12/11/11 11:06:12.08 0rgPUP970
涙無くしては語れない
ポーランド救済委員会に応じたのは、日本だけだった。
この時の日本の対応はすばやく、ポーランド救済委員会の
アンナ・ビエルキエビッチ会長が1920年(大正9年)6月に
来日し外務省を訪れてシベリア孤児の惨状を訴えてから
17日後に外務省は救済を決定し赤十字に依頼。
独立後間もないポーランドとは、まだ外交官の交換もしていない
状態での決定である。驚くべき早さだった。
URLリンク(friendly756.blog111.fc2.com)