘密より)源氏・平氏・藤原氏と日本を三分した栄華
が忽然と消えた。その後に東北どこかが繁栄したのであれば問題ないのであるが、今日まで繁栄した形跡がない。繁栄の重要な条件の
何かがなかったと考えるしかない。昭和50年代から60年代の日本の繁栄は世界のお金が日本に入ってきたからである事を考えると、
藤原氏の栄華の元は黄金ではなかったか。その後その黄金の供給が途絶えたので周到をむかえたと考えるのが正しい解釈ではないだろうか。
今日、日本は未曾有の不況に陥っているが、その原因は日本にあったお金がみんな中国に行ってしまった(円高)から起きている現象である。
どこかが出っ張れば、どこかがしぼむ。藤原氏がしぼんだあと出っ張った所はどこかを考えたとき、日本国内の源氏は異常に繁栄して黄金の
お寺を作ったという記録はない。日本国内になければ外国と言う事になる。即モンゴル帝国の繁栄と言えば、飛躍しすぎるかも知れないが、
ジンギスカンの初期の遠征費用・武具などの軍資金はどこから出ていたのだろうか。一回の遠征費用は莫大なものである。敵のものを略奪
しただろうが、はたしてそれだけでまかなえただろうか。自分達にも死傷者が出ただろうからモンゴル兵が段々減って言ってしまう。
略奪・虐殺ばかりしていたら恨みを買ってその後の統治が出来ないし、新たな侵略も出来ない。スパイを入れたり、敵の中を金で懐柔したり
しただろうから莫大な軍資金の後ろ立てが必要であったはずである。
最初からジンギスカンには軍資金があったと考えるしかない。藤原氏に供給されていた黄金が何時からかジンギスカンに供給されるようになった。
その供給源は黒竜江の下流域であり、現在でも世界の金の生産高の多くはシベリアの地と言われている。
これでジンギスカンの世界制覇の能力・兵力・資金の三大要素が解決したのではないだろうか。


158:宗久
11/06/30 11:33:18.23
私の実家は日本初の荘園と言われている所のど真ん中です。
国道をつくるということで、私が小学校の時から土地の買い上げが始まりました。
買い上げから完成まで50近く経っていますが、まだ完全には完成していません。
それは発掘があったからです。学生の時、アルバイトで発掘に参加しましたが、
古墳時代にものがいろいろ発掘されました。そのなかで鎌倉時代のものは祖母から
聞いていたこととある程度一致していました。口碑伝説なるものはバカにできない
ものであると感じました。


159:宗久
11/07/06 01:01:19.12
源義経が成吉思汗である証明が完成するのには、後10年かかると思っています。
それは証明のしようがないし、証明したからと言ってもだから何なんだで終わりだからです。
ノストラダムスの予言「アンゴルモアの大王の復活」によって証明されるのではないかと考え
ました。この予言は人類の滅亡と考えられていましたが、見事にはずれました。
私はこの解釈を人類の滅亡ではなく1492年のコロンブスのアメリカ大陸発見から
500年続いた白人支配の終わりと考えたからです。
1999年7の月を7月のある日に清和源氏の血を引く義経の生まれ変わりが誕生した。
「アヌスがその前後平和の名の下に支配するだろう」をアメリカが前後10年世界を支配すると
解釈すると、1989年が共産主義の崩壊(ソ連の崩壊)、2010年が資本主義の崩壊(黒人大統領オバマの出現、
日本の原発事故など)となります。資本主義を支えたエネルギーの危機により、これから10年
世界は混沌とした時代になるのではないでしょうか。その後に何かがあり、そして証明される。

160:名無しさん@お腹いっぱい。
11/07/06 08:16:25.91
1999年7の月のある日がアンゴルモアの大王の誕生日という所までは同意見です。
ただノストラダムスはチンギス・ハーン=源義経説など知らなかったでしょうね

あまり関係ないけど1999年7月といえば朝青龍が三段目に昇進した月ですね(白鵬は2000年10月25日に初来日)。

161:宗久
11/07/07 16:32:40.07
1992年の宮沢総理の頃でした。TBSのテレビ番組で次の総理は誰でしょうというものでした。
小沢一郎氏、羽田つとむ氏、伊東正義氏、梶山静六氏、小淵恵三氏など、その当時の次期総理候補を
10人くらいのパネルを出して東欧の予知能力のある婦人が当てるというもので、これはおもしろいと
思って観ていました。
その婦人の見立ては「次期総理はこの中にはいません」でした。アナウンサーがびっくりした顔で橋本
龍太郎氏を指して「この人ではないですか」と質問したら、その婦人は「この人は総理に成るかもしれないが、
次期ではない」との答えでした。呆れた顔をしてアナウンサーは早々とコマ―シャルにしました。
その後に次期総理になったのは、当時熊本県知事のパネルになかった細川護煕氏でした。
その時を思い出して予言者なるものは「何かを持っている人」なのだと思うようになりました。
それから、その婦人は「将来世界が混とんとした時代になるが、その時日本人の中から世界を救うひとが現れるだろう」
と、アナウンサーが当時騒がれていた「オウムの麻原か?」と質問したら、「いや違う人だ」と答えました。 
はたして婦人の予言が当たるか?
予言どうりに世界が動いたとしたら、これから混とんとした時代が10年くらい続くことになる。

162:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/11 11:49:52.51
チンギス・ハンは地元民に「クロー」と呼ばれていた
九郎とは源九郎義経と同じ呼び名である
「大男チンギス・ハンは死して小男に戻った」的言い伝えがあると

読んだ本で覚えてるのはこのくらいで大半忘れた

163: 忍法帖【Lv=22,xxxPT】
11/08/11 21:28:46.49
数年前に見たお話では、義経氏は不老不死でまだ生きてるって・・・。


ごめんなさい、オカ板に帰ります。

164:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/19 07:56:59.80
朝から爆笑した

URLリンク(www.hachiman.com)
>軒下に「源義経」と記す符を掲げる部落があるとの証言などが多数収録

165:宗久
11/08/20 05:36:18.61
成吉思汗の孫であるフビライは元の都大都の紫禁城で中心的宮殿の名称を
「太和殿、中和殿、保和殿の総称。紫禁城の中心的建造物。外朝三殿ともいう。」
としたようである。
清朝の愛新覚羅氏も北京の紫禁城でその名称を継承している。
ところが、中華民国の初代総統である袁世凱は総統としての初仕事として行った
ことはその名称の変更であったと言われている。
これらを合わせると清和源(元)氏ということになる。
高木アキミツ氏の著「成吉思汗の秘密」では、成吉思汗を日本読みすると「吉成りて汗思う」
となり、それは「吉野山の約束を果たしたが、それでも静のことを思っているよ」となる
ようです。
清朝の愛新覚羅氏を日本読みすると、「新しきを愛し羅を覚える」となる。
羅とは「克羅」クローであり、「我らは成吉思汗の子孫である」となる。
元王朝は明のため万里の長城の外に追われたが、その血は女真族に継がれ
英雄ヌルハチの誕生となった。




