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1985年8月12日に起きた、日本航空123便墜落事故。
羽田発大阪行きの日航ジャンボ機が群馬県上野村の尾根に墜落し、
乗員乗客520人が死亡。
単独事故としては世界航空史上最悪の事故となりました。
明石家さんまはこの事故機に搭乗する予定だったのですが、
搭乗を1便早めたために事故に巻き込まれなかったそうです。
当時東京~大阪間の移動にいつも使っていたのがこの便で、
事故当日は『オレたちひょうきん族』の収録が中止となったため1本早い便に搭乗。
その日は月曜日で、ラジオのレギュラー番組『MBSヤングタウン』の生放送があったのですが、
番組は殆どが事故の報道となり、途中でさんまが登場し、
「遺族のお気持ちを考えると、ちょっとお笑いトークはできませんね。
しかも、日航123便は、この『ヤングタウン』に出演するための移動手段として、
私もよく利用していたんですよ。今日も123便を利用する予定でした。
でも、仕事が思ったより、早く終ったので今日は、新幹線で大阪に来たんです。
身体がずっと震えています。もしかしたら、私も死ぬところだったかもしれない。」
と言い、その後はずっと流行歌が流されてたそう。
■事故当日は『オレたちひょうきん族』の収録が中止となったため1本早い便に搭乗。
これはたけしがスッポカシタ御蔭。
強烈な話なのでさんまもたけしも封印している。
さんまのモットー「生きてるだけで丸儲け」はこういう背景。