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URLリンク(ja.wikipedia.org)部落問題
身分制度の廃止 [編集]
1871年(明治4年)に明治政府により「穢多非人等ノ稱被廢候條 自今身分職業共平民同様タルヘキ事」との布告(解放令)が出され、
以前の身分外身分階層が廃止されたことが明示された。しかし、近代市民社会の産業革命を成し遂げた欧米列強に見習う部分が多く、
一部の知識階級でのみその必要性が理解されたに過ぎない。
そのため多くの村々では穢多や非人と同列に扱われるのには反対が強く、解放令発布直後から2年以上にわたって解放令反対一揆が続発した。
解放令に反対して部落民を排除する取り決めを行ったり、部落民を「新平民」と呼ぶことにさえ拒否し、旧来どおり「穢多」と呼んだりした。
これに対し県レベルの行政では解放令直後に「旧穢多」という言い方が用いられ、後には「新民」「新平民」「新古平民」というものも出てきたが、一方部落民が「新平民」を自称することもあった[9]。
あるとき滋賀県大津の郡役所で村長会議が催された席上、特殊部落改善が話題になったとき、一村長は、「明治4年に解放令など出さずに、穢多を“皆殺し”にしておけば、禍(わざわい)はなかったものを[10]」と放言している。