166:宗久
11/08/20 06:06:44.17
当時、シナでは日本は和国・倭人と呼ばれ、その旗印は日の丸であったようである。
昭和も和であったが、アメリカを中心とする白人の非情な日本つぶしによってトタンの
苦しみをあじわされた。
日本では、1000年に一人大英雄が現れるようである。
東日本大震災も1000年に一度の大震災であった。そろそろ1000年に一人現れる
大英雄が生まれてきてもいい時期になっているのではないか。

167:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/20 07:39:16.85
また朝から爆笑

URLリンク(www13.ocn.ne.jp)
>東部西比利亜及び満洲等を旅行して彼地に日本式の古い神社の在ること及び笹竜胆の紋章を用ゐ居ると且つ満洲人に姓を源と名乗る者が多いと聞くこと等である。
>ハバロフスクの博物館には其の地方より發掘したといふ日本式の古き甲胄の一部及び笹龍膽と木瓜の紋章がある朱塗の古き経机があるといひ、或はハバロフスクに以前義経を祀った神社があったといひ、興安嶺にも日本式の神社があるなど一々枚拳に遑がない。

168:宗久
11/08/20 15:32:26.15
先の大戦において、山本五十六氏は義経の鵯越の奇襲を参考にして真珠湾を奇襲攻撃
したと思われるが、義経と山本氏ではその器量に格段の差が有った。
私ごとき凡人が批評するのは変であるが、稀代の英雄義経と山本氏を比べるとその才能の
大きさが天と地ほどの差があったようにおもえるからである。
山本氏は何をもって日米戦の勝利と考えていたのか。義経は平氏を滅ぼし三種の神器を奪取する
ことを完遂してその勝利と考え、それに向かって作戦を考えて一の谷・屋島・壇ノ浦で戦って勝利した。
山本氏は真珠湾の奇襲の勝利だけである。
孫子の兵法にも敵の愛するものを奪えとある。ワシントンのホワイトハウスを占領してルーズベルト大統領に
降伏文書の署名をさせなければならなかった。


169:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/21 08:12:14.93
三たび爆笑

URLリンク(www2.ezbbs.net)
URLリンク(www2.ezbbs.net)
>・黒竜江の沿岸に日本人が鎌倉時代に創立せる永寧寺あり
>・ハバロフスクに笹竜胆の紋を着ける武像を祀る廟あり
>・小興安嶺における日本人の古蹟
>・満州人源姓を名乗り義経の後裔と称す
>・興安嶺に日本式の神社存在す
>・北満州の王稜に笹竜胆の紋ある墳墓あり



170:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/22 09:52:18.53
URLリンク(electronic-journal.seesaa.net)
昔見た時、モンゴル紋はドコが笹竜胆だよ全然違うだろとしか思わなかったが
あらためてよく見るとそうでも無いな
源氏紋の中央の花すぐ下の小さな○の辺り
この辺が下へ押し出される様に降りてくるとモンゴル紋になるのか、なるほど
モンゴル紋の○は日の丸とか小谷部がトンデモ言うから先入観持ってしまって今まで気付かなかったわ

171:宗久
11/08/23 02:07:20.77
9月15日に鞍馬寺で義経の法要がある。(700年以上毎年欠かさず行われているとのことである)
興味のある人は行ってみるといいでしょう。
五条の大橋から15歳の子供が奥の院まで走って帰ってきたらしい。
剣術の道場主の娘をたぶらかして兵法書を読み漁ってたらしい。
社務所の係りの人の言では、山道を走って帰ってきたとのことである。


172:宗久
11/08/23 02:08:48.86
9月15日に鞍馬寺で義経の法要がある。(700年以上毎年欠かさず行われているとのことである)
興味のある人は行ってみるといいでしょう。
五条の大橋から15歳の子供が奥の院まで走って帰ってきたらしい。
剣術の道場主の娘をたぶらかして兵法書を読み漁ってたらしい。
社務所の係りの人の言では、山道を走って帰ってきたとのことである。


173:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/24 09:42:35.36
大英博物館の成吉思汗像にも笹竜胆あるって話
話だけで画像見た記憶無いわ、ホントにあるのか?


174:宗久
11/08/26 11:00:16.27
1.藤原三代の栄華の後ろ盾は何だったのか?
2.その後栄華が続かなかったなぜか?
3.義経騎馬隊の資金源(馬のえさ、行軍費用)はどこから調達したか?
4.成吉思汗の軍資金の謎(数万の兵を数カ月から数年動かすには相当な費用が必要である)
  秀吉は小田原攻めのとき、町をつくってしまった。
  謙信は農繁期には地元にかえったし、佐渡銀山もあった。
  信長の後ろだては堺の商人だった。
  毛利の後ろ盾は石見銀山だった。
5.モンゴルにはその後英雄はでないのか?

175:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/26 12:54:02.71


176:名無しさん@お腹いっぱい。
11/08/26 17:49:09.15
URLリンク(electronic-journal.seesaa.net)
義経=成吉思汗説ではあまりに有名な「義(経)将軍の碑」(の台座)
ロシア軍に運び去られたという碑石はその後どうなったのか
そもそもこの碑の正体は一体何だったのか
もう永遠に謎かねえと長年思ってた

碑があったのは当時のニコリスク(双城子)、現在のウスリースク
何気にWikipediaでウスリースクの項を見てみたら
いきなり出てきて大爆笑www
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(upload.wikimedia.org)
思わず次々とググると出るわ出るわ、何だほとんど解明されてるじゃんw
中岡中佐はハバロフスクで何を調べてきたんだよw



177:宗久
11/08/31 01:17:22.67
孫文がイギリスのロンドンに留学中、日露戦争での日本勝利の報を聞いて喜び外へ出たところ、
日英同盟のイギリス人は暗い顔をしてうつむいていたと言う話は有名である。
白人が世界の覇権を握ったのは産業革命以後である。それまではイスラムの方が強かった。
ノストラダムスの予言が白人の世界支配の終わりであると心のどこかできずいていたのではないか?
そして、成吉思汗が日本人であるときずいていたのでは?
だから、ポーツマス条約では満州の地を日本ではなく清朝に帰属させた。そして、オレンジ計画で
日本滅亡の計画を立て実行した。ところが共産ソ連の台頭によりその計画は頓挫した。
皮肉な事に共産ソ連をつぶすと日本が復興し、日本をたたくと今度は共産中国がその牙をむいてくる。
そうしているうちにアメリカ自体が混血アメリカ人に支配され身動きできなくなってきた。


178:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/18 16:01:20.58
aa

179:名無しさん@お腹いっぱい。
11/09/23 10:13:43.21
あげ

180:宗久
11/10/02 00:50:14.37
小谷部全一郎氏「成吉思汗は義経なり」P268
「成吉思汗の子孫54代の時に日本から蒙古に再現して蒙古を救うと言う予言もある」
54代とは、どういう数え方なのか解らないが、日本の天皇陛下が125代で2670年
であるから約1000年と考えれば、そろそろ現れてもいい頃である。

181:宗久
11/10/02 02:41:33.86
予断であるが、東ジャワに「ジョヨボヨ王の予言」と言うものがあり、1942年にその予言が実現された。
その予言とは、白い杖を持った白人に奴隷にされていたジャワ人を北から来た黄色い人々が解放してくれるといった
ものだったらしい。


182:宗久
11/10/02 03:19:59.43
10年ほど前に、源義経の文字を提示した時に吉林省出身の満州族の血を引く女性はウエイーチイと読めたが、
西安出身の男性と福建省出身の女性は読めなかった。
言い伝えとか伝説とか予言とかは、その地方・部族に細く長く伝わってゆくのではないだろうか。
そして、その中にひつこい人がいて何かに書き残してある。
東日本震災の津波についても、ここまで逃げるようにとの石碑があったようである。
地震から数十分あとの津波であるから石碑を知っていた人々は助かったはずである。

183:宗久
11/10/20 01:25:48.86
義経の日本での大きな戦いは3つ、一の谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いであるが、
その中で義経の天才的な才能が発揮されたのは屋島の戦いだと思う。
一の谷の勝利を確信して戦う前に平氏一党が屋島に逃れることを予測して次の一手を打っていた
いたからである。

184:宗久
11/11/02 01:03:16.83
一の谷の逆落としでは、平氏は不意をつかれて敗れた。絶対攻めてこないところから攻め来られたから敗れたのであった。
簡単に勝負を決したから当たり前のように思えるが、中身が大変濃いのである。
まず、騎馬の名手をどうやって70騎あつめたか、山内一豊でもわかるように普通の武将が馬を養うのは大変な事である。
そして、その馬を自由にあつかって一の谷を下るのは、もっと大変なことである。
真珠湾の奇襲のときもパイロットは桜島で血のにじむような訓練をした。義経騎馬軍団も山陰に迂回しながら騎馬兵の選定と訓練を
相当したはずである。脱落者けが人も多数出たと思われる。
鵯越から一望して全体のどこを攻めれば有効かを確信して一気にせめたとと思われる。
ここでは平氏の兵力を半減させる事と兵糧を半減させる事が目的であったから、平氏を混乱させて海に追いやった。
このとき、屋島を奇襲するために義経は次の一手を打っていた。騎馬で淡路島を渡れば平氏に察知されるので、
淡路島の向こう側を黄金の力で水軍を懐柔して数時間のうちに四国に渡っている。
そして馬を走らせ守りの準備の後ろ側から屋島を攻めた。ここでも平氏は兵力を失って遁走した。
騎馬による機動力を使った流れるような鮮やかな勝利であった。

185:宗久
11/11/02 01:23:36.16
これだけ鮮やかな戦い方を目の当たりに経験した騎馬兵は義経に心酔して
家来になってどこまででも着いてゆこうとするのではないだろうか。

186:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/06 12:47:34.47
ところで奥州藤原氏の勢力圏ってどれくらいまであったんだ?
吾妻鏡によれば基衡が鷲の羽とアザラシの皮を贈ったとのことなので
北方と交易をしていたということはいえそうだが、それがシベリアや
モンゴルまで及んでいたかどうか気になる。

逃げるにしても北海道やシベリアの地理知識の有無、交易の結果としての
外国語知識、支援してもらうにも奥州藤原氏との友好関係があるかないか
といったことは逃亡の成功率に大きくかかわると思うのだが。




187:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/07 09:58:46.57
>>186
>シベリアやモンゴルまで及んでいたかどうか
及んでいたという確かな証拠は何も無いな


188:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/09 00:41:17.46
こういうのも後の義経=清祖説に何か絡んでるような気もしないでもない


373 : 名無し三等兵 : 2011/11/08(火) 20:29:47.75
加藤清正は朝鮮出兵(文禄の役の際)猪突猛進独断専行で鴨緑江を超えて満州に攻め入り、そこに割拠していた女直族と一戦交えてる。
これが明の軍事介入を招く(朝鮮王の懇請もあったが)結果となり、石田三成がこの一件を秀吉に報告するや秀吉は激怒、本国へ召還され、蟄居処分になった。

377 : 名無し三等兵 : 2011/11/08(火) 21:45:07.01
>>374
明がゴールなのに、隣の女真につっこんじゃいかんだろ。

378 : 名無し三等兵 : 2011/11/08(火) 22:00:51.80
>>377 
首都から逃げた朝鮮の二人の王子を追ってる勢いに任せて突っ込んでったらしい
その女直族の中から、十数年後、ヌルハチと云う一人の英雄が登場して、女直族を統一、満州族と名を改めさせ、その子孫は長城を超えて中原に侵攻し、明に代わって大清国(満州語で”ダイチングルン)清朝を興すのである。

189: 忍法帖【Lv=1,xxxP】
11/11/09 02:53:04.04
面白そう

190:宗久
11/11/10 01:29:16.02
私は以前、「義経は15歳から20歳までの5年間何をしてたのだろうか」と記述したが、この時がまさに義経の成長期で奥州藤原氏の勢力圏である
奥州から北海道にかけて弁慶以下数十人を連れて騎馬兵としての訓練をしてたのではないか?
北海道のアイヌには二つの勢力があり、そのうちの一つの勢力に「ホンカイ様」伝説があるようである。(成吉思汗の秘密より)
ホンカイ様は米の作り方と魚のとり方をアイヌに教えてくれたので神様と崇められた。
これは義経が農業・漁業を知っていたわけではないから、義経の部下が教えたものと考えれば、つじつまがあう。
アイヌと仲良くなるまでには相当の戦いがあり、それを勝ち抜いて自信をつけ、平泉の藤原氏の元に帰った。
そして、頼朝の挙兵を聞きつけ秀衛の制止を振り切り鎌倉へ向かった。
このような経過ではないだろうか。
東西を二分した源平の戦いに完全勝利をするには、それだけの実戦経験と熟練騎馬兵の存在なしにはありえない。

191:宗久
11/11/10 15:46:45.38
これは推測であるが、義経は藤原氏の恩に報いることと、自らの力を試すために北海道を平定した。
この情報(義経の才能)は秀衛に報告されていた。
だから、秀衛は鎌倉へ出発するとき、佐藤兄弟を伴わせ「いざ」という時に義経の身代わりに成るようにさせた。
これは秀衛が義経の才能を見込んで大事にしただけでなく、奥州藤原氏の生き残りのためであった。
そして、佐藤兄弟に軍資金として金塊を持たせたのではないだろうか。

