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今日の神戸新聞「乗っ取られた家族Ⅱ①」より、橋本次郎に関する話を箇条書き。
●尼崎南西部の中学卒業後しばらくして出身地近くの鉄工所に勤める、1970年半ばごろ。
●自身の境遇についてはあまり話さなかったが「母親が離婚してややこいねん」と言ってた。
●勤めて7、8年経った頃、次郎は突然姿を消す。「姉が借金まみれになって肩代わりせなあかん。
兄貴も勤め先を辞めさせられ、退職金を取られた」と言い残して。数ヵ月後、経営者の男性のもとに次郎から電話があり
「やばくなったから東京に逃げた。急にいなくなってすみません」と。
●それ以降、年に一回ほど次郎から近況を知らせる連絡が入るがそれも5年ほど前に途絶える。
●次郎は1980年代半ばに当時美代子達が暮らしていた尼崎市のマンションに出入りしはじめ、後に一緒に暮らす。
●次郎は美代子を「ねえちゃん」と呼んで甘え、風呂場で背中を流した事もあった。美代子も次郎を可愛がった。
●兄(太郎)も一緒に暮らしていて、頼太郎に懐いていた。
●姉も一時、マンションにいたとする証言や母親が同居していたという情報もある。
次回は次郎の逃走先の東京で聞いた話。