13/05/04 14:44:02.91 DAoVW0At
(>>5から続く)
「ファンクラブには会報や番組観覧・試写会の募集に加え、コンサートや舞台チケットの優先予約という特典がありますが、
その上で徹底的にファンを管理、育成してきたといってもいい。会員数は公表されていませんが、一説には嵐だけでのべ
130万人を超えているといわれている。このファンクラブがあるからこそCDやコンサートの動員にも安定した数字を計算できるし、
グッズ販売でも大きな利益を上げています。利益率の高いグッズ販売はジャニーズの隠れた収益の柱になっているのが現状で、
ジャニーズが肖像権の管理にあれほど神経質なのも、グッズのレア感を出すためだと見る関係者は多い」(前出・大手芸能プロ幹部)
そして90年代に入って登場したのがSMAPだ。このSMAPの大ブレイクによって、ジャニーズは「少年アイドル」という
ジャンルを飛び出し、芸能界全体に絶大な影響力を持つようになったといえるだろう。
ジャニーズ内部でもリストラ候補となっていたSMAPを売り出したマネージャー飯島三智の手腕は有名だが、
この飯島が採った手法は、その後のジャニーズタレントの方向性にも決定的な影響を与えている。
特殊な育成システムを別にすれば、それまでのジャニーズのビジネスは他事務所と大差なく、基本的には「テレビの歌番組に出て
人気を高め、レコードを売って、コンサートを開く」というスタイルだった。デビューさせたはいいが、ほとんど売れずに消えて
いったグループも少なくない。
ところが飯島はそれまでの「歌」をメインにしたグループ単位の売り出しではなく、グループをドラマ班(木村、稲垣、森)と
バラエティ班(中居、草彅、香取)に分けることによって効果的に売り出すことに成功する。SMAPが最初に世間に認知された
番組はバラエティの『夢がMORIMORI』だが、すぐに稲垣がドラマ『二十歳の約束』で注目を集め、続いて『あすなろ白書』
(すべてフジテレビ)でキムタクが大ブレイク。この人気をテコに、SMAPは一気に芸能界の頂点まで駆け上がった。
(続きは>>7あたり)