192:宗久
11/11/10 16:17:11.21
「坂の上の雲」の中で、秋山好古とフランスの老兵法家の話として、「機動力を最大限に生かして味方を勝利に導いたのは
歴史上ナポレオンとフレデリック大王だけだ」と自慢したのに対して、好古が義経の戦い方を話したところ、「私の辞書に日本の義経
と言う武将を加えておこう}というような会話があったような気がする。


193:名無しさん@お腹いっぱい。
11/11/17 18:44:22.24
「崖の上のポニョ」の中で、
まで読んだ

194:名無しさん@お腹いっぱい。
11/12/10 04:40:09.84
 
チンギス・カンは、ゲンジ(源氏)ス・カン
URLリンク(2nd.geocities.jp)
チンギス・カンの日本語の発音はおかしい。
本来は、ゲンジス・カンだ。
このような故意の発音ねつ造は、いわくのある人物に多い。
マホメット、などは、その典型だ。
( URLリンク(book.geocities.jp) )

195:名無しさん@お腹いっぱい。
12/01/26 13:24:26.92
源義経は官位を褫奪され、さらに、諱まで変えさせられ
朝敵となってしまったが、
その後、諱の回復、官位の回復などの沙汰が無く
いまだに朝敵扱いである。

196:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/06 00:36:56.03
フビライの時に元寇があるのだが
これって義経が鎌倉幕府に対する仕返しをして
日本を統治してその思いを遂げようというものなのでしょう
そんなわけないのかな

197:名無しさん@お腹いっぱい。
12/02/07 04:02:23.34
この話するとモンゴル人スゴく怒るらしいぞ
剣道のルーツは韓国と言われたら腹立つのと同じ

198:宗久
12/02/13 23:28:27.42
10年以上前だと思うけど、東京の新宿でモンゴルからの留学生が言っていた。
「ジンギスカンは日本人だと言ってるけど違うよねえ」「だけど、おもしろいんだよ」
「九州のことをモンゴル語でキュウシュウ、北海道のことをホッカイドウと言うんだよ」
とそんなに怒っていなかった。満州族の人も怒っていなかった。
怒る、怒らないではなく真実を知りたくないか?

199:宗久
12/02/22 00:32:41.07
「成吉思汗は義経成り」の決定的な資料はどこかにあると思っている。
鞍馬寺のどこかに大事の納められているにではないかと思われる。
700年以上、毎年9月の15日に義経の法要をされているということは、とてつもない事である。
一介の哀れな武将のために700年も休まず法要をするだろうか?
とてつもない繋がりを感じる。義経の北行を鞍馬寺の阿砂利が助けたとしたならば、義経にとって
藤原秀衛と並ぶ大恩人である。義経が天下の大王成吉思汗になっていたならば、鞍馬寺に手紙と贈り物を送っていた
はずだと思う。たぶん、ある時期がきたら公開するようにと成っていると思う。
もうすぐ(10年から20年)だろう。なんの根拠もありません。

200:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/06 11:47:11.35
もっと妄想してくれ

201:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/06 13:17:59.48
>>197
ぬっちゃけ同じことやってるよな
山田長政がセナピムックだとする根拠もないし

日本もその辺はそうとうアレだ

202:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/07 20:03:22.12
チンギス義経説=一流スパイ、シーボルトが事実としている事を
民間レベルでトンデモ説と見られつつ細々と語られている。
韓国サウラビ説等=一級資料は無く、国際的議論もされないトンデモ説が国家レベルで大々的に宣伝されている。


ぜんぜん違うだろうが!!

203:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/08 12:48:49.20
シーボルトがスパイなら、
シーボルトが日本に流す情報を信じるなよ(笑)

204:名無しさん@お腹いっぱい。
12/03/08 16:54:48.07
この板で暴れてる連中みたいな
だれがいいものでどこの国が悪者で
誰は誰より偉い、みたいな幼稚なものの見方を排して
ただ研究対象として見ればじゅうぶんおもしろいんだがな。
もちろん「なんでこんな話がまかりとおったのか」という部分まで視野に入れるのは前提だけど。
歴史はどっかの知事へのネタ提供のための学問じゃないんだから。

205:宗久
12/04/20 02:12:42.67
神武天皇の男系の血を継承するD2遺伝子をもった男子は日本列島に約50%存在する。
その中でも特別な遺伝子(日本民族を統率する遺伝子)をもった男子が数百年に一人現れる
ようだ。平家では、平清盛、北条時宗、織田信長など。源家では、源義家、源頼朝、義経、武田信玄、
徳川家康など。藤原家では、藤原道長、藤原秀衛など。そのほかにも、足利、新田、島津、毛利など。
そろそろ大英雄が出てもいい頃である。

206:宗久
12/04/20 02:30:20.92
暦から推測すると、900年に一人大英雄が現れるような気がする。皇紀2700年である
から3x9=27である。日本では、3の数字は非常に重要な数字である。
アンゴルモアの大王を期待してもいいのではないか。

207:宗久
12/04/22 00:35:46.38
「成吉思汗は義経なり」が出鱈目だと言うのであれば、

その根拠を示してほしい・・・

208:宗久
12/04/26 00:29:39.66
「源義経は成吉思汗にはなりえない」という確たる証拠はありますか。

だれか、あったら出してほしい。

209:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/03 12:26:25.81
悪魔の証明ですよそれは


210:名無しさん@お腹いっぱい。
12/05/06 10:14:41.21
ジンギスカーンの故郷はバイカル湖以北で、
東胡系遊牧民は住まず、トルコ系北方遊牧民の縄張りだからな。
モンゴール中核王族は東胡系であったことは判明しているので、
義経がまず東胡系弱小部族を服属させ、
彼らを率いてモンゴール故地に移動して云々、
といった仮説を建てることが可能ならば、
義経=ジンギスカーン説は、可能性はあるよ。
やり手の経営コンサルタントが倒産寸前の企業を乗っ取り、
巨大企業に発展させる、というシナリオと同じで、
現実的ハードルは高いけどな。

211:宗久
12/06/01 04:24:22.12
「悪魔の証明ですよ」と言っていますが、
「成吉思汗の秘密」にも書いてあるように、義経が大男で成吉思汗が小男であったらなら
その場で「成吉思汗は源義経なり」は否定されます。

何かないですか?



212:宗久
12/06/14 00:14:37.70
最近、公園からハトが消えたことに気づかないだろうか?
気になるのは私だけか・・・
加古川で鳩の頭だけの猟奇死骸が多数見つかったようである。
シナ人に食われたような気がする。


213:宗久
12/06/24 02:50:10.37
いま日本で子供が殺されたり、大人の不審死が多いような気がする。
殺した方は通名の在日が多いような気がする、または日本語の話せない支那人の
ようだ。なぜなのだろう。昔はお寺が村の知識人となって村らを統率していたから、外部からの
侵入をふせいでいた。ところが外国勢力の宗教を中心に日本を侵略しているようなきがする。
こうゆう危機に英雄が出るようなきがする。

214:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/28 17:19:16.93
池田大作か?

215:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/29 11:28:42.32
義経=チンギスハンが正しいとすると
建礼門院レイプ説の信憑性も倍率ドンさらに倍だね!

216:名無しさん@お腹いっぱい。
12/06/30 15:05:22.65
義経「男たる者の最大の快楽は敵を撃滅し、これをまっしぐらに駆逐し、その所有する財物を奪い、その親しい人々が嘆き悲しむのを眺め、その馬に跨り、その女と妻達を抱きしめることにある」


217:宗久
12/07/01 05:25:39.09
成吉思汗の崩御後、500人の側室のうち何人かが殉死したようである。

大英雄は其の辺の「すっとこどっこい」とは違う。

ナポレオン・シーザー・アレキサンダー大王より上である。

何かないですか?

218:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/01 14:34:47.92
「成吉思汗の秘密」読んだけれど
これ、ほとんど小谷部本の丸写しなのでは…
高木彬光のオリジナル要素なんかあるの?


219:宗久
12/07/02 02:05:40.35
義経軍団は、鵯越の逆落としで約70騎(馬の世話に二人)で210人であったと
思われる。
屋島の戦いで約150騎450人、馬は自前だっただろうが、馬のエサ、騎兵の食事等
は義経主従が手配したと思われる。壇ノ浦の戦いでは、水軍の手配にそれなりの
費用が必要であったと思われる。これらの費用は鎌倉から出てたのだろうか。
それとも自前だったのだろうか。

220:宗久
12/07/06 01:49:53.71
たとえば、熊谷次郎直実は名前から熊谷市の御家人だと思われる。一騎で加わったのではなく一族とその家来を
引き連れて合戦に参加したと思われる。最低でも2~300人である。死人・怪我人が出たら、その保証をしなけれ
ばならない。中国地方まで進軍したのであるから、その間だけでも莫大な費用が必要であった。
卓上の歴史家は簡単に歴史資料だけで判断するが、軍資金の裏付けはなんだったのだろうか。

221:義経
12/07/19 14:25:40.50
日本の国は末期的状態になっているかも知れない。

それは司法界が腐っているとしか思えないからです。

高等裁判所の裁判官と元裁判官の弁護士が組んでたわいもない事件から
常識ではあり得ない認定認定を繰り返し数億を儲けている。

これは私が高裁の裁判官と元裁判官の弁護士とのひそひそ話を聞いてしまった
ことからわかったのである。

222:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/19 17:26:58.97
ひとりごとをageて書くとか
どんだけ寂しいんだよこいつ

223:義経
12/07/19 20:20:01.31
大英雄が出てくる時代背景はこういう時期なのかと思っただけです。

平氏にあらずば人にあらず。

ジンギスカンが出現したのも世界の要請だったのかと・・・

224:義経
12/07/21 12:48:52.89
小谷部全一郎氏の「成吉思汗は義経なり」の中に面白いものがあった。

蒙古とは古の高麗国である。百済の国というのは今の満州で、新羅と任那とを合した
のが今の朝鮮である。今の蒙古と満州と朝鮮とが三韓というので、今の朝鮮を三韓
と思うのは間違いである。・・・・・

又成吉思汗の子孫が五十四代の時に日本から蒙古に再現して蒙古を救うと言う予言
もある。(王仁)
昭和9年7月19日発行東京毎夕新聞所載



225:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/21 12:58:33.07
だからせめてそういう妄言はsageて書くか
ご自分でいいこと言ってると思ってるんなら
実名入りのfacebookとかで書きなよ

気持ち悪いよ。まじで。

226:義経
12/07/22 23:41:21.33
普通の日本人は妄言という言葉を使わない。

何が嘘なのか、何が間違いなのか、論理的に説明しなければならない。

気持ち悪いのはどっちだろう。

227:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/23 01:12:28.23
いかにもネット論客気取りらしい言いぐさやね。
嘘も間違いもへったくれもない。
場にそぐわぬひとりごとを咎められているのは自明なのに
論理ロンリとバカのひとつおぼえみたいに吠えてれば自分が保てるんだろ。
それとも正しい(?)こと言ってるならどんなウザ文も受け入れられるべき、とか
素で勘違いするほどのバカなのか。

安っすいやっちゃ。

228:義経
12/07/23 14:43:45.44
小谷部全一郎氏の「成吉思汗は義経なり」は旧仮名づかいなので
読むのに苦労する。

妄言の意味も解らない「安っすいやっちゃ。」 は

そっくりお返しする。









229:宗久
12/07/23 16:41:59.08
大物浦で消息を絶ったと言われている義経の家来300~500騎はどこに
消えたのか。
地方豪族の次男坊・三男坊で知力・体力・統率力を備えている武将とおもわれる。
若き信長、信玄、謙信、家康、政宗クラスである。
そのまま消えたと考えることに疑問を感じる。

230:宗久
12/07/23 18:23:19.51
成吉思汗の大偉業を考えたとき、一人や二人の力でできるものではないと思われる。
数十人の将軍、手足となって働く数百の将校、先頭を切って突進する数千の下士官
が必要である。
そして、それらの将兵に供給される武具の研究と生産である。
遠征費用、家族の生活と戦死した時の保障等などを考えたとき、歴史研究なるものの
稚拙さをかんじる。

231:名無しさん@お腹いっぱい。
12/07/24 14:23:53.94
>>224
蒙古は蒙古ですが


232:宗久
12/07/27 17:32:55.39
1992年宮沢総理の時、次期総理は誰でしょうと言うTBSの番組だと思います。
20年前ですが、誰か観ていた人いませんか。

233:宗久
12/08/01 03:15:24.18
シーボルトは間宮林蔵と親交があったと言われている。
間宮林蔵はニコライスクでその地の酋長から聞いた話「この地にたどり着いた日本人の
武将がこの地を去ったあと漢国の玉になった」(北海道テレビ)と言う伝説をシーボルト
に話した可能性がある。
1992~1994年頃の北海道テレビまたは札幌テレビ?を観てた人いませんか?

