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続きのお届け物です。
306 :可愛い奥様@避難所生活:2013/02/06(水) 08:03:09 ID:WW6jJNbc
続き
天皇皇后陛下をお守りする側近の職員を「千代田」と俗称するが、雅子妃の批判がその周辺からじわじわ漏出してくるのは
既にこの時(居眠り事件のことです)からはじまっていた。この構造を理解しないとのちの雅子妃バッシングの実相はわからない。
「皇后陛下のバッシングが書き立てられた時期だったので、こうした妃殿下のマイナスな話が書かれることは避けたかった(元宮内庁幹部)」
この盛岡市での小さな「失敗」がやがて雅子妃を追いつめていくきっかけにもなったかもしれない。
ある皇室記者「あの岩手での出来事が、一層皇太子妃として頑張らなくてはならないと自分を追い込んだ原因の一つではないか」。
帰郷して3日後、小和田家への里帰りが予定されていた(成婚後38日目)。
美智子妃が17日後、紀子妃が12日後に里帰りしていたが、雅子妃は日程が過密でこのころになった。
しかし北海道南西沖地震の惨状を考慮してお取りやめに。
3日後の20日には明治神宮へ結婚報告の参拝。
あるカメラマン「雅子さまは少し頬がほっそりとされてお痩せに。まだお疲れの様子が抜けない表情。
タフな女性と外務省で呼ばれていたそうですが、皇室の生活はよほど過密スケジュールなんだと思いました」
公務でお出かけにならない日でも東宮仮御所の中でご進講や訪問先の勉強。勤労奉仕団への挨拶や接見。
まだ身の回りの世話をする女官は2人しか奉職しておらず、嫁入り道具の品もまだ片付ける暇もなかった(元東宮関係者)。
…叫ばせて下さい、目が…目が滑るんですけどーーー!(すみませんw)