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(>>1から続きます)
■日本武道館公演を実現させたセルフプロデュース力
その頃から「歌、ダンス、人柄に触れてもらうためには、生のステージを見てもらうことが一番伝わる」(小関氏)と、
ライブ、イベントにも積極的に参加。CD だけでなく「ライブDVD」のプロモーションにも注力するようになったという。
「リリースがあるたびにプッシュしていただいている『流派-R』(TX 系)では、ライブDVDからの映像を
オープニングとして流すという試みも行いました」(同 岩内大樹氏)
また、09年の時点で「12年に武道館ライブを実現する」という具体的な目標を立てたことも、
スタッフ全員の士気上昇につながったという。
「大知がリスペクトするマイケル・ジャクソンが「ビリー・ジーン」を発表し、ムーンウォークを披露したのが24歳のとき。
大知も24歳までに最強のアーティストになろうという話をしたんです。武道館を見据えながら、“頑張れば手が届く”
ハードルを毎年設定して、ひとつひとつクリアしていきました」(小関氏)
その結果、ライブツアーの動員も10年は9000人、11年は1万4000人、12年は1万9000人と増加。
その一方で、宇多丸、KREVA、BoA、leccaといった影響力のあるアーティストから高い評価を受け、
ライブなどで共演したことも認知上昇につながった。
「よく“ファンもプロモーター”と言っているのですが、Twitterブームの影響もあります。彼の実力を
口コミで広げられるツールが出てきたことで、瞬く間に情報が拡散するようになったんです」(小関氏)
日本では“歌って踊れる”男性ソロのシーンが成熟していない現在、三浦大知の成功は多くの示唆に満ちている。
彼自身、「このジャンルの先陣を切り拓きたいという想いが強い」と言い、ステージの構成を一人で行うなど、
作品やパフォーマンスへの追及には余念がない。彼が潜在的に持っていたセルフプロデュース力と、
そのポテンシャルに絶大な信頼を置き、最大限に魅力を引き出してくれるスタッフに出会えたことが、
ブレイクの要因と言えるだろう。
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