234:宗久
12/08/03 02:37:23.81
231の人

小谷部全一郎氏「成吉思汗は義経なり」の268ページ「源義経と蒙古」にある。

235:名無しさん@お腹いっぱい。
12/08/06 20:49:28.75
確固たる証拠がないとウリナラファンタジーになっちゃうんでね。
日本人としては実話であってほしいけど

236:宗久
12/08/07 10:12:30.18
235の人

確固たる証拠とは何ですか?
鎌倉幕府の正史「吾妻鏡」は義経没後、100年以上経ってから
書かれたものではないですか。
義経記・玉葉も現場から離れたところで書かれたものである。

元朝秘史も成吉思汗没後、だいぶ経ってから書かれたものである。
ただ、小谷部全一郎氏は現地を訪ねて調べたものである。
私も義経ゆかりの地には、ほとんど行ってみた。
当時と現在の違いはあるかも知れないが、義経の「平泉の自殺」はあり得ない。


237:宗久
12/08/07 10:39:14.04
私もモンゴル人と満州族(満洲マンジュ)の留学生に「成吉思汗の秘密」に
書いてある事を質問してその回答で確信となった。

238:名無しさん@お腹いっぱい。
12/08/07 12:01:10.36
俺も北行伝説の地なら北海道以外大概行ったし
鎌倉、吉野、安宅の関といった場所にも行ってるが
そんなもんがなんになる?
少なくとも吾妻鏡や玉葉が「ずいぶん後になって書かれている」
と悪口言ったあとで、自慢げに言う台詞じゃねえよ。

てめえで思い込むぶんには別にかまわんし、それでポエムだ創作だと
気取るのもよしとするが、ここは日本史板。
それなりにしっかりした根拠を提示できんのなら論外もいいとこ。

いずれにせよ↑のひとりごとは気持ち悪い。

239:宗久
12/08/07 20:51:41.34
238の人

あんたも
・・・それなりにしっかりした根拠を提示できんのなら論外もいいとこ。
・・・いずれにせよ↑のひとりごとは気持ち悪い。



240:名無しさん@お腹いっぱい。
12/08/07 23:15:02.52
このスレを覗いた第三者がどう思うかは自明だと思うが、
まあ↑は聞くという能力がないんだろうな。
一応好き者が集まってるとされている2chのスレがこれだと
今後義経北行伝説について調べてみよう、なんて人は激減するだろうに。

つーか北東北の知られざる歴史、みたいなスレって
東日流外三郡誌もそうだったけど、
なんでこういう「俺だけは全部分かってる」みたいな輩がでかいツラしてるわけ?
長年こうだったのなら、「中央から黙殺され」るのも自業自得だぞ?>>ALL

241:宗久
12/08/08 07:05:18.76
もうちょっとまともな日本語を使いな。

小谷部氏の「・・・義経なり」を読んでないだろう。
読んでから批判しな。

242:宗久
12/08/28 05:26:36.91
有色人種を搾取して成り立っていた欧州もギリシャからの破綻(がん細胞)が始まって
イタリア・スペインにまで及んでいる。
先延ばしもいつかは終末を迎える。
アメリカも財政赤字が天文学的数字になっている。
五黄の年に戦争か地震が起きることになっている。ところが、地震と津波は2011年に起きてしまった。
アメリカの地震兵器という噂もある。五黄の年に起きるのは戦争ということになるのか。
朝鮮半島か?台湾海峡か?中華人民共和国内部か?

日本にミサイル(原爆)を打ち込むのか?
日本にミサイルを打ち込んでも何の解決にもならない。富が失われるだけであり、
放射能に汚染され、その後に住めなくなる。

やはり、朝鮮半島の内乱でシリアのように武器消費で死の商人が儲けるのか?

アンゴルモアの大王の出現が近づいてきている。

243:名無しさん@お腹いっぱい。
12/08/29 06:43:44.63
ぜんぜん懲りてねーよこのバカwwww
ツッコまれたら逃げて、いなくなったら再開とかww
どの面下げて偉そうな口叩くんだっつうの

244:宗久
12/08/31 12:45:35.22
243のコリアン

韓国の学校でとんでもない歴史教育しているみたいだねえ。
世界四大文明ではなく、世界五大文明でコリアン文明なる捏造文明が存在したと?
そして、日本はコリアン文明の属国だったと?

*ツッコまれたら逃げて、いなくなったら再開とかww

何をツッコんだのか言ってみろ・・・

百済の王様が和人であった事は三国史記に書いてあるだろう。




245:名無しさん@お腹いっぱい。
12/08/31 18:42:56.92
ツッコミ?素で見ても
>少なくとも吾妻鏡や玉葉が「ずいぶん後になって書かれている」
>と悪口言ったあとで、自慢げに言う台詞じゃねえよ。
こことか。
てかそれ以前の問題だよねあんた。アンゴルモアとか言っちゃうあたり
いい年なんだろうに。可哀想とは全く思わないけどwww

それはそうと、この夏普代のうねとり神社に行って来ましたよおまえら。
もしまだ住人が残っていてき○がいにスレを占領されてるのが嫌なら
なんか話題を振ろうぜ。

246:宗久
12/08/31 19:17:39.59
言っている意味がわからないぞ。

もう少しまともな日本語を使いな。

247:宗久
12/08/31 20:05:52.03
平泉の事件から200年後に書かれた「吾妻鏡」が正しくて、500年後に書かれた
「大日本史」が間違っている・・
平泉事件を京都で書いた日記「玉葉」が正しくて、現地へ行って地形や伝説・物的証拠を
調べて書いた「・・・義経なり」が間違っている・・・

以上の理由を説明してください。


248:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/01 23:42:15.07
どれも間違ってるかもしれないし、正しいかもしれない。
同様に、1000年近くあとの今になって行ってみた個人の感想が、
おのおのの史書より真実に迫っているとは限らない。
もちろん何百年に渡って常識とされてきたことが否定されることもあるが
「○○は間違っていて本当はこうだった」と言いたいなら
よりはっきりした根拠を誰にでも分かるかたちで提示しないといけない。

要するに宗久って人はうざいと思います。

249:宗久
12/09/02 04:17:50.52
「成吉思汗は義経なり」は肯定も否定もされてないぞ。

斜にかまえて最もらしい事を言っているが、結局は答えになっていない。
「うざい」という日本語にもなっていない音だけか。

否定するなら藤原三代の栄華の象徴である「中尊寺の金色堂」「毛通寺」「経典」
の資金の源泉くらいは提示しな。

一の谷の逆落としの現場(2m位の樹木で覆われている)を見て騎馬でどのように
攻め落としたか説明してみな。

また、答えは「うざい」「まじ気持ちわるい」だけか。

北東北とは何語だ。

それから、今年になって歴史人など多くの雑誌に「ジンギスカン・義経」の特集が
出てきている。



250:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/02 04:43:02.61
あーあ…。
東日流外三郡誌スレにおまえみたいなトンチンカンがいて、
思わず書きなぐったことを転載しといてやる。

>静かな住宅街で「一たす一は二なんだー!!!」って叫んでる奴がいて
>うるせー!と怒鳴ったら「反論してみろー」とか言われた感じ。
>(いや、ここの場合は「一たす一は三なんだー!!!」なんだけど。)
>正しいも間違いもへったくれもなく、とにかく迷惑なんだが、
>当人は「反論できまい、うふふふふ」とご満悦みたいな。

自分のどこをツッコまれてるか分からないってのは
バカと思われても仕方ないんじゃないか?

