12/07/19 17:02:52.58 cK2OlzeU0
ところがある日、新しい校長がやってきた。その校長は人格者で、今でも尊敬している
けれども、体罰を全面的に禁止する「良識者」だった。
驚くべきことに、あれだけ示威的だった教師が竹刀を捨てた。
ビンタを繰り返す教師も「もうビンタはしない」と宣言した。
その結果、学校はまたたく間に荒れた。廊下はツバとガムだらけ。
校内の至る所に落書きがされて、「不良」がバイクを持ち込み走り回った。
教室では意味もなく生徒間での一方的な暴力行為が行われた。
学園祭では、生徒が作った展示物が「不良」によって破壊された。
授業は度々中断され、普通に勉強したい生徒からは教育の機会が奪われていった。
一方で、「不良」も更生の機会を失い、道を踏み外していくだけだった。
教師が秩序維持能力を失えば、所詮は子供の世界なので、学校は容易に『蠅の王』
的な空間に陥る。いじめの実行者は「不良」に限らず誰でもなりうるが、いずれにしろ
秩序ある空間ではいじめや生徒間の暴力は発生しにくい(少なくともエスカレートしない)。
私が今回のいじめ問題で、教師にわずかだけ同情的なのは、昔のような秩序維持の
手段(体罰など)を禁止されているからだ。
もはや、学校に「自治」と秩序維持能力を求めることはできない。
となると、公権力を介入させるしかなくなる。学校側に責任があるとすれば、
秩序維持能力を喪失している現実に目をつぶって、「学校は聖域」だの「教師は聖職」
だのといったタテマエから、公権力の介入を避けてきたことだ。
必要な決断ができずに、ひたすら自己保身に走ったのだから、その意味では私も
(かなり)教師、学校、教育委員会の対応には憤っている。