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(>>96 からのつづき)
米軍兵士は長い行列をつくりました。
日本政府が出資援助して、娯楽協会が設立されました。1945年8月28日、占領軍の先遣部隊が東京
の厚木に到着しました。彼らを迎えたのは娯楽協会開業の第1号“慰安所”でした。 目撃者によ
ると、5,6百人の米軍兵士が街頭で1本の長い行列をつくりました。米軍の憲兵が責任をもって整列
させましたので、“隊列”が乱れることははありませんでた。 目撃者によると、日本政府直営
の“慰安所”は、かって日本軍が外地で設立した“慰安所”とそっくりだったそうです。
第1号“慰安所”は開業時、38人の“慰安婦”がいましたが、お客の米軍兵士が多すぎるため、
間もなく100人に増員しました。すべての “慰安婦” は一日15~60人の客をとりました。
良家の婦女は生き地獄に追いやられました。
日本に進駐した占領軍は1945年末までに35万人に達しました。娯楽協会は長期にわたって“慰安婦”
を募集し、最多時で7万人を抱えました。
広島平和学院教授田中敏氏(歴史学)は 「慰安婦の人数は正確には把握されていない」 と言います。
日本政府設立の “慰安所” 以外に、多数の私設妓楼があり、妓女の数は “慰安婦”を超えると
推定しています。 (つづく)