12/11/14 15:10:20.26 oKSb7uTg0
繋がりといえば、祖母代が多いので、この女性たちはどこかで顔なじみ
だったのんではないかと思えてならない。年齢は80-90代で、終戦時は20歳代。
例えば、尼崎にあった廓は赤線、青線と転じ、法改正の中で○○新地に移転している。
・美代子の母(元芸妓
・三枝子の母(母子家庭。美代子と幼年時同居
・橋本の母 (86年に遺棄。母子家庭。美代子と幼年時に同居
・猪俣の母 (99年に不明。姉が美代子の叔父の妻
・皆吉の母 (02年に遺棄。美代子に借金依頼
美代子が10代で飲食店を構えたとあるが、これは新地の特殊飲食店なのかもしれない。
その後、美代子は22歳位で同市内で新たに同店を経営している。
美代子の年齢から考えると、最初は初島、67年の取締強化を受けて神埼、かんなみに
転じたのかもしれない。当時の模様を添付した。
URLリンク(6402.teacup.com)
戦後、阪神電車尼崎駅周辺に、労働者等を対象とした飲食店が出現し、
このうち、出屋敷浮世小路、新天地、杭瀬地区、パーク街、庄下地区に
約150軒のいわゆる特殊飲食店街を形成し、ここに働く従業婦は約500人を超えた。
これら飲食店は、戦後のバラック建て店舗で、風紀上、また子女の教育上好ましくないと
して、昭和27年6月ごろ婦人団体等から反対の声が上がり、これらの店舗を遠隔地に移転
せよとの世論が高まった、その結果、業者は市内の中心部を避けて空地を物色し、昭和29
年9月ごろ、現在の初島新地、神崎新地の用地を買収し、昭和30年3月ごろから移転を開始
した。