13/01/14 07:06:02.80 yV+GMJTa0
>>702
>日蓮大聖人御図顕の本尊に「分身散体」はない。一閻浮提総与の大御本尊を歴代法主が書写した本尊が分身散体。
では、やっぱり、『分身散体の議論においては、「一閻浮提総与」か「一機一縁」かという意義の違いで論じる』が嘘ってことですよ。
>一閻浮提総与の御本尊は一体のみ。故に、「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている」が削除されていても「一閻浮提総与の大御本尊」で、どの御本尊かは特定される。
しかし、その根拠が「日蓮正宗の伝説」だけでは、日蓮正宗の信者以外を説得するには、伝説以外の根拠が必要ですよ。
>知らないなら、【『創価学会が「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊」を公式に認めている』と言うのは、日顕宗特有の「嘘」】などと書くな。
日顕宗のあなたが言っているから、日顕宗特有の「嘘」と言っているのですよ
>改めて定義していないのは、従来の言葉の意味がそのまま変化無しということ。
会則の教義変更が、明らかな変化ですよ。
「戒壇の大御本尊=一閻浮提総与の大御本尊」はそのままですが、「大石寺の板本尊」は教義から削除されているのが事実です。
>他宗所蔵かどうかなど関係ない。根本は、何があってもどこまでいっても根本。
「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊」が「大石寺の伝説」と言うだけでなく歴史的事実として公に認められた場合には、
他宗所蔵かどうかなど関係無くなりますが、現状では「大石寺の伝説」であるだけですよ。
他宗の「伝説」を根拠にして、現在の創価学会が「大石寺の板本尊=弘安2年の大御本尊」を公式に認め意味がありませんよ。