13/02/22 15:35:08.42 FNU7gmPa0
信長が唯一(と言っていいほど)武力で落とせなかった石山本願寺に対して、朝廷に和議の斡旋を
願い出ている。
石山本願寺側は和議を受け入れ紀伊に退去。朝廷が無力であったはずがない。
当時の仏教勢力は現在のような平和的勢力ではない。比叡山と三井寺はお互いに焼き討ちばかりしていたし
通行税という既得権益にしがみついていた。信長は決して宗教を軽視していないが、仏教に失望するのは自然の流れ。
信長との争いにしても協定を破って先に攻撃していたのは、いつも一向宗側。