12/10/03 03:42:27.52 fxWiJ/hf0
>>307
昔は稲作に微妙な地域なので
田畑の反別は安永4年(1775年)には13万1031町7反3畝歩にまで増加し、
御蔵入地の割合も、幕末の安政3年(1858年)には39%まで増加した。
しかしながら依然として御蔵入地の割合は低く、これが凶作時などの緊縮財政時には大きな負担を仙台藩に与えた。
例えば中津川武蔵の『御在方全体之犠等品々御奉行衆被御聞届取調十ヶ条申達候留』によると、文政6年(1823年)において御蔵入地からの年貢は、
米7万1900石、大豆4300石、金4万2000両に過ぎなかった。