251:宗久
12/09/02 04:46:59.14
それから、10年ほど前の新聞だと思うが、三菱商事が成吉思汗の墓と思しき所を
発見して発掘作業に入るとの報道があった。
のちの報道でモンゴル政府が許可を出さないため発掘中止となった。

ノータリンのあんちゃんだけの掲示板では、新しい情報収集は無理か。

252:義経
12/09/02 16:12:47.30
あんちゃん

あんたの前提は・・*静かな住宅街で・・・だろう

この掲示板は「源義経=チンギス・ハン説を議論しよう」ではなかったかな・・

「東日流外三郡誌」は1970年に青森県の旧家で発見されたものだろう。
旧家の新築が100年前だとすれば、1870年以後にその場に置いたことになる。

大日本史は水戸黄門が1600年代に当時の優秀な歴史研究者を集めて編纂したものである。

もうちょっとまともな返答をしてみな。

253:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/03 01:24:06.86
自分の書き込みがこの板のこのスレッドにふさわしいと言うなら、
ageにageて、多くの人の目に留まっているにも関わらず
オレみたいなツッコミ要員にしか相手されてない理由を冷静に考えてみたらいい。

その大陸書房のオカルト本の劣化コピーみたいな文体とか
話を膨らませる工夫がないどころか長文で頭ごなしな否定をすることとか、
気に入らない相手はチョン呼ばわりとか、しかも話は自分のことばかりなこととか。
「おまえらバカだから分かんないんだ」みたいな態度もろ見えの住人が
一人でぶつぶつ言ってるスレに誰がカキコしようと思うのか。
小学生でも分かることなんだけどな。

それなりにメディアでも取り上げられて来て、一般受けしやすいはずの義経伝説のスレが
○○氏スレみたいな専門スレより過疎ってる理由に全く身に覚えがないというなら
俺はもう何も言わないよ。

254:宗久
12/09/03 08:25:21.25
これだけ挑発しても帰ってくる返答がこれだけか。

それなりの連中がみてるはずなのに。

やはり学会のメンツか。

255:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/10 13:14:57.38
あげ

256:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/11 02:30:28.53
そのくらい戦術に長けてたって話が元なんじゃ?w
まともな根拠あんのかね?www

257:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/11 03:12:57.19
平泉で死んでないという話とチンギス・ハンになったという話は
別箇に考えた方がいいとおも。
国威掲揚のためとしか言いようのない宣伝のされかただったのがチンギス・ハン説。
義経一行がここを通って逃げてったという話は岩手沿岸から青森をきれいに結んで残ってるんで
まともに研究してみる価値はあると思うけど。

しかし
>そのくらい戦術に長けてたって話が元なんじゃ?w
という発想は見たことなかったな。

258:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/13 19:33:27.95
日露戦争ではマルクス主義に出資した日本であるが、第二次世界大戦ではコミンテルンに陥れられている。
因果応報である
義経によって国土を荒らされ、エスニッククレンジングされた露、朝鮮、シナは日本への復讐心と警戒心に満ちている。
賠償しろとはその事である。
新たな因果応報が日本に迫り、それは義経の復讐かもしれない。

259:名無しさん@お腹いっぱい。
12/09/18 11:35:53.00
ありえるな

260:成吉思汗
12/09/24 19:40:13.16
ロスケとチャンコロ良く聞け。

俺は清和天皇の直系の源義経である。天下の命により大陸に渡り各部族を統一し、
ユーラシア大陸を支配した。
孫のフビライは俺のあとを継いでシナ大陸も支配した。
それから、傍系の子孫のヌルハチとその子供が清という国号にしてシナ全体を支配した。

シナ共産党の連中が尖閣に石油が出ると知って俺たちのものだと言ってるようだが、
あの島は叔父の源為朝が見つけたものだ。

いくら文献を改竄しても、この事実は変わらない。

その証拠に二年前、習キンピラが天皇陛下に「この地の支配者になってもいいですか」
とお願いに来たではないか。

わかったか。





261:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/04 04:40:29.01
近代デジタルライブラリー - 成吉思汗は源義経也
URLリンク(kindai.ndl.go.jp)

こうやって誰でも元ネタが読めるんだから
いい時代になったね、夢のようだ
皆で読んで検証していこうか

262:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/08 02:04:26.87
そういえば、乾隆帝自筆の「朕の姓は源、義経の裔なり~」の件
これ、高木彬光『成吉思汗の秘密』では実物がナントカ財閥の手元にあるみたいな話だったけど
そんな話、他では全く聞いたことがないんだよな
『秘密』は小説だからあくまでフィクション上の話なんだろうか
それにしてはやけに入手の経緯を事細かに書いてあったけど


263:成吉思汗
12/10/10 12:22:54.01
小日向 白朗(こひなた はくろう、
1900年(明治33年)1月31日 - 1982年(昭和57年)1月5日)とは、
単身で中国大陸に渡り、捕虜から「中国全土の馬賊」の総頭目にまで上り
詰めた日本人の馬賊の事である。新潟県三条市出身。本名は健松
中国名は尚旭東。民衆からは小白竜とも呼ばれた。

264:成吉思汗
12/10/10 21:38:02.92
上記の馬賊の進軍歌をパクったのが、中国の国歌です。

265:名無しさん@お腹いっぱい。
12/10/10 22:29:47.44
>>218
ネタ(説の根拠)に関しては全くと言っていいほど無い
何もかもパクリ、オリジナルに見える部分も徹底して誤魔化てあるだけ
今ならネットで袋叩き、作家生命失うレベルだね
後世まで読み継がれる面白おかしい読み物に仕立てたのが唯一のオリジナルかな

266:成吉思汗
12/10/12 01:58:09.39
乾隆帝の自筆は写本であるため検証不能

成吉思汗の花押であったなら義経の花押と検証できた

267:名無しさん@お腹いっぱい。
12/11/06 12:30:50.21
>>257
そういう決めつけでなんでも否定しちゃいかん。
嘲り笑うような否定は言語道断。
それでなくてもこの説を決定的に裏付ける証拠は難しいのだから。
否定する時も論理的に。

268:名無しさん@お腹いっぱい。
12/11/11 14:14:30.09
俺の所に金国の「完顔福興」が使者としてきたが、その時、「成吉思汗」と署名して
渡したらびっくりしていた。俺の名前をジンギスカンとカタカナで書く歴史家がいるが、
いい加減にして欲しい。正しくは成吉思汗である。

269:名無しさん@お腹いっぱい。
13/01/10 05:32:54.59
チンギス・カンは「源氏」スカン。

URLリンク(ichiba.geocities.jp)

チンギス・カンの発音は、ほとんど、「ゲンジ・スカン」。

自分が源氏でありながら、「スカン」というところが、いかにも○○だ。

270:名無しさん@お腹いっぱい。
13/01/10 11:16:31.79
  ★★★チベットの独立は日本の核心的利益である★★★
  URLリンク(jbbs.livedoor.jp)

