12/07/04 17:32:42.41 Fc5I1alp0
朝鮮人による大被害と、暴力団組織は…この空白の期間に各地で誕生しました。
朝鮮人は遂に、東京で複数の警察署を襲撃したり、破壊を始めます。これを江戸ヤクザ、若者グレン隊らが、斬り合いをして追い返します。日本政府も警察も、彼らに深く感謝しました。
日本では英語に堪能な外相・吉田茂(麻生氏の祖父)が、1人でGHQとマッカーサー元帥の間を折衝し、日本にとって最良の条件を形成し始めます。 相当な辛苦と忍耐の期間を経て、遂に日本は独立の内意を得ます。全てマッカーサー、外相・吉田で決めた約束でした。
マッカーサーは、今までGHQが放置していた「日本国内の朝鮮人」に、ハッキリと一等国民でも日本国民でも無く、滞在外国人だと定め、法の適用を始めます。 今まで見逃され、俺たちの天下と思い込んでいた朝鮮人は、収まりません。
一等国民だと思い込み、日本各地で嫌がらせと暴動を繰り返した、朝鮮人らは日本人とすら認めない、というマッカーサーの判定に、たちまち孤立しました。
自業自得な事に、彼らは日本人から嫌われ「朝鮮人よ」と避けられ、「よくも家族を殺したな、財産を奪ったな」と、周囲から疎外されました。
この為、被害を受けた当事者は勿論のこと…日本人は皆、朝鮮人を避け関わらない様にしました。大正生まれの人が、いまでも朝鮮人!と罵るのは、その当時を忘れないからです。昭和前半の世代もまた…学童期にそれを見ています。
この疎外された在日初代は「今に見てろ、俺達はお前達の考えられない方法で、必ず復讐してやる。何代かかってもやってやる。気づいた時に幾ら泣いても、絶対に許さないからな!」と、騒ぐ事が多かったと言います。