12/07/06 14:25:22.77 nv1tP74h0
>>983
そこでそれでk怒濤の攻めをかましたのに、宮内庁にあえなくお断り
それで次は、外務省職員を宮内庁に送り込んで、徐々に内部の浸食を図っていったんだと思う
それこそ「綿密なスケジュール」で
>2006年3月文春
>警視庁にも極秘で進められた
>事前に知っていたのは山下東宮侍従長(外務省)と当日運転する係りの者、
>そして殿下だけ外から見えないよう目隠しされた軽のワゴン車に殿下が乗り、警備車両は一切なし。
>山下侍従長がマイカーでワゴン車の後ろについただけ
>一度はあきらめていた皇太子と雅子さんを再会させ、皇太子の気持ちを焚きつけたのは小和田(外務省)側。
>皇室からの圧力で無理矢理嫁いだというのは嘘
>平成になり皇太子の周りは外務省出身者の側近に代わっていた。
>本当の忠臣と言える側近はいなくなっていた。