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    電話番号 080-4437-4187
    メール  aaa-zzz@tba.t-com.ne.jp

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271:名無しさん@お腹いっぱい。
13/04/29 22:31:00.44
源義経チンギス・ハーン説 - ASIOS -
URLリンク(www.asios.org)

272:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/15 23:10:43.37
明治20年クリスマス、保安条例公布

URLリンク(ichiba.geocities.jp)
URLリンク(3rd.geocities.jp)

この日は、チンギス・ハーン没後皇紀660周年記念日だった。

(仮説を含む)

( URLリンク(ichiba.geocities.jp) )

273:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/17 18:46:57.34
勧進帳で知られている安宅関の時点で義経は別人と入れ替わっていたという説がある。
美談になっているが、義経ではない人物だから弁慶は痛めつけたのだ。
涙を流しながら(泣きながら)とあるが、季節的に弁慶は花粉症だったのでは?という説を唱える歴史研究家までいる。
では、安宅関の以前に入れ替わった義経は何処にいったのか?

答えは東尋坊にある。
地図を見ていただければ一目瞭然だが、このあたりだけ地形が突出している。
東尋坊の名前の由来も「東(東北)の位置を訪ねた坊主」からきているらしいが
方向音痴として知られる弁慶らしいエピソードである。
この東尋坊で義経は弁慶と別れ船に乗り、能登へ移動(義経の舟隠し)。
そこから現在の禄剛崎まで徒歩で移動、再び船に乗り一旦、舞鶴に行ったとされる。

ソース
スレリンク(river板)

274:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/25 16:39:12.26
ぬるぽ

275:ガッ
13/05/25 17:21:57.00
むるぽポルノ

276:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/26 11:19:44.95
良スレhage

277:名無しさん@お腹いっぱい。
13/05/28 01:23:44.54
義経=ジンギスカン説 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)

278:名無しさん@お腹いっぱい。
13/06/13 18:54:18.52
強国に囲まれ異民族に蹂躙されてきた千敗の超賤な民はヒャッハーなお兄さん達に
A、T、G、Cによる情報をインストールされ続けたため、その子孫が気性の荒い
強姦魔になったのは無慈悲な地政学敵宿命。 世紀始覇者 チン○スハーンのYを
継ぐ者だけでも現在全世界で1600万人(つまり男性200人に1人!)程いるが貢献大。
恨の文化や歴史熱造癖は惨め歴史故のことだがおかげで体格はよくなりましたとさ。

279:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/08 16:30:28.17
つか義経女性説どうなった?
こちらに関係あるなら源義経、上杉謙信、織田信長
こいつら全て女性でも不思議じゃねえぞ

280:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/08 16:34:39.45
怪しいんだよな
チンギスハン説は義経隠しじゃないかなーと
謙信不犯説やら信長の妻、帰蝶もいたのかいな
いのか分からん状態だしな_φ( ̄ー ̄ )

281:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/08 16:37:15.80
信長の遺体もでてきてないんだろ?

282:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/14 15:40:25.17
信長は、武田征伐直後の遠江巡覧中に、徳川家特殊部隊により拉致された。
従って、本能寺の信長は徳川家が仕立てた影武者。

どこかおかしいと探知した光秀が征西軍をリターンさせ、
老ノ坂まで南下して来て、徳川軍と睨み合い。
別途に、光秀与力で淀城代であった、斉藤内蔵助なる武将がおり、
この直前に人事変動ありて、徳川与力に直されていたが、
徳川から天皇と親王とを御所に囲めと命令を受け、
その意図を探知して故意に命令を取り違え、
偽の信長と信長夫人とを本能寺に囲んだ。

斉藤軍の集結を目印として、老ノ坂の高みから徳川軍が夜間逆走、
明智の先手を名乗って、
彼らを攻め殺してしまった。これが、本能寺の変の真相。

拉致された本物の信長が死んだことを、
乳兄弟の池田勝入が探知したことにより
勃発したのが、小牧・長久手の役である。

283:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/19 09:42:42.55
 
チンギス・カンに目覚めた明治政府

URLリンク(park.geocities.jp)

大相撲の横綱がモンゴル人で独占されるのは、

何も偶然ではない。

( URLリンク(park.geocities.jp) )

284:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/19 18:48:15.05
シーボルト先生の思いつき。
江戸時代の間は義経=清祖説がポピュラーで
義経=ジンギスカン説なんて誰もいっていない。
てゆーか、鎖国時代でモンゴルの知識なんかまともになかった。

285:名無しさん@お腹いっぱい。
13/07/19 21:58:09.73
そうそう。モンゴルのわけがない。
西シベリアにはハンチマンシースク民族自治区というのがあるが、
これは源氏の守り神八幡氏が語源だと言われている。
だから義経が向かったのはモンゴルよりもはるかに遠い西シベリアだった。

異論は認めるが賛同は認めない。

286:弁慶が鍵かな?
13/07/30 22:04:55.04
そういえば南北朝って長兄だか末子が継ぐかで揉めたんだよな
俺思うに元って日本と戦う意味なかった、だって同じ仏教圏だし
語族も同じ蒙古班がでるほど遺伝子にだってそう違いはない
密かに内部から侵攻しててもおかしくないわ

287:名無しさん@お腹いっぱい。
13/09/16 13:52:47.00
ていうか大陸の言語はどうやって覚えたの?飯をもらうにも難儀しそう。北へ逃げた可能性は否定しないけど逃げすぎる大将に家来は付いてこないよね。家族は付いていくと思うけど。

288:名無しさん@お腹いっぱい。
13/10/14 13:24:59.00
北条氏は源氏を三代で滅亡させた。義経の孫と和解などできない。そこでフビライの使者を
龍ノ口で処刑したのだろう。もし、文永弘安の役がなかったなら歴史は違った方向に進んで
いたかもしれない。

289:白髪三千丈
13/11/04 11:04:38.98
源義経、名前がそんまんまチンギスハンだし。
英語表記だとGhen gi sei Khan つまり 源 義 経 汗。
議論の余地なし。モンゴル人は経をせいとしか発音できなかった。
家紋も同じ笹りんどう。国号もゲン で 源 と同じ。
ジンギスカンの別名はクロー、義経も九郎義経という。
 

290:名無しさん@お腹いっぱい。
13/11/14 02:16:56.10
源義経が成吉思汗であっては困る奴らがいる。
アーリア人とシナ人と朝鮮人である。

291:名無しさん@お腹いっぱい。
14/01/27 23:28:06.39
福岡黒田藩家老を祖父に持つ若狭和朋氏の話(ニコニコ)によると、測量技術士の舛添氏が
朝鮮半島から渡ってきた白丁の使用人が名前を持ってなかったので舛添の名前を与えて名乗るようになったのが
舛添要一の始まりであったと。


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