14/01/09 16:51:58.47 UkoBzAyv0
:名無しさん@13周年:2014/01/09(木) 16:27:51.66 ID:YDgJdt720
週刊誌記事の内容
週刊文春2007年10月4日号 42-45p
週刊文春2007年10月4日号 42-45p
姉の生活保護についての記事の内容
・舛添要一氏が母親の介護を始めるのは平成八年(1996年)から
・4人の姉のうち4番目の姉が生活保護を長年受けていた
・平成四年(1992年)、北九州市の担当職員が「可能な範囲で1万でも2万でもいいから仕送りしてくれ」
と頼みに舛添氏の家を訪ねたが追い返された(元市職員談)。
・当時の舛添氏はタレント学者としてテレビで稼いでおり、億単位で不動産を買い漁っていた。
・北九州市は生活保護率が全国一だったこともあり、当時は生活保護の適正化に一生懸命だった。
週刊文春2007年9月13日号26-29p・9月20日号36-40p
週刊文春2007年9月13日号26-29p・9月20日号36-40p
母の介護・長姉との確執について
・4人の姉のうち長姉とは母の介護を巡って絶縁状態
・「他の妹は要一のほうについた」(長姉談)
・舛添氏が母親の介護をしていたのは平成12年(2000年)に亡くなるまでの3年間ほど週1回程度
・母親の日々の介護は舛添氏の会社の取締役に名を連ねる三番目の姉が行なっていた(近所の老人談)
・舛添氏が介護に携わるまで長年、長姉夫婦が一緒に暮らしていたが、母親の死も知らされなかった
・舛添氏は著作で長姉夫婦が母を虐待していたと書いているが、「全部嘘」(長姉夫婦談)。舛添氏母が関わった病院や施設関係者への文春の取材では「長姉夫婦が虐待をしていたなんてことはない」