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「いじめなんて卑怯なことはするな」「いじめを見て見ぬふりするな」といった価値観も、
教師の絶対的な権威・権力の下でこそ成り立つ。「いじめっ子」も「いじめられっ子」も、
そして「その他の子」も、みんな同じ「仲間」なんだという意識は、親の価値観から
遮断された空間だからこそ強く養われる(古くは「子供組」「若者組」)。
ところが、近代化が進めば進むほど、その「自治」が成り立たなくなってきた。
多くの死亡事件を起こした体罰は禁止され、親は教師を「偉い人」だとは考えなく
なっている。学校の「自治」は崩壊し、子は親の価値観をそのまま垂れ流すように
なってしまった。
いわゆる「モンスターペアレント」というのも、学校の「自治」崩壊の結果である。
教師への信頼をなくした親は、学校の方針に対して細かく口を出すようになる。
それがたとえ間違ったものであっても、教師の側にそれを矯正する手段はない。
親の口出しがエスカレートすれば、理不尽なクレームとなっていく。
モンスターペアレントは、親自身が学校に乗り込むケースだが、いじめは、
子を通して親の価値観が間接的に他の家の子を襲っているケースと言える。
大人の社会で抑制されている親の獣性が、無法化した学校でむき出しになって
いるのだ。その獣性を抑え込むために、大人の社会と同じような公権力の介入が
避けられなくなっているのが現状なのである。