13/05/04 14:43:39.58 DAoVW0At
(>>4から続く)
もちろんジャニーズとはいえ、最初から順調にコトが運んだわけではない。70年代にはジャニーが寵愛した郷ひろみを
バーニングプロに引き抜かれるなど、辛酸を舐めた時代もあった。80年代に入って近藤真彦、田原俊彦、野村義男の
たのきんトリオで息を吹き返し、そこから少年隊、シブがき隊と次々にアイドルグループを世に出し、光GENJIで
ひとつの頂点を極めることになる。
会社としても、この80年代中盤から90年代初頭にかけて子会社を次々と設立し、ビジネスの土台を築き上げてきた。
有名ドコロを挙げてみると、音楽著作権管理の「株式会社ジャニーズ出版」、CM・広告を手がける「ユニゾン株式会社」、
ファンクラブ運営の「ジャニーズファミリークラブ」、グッズ販売・ショップ経営の「ジェイ・ステーション」、
コンサート・舞台主催の「株式会社ヤングコミュニケーション」と、その傘下のチケット販売「コンサート事務局」
といったところ。いずれも近代的な芸能プロダクションにとっては欠かせない。
中でも特筆すべきは「ジャニーズファミリークラブ」だろう。ファンクラブを単なるファンサービスの一環としか
考えていない事務所が多かった時代、ジャニーズはファンクラブを中心に作り上げた強固なネットワークをベースに
ビジネスを展開してきたと指摘する芸能関係者は多い。
(続きは>>6あたり)